“紅き獣”騒動 後日譚(2)
「さて、それではユーフィリナが聞きたがっていることを説明していこうか」
お兄様はそう告げると、最後にギュッと力強く抱きしめてから私を解放した。
そして私の手から抜き取ったグラスにもう一度水を注ぎ、私へと差し出す。
私はそれを有難く受け取り、また口をつけた。
先程も水を飲んだはずなのに、喉は渇きを訴え、火照った身体は冷たさという癒しを求めている。
私は気持ちを落ち着かせるためにも殊更ゆっくりと水を飲み、身体全体に水が染みていくのを感じながら、一呼吸吐いた。
「もういいか?」
差し出されたお兄様の手に、私は「ありがとうござます」とグラスを渡す。するとお兄様はそのグラスを再びサイドテーブルへ置き、徐に口を開いた。
「アカ、出てこい」
「ア、アカぁッ⁉」
思わず私の口から漏れ出た素っ頓狂な声。
その声に、お兄様は忽ち悪戯な笑みとなった。
また、やられた…………と思っても、もう遅い。
お兄様の視線を追うようにして顔を向けると、そこには火が灯された暖炉があった。しかしその暖炉からは、まるで熱を感じない。つまりこの火は――――――
「まさか、その暖炉の火は…………アカ?」
『やっと気がついたか。オレも待ちくたびれたぞ』
などと文句を垂れながら、炎の塊が暖炉から飛び出し、宙で大きく膨らみ始めた。そして、その炎の塊から耳を立て、四肢と尾を生やし、気高き炎狼へと姿を変える。
「アカ!」
私がそう呼べば、美しき炎の毛を纏ったアカは焔色の目を細め、宙からふわりと床へ降り立った。そして、お兄様の横へ凛と座る。といっても、狼だけに由緒正しき犬座りだけれど………………
『まったく、この俺にずっと暖炉の火の真似事などさせやがって…………ところでセイリオス、ご愁傷さまだな。ユフィの鈍感加減はどうやら筋金入りらしい』
「そんなことは言われなくもわかっている。それと馴れ馴れしくユフィと呼ぶんじゃない。しかし、これは世も末だな。聖獣ともあろう者が覗き見をするとは………いやはや、なんとも嘆かわしいことだ」
『お前が、暖炉の火になってろと言ったんだろうが!だいたい、誰があんなものを見たいと思うか!胸くそ悪い!』
「おやおや、もう一体の守護獣、雪豹とは違って、なんとも下品なことだ。これはユフィに悪影響を及ぼしかねない。早速追い出しにかかるとするか」
『待て待て待て待て!ユフィが目覚めるまで暖炉の火に徹すれば、この屋敷に置いてやってもいいと言ったのはお前だろうが!しかも、“声をかけるまでは絶対に出てくるな”などと面倒な条件付きでな!』
「あぁ、だから置いてやっただろう?ユフィが目覚めるまで、この屋敷にな。だが、これほど身体と態度が大きく、ユフィと呼ぶなということさえ一向に覚えられない獣を一から躾けるのは大変だ。可哀そうだが、已むを得まい」
『何が“已むを得まい”だ!ふざけるな!だいたい俺はユフィの正当な守護獣であって、お前にどうのこうのと言われる筋合いは………ん?どうした、ユフィ。そんなにオレの顔をまじまじと見つめて…………』
ここで、お兄様とアカの会話………いや、口喧嘩?を、ぽっかりと口を開けながら見つめている私に、アカがようやく気がついた。そしてそのまま、不思議そうに私の顔を覗き込んでくる。
三メートルをゆうに超す体長を持つアカが犬座りをすると、ピンと立った耳が天井に付いてしまいそうなほどに高く、ベッドに座りながらとはいえ、見上げる私も大変だ。
しかし、いくら見上げるのが大変だからとはいっても、見間違うほどの高さでも距離でもない。
狼らしい長いマズルに、アカが話す度に見える立派な犬歯。そして、両目ともに鮮やかな焔色の瞳。そう両目ともに………………
先程、炎の塊から炎狼へと姿を変えた時、確かに私はその瞳と目を合わせた。けれど、アカに会えた喜びが勝り、思考がそこまで及ばなかった。
