ヒロイン探しは続行します(5)
タイミングがいいと言うべきか、それとも間が悪いと言うべきか…………
生真面目が服を着ていると揶揄されるほどに、ロイヤルブルーの制服を折り目正しく着たサルガス・オッキデンスは、まるで計ったかのように医務室へ現れた。
背も非常に高く精悍で逞しい容貌を持ち、さらには高爵位な上に、頼りになる生徒会長ということも相俟って、女子生徒からの人気も高い。そして今は、ローアンバーの髪から覗く額を汗で滲ませ、ヘーゼルの瞳は心配で揺れており、スハイル殿下のために、どれだけ必死にここまで駆けてきた…………もしくは生真面目に早歩きをしてきたのかが窺い知れるほどだ。
そう、サルガス様は何も悪くない。むしろ忠臣の中の忠臣とも言える。
しかし、この登場はあまりにも絶妙すぎた。そのため、スハイル殿下の顔はあからさまに顔を引き攣っており、「し、し、心配無用だ。問題ない」と返す声も、妙な必死さがあった。
とはいえ、そのまま帰すわけにも行かず、スハイル殿下はサルガス様を自分の傍まで呼び寄せ、大まかな事の流れを話して聞かせる。
空いた時間に中庭で居眠りをしていたところ、突風に煽られ大事な書類を風に飛ばしてしまい、慌てて拾い集めたはいいが、ここ最近の激務の疲れがたたり、そのまま意識を失ってしまったのだと。そして、偶然通りがかったセイリオスとシャムにここまで運んでもらった――――――というもので、その説明には私とアカの名前が丸ごとごっそり省略されており、どうやらこれは、スハイル殿下の配慮なのだと遅ればせながら気づく。
そんなスハイル殿下に、確かに面倒で厄介な人かもしれないけれど、人を思いやれる素敵な人だわ…………と、私は密かに思い直した。
しかし、すぐに困惑がくる。
まだサルガス様は私の存在に気づいていないようだけれど、このまま知らん顔をして立っているわけにもいかない。
そもそも相手はこの学園の生徒会長でもあるので、私からすれば十分見知った顔となるのだけれど、サルガス様してみれば数多いる生徒の一人である私の顔を知るはずもない。というか、私の隠密スキルのせいで、今ですら私の存在………それどころか何故か非常に目立つはずのアカの存在にも気づいていないように見える。
もしかして……いえ、もしかしなくともサルガス様は相当な鈍感さんなのかしら?
そんな疑惑が俄かに浮上する中、お兄様からはアイコンタクトと仕草で、そこで黙ってじっとしていなさい――――という指示がきた。アカもお兄様からの指示に気づき、何故か私の前を陣取るような形で立ち直す。さらにはその横にシャムも立ち、まるでちょっした壁のようだ。
こうなると、ますます挨拶のしようもなく、私はそこで大人しくしているよりほかなかった。
そんな私の戸惑いをよそに、お兄様たちの会話は続く。
「それにしても、なんと素晴らしいタイミングだろうか。丁度、スハイル殿下とサルガス殿の話をしていたところなのだ。是非とも力を貸してほしいと」
「もちろんです。私でお役に立てることがございましたら、遠慮なく何なりとお申し付けください」
「これは心強い。実は、早速消してほしい記憶があるのだが………………」
「サ、サルガスッ!セイリオスの話は聞かなくてもいい!っていうか、絶対に聞くな‼」
「えっ?あ、あの……えっと……はい?」
お兄様とスハイル殿下の間で、肯定なのか疑問形なのか、とても曖昧な返事をしたサルガス様。
スハイル殿下はサルガス様の困惑を見て取り、さすがに申し訳なく思ったのだろう。すぐさまフォローを入れる。
「あぁ、すまない。サルガスの気持ちは有難く受け取っておく。だが、セイリオスの頼みは単なる世迷言のようなものだ。だから気にしなくてもよい」
「これはこれは異なことを。私がスハイル殿下の心の安寧を思って申し上げたことを世迷言だとは…………このまま傷心で私の方が寝込んでしまいそうだ」
「傷心と無縁の男が何を言ってる!とにかく私がこの記憶を消すことはない!そこにどれほどの失態の記憶が含まれていようともだ!だから、サルガス。セイリオスからどんなに唆されようとも、私の記憶を消してくれるなよ」
