ヒロイン探しは続行します(3)
王都南側の丘陵に並び立つ白亜の宮殿は、朝日を受けて今日も美しく輝いていた。
アカは馬車の窓に張り付き、「今日からオレもここで、ユフィと一緒に学ぶんだな」と、声を弾ませながら転入生気分全開なことを口にする。
お兄様はそんなアカに対し、「イグニス、行儀が悪いぞ。それにお前は学ぶためではなく、ユーフィリナを守護するためにここへ来ている。そのことを忘れるな」と、すかさず釘を刺していた。
楽しさと不安、そして少しばかりの罪悪感を乗せて王都を駆け抜けてきた馬車が、馬の嘶きとともに止まる。
「よし!着いたぞ」
我先と立ち上がったアカは、馬車の扉が開けられるや否や、飛び出すように降りていく。しかしお兄様はその後に続くことなく、「イグニスは外でちょっと待ってろ」と声をかけて、馬車の扉をパタンと閉めてしまった。
そしてそのまま私の隣へ腰かける。
「まったく………今までは私がユーフィリナを独占できる時間だったというのに、まさかイグニスに邪魔されるとはな…………いっそのことイグニス専用の馬車でも用意するか」
心底うんざりだ………と、謂わんばかりにそう告げてきたお兄様に、私は忽ち苦笑となる。けれど、お兄様はすぐさま機嫌を浮上させると、ふわりと笑った。それから私の後頭部に手をあてがい、「おなじないだ」と告げて、私の額にお兄様の額をくっ付ける。
じんわりと移される熱。
静かに降りてくる安堵感。
枯渇寸前だった私の心が、お兄様の熱に、魔力に満たされていく。
「ユフィ、もうこれが何を意味するのかわかっていると思う。だから何かあったらすぐに使うのだぞ」
「はい、お兄様」
「よし、いい子だ」
お兄様は後頭部に添えていた手で、そっと私の髪を撫でてから、ゆっくりと私を解放した。しかしすぐに私の腕を掴み、今度はお兄様の熱が残る額にキスを落とす。
「お、お、お兄様ッ!」
「今日からはこれも追加だ。ユフィには、そろそろ慣れていってもらう必要があるからな」
一体何に?とは思うけれど、悪戯な笑みを見せてくるお兄様にそれを問うのはなんだか憚れる。というかこの場合、私の自己防衛本能が働いたとも言える。
何一つ言葉を返せず、ただただ顔を赤く染めただけの私に、お兄様はさらに満足げに微笑む。そして、馬車の扉を開けると、掬い上げるように私の手を取り、そのまま馬車の外へと連れ出した。
「いいか、ユフィ。オレがどうしても傍にいられない時は、シェアトの傍にいるんだぞ」
何度も何度もそう言い含められながら、アカと一緒に学園の廊下を歩く。
別に何度同じことを言われようとそれは構わない。守護獣としてのアカの心配もわかるし、耳にタコができたって我慢はできる。
しかしこの状況はいただけない。
今までは、私が挨拶をすればようやく私の存在に気づき、皆驚いたように挨拶を返してくる――――というのが、日常だった。けれど今朝は、私の隣をアカが歩き、さらには話しかけてくることによって、完全に注目の的となってしまっている。
とにかく、全方向から向けられる視線が痛い。特に、女子生徒からの視線が殊更痛い。
もちろんその理由もわかっている。
それもこれも、アカが麗しすぎるせいだ…………
私は内心でげんなりしながら、この無自覚な守護獣に気づかれないようにこっそりとため息を吐いた。
どのように(裏で)手を回したのかはわからないけれど、今日から同じクラスになるというアカは、一応転入生としてまずは職員室へ行かなければならないらしい。そんなアカに職員室まで案内しようとしたのだけれど――――――
「そんなことをすれば、ユフィは職員室から一人で戻ることになるだろ。それは絶対に駄目だ。ユフィを狙うのは何も“魔の者”だけではないのだぞ。トゥレイスだってその一人だ。そのトゥレイスがこの学園にいる以上、どんな時もユフィを一人にするわけにはいかない。“真紋”を付けられたら事だしな。だから、オレがまずユフィを教室まで連れていって、シェアトに託してから職員室へ行く。いいな」
――――――と有無を言わず、教室まで付き添われてしまった。
そして、アカと一緒にやって来た数日ぶりの教室。
もちろんそこでも、アカは目立ちに目立ち、教室内は女子生徒の悲鳴に包まれ、顔を赤らめた男子生徒たちの石像が忽ちでき上がった。さらには――――――――
