ヒロイン探しは続行します(6)
う〜ん…………
これはどういうことでしょう?
少し遅れての昼食は、何故かとても大賑わいなものになってしまった。
てっきりお兄様とアカと三人だけでと思っていたのに、シャム以外全員付いてきてしまったからだ。
いやいや、スハイル殿下はまだ医務室で休んでいないと駄目でしょう?と思うのに………………
『やはり私が参加しなければ、場が締まらないだろう?』
なんてことを言って勝手にベッドから抜け出すと、むしろ誰よりも率先して医務室を出ていってしまった。
そんなスハイル殿下の後ろを、呆れと苦笑でゾロゾロと付いていくお兄様たち。
うん、確かに面倒で厄介な人だ――――――と、再認識する。
しかも、場所は学園の食堂。
私やアカ、そしてシェアトとサルガス様はここで食事をするのは当然として、お兄様たちは大学生だ。
まぁ…………お兄様に限っては、私と週二回ここで昼食を一緒にしているのでもはや違和感もないけれど、残りの二名は違う。
過去、確かにお兄様たちもこの学園の生徒だった。だから、勝手知ったる…………というのはわかる。
しかし、純白のブレザー姿はとにかく目立つのだ。
それも、一人はこの国の王弟殿下であり、もう一人は北の公爵家ご令息(お兄様も一応南の公爵家ご令息なのだけれど、ここは常連ということで除外しておく)。
目立ち方が半端ではない。
そこに、シェアトやサルガス様、そしてアカが加わるのだから、食堂がどうなるかなんて想像に難くない。
早い話、興奮の坩堝。特に女子生徒たちの狂喜乱舞が凄まじい………………
そして、その興奮を引き越す原因の渦中にいる私。
居たたまれないどころの話ではない。
せっかくアカに、移動の際には常に三メートルの距離を開けるようにと頼んだばかりだというのに、状況はさらに悪化しているとしか思えない。せめてもの抵抗でなんとか距離を開けようと試みてはみるものの、彼らにとって私は“神の娘”の生まれ変わりであり、守護すべき対象。
すっかり周りを固められてしまい、抜け出すことすらままならない。
そうだわ、ここは無理に離れようとするのではなく、私の持つ隠密スキルを最大にして(仕方はわからないけれど)、彼らの陰に隠れるように小さく小さくなっておきましょう――――――と、作戦を変更する。
けれど、目立つ存在が傍にいる場合、私の隠密スキルはほとんど役に立たなかったことを思い出し、さらには彼らの間でコソコソしている自分を想像して…………公爵令嬢としてこれもないわね――――――と、さらに作戦の変更を余儀なくされる。というより、作戦の即時放棄だ。
つまり、こうなった以上開き直るしかないわけで、あぁ……私の至極のランチタイムが……………と、内心で嘆きつつ、私は食堂の中を“裸の王様”にでもなった気分でお兄様たちと一緒に移動した。
「この人数だとこの席だな」
スハイル殿下は窓際にある一際大きなテーブルの前に立つと、私へと振り返り、そっと手を差し出した。
どうやら席までエスコートしてくれるつもりらしい。もちろん相手は王弟殿下であるため断ることもできない。そこでゆっくりと手を重ねようとしたところで―――――――
「お、お兄様?」
「セイリオス!」
その手をお兄様に取られ、私とスハイル殿下の声が綺麗に重なった。しかし、当のお兄様は素知らぬ顔でそのまま私をエスコートし、窓際の一番端となる椅子を引くと「ユフィはここだ」と告げて、私を座らせた。そして今度はアカに視線だけで私の前の席に来るように促し、シェアトにもアカの横へ来るようにと視線を送る。それから自分は私の隣の席を確保すると、唖然としたままその場で立ち尽くしていたスハイル殿下へ向き直った。
「まったく、ここが公衆の場だということをお忘れか?ここで一人のご令嬢を特別に扱えばどんな噂が飛び交うかわかったものではない」
