ヒロイン探しは続行します(2)
「絶対絶対、ユーフィリナを我が家から嫁に出したりしません!ユーフィリナは永遠にウチの子です」
お兄様から一連の話を聞いたお母様は、部屋に再び駆け込んでくるなり、ようやくお礼状に一筆を認め始めた私に抱きつき、そう高らかに宣言した。
そのお母様の後に続いて駆け込んできたお父様もまた、抱きついているお母様の上から私を抱きしめ………………
「その通りだ。ユーフィリナはどこにもやらん。たとえデオテラ神聖国が正式に申し入れてこようが、“魔の者”が迎えにこようが、この南の公爵家全私財、全魔力を使ってでも追い返すだけのことだ。なに、心配はいらない。ユーフィリナは生涯私たちの子だ」
などと、堂々と宣った。
『すごいな……これが親馬鹿ならぬ、馬鹿親か…………』
アカは驚愕の眼差しだけれど、そんな両親を持つ私としては、「ありがとうございます」と告げるべきか、「それは少々問題では?」と諭すべきか、非常に悩むところである。しかし、そう言ってくれる二人の気持ちがただただ嬉しくて、結局私は「はい」とだけ答え、泣き笑ってしまった。
そしてその二人を追って来たお兄様は、微笑ましさ半分、呆きれ半分といった感じで私たちを眺め、「――――ということだから、ユーフィリナは安心して、今まで通り私の傍にいればいい」と、お父様とお母様の言葉を全面的に支持した。
うん、どうやら私は行き遅れどころか、一生箱入りのままみたいね………………
そう思ってしまったのは、あながち的外れではないと思う。
それにしても、またもや緊急点検と称し、王城の転移魔法陣を使い王都の屋敷へ戻ってきたお父様とお母様。
前科二犯となったお父様と、前科一犯となったお母様のことのほうが、私のことより余程心配だ。
何かお咎めを受けたりしないかと…………
取り敢えず「お、お父様、お母様……く、苦しい…です…………」と、窒息死寸前であることを訴え、最終的にはお兄様の手でメリメリッと二人を引き剥がしてもらう。こうしてようやく新鮮な空気へありついた私は、手にしてた羽ペンを置き、お兄様に促されるままに側机用の椅子からソファへと座り直した。
その私の隣にはお兄様が腰かけ、私の膝の上にはちょんと仔狼のアカが座る。
お兄様から私の膝に向けられる視線が妙に突き刺さってくるような気がするのだけれど、その的であるアカがご機嫌に尻尾を振っているところからして、おそらく私の気のせいなのだろうと判断する。
そして同じく私の対面に座ったお父様とお母様を、私は改めて見つめた。
現南の公爵家当主であるお父様、セギヌス・メリーディエースは白銀の髪に私と同じエメラルドの瞳を持つ、とても四十一歳とは思えぬほどに若々しい美丈夫な紳士だ。
その父よりも二歳年下の南の公爵夫人であるお母様、アルゲティ・メリーディエースは淡紫のライラックの髪とアメジストの瞳を持つ、それはもう実の娘の私ですらうっとりと眺めてしまう程に美しい淑女である。
但し、私…………いや、子供のことさえ絡まなければ―――――――という条件付きなのだけれど。
とにかく子煩悩な両親は、子供のことになると普段の思慮深さや慎ましやかさをどこかへ放り出してしまうらしい。
そして今回も例に漏れず、すべてを放り出した両親は、本来国の有事にしか使えない王城の転移魔法陣を、緊急点検と称して領地から王都にある屋敷へ文字通り飛んで帰ってきた。
おそらく、突然現れたお父様とお母様に、王家の方々はもちろんのこと、王城に仕える人たちもさぞかし驚いたことだろう。なんせ、この世界には魔法はあるけれど電話はない。そのため事前に「今から転移魔法でそちらに行くから、驚かないでくださいね」と連絡することもできない。
お父様が前科一犯となった六年前は、王城から領地へ転移したため、予め……………というか、定例会議内で国王陛下の許可を得ることもできた。かなり唐突で、強引だったみたいだけれど…………