「も、もちろんです!基本、記憶は消すものではなく、積み重ね残すものでございます。たとえそれが羞恥のあまり今すぐ業火の中へ飛び込み、命を断ちたくなるほどの失態の記憶であろうともです」
「…………いや、さすがにそこまでの失態はおかしていない……」
がっくりと項垂れたスハイル殿下に、サルガス様は不思議そうに首を傾げた。お兄様はあくまでもどこ吹く風だ。
そんな三人のやり取りを、本当に仲がいいわね、と微笑ましく見つめながら、私は内心ずっと困ったままでいた。
お兄様に黙ってじっとしているようにと言われてしまえば、そうするしかない。でも、この状況は明らかに覗き見であり、盗み聞きである。
先程、生け垣に潜んでイベントを覗き見ようとしていた私が何を言っているのかという話だけれど、あれは必要に迫られて仕方がなくであり、今は不本意ながらご命令とあらば仕方がなく――――――という大きな違いがある。
つまり、かなり居心地が悪い。
それに正直なことを言えば、もう私のお腹は限界だった。今にもグゥ……と主張したがるお腹を時に宥め、時に鳩尾に力を入れ黙らせるにも限界がある。
そろそろ、ここからお暇して食堂に行きたいのだけれど…………
なんてことを切実に思いながら、私はチラリと医務室の時計に目をやった。
私の目が確かならば、お昼の休憩時間の半分以上が、悪戯に過ぎ去ってしまっている。
これは由々しき問題だ。
ちなみに午後からの授業はもうとうに諦めている。私にとって、授業よりも昼食のほうがより大事だ。
そんなことが許さるのかと問われれば、前世の学校と違って異世界の魔法学園はゆるゆるだから余裕で許されるという答えとなる。とはいえ、ここからまず脱出しなければ、肝心の昼食にもありつけない。
さて、どうしましょう…………
私の隠密スキルをもってすれば、このままこっそり抜け出したとしても、誰も気づかないかもしれない(お兄様は別として)。
でも、アカがいる。アカを置いていくわけにはいかない………とまで考えて、私はある事実を思い出した。
ちょっと待って。サルガス様はアカにも気づいていないわ。
だとしたら、行ける?行けてしまえる?あぁ…………でも、ドアが閉まっているのよね…………
こっそり抜け出すために、誰かそのドアを開けてくれないかしら、と切に願う。望むらくは、シャムあたりがさり気なく。
すると、そんな私の願いを聞き入れてくれたかのように、ノックもなくドアが開いた。
しかし、開けたのはシャムでなく―――――――――
開いたドアから入ってきたのは、北の公爵令息、レグルス・セプテントリオーネースと、東の公爵令息、シェアト・オリエンス。
どうやらこの二人も、スハイル殿下のことを聞きつけて駆けつけてきたらしい。
しかも、せっかく開いたドアは、シェアトによってきちんと閉められてしまう。
あぁ、そこは開けっ放しにしておいてほしかった……………という私の声は誰の耳にも届くことなく、ただ食堂だけが私から遠ざかった。
シェアトは言わずもがな、私のクラスのクラス代表であり、今の私にとって“友”と呼べる唯一の人だ。
そして、その顔を見れば、何故か無性に声をかけずにはいられない人でもある。しかし今は、お兄様からの指示を守るため、この湧き上がる衝動を、アカとシャムの陰に隠れ、シェアトのパールグレーの瞳を見ないことでなんとかやり過ごす。
もちろんそんな私の葛藤など知る由もなく、お兄様たちの会話は続いており――――――その中でもお兄様と同じ歳で、スハイル殿下の御学友でもあるレグルス様は、柔らかそうなチャコールグレーの髪を掻き上げ、ペリドットの瞳をふわりと細めながら、心配そうに…………ではなく、愉快そうにスハイル殿下へ話しかけた。
「大丈夫?どうやら顔色はいいみたいだね。しかし驚いたよ。スハイルがシャムにお姫様抱っこされながら医務室に運ばれたって聞いてさ。だからこうして飛んできてあげたんだよ。あぁ……ちなみにシェアトとはそこで偶然会ってさ………で、一体何があったのかな?」
好奇心いっぱいという気持ちを隠しそうともせず、そう尋ねてきたレグルス様に、スハイル殿下は「お、お、お姫様抱っこ………」と呟きながら、頭痛がすると謂わんばかりにこめかみを指でおさえた。そして、問いかけに対する返答ではなく、素朴な疑問を口にする。
