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ヒロイン探しは続行します(7)

 “幻惑”の外にはトゥレイス殿下とその護衛騎士。

 そして“幻惑”の中には私たち。

 このお兄様が施した“幻惑”の中から見える光景は、前世でいうところの透明のビニールカーテン越しといった感じで、すべてが鮮明とまではいかなくとも、トゥレイス殿下の銀髪と言っても差し障りのない灰色の髪や、光の加減で黄金色にも飴色にも見える神秘的な琥珀色の瞳もしっかりと確認することができる。

 しかも、トゥレイス殿下との距離は手が届きそうなほどに近く――――――――


「ねぇ……さっきからものすご〜くこっちを見てくるんだけど、俺たちのことは見えていないよね」

 レグニス様が小声となってお兄様にそう尋ねた。

 それに対しお兄様は、私の手をしっかりと握り込んだまま、普通の声で返す。

「見えてもいないし、聞こえてもいない。だが何かを感じ取ってそこにいるのは間違いない。非常に厄介なことにな」

 お兄様の言葉に安心したレグニス様は、やれやれとため息を吐いてから、普通の音量に戻した。

「だったら、何を感じ取って俺の目の前に張り付いてるわけ?男からこんな風にまじまじ見られるの、正直言って気持ち悪いんだけど」

「心配するな。気持ち悪いと感じているのは何もお前だけではない。それに、偶々その位置に立っているために、レグルスの前に張り付いて立っているように見えるが、実際はそうではない。トゥレイス殿下にしてみれば、食堂の窓際に立っているつもりだ。だが、何を感じてそこに立っているかは本人だけが知るところであって、我々にはわかるはずもない」

「だとしても、俺には男に覗かれて喜ぶ趣味なんてないんだけど、というか男自体に興味ないし」

「それを聞いて安心した。そんな趣味嗜好を持っているのだとしたら、即付き合いをやめるところだ」

「俺もそれを聞いて安心したよ。セイリオスに迫られても困るしね。で、どうすんの、外にいるお方は?俺としては、即お付き合いをやめたいところなんだけど?」

「同感だ。だが、それを誰が伝えに行くかだが…………」

 お兄様とレグニス様が顔を見合わせると、「私が行くしかあるまい」と、スハイル殿下が名乗りを上げた。しかしお兄様がそれを止める。

「事を穏便に収めたいのであれば、スハイル殿下が行くべきではない。出る時は、あくまでも最後通告としてだ。それに、学園の食堂に純白のブレザー姿で現れれば、それだけで怪しいですと語っているようなものだ。だからここは、学園の現生徒会長でもあり、トゥレイス殿下と同級生でもあるサルガス殿にお願いしたいのだが?」

 そう視線と言葉を投げかけたお兄様に、サルガス様は二つ返事で了承する。

「もちろんです。私が行って参りましょう。しかしここからすぐに“幻惑”の外に出て姿を現せば、余計に疑われてしまいます。ですから………………」

「わかっている。サルガス殿はここから大きく迂回して、トゥレイス殿下の背後に回っていただこうか。その間もサルガス殿には“幻惑”の中にいてもらうが、頃合いを見て“幻惑”を解除する。そのタイミングは私に任せてもらえるか?」

「はい。それで構いません。それでは行ってきます」

 そう言って立ち上がったサルガス様に、私は思わず声をかける。

「サルガス様、くれぐれもお気をつけて………」

 そんな私にサルガス様は一瞬驚いたようにヘーゼルの瞳を大きく瞠ったけれど、すぐに優し気に目を細めた。そして、いつもの生真面目な口調ではなく、どこか温かくも感じる声音で私に告げる。

「ユーフィリナ嬢は何も心配しなくても大丈夫だ。トゥレイス殿下のことは私に任せておけばいい。それにここはどこよりも安全だからね」

 それは優しい兄が怖がりな妹を諭すかの口調で、私は自然と頷き返していた。

 そして、握られている手から感じるお兄様の温もりと、今サルガス様から感じた声の温もりのおかげで、私は強張っていた顔にようやく笑みを作ることができた。

 そんな私の笑みに一度頷いたサルガス様は、そのまま背を向けテーブルを離れた。もちろんまだサルガス様はお兄様が施した“幻惑”の中にいる。そのため食堂に残る生徒たちも、トゥレイス殿下とその護衛騎士も。サルガス様には誰も気づかない。そして、移動するサルガス様が、食堂の出入口より少し手前にある柱へ差し掛かった瞬間、お兄様はパチンッと指を鳴らした。当然、私の手を握っていない方の手でだ。