しかし今回は領地から王城への転移のため、予め許可を取ることはできない。つまり、お父様とお母様は何の前触れもなく、王城の転移の間へ現れたことになる。まるで抜き打ちの緊急点検だと謂わんばかりに――――――まぁ実際、そう告げてやって来たのだけれど……………
そう考えだけで、頭痛がしてくる。けれど、当のお父様とお母様はまったく悪びれた様子もない。
むしろここまで堂々とされると、それがあたかも当然のことのように思えてくるのだから不思議だ。でも、誤魔化されてはいけない。
そもそもの話、六年前も今回も原因はすべて私にある。そのため、「一度ならず二度までも、私のせいで申し訳ございません!」と、私こそが平身低頭で、謝罪しに王城へ上がるべきなのかもしれない。
そんなことを思い始めた矢先に、お父様でもお母様でもなく、どこまでも察しのいいお兄様が口を開いた。
「大丈夫だ、ユフィ。早馬を出した時点で、こうなることわかっていた。だから、予め国王陛下には許可を頂いている」
「で、では、あの……お父様とお母様にお咎めはないのでしょうか?」
「ない」
きっぱりと断言したお兄様に、私はやっと安堵の息を吐く。そしてお兄様はさらにこう続けた。
「まぁ、たとえ許可なく転移魔法陣を使ったとしても、今回の件では誰も文句は言えないだろう。ある意味、立派な国家レベルの有事だからな」
それに対してお父様がすぐさま同調する。
「セイリオスの言う通りだとも。これは国の有事であり、南の公爵家にとっては一大事だ。だいたい転移魔法陣は使うために存在しているものであって、鑑賞用の床の模様ではない。だから、ユーフィリナが心配するようなことは何もないから安心しなさい。それよりもだ……」
お父様は一旦そこで言葉を切り、私に真剣な目を向けた。
「国王陛下から“神の娘”の生まれ変わりとして認定されてしまった以上、ユーフィリナにその自覚があろうとなかろうと、これからはそのようにして扱われることになる。もちろん、この件は国家の機密事項となるため、これについて知るのは王家と、東西南北の公爵家、そして信用できる官僚職の一部の者たちだけだ。しかし“魔の者”とデオテラ神聖国のトゥレイス殿下に感づかれてしまった以上、警戒を怠ることはできない」
「ま、まさかトゥレイス殿下の求婚は…………」
「そういうことだろう。でなければ、出会ってすぐに“真紋”を付けようとするはずがない。それも第二王子殿下ともあろう御方が…………」
けれど、何故かここでお母様がお父様に反論した。
「いいえ、それだけではありませんわ。確かにトゥレイス殿下がユーフィリナに“真紋”を付けようとされたのは、ユーフィリナが“神の娘”の生まれ変わりだと察したからでしょう。しかしそれ以前に、このユーフィリナの愛らしさと美しさに心を奪われてしまったからですわ。あなた、よく見てください!この如何なる宝石すらも霞んでしまうほどの輝き!至高の造形!我が娘ながら直視できないくらいですわ!」
お父様にはよく見てくださいと告げておきながら、お母様自身は直視できないと言う。その台詞だけを取れば、お父様にかなりの無理を強いているような気さえするのだけれど…………というか―――――――
いやいや、私はそんな神々しいものではありませんからね。
どちらかというと、地味で冴えない公爵令嬢なんですよ。
なんせ学園では存在すら気づいてもらえていない節がありますからね。まぁ、これに関して言えば、私の隠密スキルのせいでもあるのですが………………
と、内心で思うものの、どこまでも娘贔屓であるお母様の勢いは止まらない。
「“魔の者”にしたってそうです!本来であれば、敵でしかない“神の娘”の生まれ変わりを欲するなんて、ユーフィリナのこの天使の如き容姿に心を奪われたからですわ!心を持たないと言われるあの“魔の者”がですよ!だいたいあなただって、いくら“神の娘”の生まれ変わりだからといっても、そこに醜き魔獣のようなご令嬢がいたら、さすがに出会ってすぐに求婚はされないでしょう?身を取るか実を取るかと悩まれるはずです!殿方とはそういうものですから!本当に、困った生き物ですこと!」