「サルガスが来た時から思っていたのだが、私が倒れたという噂はどこからどう流れて、どこまで広がっているのだ?」
「どうだろうね。俺の耳までしっかり届いたってことは、大学ではすっかり広がっているんじゃないのかな?サルガスとシェアトはどうして知ったの?」
「レグルス殿と然程変わりはありません。生徒会室にいた私のところに妹のシャウラが知らせに来ました。スハイル殿下がシャムに抱きかかえられて医務室に運ばれていったと。それで私もここへ駆けつけてきたのです」
「私も食堂で女子生徒たちが騒いでいるのを偶然聞いてここに来ました。ところで確か一緒に…………」
シェアトは辺りを見回す仕草をしてから、お兄様に何かを問いかけようとして、そこで口を噤んだ。それから何もなかったかように、「スハイル殿下がお気づきになられて本当に良かったです」と、言い添えた。
しかし、ここでスハイル殿下が頭を抱え込む。
「ってことは何か?私が倒れたことは、もう学園と大学中が知っているということか?」
「さすがだな。南の公爵家の団欒だけでなく、こうして全生徒に楽しい話題を提供してくださるとは」
「だから、誰も提供などしとらん!というか、広まるのがいくら何でも早すぎるだろう…………」
「んん~~~それはスハイルの人気が成せる業ということでいいんじゃない?」
「レグルス、適当なことを申すな!明日からどの顔を下げて来ればいいのだ…………」
「ん?その顔でいいんじゃない?今更そのブロンドの髪をシェアトのような漆黒に染めて、仮面とか被っちゃったら、逆にそっちの方が恥の上塗りの失笑ものだよ」
「いや、だから、決してそういう意味ではなく…………」
「だとしたら、ここはやはりサルガス殿の出番だろう。シャムにお姫様抱っこという新たに追加された恥ずかしすぎる記憶も一緒に忘れてしまえば、明日もその顔を下げて堂々としていられるはずだ」
「その場合、私は陰で笑われているがな!」
「記憶があってもなくても、それは変わらないと思うが?」
「最悪だぁ!」
再びスハイル殿下は頭を抱え、そのまま髪をくしゃくしゃと搔き乱す。しかし、突然我に返ったようにハッと顔を上げ、手櫛でささっと髪を整えてから居住まいを正すと、凛と声を張った。
「すまない。また無様に取り乱してしまうところであった。だが、普段の私は決してこんな人間ではない。それだけはしっかりと覚えておいてほしい」
突如としてそんなことを言い出したスハイル殿下に、お兄様は半眼となり、シェアトは何故か苦笑し、レグルス様とサルガス様はさっぱり意味がわからないとでもいうように二人顔を見合わせた。
私の前に立つアカとシャムもまた、やれやれと首を横に振る。
もちろんグループ分けをするなら、私はレグルス様とサルガス様のグループへ入ることになるのだけれど、もちろんその輪へ駆け寄っていくわけにも行かない。というか、私はいつまでこうしておけばいいのでしょう?と、お兄様の横顔に視線だけで訴える。
そんな心の訴えがようやく届いたのか、それとも私の眼力が物を言ったのか、お兄様はゆるりと備え付けの丸椅子から立ち上がった。そしてスハイル殿下に告げる。
「日頃のお疲れが出たのだろう。今日はここでゆっくりとして王城に戻られたほうがいい。これから私は殿下の専属護衛騎士であるエルナト殿のところへ行ってくる。おそらくいつものように控えの間で、殿下のことを待っているはずだからな」
「あぁ、頼む。それと私は大丈夫だとくれぐれも伝えておいてくれ。エルナトが来れば、ずっと子守唄代わりに聞いてもない話を聞かされるのがオチだ。あいつは口から生まれたような男だからな……それこそゆっくりと休んでもいられん」
ぼやくようにそう告げたスハイル殿下に、お兄様は「殿下のお望みのままに」と胸に手を当て、恭しく頭を下げた。それから悠然と顔を上げ、一瞬私へ視線を投げかける。
あぁ、ようやくここを出られるのね!
そういえば、回収した紙をまだ持ったままだけど、お兄様に預ければ問題ないはずだわ!