しかしお兄様とアカがじゃれ合うのを、一人喜びに浸りながら眺めている内に、遅ればせながらその事に気がついた。
私の事を鈍感だと称するお兄様たちに一言を申さねばと思っていたところだけれど、これは鈍感だと言われても仕方がない。
だって、私の目の前には両目を開けたアカがいるのだから――――――
「アカ……その左目……治った……のね………………」
“魔剣”で刺され、あれほど痛々しかった左目の傷は、もはや跡形もなく消えていた。
驚きで瞠った瞳に涙の膜が張り、すぐさま雫となって頬を伝う。
ぽろぽろと止め処なく零れ落ちる涙。
そんな私の涙に慌てたのは、他でもないアカ自身だった。
『な、な、何故泣く⁉この目を治してくれたのはユフィだろうが!もしかして、覚えていないのか?』
そしてそれに答えたのは、私ではなくお兄様だ。
「だろうな。丁度意識を失う寸前だったこともあり、半分無意識に能力を発動させたのだろう」
『なるほどな……そういうことか。だったら、尚更改めて礼を告げる必要があるな』
お兄様の言葉に納得したらしいアカは、その場で居住まいを正した。とはいっても、やっぱり犬座りなのだけれど。
『ユフィ、オレのことを救ってくれてありがとう。諦めることを諦めて本当によかったと思っている。そして千年という月日は長かったが、待った甲斐はあった。こうしてまた会えたのだから…………オレはユフィの守護獣だ。もう絶対に傍を離れたりなどしない。そして“魔の者”も絶対に近づけさせてたりはしない。今度こそ必ずユフィを守ってみせる』
すかさずお兄様が差し出てきたハンカチーフを有り難く受け取り、それで涙を拭いながら、うんうん…………そうね――――――と、私は頷いた。しかし、またもやハッと気づく。
ここまでくると、自分で自分を鈍感だと罵りたくなるくらいの間抜けっぷりだ。
そもそもの大前提として、私は“神の娘”である“フィリア”の生まれ変わりではない。
今回すべて巧くいったのは、ヒロインの中にある“フィリア”の魂が、私に助力をしてくれたおかげだ。
前世の言葉で言い換えるならば、人の褌で相撲を取ったようなもの。
もちろん、自分の利益だけを考え、行動したわけではない。そしてただただ“フィリア”が有するという能力に縋っていたわけでもない。けれど、“フィリア”の能力がなければ、今ここに元気なアカの姿がなかったことだけは間違いない。
というより、私は早々に疑問を持つべきだったのだ。
お兄様の怪我が一つもないことに…………
何故ならあの時のお兄様とシェアトは、全身傷と火傷だらけで見るからに満身創痍となっていた。にもかからわず、『怪我はない』というムルジムとお兄様の言葉をそのまま鵜呑みにして、私は深く考えようともしなかった。
そう、怪我はなかったのではなく、治癒されたのだ。
アカの左目も、お兄様とシェアトの怪我も、“フィリア”の能力によって――――――
だとしたら、ヒロインも無事に違いないと胸を撫でおろし、私はある覚悟を決めた。
アカとお兄様に、いよいよ真実を告げる時が来たのね―――――――と。
そして私は、涙の跡を頬に残しながら顔を上げた。しかし、お兄様とアカの間ではまたもや犬も食わない言い合いが始まっており………………
「いやいや、アカ。さすがにそれは無理な話だろう。いくらこの屋敷がそれなりに広くとも、ここまで態度と身体の大きい獣はさすがに飼えない。だからといって、ずっと暖炉の火やら、ランプの火やらに姿を変えさせるのも忍びない。だからここはトゥレイス殿下とともにデオテラ神聖国へ帰るのが一番だと思うのだが、どうだろう?」
『却下だ!っていうか、飼うってなんだ!オレはペットではない!それに、何度言ったらわかるんだ。オレはデオテラ神聖国の召喚獣でもなければ、そこを住処にしているわけでもない!守護獣であるオレの居場所は、ユフィのいる場所だ!したがってここがオレの居場所だ!』