もはや最後の方は、男性全般に対する意見というか、文句となっており、それを聞いていたアカが『まぁ……一理あるな』などと頷いている。
しかし、ここでお兄様がすかさず横槍を入れた。
「母上、お言葉ですが、私はその困った生き物には含まれません。父上はどうかは知りませんが」
「セ、セ、セイリオス、何を言うッ!私も違うぞ!私は…………」
「そうでした。あなたは身も実も取る方でごさいましたね」
そう言ってニッコリと笑ったお母様に、「だ、だから君と結婚したんだ!」と、動揺のあまりお父様はそれはもう見事な墓穴を掘った。
そのことにお母様は半眼となり、お兄様は素知らぬ顔でそっぽを向く。
そしてアカに至っては『うわぁ……南の公爵家の力関係をここに見たな……』などと呟き、私はそれを軽く睨んでおいた。
そんな私たちの反応にようやく自分が立派な墓穴を掘ったことに気づいたお父様は………………
「ち、ち、違う!君と結婚したのは、身も実も取ってないからだ!」
などと、さらに盛大な墓穴を掘り始め、お母様は絶対零度の視線をお父様に向けた。
「…………なるほど。この私には身も実もないと。つまりあなたの目には、貧相で醜い、結婚したところで何一つ得がない侯爵令嬢として映っておりましたのね」
「ち、ち、ち、ち、違う違う違う!私はただ君のことを……身も実も……ではなくて………その、えっと……なんだ……」
「愛してらっしゃったから結婚したんですよね?お父様」
見かねた私がそう口を挟むと………………
「それだ!」
お父様が即座に喰いついた。いや、もう……喰いつき方が必死すぎて雑である。
普段、切れ者として通っているお父様はどこへいったのだろうと思うけれど、これもまたお母様を心から愛しているゆえだと勝手に解釈する。決して疚しいことがあるなどと邪推したりしない。絶対にしない。
そもそもお父様とお母様は高爵位持ちの貴族としては珍しく、出会ったその日に一目で恋に落ち、大恋愛のすえの熱愛結婚だと聞いている。つまりこれらは全部可愛いじゃれ合いのようなもので………………
お母様は呆れた視線だけをお父様に送って、そのまま話を続けた。
「いいですか?ユーフィリナのこの愛らしさと美しさの前では、第二王子殿下であろうと、“魔の者”であろうと、膝を折らずにはいられないのです。そしてさらにこの優しくて可愛らしい性格を知れば、どんな男性であろうとも生涯ユーフィリナを手放そうとはしないでしょう。そこに“神の娘”の生まれ変わりだからなどという理由は一切含まれません。ユーフィリナだからこそ、愛されるのです」
そしてお母様は私に微笑みかけた。
「だから、ユーフィリナはそのままでいなさい。たとえ“神の娘”の生まれ変わりだとしても、ユーフィリナはユーフィリナであって、私たちの可愛い娘であるユーフィリナで違いないのですから。しかし、残念ながらこの世には邪なことを考える人間もいれば、“神の娘”の生まれ変わりを疎ましく思う“魔の者”も存在します。だから今まで以上に、身辺には気をつけるのですよ」
そう告げてから、お母様はアカへ深々と頭を下げた。
「守護獣様、こうしてあなた様がユーフィリナの傍にいてくださることが、私共にとってどれほど心強いことか…………本当に感謝しかございません」
『イグニスでいい。それに、今回助けられたのはオレの方だ。だが、これからはオレが必ずユフィを守る。だから安心していい』
「ありがとうございます、イグニス様」
ドレスのスカートをつまみ、たおやかに淑女の礼をしたお母様に、アカは満足そうに頷いた。
それからアカはやおらお兄様へと視線を向ける。
察するに――――――これが、守護獣である自分に対する正しい態度だ!見習え!