忽ち私の心が歓喜で弾む。なんなら私の身体を置き去りにして、そのまま心だけがスキップで先に食堂へ行ってしまったかもしれない。
そんな心を追いかけるべく、私はお兄様とアカの後ろに付いて足を踏み出したのだけれど――――――
「あれ?ちょ、ちょっと待って…………」
レグルス様の声が私の足を止めた。もちろんお兄様とアカの足もだ。そうなると、我先にと食堂へ駆け出した私の心も、しょんぼりとしながらすごすごと戻ってくる。
「どうしたのだ?レグルス」
声をかけたきりその場で顎に手を当て、う~んと唸るように考え込んでしまったレグルス様に、スハイル殿下が怪訝そうに声をかけた。するとレグルス様は不思議なことを言い始める。
「ここにいるのは目視ではシャムを入れて五人。でも俺の能力が感知する数は、あと最低でも一人……いやもう一人は完全に閉ざしているけれど、おそらく二人いる。それにこの心の色は…………あぁ……これは…………やっぱりそうか………………」
レグルス様は自問自答するようにそう告げて、医務室の中を見回した。そしてほどなくして、その視線はある一点で固定される。
緩やかに弧を描いていくレグニス様の口元。
確実に私を捉えて離さないペリドットの瞳。
「ユフィちゃん……そこにいるのかな?」
「…………………………」
微かに聞こえてくるお兄様の舌打ちと、シェアトの「あぁ…………」という嘆きのような声。
でも私には、どうすればいいのかわからない。
かけられた台詞からもわかるように、おそらく、レグルス様にも私の姿は見えていない。
それは私の隠密スキルの賜物ではなく、お兄様の“幻惑”の能力のせいだと察せられる。というか、今更だけれど、ようやくそのことに気がついた。
何故なら、私の隠密スキルはさすがにここまで優秀ではないし、アカを一緒に隠せてしまえるはずもない。
そうなると、サルガス様も稀に見る鈍感さんではなく、お兄様の“幻惑”の能力のせいで私たちに気づかなっただけなのだと認識を改める。
しかし、だからこそ余計にどうすればいいのかわからない。
お兄様が“幻惑”を使ってまで、私とアカを隠したのはそれ相応の理由があってのことに違いない。
だとしたら、ここはレグルス様の気のせいだということにして無言でやり過ごすしかないのだけれど………………
グゥ………………
それはもう、絶妙なタイミングでお腹の虫が鳴いた。
ここにいますと、ついでに言えば、空腹で死にそうですと、主張するかのように。
「ユフィちゃんのお腹は素直だねぇ。ちゃんと俺にご返事してくれたよ」
“魔の者”であるアリオトとは、また種類の違う人懐こい笑みを湛えながら、レグルス様は嫌味一つない爽やかな風のような笑い声を立てる。
しかし今の私はまだお兄様の“幻惑”の能力に守られているとはいえ、羞恥心の塊だ。
今は食堂よりも、むしろ穴の中に入ってしまいたい。
それに………………
レグルス様、これはそんなご返事などという可愛いものではありません。
私のお腹が空腹に堪えきれず、文句を垂れただけです。
あぁ……できれば……許されることならば…………サルガス様、お願いします。
今すぐ“忘却”の能力で、医務室にいる全員からこの記憶を消し去ってくださいッ‼
已む無くお兄様のかけた“幻惑”は解かれ、私はアカとともに皆の前に姿を現した。
自己最悪とも言える、一番恥ずかしい状況でだ。
一瞬……ほんの一瞬……いっそのことこのまま廊下へ飛び出し、食堂までダッシュしようかとも考えた。
しかし、それこそ公爵令嬢としてあるまじき行為であり、先程のスハイル殿下の話ではないけれど、明日からどの顔を下げて?となってしまう。
だから、決断した。というか、覚悟を決めた。もう一生分笑われるつもりで姿を晒すことを――――――――
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。セイリオス・メリーディエースの妹、ユーフィリナでございます。そしてこちらが、人型となった聖獣炎狼、イグニスでございます。どうぞ皆様、お見知りおきくださいませ」
本心を言えば、お見知りおきどころか、早速記憶から消し去ってほしい。なんなら、先程の記憶だけでなく、私の存在ごと丸ッと忘れてくれてもいいくらいだ。
けれど、皆の反応は私の想像とはまるで違っていた。