「ユーフィリナ嬢!イグニス殿!」
いつもなら、私から声をかけなければ私の存在に気づくことはないシェアトまでが、私たちに気づき自ら声をかけてくる。
しかしこれに関して言えば、私自身がシェアトに会いたかったこともあり、うん、アカ効果絶大ね…………と、むしろ有り難く思う。
何しろ私の隠密スキルのせいで、毎回声をかける度にシェアトが飛び上がってしまうからだ。
シェアトの心臓のことを思えば、この方がずっと優しい。
それに、シェアトと会うのはあの一件以来初めてで、お兄様からも怪我はないと聞いてはいたけれど、真面目なシェアトのことだから色々と気に病み、落ち込んでいるのではないかと心配していたのだ。しかし見る限り、どうやらシェアトも元気そうだと、私はそのまま笑顔となった。
「シェアト様、おはようございます。先日の件では色々とご迷惑をおかけいたしまして、申し訳ございませんでした。お見舞いの品までたくさんいただいてしまって、感謝の言葉もございません…………本当に、お気遣いいただきましてありがとうございました」
制服のスカートを掴んで膝を折り、淑女としての最大限の礼を尽くす。
そんな私にシェアトは慌てたように首を振った。
「ユーフィリナ嬢、感謝するのは私の方だ。君はあの時も、私の“言霊”は決して凶器ではないと言って、私の心を救ってくれた。だから、私に頭を下げるのはよしてほしい。あぁ……それより、またこうしてユーフィリナ嬢に会えたことが何よりも嬉しい。レグルス殿、くれぐれもユーフィリナ嬢の事をよろしくお願いいたします」
クラス代表というより、むしろ私の保護者であるかのような台詞を吐いて、シェアトがアカに対して深々と頭を下げる。
アカはそんなシェアトの態度と言葉に、「今すぐセイリオスにシェアトの爪の垢を煎じて飲ませたいところだな…………」と呟いてから、「もちろんだ」と二つ返事で頷いた。
しかしすぐに、自分が教室へ来た当初の目的を思い出したらしい。
少し罰が悪そうに頭を掻いてから、アカは申し訳なさそうに口を開く。
「あ~……頼まれておいてなんだが、オレはちょっと職員室へ行ってくるから、暫くの間ユフィのことを頼めるか?」
「それこそもちろんです。私が責任を持ってユーフィリナ嬢をお預かりいたします」
シェアトはどこかの責任感溢れる託児所の職員のように、ドンと胸を叩く勢いで答えた。
それに満足したらしいアカは、そのまま私へと向き直る。
「いいか、ユフィ。オレが戻るまでシェアトから絶対に離れるんじゃないぞ。いいな」
まるで幼子へ言い聞かせるようにそう何度も念押ししてから、アカは足早に教室を出ていってしまった。
こうして託児所……もとい、シェアトに預けられた私と、突然預けられてしまったシェアト。
その周りには、黄色い悲鳴とともに浮足立つ女子生徒たちと、やはり石像化したままで、何故か私を見てくる男子生徒たち。
アカが消えても、教室内は依然としてカオスのままだった。
そして私はいつもの疑問にぶち当たる。
女子生徒たちの浮かれ具合はわかるとしても、男子生徒たちのこの視線の意味はなんなのかしら…………と。
しかし考えること僅か三秒。
わかったわ。あのアカが、私のような地味な女性を嬉々として連れていたことに驚きが隠せないのね。だからこそ、私を見つめて、確認しているのだわ。
所謂、見極め。
あのアカに釣り合うかどうか品定めされているのだ…………これは。
だとしたら、とんでもない誤解だと、私はその場で頭を抱え込みたくなった。
あぁ……皆さん、そうではないのよ。
アカは私を守ってくれているだけで、言わばこれは仕事のようなものなのよ…………
今すぐ訂正して回りたいところだけれど、当然そんなことができるはずもなく、私はへにょりと眉を下げ、困り顔となった。
そんな私の横からは、これまたいつものようにシェアトの独り言が漏れ聞こえてくる。
「その顔も、このまま何処かへ閉じ込めてしまいたくなるほど愛らしい………いや、まずは絵か?……ここに絵師を呼ぶか?……もちろん私の目にも焼きつけておきたいが………しかし焼き付けるならば、私を見つめて愛らしく微笑んだ顔がいい…………とはいえ、どんな表情も捨てがたいな…………」
もちろんその内容はほとんど聞き取れはしなかったけれど、これがシェアトの独り言である以上、聞き直すなどという野暮な真似はしない。