「い、いや……別に私はユーフィリナ嬢との噂ならば、むしろ大歓げ…………」
咄嗟に何かを言い返すスハイル殿下に、さらにお兄様が言葉を重ねる。
「特に今はお忙しい御身。つい先ほどもその疲れが祟ってあのような騒ぎとなったばかりだというのに、そこへ余計な噂が立てば、さらにその身を煩わせることになる」
「いやだから………私としては何も問題はな………………」
「こういった殿下の浅はかとしか思えない振る舞いを止めるのも、御学友であり、臣下である私の務め。殿下の我が妹に対するお気遣いには感謝申し上げるが、ユーフィリナは兄の私がしっかりエスコートするため、それこそ問題はない。殿下はまず御身を大切になさったほうがいい」
さすが、お兄様だわ。
私は隣に立つお兄様を見上げながら、ただただ感心しきりとなっていた。
スハイル殿下の御学友として、臣下として、殿下を守るために言うべきことはしっかりと告げたお兄様。
我が兄ながら本当になんて素晴らしい忠臣なのかしらと思う。
しかし、そう思ったのは私だけだったようで――――――――
「あ、あの大変申し上げ難いのですが、殿下のお気持ちもわかりますが、セイリオス殿がおられる場ではさすがに難しいかと………」
「サルガス殿の仰る通りです。セイリオス殿がここにおられる以上、何をされたとしても殿下に勝ち目はございません。僭越ながらこの数日間で私が培った経験を申し上げるとするならば、この場は一先ず私のように諦観に徹し、ただこの瞬間を共有できた幸せを嚙みしめておくのが最善かと思われます」
「すごいね、シェアト。もうその領域に達してんだ。まぁ……相手がこのセイリオスじゃ、わからないでもないけどね。だいたいさ、このシスコンセイリオスがいる前で、スハイルの“まずは外堀から埋めてしまおう“―――――なんていう姑息な手が思い通りに運ぶわけないんだから、ここは大人しく昼食にしようか。なんたってこのセイリオスだよ。天地がひっくり返ったって、今のスハイルにどうにかできるわけないんだしさ。それに、ユフィちゃんのお腹の虫が、ランチはまだか?って、また可愛く訴えてくるかもしれないからね」
そう言って、パチンと私に片目を瞑ってきたレグルス様。その姿はきっと女子生徒たちからすれば、ちょっとしたお宝映像になるのかもしれないけれど、羞恥しかない私にとってはそうは映らない。
ガックリと項垂れたスハイル殿下の隣で悪戯な笑みを湛えるレグルス様を、その記憶は忘れてください!と、赤面の涙目で睨んでおいた。
ビュッフェ形式の食堂。
しかし今日は、シェアトとサルガス様が銀のトレーと大皿を厨房から借りだし、並んでいた料理をすべて掻っ攫ってくる勢いで、私たちのテーブルへと運んできてくれた。
もちろん、取り皿用の小皿もある。食後のデザートも豊富にあれば、飲み物もガラスのピッチャーで数種類用意されている。そしてそれらの料理を、私の好物を熟知しているお兄様がせっせと小皿に盛り付け、私の前に置いてくれる。本当に致せり尽くせりだ。
ちなみに席順は、私の隣にお兄様と、その隣にはレグルス様。そして私の対面の席にはお兄様の指示通りにアカとシェアトが並び、その隣にスハイル殿下、サルガス様の順で並ぶ。
私というお邪魔な存在はいるとはいえ、どう見たって豪華すぎる顔ぶれ。なんせ、この国のご令嬢たちが挙って憧れる男性たちが一堂に会しているのだから。
そのせいで昼休みの時間はもう残り少ないというのに、食堂から人がいなくなるどころか、むしろ集まってきている。ここまでくると前世で言うところの動物園の客寄せパンダにでもなった気分だ。
しかし、すべてが整ったところで、スハイル殿下がやおら口を開いた。
「セイリオス、サルガス、頼む」
「「仰せのままに」」
そう答えるや否や、軽く指を鳴らしたお兄様と、「消えろ」と小さく呟いたサルガス様。