「これはまるで居直り強盗のような台詞だな。いや、押しかけ聖獣とでも言うべきか…………実際、トゥレイス殿下も今回の一件に関しては、知らぬ存ぜぬを押し通すつもりらしいし、可哀そうにアカは引き取り手さえも失ったということか…………」
『だから、トゥレイスは俺の飼い主でもなければ、保護者でも、主人でもない!デオテラ神聖国が“神の娘”を探すために、召喚獣を呼び出そうとしていたから、逆に手伝わせようと思ったたけだ!』
「それで気がつけば、逆にこき使われたと」
『使われてない!オレの主はユフィだけだ!』
「だが、その大きさではな…………」
などと、残念そうに首を横に振るお兄様に(もちろん演技だけれど)、アカは『あぁ、クソッ!わかった!小さくなる!それで文句はないのだろう!』と叫んだ。
そのアカの宣言に、お兄様はニッコリと笑い、ようやく覚悟を決めたというのに、完全に出鼻を挫かれた感満載の私は、さっぱり意味がわからないと首を傾げた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ~〜〜ッ、アカ!なんて……なんて可愛らしいのッ!」
その宣言通り、あっという間に小さくなってしまったアカに、私の胸はキュンキュンと鳴りまくりだ。
『あぁ…………だから小さくなりたくなかったんだ』
などと、テンションだだ下がりのアカに対し、私のテンションは一気に鰻登りとなる。
「まぁ、なんてことでしょう…………声まで可愛らしいなんて…………お願い、アカ。私にあなたをギュッとさせてちょうだい」
『千年経っても、言うことがまったく同じだとは…………はいはい、お好きにどうぞ』
「ありがとう、アカ!いやぁぁぁぁぁ~モフモフ最高。もうこのまま私、悶えて死んでしまいそうよ」
『コ、コラ!腹に顔を埋めてスリスリするな!そ、それはさすがにこそばゆい!それに、そう簡単に死んでくれるな!オレはもう一秒たりとも待つのは嫌だ!』
腕の中から聞こえてきたアカの切なる訴えに、「ご、ごめんなさい……そういうつもりではなかったのだけれど…………」と、アカに埋めていた顔を上げ、私はそっとアカを膝の上に置いた。
体長三メートルの炎狼から、体長五十センチほどの炎狼となったアカは、身体をただ小さくしただけではなく、見た目もその声もすっかり幼くなっていた。まぁ、口調は相変わらずだけれど…………
しかしその見た目は、今や完全に仔狼。
焔色の目もくるくると愛らしく、マズルも短くなり、全体的にコロコロと丸い。そして尻尾も綿菓子のようにふわふわだ。
そんな膝乗せサイズとなったアカに、自分の立場も、話すべき真実もすべて棚上げにしてはしゃいでしまった。完全に自己嫌悪だ。
見るからにしゅんと落ち込んだ私に、再びアカが慌て始める。
『ユ、ユフィ違うぞ!モフモフされるのが嫌なわけじゃないぞ!ちょっと、久しぶりすぎてこそばゆかっただけだ!それに、“死ぬ”って言葉に、ちょっと過敏になり過ぎていてだな…………ほ、ほらっ!もう一度ギュッとしていいぞ!なんなら今夜一緒に寝てやってもいい!』
けれどそこへ、間髪入れずお兄様の指摘が入る。
「待て。どさくさに紛れて何を言っているのだ。一緒に寝るなど私が許すわけないだろう。それに、主人をここまで落ち込ませておいて、飼い犬が聞いて呆れる」
『飼い犬ではない!守護獣だ!』
「小さくなってもきゃんきゃんよく吠える……ユフィ、もし犬が飼いたいのであればもう少し大人して愛らしい犬にしたらどうだろう。確かに見た目は仔犬だが、その中身はもう躾もできないほどの老犬だ」
『だから犬ではない!そして老いぼれ呼ばわりするな!オレの年齢は狼年齢でいえば八歳で止まっている!』
「犬は、七歳あたりから老犬の仲間入りとなるらしいぞ。つまりもう立派な老犬ということだな。まぁ今更、精神年齢が八歳……などと言われても、それはそれで困るのだが?」