そのため私はただただシェアトがこちらの世界に戻ってくるのを待った。親を待つ託児所の子供のように。
そんな私の様子に気がついたシェアトは、軽い咳払いの後、「し、失礼した。そ、それより…………ユーフィリナ嬢、とにかくこちらへ……」と、私を案内する体でクルッと背を向けた。といっても、赤面のシェアトに案内されたのは私の自席。
そして、紳士らしく椅子を引いてくれたシェアトに促されるまま、私は淑やかに自分の席へ腰をかけた。
すると、徐々にではあるけれど、あれほど騒がしかった教室の時間が、ゆっくりと流れ始める。
自分の席で本を読み始める者。
友達と話し始める者。
何をするわけでもなくぼーっとする者。
皆バラバラではあるけれど、思い思いの時間を取り戻すかのように……………………
そんな光景を不思議に思いながらぼんやり眺めていると、納得を含んだシェアトの声が頭上から降ってきた。
「やはりな…………この席も食堂と同じで、ここに座ってしまえば、存在も音も周りとは遮断されてしまうってことか…………まったくセイリオス殿の能力には恐れ入る。だが、セイリオス殿に頼んで、私にもユーフィリナ嬢が常に確認できるようにしてもらったからね。これで、いつ何時であろうとも君を見つけられるから安心してほしい」
「それは…………その………ありがとうございます?」
最後に疑問符が付いてしまったのは、もちろん意味がわからなかったからだ。というか、特に前半部分はさっぱりだ。
それに、見つけるも何も、私は隠れていたわけではない。というより、シェアトが今まで私の存在に気づけなかったのは、この私自身に備わる隠密スキルのせいだ。
しかし、そんな私の曖昧な返答にも、シェアトは目を柔らかく細めただけだった。
そして――――――――
「ユーフィリナ嬢、君に会いたくて仕方がなかった。君と会えなかった日々を、私は今までどうようにして過ごしてきたのか、もはや思い出せないくらいだ。しかし、こうしてまた君に会えた。もう君からは目を離さない。そして君にはすでに最強の守護者が二人もいるが、今ここに、私もその名乗りをあげよう。君を永遠に守り続ける者として」
真剣な目で紡がれる言葉は、まるで愛の告白のようだ。
しかし、私にはちゃんとわかっている。勘違いなどするはずもない。
どこまでも紳士で真面目なシェアトは、“神の娘”の生まれ変わりとして認定されてしまった私を、クラス代表として、“言霊”の能力者として、守ってくれるつもりでいるのだ。
あぁ……本当にシェアトは、とても責任感が強くて、優しいのね…………と、心底思う。
けれど、この私がその優しさに甘えてしまっては駄目だ。
何故ならシェアトは、乙女ゲームで言うところの攻略対象者。
シェアトが真摯な想いを向けるべき相手は、ヒロインであって、悪役令嬢の私ではない。
確かに、歪んでしまったこの世界では、ヒロインが正当な“神の娘”の生まれ変わりなのかどうかはわからない。
でも、これだけは言える。
ヒロインはこの世界のどこかにいる。
そして私はこの世界の悪役令嬢。
それだけは、どれだけこの世界が歪もうともきっと変わらない。
だからこそシェアトを、これ以上私の件に深入りさせてはいけないと思う。
それに、“神の娘”の生まれ変わりとして認定されてしまった以上、また“魔の者”と遭遇する恐れだって十分にある。
もしそのような事態に陥った時に、シェアトが私の傍にいれば、今度は命にかかわるほどの怪我を負ってしまうかもしれない。
それどころか、下手をすれば、“魔物落ち”の可能性だってある…………………
それは駄目。絶対に、駄目よ。もうシェアトをこれ以上、傷つけたくはないわ。
そのためには、ヒロインの攻略対象者と、そのヒロインの引き立て役令嬢として適度な関係と距離を保つべきよね…………と考え、私はシェアトへ返すべき言葉を探す。
もちろん、シェアトの気持ちに感謝の意を伝えることも忘れない。
「シェアト様、それほどまでに真摯に私のことを考えてくださり、本当にありがとうございます。しかし、シェアト様にはシェアト様の将来がございます。そしてシェアト様のその優しさと能力は、私だけに使っていいものではありません(むしろこれから出会うことになるヒロインのために使うべきです)。それに、私はもうシェアト様をあのような危険に晒したくはないのです。ですから、私の守護者になるなどと、東の公爵ご令息であり、現“言霊”の継承者でもあるシェアト様がそんなことを仰ってはいけませんわ」