すると忽ち、私たちに向けられていた羨望と嫉妬が入り混じる好奇な視線はなくなり、皆、忽ち我に返ったかように自分たちの時間を楽しみ始めた。
残りの食事を食べ始める者。
友人たちと歓談を続ける者。
教室へ足早に戻っていく者。
それはまるで今朝の私が教室の自席に座った時のようだった。しかし、教室でのアレはアカが職員室へ向かうために私の傍を離れたことが理由であり、それ以外の外的要因は何もない。
けれど、今のこの状況は意図的に作られたものだ。
「こ、これはもしかしてお兄様の“幻惑”の能力と、サルガス様の“忘却”の能力です……か?」
そう、周りを見回しながら独り言のように口すれば、「まぁ、そんなところだ」とお兄様が答え、サルガス様は小さく頷いた。
医務室でもお兄様の能力を凄さを実感したところだけれど、サルガス様の能力も本当に凄いと思う。
できれば、今からでも私のお腹の音を聞いたという記憶を、ここにいる面々から綺麗さっぱり消し去ってほしいくらいに(特にレグルス様は念入りに)。
私とサルガス様がもう少し親しければ、後でこっそりとお願いできたかもしれないわね…………なんてことを思いつつ、私とは一番遠い対面の端に座るサルガス様を何気なく見つめた。
そして気づく。サルガス様の顔が一瞬苦痛に歪んだことを。しかしすぐに何事もなかったように、いつもの生真面目そうな顔つきへと戻った。
私の見間違い?でも確かに、何処かに痛みを感じていたような気がしたのだけれど…………
おそらくどこかに痛みがあったとしても、このような場ではなかなか言い出せないだろうし、サルガス様自身の矜持と面目もある。とはいえ、痛みを放置するのはよろしくない。
けれど、こっそり確かめようにも、席があまりに遠すぎる。伝言ゲームはもちろん使えないし、ジェスチャーもない。視線だけで問えるほど親しくもない。
一体どうしたらいいのかしら?
ついつい眉を寄せて考え込む。
そんな私に目ざとく気づいたアカが、よりにもよって「どうしたユフィ?腹が空きすぎてご機嫌斜めか?」などと聞いてくる。
即座に否定するべく「違っ………」と口を開きかけるけれど、私よりも先にシェアトがそれに答えてしまう。それもアカの台詞を前提として――――――
「大丈夫ですよ。ユーフィリナ嬢は食べ始めてればすぐに愛らしい笑みを見せてくれますから。それはそれは見ているこちらまでが幸せになるような笑みを。だから実を言えば、この時間は私とユーフィリナ嬢だけの時間にしたかったのですが…………」
そのシェアトの言葉に、そういえば以前昼食を一緒にした際、シェアトとこれからも度々昼食を共にする約束をしたことを思い出す。けれど、前半の言葉はどうにもいただけない。ご飯さえ与えておけば機嫌がよくなるだなんて、まるで私が余程の単細胞か、馬鹿な子みたいではないかと、シェアトにむっとした視線を向ける。すると今度はお兄様の向こう側からも………………
「うわぁ………シェアトにそんなことを言わせるって言うか、こんな顔をさせるユフィちゃんは凄すぎだね。しかしそうなると、その幸せを享受できない俺のこの席は一番損な席ってことになる。ねぇ、スハイル変わって」
「誰が変わるか!」
物怖じしないというか、御学友の気軽さゆえと言うか、レグルス様の軽すぎるお願いを間髪入れずスハイル殿下が一蹴した。
さらにはお兄様が「レグルス、ユフィちゃんと言うな」という決まり文句を発し、それを姿勢正しく聞いているサルガス様は苦笑を零している。
そんなサルガス様の様子に、どうやら今は痛みもなさそうね…………と、そう結論付けて、私はようやく待ちに待った昼食へとありついたのだけれど――――――――
こ、これはまるで針の筵のようだわ………
もちろん何かをしたわけではない。
強いて言うなら、食べることに没頭していただけだ。