「絶妙なタイミングだな」

 アカの言葉に「守護獣殿に、お褒めいただき光栄だ」と、お兄様がすかさず返す。そんなやり取りを耳におさめながら、私はサルガス様を目で追い続けた。

 すでに、お兄様の“幻惑”が解除され、“幻惑”の外にいるサルガス様。その証拠に、先程までサルガス様の存在に気づきもしなかった生徒たちが、俄かにざわつき、そして頭を下げる者までいる。

「うん、さすが生徒会長様だねぇ」

「えぇ、そうですね」

 レグルス様の感心の声と、シェアトの納得の声。でもその声は、同じ“幻惑”の中にいるにもかかわらず、何故か私の耳には酷く遠くに聞こえた。おそらく私の意識がすべてサルガス様に向いているせいなのだろう。

 そして、食堂をくるりと大きく一周回った形で、サルガス様がトゥレイス殿下と護衛騎士の背後に回り込む。その気配に護衛騎士が咄嗟に身構えながら振り向き、後を追う形でトゥレイス殿下がゆっくりとサルガス様へ振り返った。

「セイリオス、外の声は聞こえるのか?」

「調整済みだ」

「ならば、ここからはサルガスのお手並み拝見といこうか」

 そう言って、綺麗な弧を描いたスハイル殿下の口元。

 お兄様たちの口元もまた僅かに綻び、ゆるりと孤を描く。

 その中で一人、私だけが不安と緊張で息を呑んだ。



「トゥレイス殿下、こんなところでどうされましたか?何かお困りのようでしたら、私でよければお手伝いいたしましょう」

 サルガス様は社交向けの笑みを湛えると、それはそれは丁重に声をかけた。

 しかも、生真面目な性格がしっかりとその立ち姿と口調に現れており、それがかえって一分の隙も感じさせない。

 凄いわ……サルガス様…………さすが学園の生徒会長だけあるわね。

 だって、トゥレイス殿下相手に全然物怖じしていないもの。殿下の傍には帯剣した護衛騎士までいるというのに…………

 実際はまだ声をかけただけなのだけれど、サルガス様の堂々とした立ち振る舞いに、私はそれだけで感心してしまった。けれど、肝心なのはここからだと、祈るように見つめる。

「これは生徒会長殿。困ったというほどではないのだが、少し人探しをしていてね」

 抑揚もなくトゥレイス殿下から返された答え。

 きっと眉一つ動かさないままに、無表情で答えたのだろうと勝手に想像する。想像しかできないのは、背後に立つサルガス様へ向き直ったせいで、今のトゥレイス殿下は私たちに背を向けている状態だからだ。

 それに、人探しって……やっぱり…………

 もはや嫌な予感なんていう、可愛らしいレベルではなかった。それは警告を含んだ確信だった。

 おそらくサルガス様もそれを十分に承知しているだろうに、慌てるどころか顔色一つ変えず、さらに笑みを深めてみせる。といっても社交上の笑み程度だけれど。

「人探しでございましたか。でしたら、生徒会長である私が適任ですね。この学園の生徒の名前と顔は、すべて把握しておりますから。それで殿下は誰をお探しなのでしょう」

 本当に凄すぎるわ、サルガス様………私の心臓はこんなにもバクバクしているというのに、サルガス様は動揺するどころか、自ら率先して人探しを手伝おうとするなんて………

 しかも、学園すべての生徒の名前と顔を把握しているとまで豪語したわよ。いえ、もちろん覚えてらっしゃるのでしょうけれど、そこで、私の名前が出たら一体どうするつもりなのかしら…………

 私の中でむくむくと膨れ上がっていく不安と疑問。もうそれだけで息が詰まりそうだ。

 しかし、自意識過剰ということもある。

 トゥレイス殿下にはすでに新たな想い人がいるかもしれない。

 その場合、安堵が勝るか羞恥が勝るか微妙なところだけれど、心の安寧だけは間違いなく確保できる。

 あぁ、だから私の名前だけは告げないで!