せっかくの想いを無下にしてしまうことに対し、シェアトが落ち込まないように、傷つかないようにと、私なりに選びに選んで紡いだ言葉。にもかかわらず、シェアトは何故か感嘆の声を漏らした。
「ユーフィリナ嬢……君はなんて奥ゆかしくて、優しいんだ。しかし、これは私自身がもう決めたことだ。私は君の守護者となりたい。この命があるかぎり永遠にだ。そしていずれ君には、この意味をわかってもらいたいと思う。前にも君には話したと思うが、そのためにはまずセイリオス殿という大きな存在に打ち勝たなければならない。もちろん非常に大きな存在であることはわかっている。だが、私は負けるつもりはないよ」
「シェアト様が……お兄様に打ち勝つ……」
そう反復するように口にして、以前、学園の食堂でシェアトと交わした話をふと思い出した。
『―――――セイリオス殿に色々と劣っている自分がとても情けなく思えてね。魔法使いとしても、能力者しても……男…としても………………』
なんてことを零していたシェアト。
でもそんなシェアトが、とても眩しく目に移ったことを覚えている。
今思えば、ありきたりな言葉ではあったけれど、『シェアト様なら大丈夫です。お兄様に並び立てるほどの魔法使いにも、能力者にも、男性にもなれますよ』――――――などと言って励ましたりもした。
そして今、シェアトの言葉を改めて聞き、やはりシェアトの理想はお兄様なのね…………と、微笑ましく感じてしまう。
おそらく今回、シェアトはお兄様と共闘することで、ますますお兄様の力を知り、今まで以上の憧れを感じたのではないだろうか。
いつか超えるべき大きな存在として――――――
そういえばアカの一件の際にも、お兄様がシェアトではなく私を構い、シェアトは酷く面白くなさそうな顔をしていた。
それは男の友情を確かめ合う場面で、お兄様がよりにもよってシスコンを発動させてしまったからだけど、それほどまでにシェアトはお兄様を信頼し、男として認めているということなのだ。
そしてそのお兄様が私の保護者であり守護者であるならば、自分もまた私の守護者であろうと、そう思い詰めてしまうのはある意味自然の理。
なるほど。すべて理解したわ。
これは男としてシェアトが決めたことなのね。
だとしたら、私にどうこう言える問題ではないわ。本当は危ないことはしてほしくはないけれど、シェアトが魔法使いとして、男として、お兄様を超えようとしているのなら、私は黙って見守るしかないのよね。
いいえ、ここはそんな兄を持てて誇らしいと思わなければ………………と、思い直し、私はシェアトの想いを受け止めることにする。
「ありがとうございます。私もシェアト様のお力をお借りできるならば、これほど心強いことはありません。そしてシェアト様のその強い想いがあれば、必ずお兄様という大きな存在を超えられることでしょう。私もお兄様の妹として、シェアト様のその勇姿を最後まで見届けさせていただきますね」
私がそうにっこりと微笑みながら返すと、シェアトはいつかの再現のようにガックリと項垂れた。
「うん…………わかってた。こうなることくらい……今の私には簡単に予想ができていた。しかし……ここまで手強いとなると、私も攻め方を改める必要があるな…………いやいや……今のも決して婉曲ではなかったはずなのだが…………これもセイリオス殿の“幻惑”……いや、溺愛のせいなのか……ここまで鈍感に育てる上げる手腕は、むしろ感嘆より驚嘆すべきものだ…………いや、ここは前向きに捉えるべきだろう。だからこそ私にもまだチャンスがあると…………あぁ………何ならいっそのこと……私もこの場で求婚してしまうか………セイリオス殿には間違いなく殺されるだろうが………」
やはり一人でブツブツと呟き、一人で嘆いているらしいシェアト。
その内容についてはほとんど聞こえないせいもあり、相変わらず意味不明。
でも、ほんの少しお兄様の悪口が含まれていたような気がするのは、単なる私の聞き間違いなのかしら?それとも可愛さ余って憎さ百倍………的なあれかしら?