しかし、周囲からの視線がビシビシと刺さってくる。
それはもう居たたれないほどに………
そしてそのことに気がついたのは、私のお腹が少し満たされ、ようやく一息吐いた時だった。
空腹の虫を宥めるために、パクパクとお兄様に勧められるまま食べ続けていた私。
小エビのカルパッチョに、オニオンとチキンのサワークリームソテー、カリフラワーのムースとコンソメジュレで頂くスモークサーモン、そしてふんわりとろとろのチーズオムレツ…………などなど、私が至福の時間を堪能しているのを、彼らはさり気なく、いや、がっつりと眺めていたらしい。
それもこれもシェアトが余計な一言を漏らしたせいである。
そこで恨みがましくシェアトを見やると、シェアトは見たこちらが絆されてしまうほどの笑顔で、私を見つめていた。
うん、先程の台詞に熨斗をつけてお返しすることにいたしましょう。
うっかり、私の方が幸せな気分になってしまいました。
しかし、ここでも私はあることに気づく。というか、今まで自分の食事しか目に入っていなかったので、周りの皿の様子など気にもしていなかったのだけれど、明らかにシェアトの小皿には申し訳程度のサラダが乗るだけで、それすらほとんど手を付けられた形跡がない。
そこでまた私は俄かに心配となる。
こうして元気そうに見えているけれど(むしろ、幸せそうに私の食事の様子を眺めているようだけれど)、実はアカの一件でシェアトは食欲もわかないほど、何処かを病んでしまっているのではないかと。
そこで私はここで一旦フォークとナイフを置き、シェアトへ声をかけた。
「シェアト様、先程から食が進まないようですが、どこかお加減でも優れないのでしょうか?もしそうでしたら、私が医務室まで付き添いますから、少しお休みになってください」
私からの問いかけと提案に、シェアトは忽ち困ったような顔をした。しかしすぐに「これはなんとも心惹かれるお誘いだな………」なんてことを顎に手をやり、真顔で呟いている。
いやいや、これは誘っているわけではない。ある意味、医務室へ強制送還しようとしているのだ。したがって心惹かれている場合でもない。それともここは、心惹かれるほど医務室で今すぐ休みたいと受け取るべきなのだろうかと、頭を悩ませる。
すると、ここでお兄様が口を挟んできた。
「ユーフィリナ、心配はいらない。シェアト殿に食欲がないのは、別に不調だからというわけではない」
「えっ?でしたら、どうして…………」
「シェアト殿が先程スハイル殿下を心配して医務室に駆けつけてきた時、シェアト殿はどこで話を聞いたと言っていたか覚えているか?」
お兄様からそう言われ、ん~と、そういえば…………と、私は首を傾げた。そして暫し記憶を巡らせて、ふと思い出す。
“私も食堂で女子生徒たちが騒いでいるのを偶然聞いてここに来ました…………”
確かシェアトはそう言っていた。
つまり、シェアトは先程まで食堂にいたわけで、昼休みに食堂へ行く理由なんて一つしかないわけで、シェアトの食欲がないのは――――――――
「シェアト様、もうお食事をされた後だったのですね?」
私がずばりそう聞くと、シェアトは形のいい眉を下げ、苦笑となった。
「ユーフィリナ嬢とイグニス殿と食事をしよう思い、食堂へ行ったのだが、どうしても二人を見つけられなくてね、仕方なく食べ始めてしまったんだ。そしてもう食べ終わるというところで、スハイル殿下の話を聞いて、大急ぎで医務室に駆け付けたんだよ」
「だったら、どうして私たちと一緒にまた…………」
そう言葉にしかけて口を噤む。その答えなど聞くまでもない。
シェアトはお兄様に傾倒している。そんな誰よりも尊敬し、憧憬してやまないお兄様と食事ができるせっかくの機会を逃すはずがない。
うんうん、わかるわよ。