 ―――――――と、切望するも、私の不安は見事的中してしまう。

「南の公爵家のご令嬢、ユーフィリナ嬢だ。今どこにいるのか、教えていただけるだろうか」

 その口調には一切の感情が感じられないにもかかわらず、どこか探るような響きがあった。けれど、サルガス様はここでも笑みを崩すことなく堂々としらを切る。

「ユーフィリナ嬢でしたか。確か……数日学園をお休みされていたようでしたが、そういえば今日からは来られているみたいですね。しかし、昼休みの時間はとうに過ぎております。さすがに、もう食堂にはいないかと…………私も午後からの授業は欠席する予定でしたので、よかったらご一緒にお探しいたしましょう」

 凄いわ……凄すぎるわ………サルガス様。これこそ人を煙に巻く時の有効な手段だわ。一緒に探すフリをしながら、どんどん遠ざかるように仕向けていく。そして時間と体力だけを無駄に消耗させる。

 うんうん、作戦としては完璧だわ。この場はこれでなんとかなりそうね。

 一瞬、安堵が胸を過ぎるけれど、相手はこのトゥレイス殿下。そうは問屋が卸さないらしい。

「そうか。この食堂にはいないのか。先程医務室の使役獣から、スハイル殿下たちと一緒に食堂へ向かったと聞いたのだが、もしかしたら私はあの使役獣に騙されてしまったのかもしれないな」

 跳ねた心臓。

 偶然、そこへ行って話を聞こうと思っただけなのか。それとも私がそこにいることを知ってわざわざそこへ行ったのか。

 問うまでもなく、おそらく後者だろうと推察する。

 そもそも、スハイル殿下がシャムによって運ばれたことはすでに学園と大学で周知の事実だ。

 その場にお兄様とアカがいたこともまた、知れ渡っているに違いない。

 しかし、だからといってその噂に、私が含まれているとは限らない。

 何故なら目立つ存在の陰に隠れて、誰も私に気づくことはないからだ。けれど、トゥレイス殿下は違う。

 元々アカとトゥレイス殿下は“神の娘”の生まれ変わりを探す協力関係にあった。

 アカに確かめたわけではないけれど、この人型の姿をトゥレイス殿下が知っていてもおかしくはない。そして、守護獣であるアカがそこにいたということは、守るべき対象である“神の娘”の生まれ変わりもそこにいたはずだと推測できる。

 つまり、確信をもってトゥレイス殿下は医務室へ行ったのだ。

 私は医務室にいると―――――――

 でもすぐに、トゥレイス殿下の言葉にちょっとした憤りを感じて、むむっと眉を寄せ、唇を尖らせる。

 シャムは人を騙したりなんかしないわ!――――――――と。

 そんな私の思考などお見通しのお兄様が、「そうだな。シャムは嘘が吐けないからな」と、テーブルの下で私の手をギュッと握り直してきた。そして、そのまま手を引きながら私の耳へ唇を寄せると「シャムのことで怒ってくれるのは嬉しいが、その顔は可愛すぎるから私の前だけにしておきなさい」などと、平然と囁いてくる。

「なっ!」

 一気に沸き立つ体温。

 一瞬で真っ赤に茹で上がる顔。

 不安と緊張で跳ねていた私の心臓は、さらなる起爆剤を得て、このまま一気に口から飛び出してきそうだ。

 それを対面で見つめていたスハイル殿下が、「そこ、兄妹でじゃれない」と呆れた……というより、やや拗ねた口調で告げてくる。それに対して「あぁ、確かにこれは目に毒だね」などとレグルス様が続き、「本当です!」とシェアトまでがそれに同調して、「オレはもう見慣れたけどな」とアカが締めくくった。

 ほんと居たたまれないことこの上ない。

 そのため、ほら、お兄様!御学友とお兄様を尊敬してやまないシェアトを拗ねさせてしまいましたわよ!と、赤面のままで睨んでおく。

 しかし、類稀なる見目の麗しさに反して、その中身が非常に残念なことになっているお兄様には、どんな私でも愛いらしく見える超特殊なシスコンフィルターがかかっているらしく――――――――

「駄目だな。この顔もまた可愛すぎる。なのに、隠しておけないのがなんとも口惜しい……」

 などと、いかにも残念そうに首を横に振る。

 いやいや、「うん、駄目だな。このシスコンは………」と、首を横に振りたいのは私の方です!