私はさっぱり意味がわからないと眉を寄せて、今日もまた例に漏れず、コテンと首を傾げた。
この日の学園は、朝からアカ一色だった。
教室でも廊下でも、女子生徒たちからの黄色い悲鳴が鳴りやまない。
前世でいうところのアイドル状態だ。
しかも、アカは常に私の傍にいようとするため、私までもがその悲鳴の中心にいることになる。
私にしたら、完全にもらい事故。
しかし、そうなってしまうのもわからないわけではない。
そもそも聖獣は神が自身のために創造した神聖なる獣で、持ち得る魔力は膨大であり強力。
そしてその姿は、この世のものとは思えぬほどに美しいとされている。
その中でもアカは、“神の娘”の守護獣として創られた特別な二体の内の一体。
能力も、魔力も、美しさも、すべてにおいて特別なのだ。
つまり、この状況は見目麗しい男性たちにすれば通過儀礼のようなものであり、シェアトの話によると、一週間もすれば徐々におさまってくるらしい(経験者は語る)。
けれど、平穏を望む私としては一週間もこの状態は辛すぎる。せめてもの救いは、このクラスではシェアト以外、私が“神の娘”の生まれ変わり認定を受けたことを知らず、私まで好奇な目で見らてはいないことくらいだろうか。
せいぜい、公爵令嬢というだけで何故あんな地味な女の傍にイグニス様が…………という嫉妬が混じったというか、羨望が混じったというか、ただただ痛い視線だけだ。
ちなみに男子生徒たちの石像化は、アカへの憧れとして受け止める。もうこれしか考えつかない。
とはいえ、アカが傍に寄って来る度に、私の隠密スキルをもってしても、すぐに注目の的になってしまうのは考えものだ。
そこで私は真剣に考えた。そして決断する。
あぁもう!ここは心を鬼にするしかないわね――――――――と。
「イグニス、決定事項を伝えます。暫く教室内では私に近づかないこと。学園内を移動する時は、私との距離を最低五メートルは開けること。以上」
早速、昼食前にアカを中庭へ連れて行き、そう告げれば、アカは忽ち泣きそうな顔になった。
「な、なんでだ?オレはユフィの守護獣なのに……もう傍から離れないと誓ったのに…………」
あぁ………本当に心が痛むわね――――――と思いつつも、私は諭すように優しくアカに言い聞かせる。
「でも、今の状況を考えてみて。イグニスはとっても目立つのよ。でも私は目立つわけにはいかないの。その理由はイグニスにだってわかるわよね。だから、皆が落ち着くまでこうするしかないのよ」
しかし、アカは納得がいかないようで――――――――
「いや……それはユフィの見当違いだ。確かにオレのせいは半分くらいはあるかもしれないが、残り半分はどう見たって、ユフィが原因だ」
――――――――なんてことを言い始める。それこそとんだ見当違いだ。
「とにかく、イグニスが何をどう勘違いしていようが、今の状況がすべてを物語っているわ。だから取り敢えず一週間は厳守してもらいます」
「お、おい!それはいくらなんでも………」
「問題はないはずよ。教室内にはシェアト様もいるし、移動の際に五メートルくらいの距離を開けたところで、優秀な守護獣であるイグニスなら、私を守れるはずだわ」
「それはそうだが…………しかし五メートルは開け過ぎだ。せめてニメートルにしろ」
「四メートル」
「三メートル!これ以上は譲れん!」
「わかったわ。じゃあ、三メートルで決まりね」
そう言ってニッコリと微笑めば、アカは「嘘だろ…………」と天を仰いだ。
しかし、今から昼食。初めての学園でさすがにアカを一人で食べさせるのは忍びない。だからといって、一緒に食べれば確実にまた目立ってしまう。
お兄様が推奨する食堂のあの特別な席だって、いつもはまるで私の指定席のようになっているけれど、アカを連れていった時点で、どうなってしまうか想像もつかない。
そもそも私にとって昼食は至極の時間。その時間を邪魔されるのだけは絶対に勘弁願いたい。
なのでここは………………