たとえこれが何度目の食事になろうとも、憧れのお兄様と少しでも一緒にいたいわよね。そんなシェアトの気持ちを知っていながら、そんなことを問おうとするなんて、私ったらなんて野暮なのかしら。
私はすぐに内心で一人反省会をすると、シェアトに向かってニッコリと微笑んだ。
もちろんこの笑みは、“すべてわかっています。だからもう答える必要はありません”という意味だ。しかし、私がわかっていても、肝心のお兄様がまたそれに気づかず、シスコンを発動させてしまうかもしれない。いや、さっきからずっと発動中なのだけれど、少しはシェアトにも目を向けさせるべきだと思う。そこで――――――――
「そうですね。学園と大学は同じ敷地内にあるとはいえ、なかなかお兄様とお食事をする機会も、このようにゆっくりとお話する機会もございませんものね。今日はいい機会です。是非お兄様に色々とご質問なさってはどうでしょう。お兄様もシェアト様のご質問にはちゃん答えて差し上げてくださいね」
少々お節介がすぎるかもしれないけれど、お兄様の妹して、そしてシェアトの友人として、二人を繋ぐ架け橋となってあげたいと心から思う。
しかしどういうわけか、お兄様とシェアト、さらにはアカまでもが盛大にため息を吐き、テーブルの端ではレグルス様が一人笑い転げている。
ちなみに、スハイル殿下とサルガス様からは、まるで奇異なものを見るかのような視線を向けられ、これはこれで微妙に傷つく。
でも、これは一体どういうことかしら?
私、何か変なことを言ったのかしら?
動揺する私をよそに、お兄様がため息の余韻を目一杯引き摺りながらシェアトへ話しかけた。
「シェアト殿………ここは一度、男同士の友情の証として抱き合っておこうか?」
「謹んでお断りします」
「それはよかった。私にもそんな趣味はない。ということなのだが…………ユーフィリナ、そろそろわかったか?」
お兄様からの突然のフリに、私はますます困惑と動揺を深めてしまう。
正直に言いましょう。そろそろも何も、さっぱりわかりません。
しかし、なんだかそう素直に言うのは憚られて、私はお兄様の期待する答えを必死に探す。そして――――――――
「えっと……………その………シェアト様は恥ずかしがり屋さん……ということでしょうか?」
そう口にしてから――――――あぁ、だからこんな人目のあるところでは、お兄様と親睦をはかるようなことはしたくないのね。それとも、男としての矜持ってところかしら――――――と、それなりの答えを見つけ出せたような気持ちになる。
けれど、その私の回答に、再びお兄様たちは盛大なため息を吐き、今度はレグニス様だけでなくスハイル殿下とサルガス様までが吹き出した。
「うん……ユフィちゃん…………最強だ。俺を笑い殺すなんて…………」
息も絶え絶えにそう告げて、床へと沈んだレグルス様。
あの……最強ではなく、最弱の言い間違いでは?とは思うけれど、今のレグルス様はとても私の話を聞ける状態にない。
う~ん……まったくもって解せないわね……………
私は結局、デザート用のスプーンを手に取りつつ、一人眉を寄せた。
「さ、さて、ユーフィリナ嬢ではないが、せっかくこのような機会が持てたのだ。ここは今後のことも話し合っておこうか。主に、今は“魔の者”というよりトゥレイス王子に関する話になるがな」
困惑と動揺と疑問に満ちたランチタイムも終盤、私が本日のデザート、濃厚とろけるカスタードプリンの最後の一口を、う〜ん……私がとろけちゃいそうだわ―――――と、うっとりと幸福感に浸りながら十分に堪能したところで、スハイル殿下が突如としてそんなことを言い出した。それも何故か真っ赤となった顔を明後日の方向へ向けながら。
よく見れば、姿勢正しく座るサルガス様の顔も赤いような気がするし、レグルス様はニコニコと私を眺めながら妙に嬉しそうだし、シェアトもやはり顔を赤く染めつつも極上の笑みで私を見つめてくる。