『セイリオス!今すぐ表に出ろ!あっという間に黒焦げにしてやる!……って、ユフィ、今のは嘘だ!セイリオスを黒焦げにはしない!だから、そんな悲しそうな顔をするな!オレは弱い者イジメをするような聖獣じゃない!モフモフも好きなだけしていいからな!』
「アカの言う弱い者が、一体誰のことを指すのかはわからないが、私はアカなんぞにやられることはないし、黒焦げにもなりはしない。しかし、一体どうしたというのだ?ユフィ」
すっかり黙り込んでしまった私に、アカは私の膝の上でワタワタと足踏みをしながら、そしてお兄様は眉を寄せながら、心配そうに尋ねてくる。
しかし私は「そうじゃないの…………」と首を横に振った。
そう、これは悲しいからではない。
“フィリア”の生まれ変わりであるヒロインに呪われたアカの気持ちを考えて………などと、あれこれ理由を付けて、真実を告げることを先送りしてしまった自分へのちょっとした憤りだ。
あの時はそうすることが一番だと考え、私は“フィリア”の生まれ変わりであるフリをした。けれど、三日も意識を失うことになるのなら、あの場でアカに真実を話しておくべきだった。アカがもうヒロインを殺さないと告げてくれたあの場で、すぐに…………
そうすれば、アカは今頃ちゃんとヒロインの所に行けていたはずなのに…………
こんなにも、アカと離れることが寂しいと思うことはなかったはずなのに…………
本当に今更だけど、自己嫌悪でしかない。
そして、勝手に自己嫌悪に陥って、またアカとお兄様を心配させている自分にも自己嫌悪だ。
何もかもが最低だ………私………………
しかし、いくら内心で自分自身に幻滅したところで、自らの口で真実を話さなければ何も始まらない。
私は怪訝と心配を綯交ぜにしたような一人と一匹からの視線に、「本当に、そうではなくて…………」と、微笑みにも苦笑にもならないぎこちない笑みを返し、改めて口を開いた。
「アカ、お兄様、あのご令嬢のことでお話があります」
そう意を決して告げた私に、お兄様はあぁ、そのことか………とでも謂わんばかりに、心配そうな表情から一転、納得の表情となる。そして、私が先を続けるよりも前に、奇妙なことを口にした。
「ユーフィリナはあの娘のことを心配しているのだな。だが、心配には及ばない。スハイル殿下の調べによると、彼女は今日も元気に花を売っていたらしい」
「………………はい?」
今日も元気に………花を…売る?
私はたっぷりと時間をかけながら内心で復唱し、それから、いやいやまさかね…………と、自分の耳の不調を疑い、お兄様にもう一度尋ねてみる。
「申し訳ございません、お兄様。今、“今日も元気に花を売っていた”と聞こえたのですが……私の聞き間違いでしょうか?」
するとお兄様は、不思議そうに首を傾げた。
「聞き違いも何も、私はそう言ったつもりなのだが?」
「えっ?」
「ん?」
兄妹揃って首を傾げる中で、アカも一緒になって首を傾げている。
お兄様は何をしても麗しいし、仔狼となったアカも何をしても可愛らしい。
しかし、何をどうしたらヒロインが花を売り出すことになるのかさっぱりだ。
う~ん…………と唸り始めた私に、お兄様はたった今思い出したとでも言うように、「そうか、ユフィにとってはこの話も初耳となるんだったな」なんてことを悪戯な笑みとともに言い出した。
うん、これは間違いなく確信犯だ。私はまたもやそう確信する。
けれど、お兄様のこの表情から察するに、ヒロインの身に何かしらの不幸が襲い、突然花を売ることになったわけではなさそうだと、ここは素直に耳を傾けることにする。
そんな私にお兄様は、これまた意外なことを告げてきた。
「彼女はご令嬢ではなく、花屋の娘だった」
「…………………はい?」
ご令嬢ではなく……花屋の娘………さん?