………………と、いうことなのだろう。
そんなアカからの視線にお兄様は「守護獣ともあろう者が、大人げない…………」と呟き、『それはお前だろうが!』と、アカがすかさず返す。
忽ち一触即発となった一人と一匹に、お母様は驚きではなく微笑みを向けた。
「まぁまぁ、すっかりセイリオスとイグニス様は仲良しなのね。これはますます心強いことだわ。ねぇユーフィリナもそう思うでしょう?」
「はい、お母様。お兄様とアカは出会った時からずっと仲良しなのですよ」
私がそう答えれば、お兄様が素早く訂正と疑問を入れてきた。
「それはユーフィリナの勘違いというものだ。それに母上…………今の会話のどこに仲の良さがあったのでしょうか?」
『オレからも問いたい。というか、さすがユフィの母君だけはあるな……いやこの場合、セイリオスの母君と言うべきか…………』
「アカ、根本的な間違いをしている。この母上がいて私とユフィがいる。どんなことでも物事を正しく把握しないと痛い目にあうぞ。今回のようにな」
『一々過ぎたことを持ち出すんじゃない!性格が悪すぎるぞ!』
「この母上がいての私ということは…………つまり性格が悪いのは………なるほど………南の公爵夫人に対して、なんとも大胆不敵な発言だな」
『なんでそうなるんだ!性格が悪いのはセイリオス、お前だけだ!』
「こうして家に置き、あまつさえユーフィリナの傍にいることを不本意ながら許しているというのに、そんな私をつかまえて性格が悪いなどとは…………お聞きになりましたか?母上。やはり私とこの守護獣の仲はよろしくないようです。ここは、ユーフィリナの安寧のためにもさっさと追い出したほうがよろしいかと……」
『セイリオスッ!』
そんなお兄様とアカのじゃれ合いを聞きながらお母様はますます笑みを深め「そういうところです」と一蹴した。
そしてここでようやく、墓穴を掘りまくった挙句、いつの間にやら蚊帳の外に放り出されていたお父様が自力で這い戻り、南の公爵家当主として話の締めにかかる。
「と、とにかくだ。我が南の公爵家においても、今まで以上の警戒をする。そして相手がどこの誰であろうが、ユーフィリナは誰にも渡さん!セイリオスもそれでいいな!」
そうきっぱりと告げて、お父様はお兄様へ視線を投げかけた。
それを受けたお兄様は「はい。それでお願いいたします、父上」と、僅かに口角を上げながら恭しく頭を下げた。
その日から三日経って、ようやく私は学園へ行く許可を得た。
誰から?って、もちろんお兄様からだ。
ちなみにお父様とお母様は領地をずっと留守にしていると家令のアルファードに怒られると、次の日には馬車で領地へと戻っていった。
ただ今後に備え、転移魔法陣の使用許可を国王陛下から取り付けたらしく、今後は一々点検などと称さなくともいつでも使えることになったらしい。
その理由は、もう勝手に使われるくらいなら、いっそのことさっさと許可を出しておこうか――――ということではなく(多少、それもあるかもしれないけれど)、あくまでも私が“神の娘”の生まれ変わり認定を受けたことによる特別措置だそうだ。
そしてさらにアカの協力を得て、屋敷に今まで以上の強力な感知魔法を敷き、屋敷内に何か異常があればすぐに察知できるようにしてから、渋々……本当に渋々、最終的にはお兄様の『アルフォードを迎えに来させますよ』という脅し文句に屈する形で、領地へと戻っていった。
そしてアカの一件ですっかり汚れてしまった制服を大急ぎで新調してもらい、ミラとラナの手を借りながら私は五日ぶりに学園へ向かう支度をする。
お兄様は「最低でもあと一ヶ月は休むべきだ」と主張し、アカは『なんならもう学園に行かなくてもいのではないか?』などと愛らしい仔狼の姿で言ってきたけれど、さすがにそれはできないと私は二人を説得した。
何故なら早々に学園に行かなければ、さらにもう一部屋お見舞いの品で潰してしまいそうだったからだ。
あれからすぐにお礼状を出したというのに、お見舞いの品は途絶えるどころか日に日に増える一方で、私はほとほと困り果ててしまった。
お兄様も辟易したように「アカ、邪魔だから全部燃やしてもかまわん!」と言い出す始末だ。
それに、これらの見舞いの品は私のことを“神の娘”の生まれ変わりだと信じ、送られてきたものばかりである。
実際に“先見”で見た未来を覆し、アカの呪いと皆の傷を消したことを考えれば、国王陛下が私に対しそう認定するのも已むを得ない気はする。それを受け、皆がそれを真実だと信じてしまうのは、当然のことだ。
けれど、今の私にはその自覚はない。その是非について論じようにも、確たる証拠もなければ、材料もない。
そんな私がこれらの品を、あくまでもお見舞い品だからと割り切り、気軽に受け取っていいとは、とても思えなかった。
だからこそ一刻も早く、この世界のどこかにいるヒロインを見つけ出し、可能な限り“魔の者”が引き起こした歪みを正さなければならない――――――と、私は急き立てられるようにそう感じ、そのためにも一日も早く学園へ行くべきだと思った。
それに、乙女ゲームの冒頭部分と同じく、“紅き獣”は現れた。その経緯も結末も、ゲームとは大きく変わってしまったけれど、そろそろヒロインが登場してもおかしくない頃合いだ。
何しろ悪役令嬢である私がもうここにいるのだから――――――
よし!今日から心機一転。
今度こそ必ずヒロインを見つけ出すわよ。アカも協力してくれることだしね………って、そういえばアカは仔狼の姿で学園まで付いてくるつもりかしら?