アカに至っては「オレの分も食べるか?」と、そっぽを向きながらプリンを差し出してくるし、お兄様は「イグニス、お前の魂胆は丸見えだ。それにユフィが食べるのはこの私のプリンだ」と、アカのプリンを奪い、自分のプリンを私の前に置いてしまう。そして――――――――
「セイリオス!なんでオレのプリンを食ってるんだ!それはユフィにあげたものだ!」
「問題ない。お前のプリンも私のプリンも味は変わらない。それに、ユフィには私のプリンをやったからな。さすがのユフィも三つは食べられまい。だから私が手伝ってやっているだけだ」
「だったら、自分のプリンを食え!オレのプリンを食うな!」
「イグニスはいらないのだろう?だとしたら、ここはお前の現飼い主として、しっかりと責任を持って、その偏食の面倒もみなくてはな」
「誰が飼い主だ!オレは飼い犬ではない!っていうか、これのどこが偏食だ!」
「いやはや、好き嫌いばかりする老犬を躾けるのは、本当に骨が折れるな」
「だからオレは犬ではなく狼だ!」
いつものお兄様とアカの仲のいい言い合いを微笑ましく見つめながら、私はお兄様のプリンを有難く頂くことにする。さすがに三つは無理だと判断したお兄様に、いえいえ、プリンでしたら三つでも十分に食べられますよ――――――なんてことを内心で告げながら。
そして、僅かに延長された至福の時間を、再び心ゆくまでたっぷりと堪能した後で、大変お待たせいたしましたとばかりにペコリと頭を下げる。それから顔を上げて周りを見回すと、サルガス様は姿勢正しく赤面で石像化しており、スハイル殿下は耳まで真っ赤にしてテーブルに突っ伏していた。
レグルス様は「うん、これは本当に無自覚で最強だ……」と、半ば呆れ顔で妙な納得をしているし、シェアトもまた「駄目だ………目に焼き付けるにも限界がある。あぁ……できることなら今すぐ絵師を呼びたい………」などと、頭を抱え込みながら意味不明な独り言を呟いている。
アカはそんなシェアトに半眼となり、お兄様は「ユフィ、美味しかったか?」と、プリン以上にとろける眼差しを私に向けてくる。
ふふふ、お兄様のお仲間は愉快な人たちばかりね――――――なんてことを思いつつ、「はい、お兄様」と、私は満面の笑みとなった。
そこから、どうにかこうにか立て直したスハイル殿下は、うっすらと頬を染めたままで改めて口を開いた。
「――――トゥレイス王子とも、守護獣殿の件で何度か話し合いを持ったが、デオテラ神聖国としては聖獣など召喚した覚えはないと、その一点張りで話にもならん。確かに守護獣殿は召喚獣ではない。そのため、こちらとしては今回の一件を表沙汰にはしないと恩を着せる形でトゥレイス王子には早々に留学を取り止めいただき、このまま国へ帰っていただきたかったのだが、それも今の時点ではできそうにない。それに、あまり追及して守護獣殿の所有権などを持ち出されては厄介だからな」
「オレは誰の所有物でもないぞ。強いて言うなら、ユフィだけのものだ」
すかさずアカがそう口を挟むと、スハイル殿下は「心得ております」と、丁重に返してから、続けた。
「もちろん、我々もそのように考えております。だからこそ厄介なのです。守護獣がいるところに、“神の娘”の生まれ変わりもいるべきだという屁理屈を持ち出してこないとも限りません。なにしろトゥレイス王子は束縛魔法を使ってまで強引にユーフィリナ嬢へ“真紋”を付けようした過去があります。さらに言えば、かつて“神”と“神の娘”が住まわれていたという天宮は、現在デオテラ神聖国の領地内にあり、我々から見れば屁理屈にしか見えない主張も、デオテラ神聖国にとっては正当な言い分となるのです。だからこそ交渉は慎重にならざるを得ません」
「確かにそれは厄介だね。かつて一つの国だっただけに、“神の娘”の生まれ変わりに対して、両国とも同じ主張をすることになる。自分たちの国こそが、“神の娘”の生まれ変わりを守護する正当なる国だと――――ね」