正確に言うならば、お兄様とシェアト以外の反応だけれど…………
お兄様は不機嫌、シェアトは困惑、まだそこはわかる。
しかし、レグニス様は私を見つけた当の本人にもかかわらず、ぽか~んと口を開けて呆けているし、サルガス様は石像化している。そしスハイル殿下に至っては、何故かベッドの上で一人真っ赤な顔をしながらずっと身悶えている。それも――――――
「駄目だ…………本当にこれは駄目だ……どれほど心の準備をしたとしても、これは無理だ。私の繊細な心が持つわけがない………というか、セイリオスはともかく、シェアトが彼女を直視できることが信じられない………あぁ……私はこれほどまでに心が苦しくて……息すらまともにできないというのに…………」
―――――などと、やはり半分以上理解できないものの、明らかに今すぐ医者を呼ぶべき内容を呟きながらだ。
けれど、誰も慌てていないところを見ると問題はないのだろうと判断する。もしかしたらスハイル殿下は持病持ちなのかもしれない(主に心臓あたりに)。だとしたら、知らなかったこととはいえ、中庭ではあんなふうに驚かせてしまったことに、再び申し訳なさが募ってくる。
しかしここでふと思い出す。そう言えば、シェアトもはじめはこんな感じだったわね…………と。
なるほど。これはスハイル殿下の取り留めもない独り言であって、真剣に聞こうとする方がかえって失礼になるのだわ。だったら、ここは聞こえなかったフリ、もしくは聞いていないフリで流してあげるべきよね。そして、本当に苦しみ始めた時にこそ(←その場合、たぶん手遅れ)、医者を呼んで差し上げればいいんだわ。
そう理解した私は、ずっと手にしていたヨレヨレの紙の束をスハイル殿下に差し出した。そしてへにょりと眉を下げておずおずと伝える。
「申し訳ございません。拾い集められるだけ集めたのですが、これがすべてかどうかわからなくて…………もし足りないようでしたら、また探して参りますので仰ってください」
「い、い、い、いや、いい!ユーフィリナ嬢にそんなことをさせるわけにはいかない!第一にこれは私が不注意で飛ばしてしまったものだ。だからユーフィリナ嬢が気に病む必要はない。それにもしそんなことをさせてしまったら、セイリオスに殺され…………いや、国王陛下に怒らてしまう」
真っ赤な顔で必死に言い募ってくるスハイル殿下に、私は思わず目を瞠った。その内容がとても大層なものに思えたからだ。
「ま、まさか……そんなことで国王陛下がお怒りになるとは、とても…………」
「ユーフィリナ嬢、君にはまだ自覚はないようだが、君は我が国にとってそれほどの価値がある人間なのだよ」
その顔は依然として赤かったけれど、スハイル殿下はそう告げて、私に真摯な目を向けてきた。
ロイヤルブルーの瞳に宿る仄かな熱。その熱からも、スハイル殿下がそう真剣に考えていることが伝わってくる。
そしてそれはおそらく、私が“神の娘”の生まれ変わりとして国王陛下に認定されたことを意味し、スハイル殿下もそう信じて疑っていないことを示すものだった。
けれど…………と、私は思わず目を伏せる。
本当は、このまま流されてしまった方が余程楽なのかもしれない。
何故なら、この世界の人たちはこの状況を歪みだとは思っていないのだから…………
でも、私は知っている。
知っているからこそ、この歪みの中で積み重ねられた幸せはいつか崩れ去ってしまうような気がしてならない。
それはすべて虚構の幸せにすぎないのだと――――――
だから、そんな目で私を見られても困る。
そもそも私はこの世界の悪役令嬢で、もしかしたらラスボス疑惑もあったりして、それでも今はヒロインの引き立て役令嬢を目指す身だ。
そこに今回、“神の娘”の生まれ変わりなんていうとんでもないものまで付加されて、考えれば考えるほど、自分が何者なのかわからなくなってきている。
せめてヒロインが見つかれば、私の役回りもはっきりとするというのに、そのヒロインさえ未だに見つけられない。
それなのに、価値があるなどと言われても、本当に困ってしまうのだ。
今の私には自信を持って返せるだけの答えもなければ、自覚も、覚悟もない。
そんなすべてにおいて中途半端な自分に、価値など見出せるわけもない。
だからこそ私は目を逸らし、口を噤んでしまう。
それが一番卑怯だと知りつつも、スハイル殿下のこの熱を孕んだ瞳から………………