ここでもたっぷりと時間をかけながら内心で復唱し、私は自分の耳の不調を再度疑ってみる。しかしすぐに――――――
そうだわ。花屋の娘さんだから、今日も元気に花を売っていたわけね…………
――――――と、理解に至る。しかしその直後、驚愕が来た。
「は、は、は、花屋の娘さん⁉そんなの嘘ですッ!だって彼女があの時着ていたドレスは…………」
私の記憶が正しければ、あの時ヒロインは水色のドレスを着ていた。彼女がうつ伏せで倒れていたこともあり、その作りをじっくり見たわけではないけれど、とても花屋の娘が着るようなドレスではなかったことだけは確かだ。
ベッドの上から身を乗り出し、まるでお兄様へ詰め寄るように確認する私に、お兄様はまったく動じることなく顎に手をやりながら答える。
「その事なのだが、彼女自身にあの日の記憶がないため、どういう経緯であのドレスを着て、“魔剣”を手にあの場所へ出向くことになったのかはわからない。だが、これだけは言える。あの花屋の娘を利用し操っていたのは、やはり“魔の者”のアリオトだった」
「アリオトが…………」
「そうだ。トゥレイス殿下が彼女に“仮紋”を付けたのも、アリオトが仕組んだ罠の一部だったということだ」
「まさか…………トゥレイス殿下が付けた“仮紋”を持つ女性を利用したのではなく、アリオトが花屋の娘さんに“仮紋”が付けられるように予め仕組んでいた………ということですか?」
「その通りだ。花屋の娘はアカを呪い殺すために用意された餌だったということだ。そしてそのことに気づかず、まんまとその餌に飛びつき呪われてしまったのが、今そこで恥ずかしさのあまり小さくなっている聖獣だ」
そう言いながらお兄様がアカへ視線を投げかけると、アカは私の膝の上で前傾姿勢を取りながら唸り声を立てる。そしてそのままお兄様に噛みつくように言い返した。
『誰が恥ずかしさで小さくなっているんだ!だいたい、最初に騙されたのはトゥレイスであってオレではない!オレはただトゥレイスが付けた“仮紋”を持つ者が、フィリアの生まれ変わりかどうかを確かめていただけだ!』
「だとしても、その花屋の娘には“魔の者”との縁ができていた。つまり“魔の者”の気配を察して然るべき状況だった。にもかかわらず、守護獣でありながらその気配を見落とし、うかうかとその彼女に近づいた。これはあくまでも私の勝手な想像だが……夜の広場に一人心許なげに佇むドレスを着た花屋の娘は、愛しき人と会うために、家の者の目を盗み屋敷を抜け出してきた、麗しきご令嬢に見えたのではないか?」
『ぐっ…………』
「なるほど、図星か。ならば、立派にアリオトにしてやられたと見るべきではないのか?アカ」
完全に痛いところを突かれたアカは、悔しそうに唸り声を上げただけだった。そんなアカを撫でてやりながら、再び私がお兄様に問いかける。
「では、花屋の娘さんが最初に会ったのはトゥレイス殿下ではなく、アリオトということですね」
「みたいだな。昨日、改めて花屋の娘に確認したところ、最近、見目麗しい男性二人と出会ったことを話してくれたそうだ。その一人は黒髪に泣き黒子のある表情豊かな男性。もう一人が灰色の髪に、神秘的な琥珀色の瞳を持つ表情が薄い男性だ。出会った順番で言えば、最初に“表情あり”、次に“表情なし”となる。この点からも最初に出会ったという男性こそ、アリオトだと推察できる」
お兄様………実にわかりやすいですけれど、省略が雑すぎます!
とは思うものの、話の腰を折るわけにもいかないため、そのまま流すことにする。
「はい。確かに、アリオトが私たちに見せた姿と特徴が酷似しています」
「あぁ、そうだ。そして花屋の娘の話によると、ふらりと花屋にやって来たその男性から、王都の東の外れにある古い屋敷へ花を届けるようにと頼まれたらしい。そこで、追加料金を払うから持ってきた花をそのまま花瓶に生けていってほしいと言われ、花屋の娘は快く引き受けた。そしてその男性に手を取られ、花瓶のある部屋まで案内されたそうだ」
「わざわざ手を取られて………ですか?」
ふと引っ掛かりを覚えた言葉をそのまま口にすると、お兄様は僅かに口角を上げた。
「そう、わざわざだ。いくら紳士とは言えども、花屋の娘相手に普通はそこまではしない。その花屋の娘が余程魅力的でない限りな」
あまりの言いように「まぁ、お兄様ったら…………」と、軽く睨めば、お兄様は肩を竦めて「男とは得てしてそういうものだ。ユーフィリナもよく覚えておきなさい」と返してくる。
確かにそうかもしれないけれど、たとえそれが一般論だとしても、なんだか面白くない。