それともやっぱりお留守番?
というか、今朝はまだアカの姿を見ていないのだけれど、どこへ行ってしまったのかしら?
なんてことを思いつつ、私は馬車に乗り込んだのだけれど――――――――
「ア、ア、ア、ア、アカぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――ッ!!」
私の声が馬車の中で盛大に響いた瞬間、まるでそれが合図だったかのように、馬車は学園へ向けて軽快に走り始めた。
揺れる馬車。動揺しかない私。お兄様の隣に座るアカはただただ愉快そうに肩を揺らして笑い、そんなアカを尻目にお兄様はやれやれとばかりに首を横に振る。
「ユフィ、どうだ?驚いたか?だから、言っただろ。オレも男だって」
いつものアカの口調に、私はコクコクコクと頷くしかない。
何故なら、炎狼ではなく人型となったアカが私の対面に腰かけているからだ。私のこの反応は仕方がないことだと思う。
私と同じ、ロイヤルブルーの学園の制服。その容姿は非常に端麗で、柔らかそうな赤髪に、スッと高い鼻梁と形のよく孤を描いた薄い唇。やや切れ長な目に宿る色は、夕日のような茜色でありながら、その中心部分は青白く、とても不思議な色合いをしている。
今更言うまでもなく、お兄様の顔は他に類を見ないほどに麗しいけれど、アカの顔もまた稀に見る美しさで、その笑顔でさえもさすが神が特別に創った聖獣だけのことはあると、唸りたくなるほどのものだった。
しかし、先程からお兄様の様子がおかしい。まったく口を開かない上に、すげない……というか、お兄様の顔には“不機嫌”という文字があからさまに書いてある。
やはり私が学園にも行くことが気に入らないのかしら………と、少し不安になる。
けれど今は、触らぬ神に祟りなしだわ、と再び視線と思考をアカへと切り替えた。
「まさか、人型にまでなれるなんて………」
改めてそう呟けば、アカはしたり顔となり、そしてそのまま自慢げに告げてくる。
「オレは聖獣の中でも特別なんだよ。早い話、“神の娘”を守護するための能力を神からすべて与えられている。もちろんオレの本来の姿は炎狼だが、時と場合に応じて、人型になることもできる。だから、ユフィが学園に行くときは常にこの姿で守護してやるからな」
「あ、ありがとう…………」
アカの勢いに呑まれ、思わずそう答えた私に、アカは「どういたしまして」と破顔する。
しかしどうやらアカは、自分も制服を着て学園に行けるということが嬉しいらしく――――――
「見てみろ、ユフィ。ユフィとお揃いの制服だぞ。千年前にはこのようなものはなかったから、なんだか無性にワクワクするな」
その言葉通りに、アカは窓の外を覗いてみたり、自分の制服を見下ろしてみたりとなかなか忙しい。
そんなアカの無邪気な様子に、あぁ……自分はこんな風に学園へ行けないと思っていたからこそ、『なんならもう学園に行かなくてもいのではないか?』なんて言っていたのね――――――と思い至り、私は思わず笑みを零す。
「ふふふ。とても似合っているわ。でもいつの間に用意していたの?驚いてしまったわ」
「もちろん、ユフィの制服を新調する時に、一緒にな。はじめは従僕に扮して……とも思ったが、学園とやらでずっとユフィの傍にいるためには、同じ学生の方がいいと思って、ムルジムに頼んだのだ」
「まぁ、そうだったね。ありがとうアカ…………」
「当然のことだ。しかしユフィ、オレは学園では南の公爵夫人の遠縁の者となっている。だからこの姿のオレを呼ぶ時は、“アカ”ではなく、“イグニス”だぞ」
「わかったわ。うっかり“アカ”と呼ばないようにするわね」
「頼むぞ。ユフィは結構抜けてるところがあるからな」
「そ、そんなことないわよ。もう、アカったら失礼…………あっ…………」