「イグニス、昼食はシェアト様と一緒に食べられるように、私から頼んであげるわね」
「なっ!昼食もユフィとバラバラなのか!」
「一週間の辛抱よ」
「一週間………」
「行き帰りの馬車も一緒なのだし、屋敷ではずっと一緒にいられるわ。一週間なんてあっという間よ」
「…………一週間………も………」
今は人型であるはずなのに、すっかりしょげてしまった狼の耳が見える。
できることなら、「ごめんね、アカ」――――と言って今すぐ頭を撫でてあげたい。
しかし、ブンブンと首を横に振ることでその幻を振り払い、私は改めてアカに告げた。
「では、ここからイグニスは三メートルの距離を常に保って頂戴ね。では食堂に参りましょう」
「こ、ここからかよ!」
背後でアカの不満の声が聞こえたけれど、私はそのまま食堂に向かって歩き始めた。
効果覿面だった。
私の隠密スキルは正しく機能し始め、周りからの視線は波が引くようになくなった。
その代わりと言ったらなんだけど、私というコブ?お邪魔虫?がアカの傍から消えたことにより(実際は三メートルの距離を開けただけなのだけれど)、アカの周りに女子生徒たちが群がり始めた。
先程、私の見当違いだなんて言っていたけれど、ほら、見なさい!と思う。
しかし、今度はそのせいで食堂へ向かうこともままならない。それどころか、まだ中庭からも抜け出せてもおらず、無駄に広い学舎だけに、食堂までの道のりも遠い。
おそらくこんなことをしている間に、シェアトも昼食を食べ始めてしまうだろう。
もちろんこのままアカを置いて私一人で食堂に向かったところで、なんの支障もないのかもしれない。
何故なら、今アカを取り囲んでいる彼女たちの目的は昼食のお誘いなのだから…………
しかし、このまま置いていくのはさすがに白状な気がする。とはいえ、私としては一刻も早く昼食にありつきたい。
こんな時、“先に行くね”の合図が必要だと痛感する。
よし、後でアカとその合図を決めることにしましょう………なんてことを考えつつ、暫しアカを待つ。そして、何気なく中庭に視線を巡らせて、私はその場で固まってしまった。というか、見つけてしまった。
ううん、違うわ。これは運命的に居合わせてしまった――――――が正解だ。
私が通う学園と、お兄様の魔法大学は同じ敷地内にある。
そのため、私が今いる中庭は、学園と大学の間に位置しており、中庭という名前ながら広大な庭園、もしくは緑地公園のような佇まいとなっている。
季節ごとに彩り豊かな花。それを眺めるベンチに、いつでもお弁当を広げられるような青々とした芝生。樹齢何百年ものの大木が作り出す木陰――――――と、学園と大学の生徒が憩う癒しの場なのだ。
そして何を隠そう、ここはヒロインが“紅き獣”の事件後にスハイル殿下と再会した場所でもある。
言い換えるならば、“江野実加子”に勧められるままに、ちょっとした好奇心でこの乙女ゲームをした前世の私が、ありもしない選択肢④を選び、ゲームを強制終了させたイベントの場でもある。
そう―――――――今まさにそのゲームの光景が私の目の前にあるのだ。
といっても、木陰で寝転がっている白いブレザー姿の男性がいるだけなのだけれど…………
でも、あの男性はスハイル王弟殿下だと私は確信する。
遠目ではあるものの、トゥレイス殿下の歓迎式典でそのお姿を見たこともあるし、我が王国のロイヤルカラーと謂われるブロンドの髪が何よりの証拠だ。
ゲームの内容とは異なるけれど、実際に“紅き獣”は現れた。ならば、このイベントが起こるのも当然のこと。つまり――――――――
やったわ!これから起こるイベントを確認すれば、誰がヒロインなのかわかるってことね!
この瞬間――――――アカを待っていたことも、自分が公爵令嬢であることも、私の頭からものの見事に吹き飛んだ。
そして、お気に入りのファンタジー小説を読み始めるかのようなワクワク感だけを胸に、私は綺麗に剪定された生垣の陰に身を潜めた。