 そう内心で返したのは当然のことだと思う。

 そして、その私の内心の返しは、見事満場一致の同意票を得たようで(当のお兄様以外)、「見せつけられる俺たちも……だけど、ユフィちゃんも大変だねぇ」というレグルス様の言葉に、皆して頷くように項垂れた。

 そんな私とお兄様の羞恥しかない攻防戦の間にも、サルガス様とトゥレイス殿下の水面下?表面化?の攻防は続いており――――――

「――――――いえ、さすがにそれはないでしょう。シャムの言う通り、実際にユーフィリナ嬢はこちらにいらしたと思いますよ。ただ殿下とは行き違いになってしまったのではないでしょうか」

「なるほど……行き違いか。それも確かに考えられるな。この学園は広い。想い人に一目会いたくとも、すれ違うことさえままならなほどにな」

「えぇ、そうですね。この食堂へのルートも決して一つではございませんから」

「そうだな。では、使役獣の言葉を全面的に信じるとして……実は私の直感、いや感覚もまた、彼女はまだここにいると先程から訴えてくるのだが……これは彼女を想う私の気持ちが強すぎるからだと、そう受け止めるべきなのだろうか」

「そうかもしれませんね。会いたくて会いたくて堪らない気持ちは、時にその人の幻を見せることがあると言います。恐れながら、殿下の感覚もそれに似たものではないかと…………」

「それは、なかなかに興味深い話だな。その口調だと、生徒会長殿は経験がおありなようだ」

「さぁ、どうでしょう。それは殿下のご想像にお任せいたします」

「ならば、その件に関しては勝手に想像しておくとして…………一つ聞いてもいいか?」

「なんなりと」

「今、私の後ろにあるこの窓だが、これもまた幻ということはないだろうか?」

「と、仰いますと?」

「私の強すぎる想いがありもしない彼女の幻影を作り出すように、私から彼女を隠したいとする誰かの想いが、ありもしない壁や窓を作り出しているのではないかと思ってね。彼女の兄は…………確か、セイリオス殿と言ったか………その彼は、現“幻惑”の能力者らしいしな」

 そう言いながら、トゥレイス殿下はサルガス様から私たちの方へと向き直った。

 不意に、トゥレイス殿下の琥珀色の瞳と目が合う。いや、そんなはずはない。ただそんな気がしただけだ…………と、すぐさま思い直す。

 しかし――――――――

「ッ‼」

 “幻惑”の外から私を捉えて離さないトゥレイス殿下の琥珀色の瞳。

 息を呑み込むことすらできず、私の身体は全機能を失ったかのようにその場に凍り付いた。お兄様の手の温もりで一度はおさまった震えが、再びカタカタと音を立てながら全身を襲い始める。

「ユーフィリナ、大丈夫だ。問題ない」

 お兄様の熱い吐息ともに私の耳に直接吹き込まれた言葉。

 頷きはすれども、私の心と視線は凍り付いたまま、トゥレイス殿下から離すことがでない。

 そのトゥレイス殿下は“幻惑”の外側から私たちを覗き込むように琥珀色の瞳を眇めた。そして、サルガス様に問いかける。

「ところで生徒会長殿は“幻惑”に惑わされたことはあるか?」

「さぁ、どうでしょう。惑わされていることにも気づかないことが“幻惑”だと思っておりますので…………」

「なるほど。巧い返しだ。いや、逃げとも言えるか。しかし、どれほど強力な“幻惑”であっても弱点はある。というよりこれは、致命傷いうべきものかな。そう、“幻惑”が“幻惑”であり続けるのは、誰もがそれを“幻惑”だと思いもせずに、捉われてしまうからだ。もちろん、中にはあからさまな“幻惑”もある。だがそれは、敢えてそのような“幻惑”を見せ、その者に恐怖を与える時に使う“呪い”ともいうべきものだ」