「ほらな?」
そんなことを言い交わしながら、二人顔を見合わて笑う。するとここで、ずっと不機嫌顔のまま窓の外を眺めていたお兄様が、ようやく口を開いた。
「…………解せない」
明らかに独り言でしかない言葉ではあったけれど、お兄様がやっと口を開いてくれたことが嬉しくて、私は「えっ?」と首を傾げながらお兄様を見つめた。
そんな私からの視線に、お兄様は窓からこちらに視線を向けると、どう見ても拗ね顔にしか見えない顔で、もう一度「解せない」と口にした。それから、抱え込んでいたイライラをすべて吐き出すかのように、滔々と言葉を連ねてくる。
「誰だって、そう思うだろう?イグニスは私よりもずっとずっと年寄りだというのに、ユフィと同じカラーの制服を着て、同級生になると言う。それも、ユフィと四六時中一緒にいるためにだ。私は一度もユフィと同じカラーの制服を着たこともなければ、学園と大学で四六時中一緒にもいられない。しかも唯一ユフィと二人きりで過ごす馬車での時間も邪魔されて、これはどう考えても不公平だろう?だいたい、ユフィと呼ぶなとあれほど言っているにもかかわらず、聞こうともしない…………」
えっ?まさか…………お兄様がずっと不機嫌な理由って…………それなの?
いやいやいや、同じカラーを制服を着るなんて、私とお兄様の歳の差を考えれば、無理に決まっています!
それに不公平って………完全に拗ねているだけではないですか!不機嫌な理由がそんなシスコン丸出しのものだなんて……呆れるというよりも、むしろ可愛すぎます!
私は内心で悶えながら、表面上は困ったように眉を下げた。そして、どうにかしてお兄様の気分を浮上させようと、必死に言葉を探している間に、またもやお兄様とアカの仲睦まじい言い合いが始まってしまう。
「年寄り言うな!それにオレは人型になれば、十八の姿となる。つまり、セイリオスよりも年下だ!」
「年下が聞いて呆れる。年下だと言うのならば、年上の者を敬うべきだ。それに、人型となるのならば、学園に着いてからでいいだろう?炎狼の姿でこの馬車を走って追いかけてくれば済む話だ」
「そんなことをすれば目立つだろうが!」
「その目立つ格好で、王都に出没して騒がせていたのはどこの聖獣だ?」
「あ、あれは、炎狼の姿のほうが鼻が利くし、噂になれば“フィリア”がオレのことに気づくかもしれないと思ったからだ!」
「鼻が利くわりには、完全に“魔の者”にしてやられていたようだが?」
「だから、その話を一々蒸し返すんじゃない!」
朝から元気いっぱいな二人に、私は幸せすら感じて目を細める。そして、これからも毎日、こんな風に楽しく学園へ行けたらいいな……なんてことをふと思い、すぐに内心で首を横に振った。
駄目よ、ユフィ。
これは歪みのせいよ。
だからこの時間は仮初のもの。
ちゃんとヒロインを探して、できる限りこの歪みを正さなければいけないのよ。それも一刻も早く………………
そう自分を言い含めているうちに、私の顔は俄に曇ってしまっていたらしい。
途端にお兄様とアカの心配そうな視線が私へと一斉に向けられる。
「どうしたユーフィリナ?何か心配事か?困っていることがあれば何でも私に言いなさい」
「ユフィ、馬車酔いか?なんなら炎狼に戻ってやるから、クッション代わりにしてもいいぞ」
あぁ………私はこの時間を心のどこかで手放したくないと思っている。
もしかしたら、この時間はヒロインのものかもしれないのに………
そう思えば思うほど、居心地の良すぎるこの時間が今の私には罪のように思われた。
しかし、それをここで吐露することはできない。
だから私は精一杯の笑顔を作り―――――
「今の私はお兄様もいて、アカもいて、とても幸せです」
――――――嘘偽りのない言葉で、この醜き感情に蓋をした。