そこで、「お兄様も?」と少し拗ねた口調で問いかけると、何故かお兄様は酷く嬉しそうに破顔した。
そして「私が手を取る女性は、ユーフィリナだけだから安心しなさい」と、さも当然のように告げてくる。
さらには、「オレもだ」なんてことを可愛らしい仔狼の声でアカまでもが言い出し、私の方がその返答に困ってしまう。
「いや、あの……お兄様もアカも、私はその…………」
これではお兄様を独り占めしたい駄々っ子のようではないかと、私はすぐさま訂正を入れようとするけれど、巧い言い訳も見つけられず、結局押し黙るしかない。
お兄様はそんな私に一層笑みを深めて、あっさりと話を戻した。
「そう……わざわざ手を取ったことにこそ意味がある。おそらくだが、手を取ることで花屋の娘の魔力を抜き取ったのだろう。淡いブロンドの髪と碧眼を持つ彼女を“神の娘”の生まれ変わりに仕立てるために。そしてこの時点でアリオトは彼女と縁を結び、自分の僕とした。いつでも思いのままに操れるようにな」
「つ、つまり花屋の娘さんは、偶々淡いブロンドの髪と碧眼を持っていたために、アリオトに目を付けられ、僕にされてしまったと…………」
「そんなところだろう。そして、トゥレイス殿下との出会いを演出したに違いない。確かに花屋の娘の魔力量は、然程多くはなかった。しかし、貴族ではない一般の民であることを考えれば、生活には困らない一般的レベルとも言える。そもそもの話をすると、この王国では魔力の強い者が権力を持ち、この国の礎を築きてきた。言い換えるならば、今の貴族は元々魔力が強い家系であり、王家と東西南北の公爵家はその筆頭とも言える。だからこそ“神の娘”の生まれ変わりを探す上で、“魔力を持たない”という手がかりは、その特徴として非常に有効的なものだった」
お兄様の言う通りだ。
神は我々人間に、期限付きの命とともに魔力を宿すための大小形の異なる器を与えた。
器の大きさはそのまま魔力量へと直結し、その形は魔力属性の相性へと繋がる。そしてその器は魂の中に備わっているという。
そのため、魂が浄化され新たな命として再生しても、その魂に備わる器の形はほぼ変わらないとされている。
だからこそ、たとえ“神の娘”の魂が再生しても、“魔力を持たなかった”――――――という特徴だけは、変わらないはずだと信じ込まれていた。
もし“神の娘”が癒やしの力を使えるならば、“魔力をまったく持たない”か、もしくは“魔力をほとんど持たない”か、という僅かな差異はあるとしても……………………
「そこでアリオトは、トゥレイス殿下が行っている魔力選別方法を知り、それを利用するべく餌を用意したのだ。“神の娘”と似た色合いを持つ花屋の娘の魔力を一時的に枯渇させて、トゥレイス殿下の動向を調べた上で彼女を操り、出会いを演出した。ま、例のハンカチーフを拾わせただけだがな」
「ハ、ハンカチーフって、もしや…………」
「そうだ。あのハンカチーフだ」
なるほど…………そうして近づき“仮紋”をつけたわけね…………と、うっかり“真紋”を付けられそうになった記憶が蘇り、思わず遠い目となる。
しかし、どうして私には“真紋”を付けようとしたのかしら?
――――――という疑問が再度浮上し、私は改めて内心で首を捻る。
確かに、私の魔力量は少ない。というか、常に枯渇寸前といっても過言ではない。その点から、たとえ髪と瞳の色が違ったとしても、“神の娘”の生まれ変わりの候補者の一人として“仮紋”を付けようとしたのなら、まだ理解はできる。
けれど、実際トゥレイス殿下が私に付けようとしたのは、求婚の意味を持つ“真紋”だ。
私の隠密スキルがご所望だとしても、それだけで結婚相手を決めてしまうのは、一国の第二王子としてあまりに早計で、軽率すぎる。
やっぱり意味がわからないわね…………と、眉を寄せた時、「それで、ここからが本題となるのだが……」と、まるで一旦仕切り直すかのように、お兄様が告げた。
本題?だったら、今までの話はすべて前置き?と、思わずお兄様を見つめ返す。
すると、そこには一際真剣な眼差しを私に向けてくるお兄様がいた。
「ユーフィリナ、落ち着いて聞きなさい。今回の一件でお前は、デウザビット王国国王陛下の名のもとに、“神の娘”の生まれ変わりとして正式に認定された。もちろん、今まで通りお前のことは私が守る。これまでの生活が変わることはない。だが、今まで以上に危険は付き纏う。守護獣であるアカも傍にいるから大丈夫だと思うが、ユーフィリナ自身も心しておかなければならない」
「……………………………………はい?」
私が…………“神の娘”の生まれ変わりとして認定…………?