「レグルスの言う通りだ。だが、ユーフィリナ嬢は“神の娘”の生まれ変わりである前に、南の公爵令嬢で、このセイリオスの妹君だ。つまり、我が国の者である事実は何があっても覆ることはない」
「その通りです。ユーフィリナ嬢はデウザビット王国の由緒正しき南の公爵家のご令嬢です。デオテラ神聖国がどんな理由付けをし、正当な権利を告げてこようとも、我が国はその一点だけで強く主張できます。しかしだからこそ、トゥレイス殿下は真っ先に“真紋”を付けようとしたのではないでしょうか。永遠に覆せない既成事実を作ることで、正当な権利を強引に得ようとした……」
「サルガスの推測通りだろう。そして今回、守護獣殿の一件でトゥレイス王子はあくまでも無関心を装ってはいるが、内心ではそれなりに焦っているはずだ。まだ我が国もデオテラ神聖国と無用な波風を立てたくはないということで、表立った手段は何も講じてはいないし、“真紋”のことも“仮紋”のことも、敢えて言及はしていない。しかし、状況によっては強制的に留学を取り止めていただき、ご帰国を願うこともあり得るからな」
「それを恐れているからこそ、トゥレイス殿下はより強引な形でユーフィリナ嬢へ接近し、一刻も早く“真紋”を付けようとする可能性があるということですね…………」
シェアトの言葉に、私の胸は俄かに騒ぎ始める。
また私に“真紋”を付けるために、トゥレイス殿下が現れる――――――――――
カタ……カタカタ………………
言い知れぬ恐怖を感じて震え始めた身体。目を瞑れば、トゥレイス殿下の琥珀色の瞳が脳裏にちらつく。
嫌ッ………………
その瞳から逃れるように、咄嗟に目を開ければ、シェアトのパールグレーの瞳と目が合った。するとシェアトが、真摯な表情で声をかけてくる。
「ユーフィリナ嬢、心配はいらない。君にはセイリオス殿もイグニス殿も、そして我々もいる。絶対に君には指一本触れさせはしないから、どうか私たちを……私を信じて任せてほしい」
「シェアト様…………」
私の怯えを察し、そう誠実に伝えてくれるシェアトに、私は微笑みを作る。
しかしそれは、とてもぎこちないもので、見ようによっては泣き顔にも見えるものだった。
しかも一向に身体の震えが止まらない。
そのせいで今にも戦慄きそうになる唇を、ぐっと噛み締め、手の震えを止めるためにスカートをぎゅっと握り締めた。
そんな私の手を、大きな手が包み込む。
「お兄…………」
「おやおや、シェアト殿。最後の最後に自分を売り込んだな。まったく……油断も隙もあったものでは………………」
お兄様はテーブルの下で私の手を握り締めながら、シェアトに対してため息交じりにそう返した。しかし、最後まで言い切ることなく、一度口を閉ざす。それからすぐに「イグニス」とアカに声をかけた。
「……あぁ、噂をすればなんとやらだ」
アカの返答に、忽ち走る戦慄。
スハイル殿下たちも、一気に険しい顔つきへと変わる。
もちろん今の私たちはお兄様が施した“幻惑”の中にいる。だから見つかることはないと思うのに、どうしても恐怖が拭えない。
そう、私はトゥレイス殿下が怖いのだ。
あの甘くも危険な毒を孕む琥珀色の瞳が、どうしようもなく――――――――
お兄様の手の温もりを感じて尚、さらに強まる私の震えにお兄様の握る力が一層こもった。それとは真逆に、アメジストの瞳はどこまでも優しげに細められる。
「大丈夫だ。問題はない」
いつもくれるお守りのような言葉。
私はその言葉を胸に抱いて、コクンと頷いた。
そして――――――――
「来た…………」
誰がそう呟いたかはわらない。
しかしその言葉通り、護衛騎士を連れたデオテラ神聖国第二王子、トゥレイス殿下が“幻惑”の外に立っていた。