「そうかもしれませんね。抜け出したくとも抜け出せない…………確かにそれは“呪い”のようなものです」

 サルガス様はそう伏目がちに答えて、ヘーゼルの瞳に影を落とす。

 もちろん背を向けてるトゥレイス殿下にはサルガス様の表情は見えない。しかし、トゥレイス殿下はそれを見ていたかのように続けた。

「どうやらこれに関しても、生徒会長殿には経験があるようだ」

「まさか。ただの感想ですよ」

「そうか。なら、ここはそういうことにしておこうか。私には個人の過去を詮索する趣味はないのでね」

「それは助かります、とお答えすべきか、無用なお気遣いです、とお答えすべきか、少々悩むところですが…………」

「まぁ、どちらでもいい。しかし本題はここからだ。今、もし私の目の前にあるものが“幻”ならば…………いや、私自身が実際に“幻惑”に捉われているのだとしたら、この“幻惑”が消えた瞬間、私の目には一体何が映ることになるのか…………生徒会長殿はどう思う?」

「どう思うと言われましても、そのお話の内容になりますと、この私も“幻惑”に捉われている一人となってしまうのですが」

「かもしれないし…………君もまた“幻惑”より現れしモノかもしれないな」

「“幻惑”から現れしモノですか…………だとしたら今殿下が話されている私は、まやかしということになりますが…………」

 そのサルガス様の言葉に、常に無表情のトゥレイス殿下にしては珍しく、微かに口角を上げた。そしてその口を改めて開く。

「そうとも限るまい。“幻惑”の中にあるものが、決して“幻”だけではないだろう?特に“幻惑”の能力者が施す“幻惑”も場合はな」

「さぁ、どうでしょうね。私は能力者ではありますが“幻惑”ではございませんのでなんとも……」

「そうだったな。確か生徒会長殿は“忘却”だったか?」

「はい、その通りでございます」

「ならば、消すか?私の記憶から彼女の記憶を」

 トゥレイス殿下の琥珀の瞳が黄金色から飴色へと変わる。そして“幻惑”の中にまでピシピシと伝わってくる殺気。けれど、それを直に肌で感じているはずのサルガス様は生真面目な表情を崩すことなく、トゥレイス殿下の背中に向かって返した。

「上から命じられれば…………もしくはトゥレイス殿下自身がそれを望めば、そうさせていただきます」

 そのどこまでも淡々とした返答に、トゥレイス殿下はまるで興を削がれたように一度俯き、目を閉じる。そしてもう一度琥珀の瞳を開けた時には、立ちのぼっていた殺気も消え去り、その瞳の色は黄金色に戻っていた。

「そうか。ならばそれは御免被るとだけ答えておこうか」

「殿下のお心は確かに受け取りました」

 サルガス様が承知したとばかりに頭を下げると、トゥレイス殿下は先程の続きとばかりに、話を続けた。

「さて、話は逸れたが、今私の前にある光景が“幻惑”なのか、この食堂全体が“幻惑”の中にあるのか、生徒会長殿は“幻惑”より現れしモノなのか、それともこれらはすべて本物なのか…………そろそろ確かめてみようと思うのだが、どうだろうか」

「なるほど……殿下はユーフィリナ嬢がその“幻惑”の中にいるとお考えなのですね」

「まぁ、そんなところだ。そしてそれを確かめるには、“幻惑”を“幻惑”だと認め、理解し、強く拒絶してやればいい。たとえばこのようにな―――――」

 そう告げながら、私たちに向かって伸ばされたトゥレイス殿下の両手。

 私を見据える琥珀色の瞳が、鈍き光を宿した刹那―――――――――


「風魔法!幻を払え!疾風(はやて)‼」

 

 私たちに向かって放たれた風魔法。

 ビュンッ!と空間を切り裂くように、一陣の風がお兄様の“幻惑”を薙ぎ払う。

 と同時に、パリンッと、何かが砕け散った音。

「あっ………………」

 私の視界はぐらりと揺れ、現実世界と幻の境界線が曖昧となる。

 あぁ……見つかってしまう…………

 私は思わず目を閉じた。

 わかってる。目を閉じたところでトゥレイス殿下が消えてしまうわけでも、事態が好転するわけでもない。

 それでも、少しでも現実を先延ばしにするように、私は固く目を閉じた。

 けれど――――――――――

 

「………………これは………一体……どういうことだ?」

「…………どういうことかと聞かれましても、我々の目の前には、殿下が放たれた風魔法によって割れてしまった可哀そうな窓がある――――――としか言いようがないですね」

 えっ?