しかし、そんな私の心を汲み取ったかのように、ずっと口を開けて呆けていたはずのレグルス様が一際明るい声で口を挟んできた。
「なるほどね。スハイルが倒れちゃった理由がよ~くわかったよ。でもさスハイル、そんな怖い顔してユフィちゃんを見たら駄目じゃない。しかも何?王弟殿下が特定の人だけを特別視するみたいな発言をしていいの?それを聞いた全国民が、『俺たちには価値はないのか!』って怒り出しちゃうよ」
「いや…………私はそういうつもりで言ったのでは…………」
「ユフィちゃんは、ユフィちゃん。セイリオスの大事な妹。だから俺たちにとっても大事な存在。それでいいんだよ。な、セイリオス?」
レグルス様はとてもお気楽にも呑気にも聞こえる口調でそう言って、お兄様に視線を投げかけた。それを受けたお兄様はふと笑みを零しながら答える。
「珍しくレグルスの言う通りだ。だが、点数で言えば五十点だがな」
「まさかまた減点?」
「当然だ。レグルスも何度言ったらわかる。ユフィちゃんと呼ぶな」
「っていうか、ずっと数えてたんだ。うわぁ………ほんと大変だね、ユフィちゃんも。こんな兄を持って…………」
「四十点。いや前回の点数から減点するならマイナス…………」
「いやいや、そこは前回の点数を加味しなくてもいいからッ!って、それも覚えているの?」
まるでじゃれ合うように会話する二人に、私はついつい笑ってしまう。
クスクスクスと笑って、うっかりと涙を落としてしまうほどに―――――
「ユ、ユーフィリナ嬢、大丈夫?」
「ごめんなさい。違うんです。少し笑いすぎてしまったようで………」
「………そう……なら、よかった」
心配そうに見つめながらも、敢えて私の言葉を鵜呑みにしてくれるシェアトも………
「ユフィ、泣くか笑うかどっちかにしろ」
そんなことを言いながらも、おろしたての制服からハンカチを取り出し、オロオロとしているアカも…………
「ユフィ、泣いちゃダメにゃ。可愛さが……半減はしないけど、シャムも悲しくなるにゃ。ユフィは笑顔が一番にゃ」
アカの横で困ったようにぴょんぴょんと飛び跳ねるシャムも、皆、こちらが堪らなくなるほどに優しい。
そして――――――――
「ほらほら、セイリオスがあんまりシスコンだから、ユフィちゃんが笑いながら泣いちゃってるよ」
きっと“読心”で読んだわけではないだろうけれど、沈んだ私の心をいち早く察して、道化けてみせるレグルス様も…………
「あぁ、私が間違っていたようだ。ユーフィリナ嬢はセイリオスの大事な妹君。そして我々からすれば、セイリオスの過度なシスコンから救い出すべきお姫様だ。ユーフィリナ嬢、セイリオスのことで困っていることがあるなら、遠慮なく私に言いなさい」
決して間違っていたわけではないのに、それでも自分の非だと言って私の心を優先してくださるスハイル殿下も…………
「それなら私の妹シャウラを紹介しましょう。きっと妹同士で話が合うかもしれません」
生真面目で、常に親身になって相手のことを考えるサルガス様も、皆、皆、泣けてしまうほどに優しい。
そんな皆に、私は笑顔で返そうと思うのに、何故か涙も一緒に零れてくる。
けれど、その中で一番、残酷なほどに優しいのは――――――
「まったく……この状況は不本意だが仕方がない。ユーフィリナ、大丈夫だ。ユーフィリナはユーフィリナであればいい」
「お兄……様…………」
「あぁ……そんな顔は私だけに見せておけばいいものを…………可愛いお腹の音もな」
「お、お兄様!」
クククククッ…………と肩を揺らしながら笑って、私の涙をそっと指で掬い取ると、そのまま私に手を差し出した。
私を見つめるアメジストの瞳。
私だけを見つめていると、そんな錯覚を覚えてしまうほどの瞳。
「すっかり遅くなってしまったが、そこの守護獣も連れてランチタイムといこうか。腹が満たされれば、自然と笑顔になれるだろう?さぁ、私のユフィ」
あぁ……この人は……………
私は私のままでいいと告げながら、私に誰を見ているのだろう……
そして私はどうして、そんなことを思ってしまうのだろう…………
重ねる手。
伝わるお兄様の温もり。
この先、どんなに世界が歪んでしまったとしても…………
たとえ私が何者であったとしても…………
そんな事実よりもずっと―――――――
お兄様の微笑みこそが一番残酷だと―――――――――そう思った。