 サルガス様の言葉に、私は反射的に目を開けた。

 もちろん私の前には割れた窓はない。

 しかしそこには、先程と何一つ変わらない“今”があった。

 そう、お兄様の“幻惑”に守られた“今”が――――――――――

「これは……一体どういうことなの……」

 トゥレイス殿下とほとんど同じ台詞を口にして、私は隣に座るお兄様を見やった。

 するとお兄様は、「だから大丈夫だと言っただろう」と、アメジストの瞳に私を映しながら微笑み、「すべてはサルガス殿が戻ってからだ」と、その微笑みを悪戯な笑みへと変える。そして今までずっと握っていてくれた手を離し、今度はその手をポンと私の頭で跳ねさせた。

 まるでこれで一件落着とでも謂わんばかりに――――――

 しかも、私以外誰も疑問にも、不安にも思っていなかったようで、依然として“幻惑”の外からトゥレイス殿下がこちらを睨みつけているというのに、それぞれが自由に話し始める。

「まったく、トゥレイス殿下も可哀そうに。これじゃ、食堂で赤っ恥をかいただけじゃない」

「レグルス、そう言ってやるな。今回は相手が悪かっただけだ。普通の“幻惑”ならば、アレで消えていた。とはいえ……サルガスはなかなかの策士だな。生真面目な顔で“幻惑”についてすっとぼけながら、トゥレイス王子自身にわざと“幻惑”を解除させ、トゥレイス王子の面目を潰すだけでなく、矜持までへし折るとは………」

「はい、さすがサルガス殿です。しかし、それができたのはトゥレイス殿下がセイリオス殿の“幻惑”を正しく理解されていなかったからにほかなりません。そのおかげで私たちはヒヤリともしませんでしたが…………」

「まぁ、ユフィは違ったみたいだがな」

「……………………うぅ」

 …………アカの言う通りです。

 サルガス様の作戦に気づかなかったどころか、実の妹でありながら、お兄様の“幻惑”についてまったく理解していなかった自分が恥ずかしくなる。

 しかし、言い訳をするならば、私はお兄様の“幻惑”に惑わされたことが一度もない。

 つまり、今のように守られたことはあっても、“幻惑”を破る側になったことがないのだ。そのため、ずっとその特徴を知らないままでいた。というより、知ろうともしていなかった。

 ただ、当然のように守られているだけで――――――――

 

 駄目ね。こんなことでは…………

 いつかはお兄様の妹を卒業しなればならない日がくるというのに……………

 

 甘えしかない自分に情けなくなりながら、私は改めてトゥレイス殿下を見つめた。

 すぐに、重なり合う視線。

 しかし、今度は私からの目を逸らすようにトゥレイス殿下の視線が離れ、そのままサルガス様へと向けられる。

「どうやら私は、胸に抱える想いの強さゆえに彼女の幻影を見ていたようだな。窓については我が国で弁償させてもらおう」

「ご心配には及びません。魔法の暴走などこの学園では日常茶飯事。殿下も学園の生徒のお一人ですから、生徒会で対応させていただきます」

 サルガス様が恭しく頭を下げると、トゥレイス殿下は小さく頷き、もう一度こちらへと振り返った。

 やはり、私が見えているかのように自然と視線が絡み合う。

 その琥珀色の瞳は、甘く危険な毒を孕んだままで静かに揺れ、向けられる眼差しは、私の胸を焦がさんばかりの熱を帯びている。

 このまま私の心を焼き尽くしてしまいそうなほどの、切なさと激情を含んだ熱を………………

 そして――――――――――

 

「ユーフィリナ嬢……また君に会いにくる」

 

 それだけ告げると、トゥレイス殿下は護衛騎士を連れ、食堂から立ち去った。


 

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