ただただ言葉の羅列を辿るように、内心で二度、三度と復唱し、それでも脳内では理解不能の赤い警告ランプが点滅を繰り返している。
しかしそんな私の膝の上ではアカが「オレがずっとずっとユフィの傍にいるからな。安心していいぞ」などと胸を張り、「やれやれ、守護獣でなければ追い出せるものを…………」と、お兄様がため息交じりで返している。
これではまた仲のいい口喧嘩が始まってしまいそうだ。
けれど、私の思考は誤作動でも起こしたかように、同じ事ばかりを繰り返している。
私が“神の娘”の生まれ変わり?
私が“神の娘”の生まれ変わり?
私が“神の娘”の生まれ変わり?
私が……………………って、いやいやいやいやいや、それはまったく違いますからッ!
「お兄様、そうではないのです!あれは、あのご令嬢…………ではなくて、花屋の娘さんの中にある“フィリア”の魂が私に一時的に聖なる光を与え、力を貸してくれたのです。ですから、私が“神の娘”の生まれ変わりであるはずがありません!」
そこまで一気に言って、ようやく言えたわ…………という満足感とともに、アカが傷ついたのではないという不安が私を襲う。しかし、お兄様もアカも目を丸くしたままその場で固まっており…………
鳩が豆鉄砲を食ったような顔というけれど、まさしくこの顔がそれだわ。
なんてことを思ってしまうくらいの呆けっぷりに、今度はむしろ心配になってくる。
「お、お兄様…………大丈夫ですか?アカも、大丈夫?あの……ごめんなさい……今まで黙っていて…………その、悪気があって黙っていたわけじゃなくて、そのことを知ればアカがショックを受けるのでないかと思って……だって、アカは探していた“フィリア”自身に呪われたことになってしまうから…………でも、伝えるのがこんなに遅くなってしまって、本当にごめんなさい!」
何はともあれ今は謝罪だわ、と私は頭を下げる。やはり土下座レベルかしら…………などと思いながら。
けれど、寸刻の間の後、頭を下げる私の上に降ってきたものは――――――
「『ッ……あははははははははははははははは…………』」
お兄様とアカの笑い声だった。それもお腹を抱えて笑い転げるほどの………
「お兄様!アカ!」
謝罪も忘れて、一人と一匹を睨みつけてやると、「す、すまない……まさかユフィがそのように考えていたのは思いもしなかったからな」と、お兄様から涙目で返される。
このお兄様が泣いて笑うほどに、変なことを言ったの?私…………と、軽いショックを受けていると、『ユフィはなかなかの頓珍漢なんだなぁ……』と、以前誰かに言われたことを、アカにまで言われてしまった。
うぅ、ショックの重ね塗りだ。
あぁ……許してもらえるならば、このままベッドの中に潜ってしまいたい…………
しかし、やはり許してはもらえないようで、お兄様は顔を真っ赤に染めた私の頬に手を当て、ふわりと笑った。
「よかった……ユーフィリナがユーフィリナのままで…………あぁ、それでいい。それでいいのだ。私はそれが知れて本当に嬉しい。何も心までその魂に染まることはない。たとえこの先何があったとしても、この世界に絶望だけはしてくれるな。きっとユフィならば、この世界にも、その魂にも、希望を与えることができる。今回のようにな」
「お兄様……?」
いやいや、何を言っているのだ、このお兄様は?
真剣にそう思う。
しかし、ただただ困惑するだけの私に、お兄様はさらに続けた。
「それに、これだけは確かだ。お前がどう思おうとも、あの花屋の娘が“神の娘”の生まれ変わりであるはずがない。何故ならば、彼女はアリオトが魔力操作をしてまで仕立て上げた娘だ。アカを呪い殺す餌としてな。つまり、あの娘には一般的な魔力量があった。その時点で“神の娘”の魂を持つはずがないのだ。その理由はわかるな?」
わかる…………その理由はわかりますけれど……………………
『そうだぞ、ユフィ。あの娘の中には“フィリア”の魂はない。そして今もオレは感じている。ユフィの中に“フィリア”の魂が存在するとな』
そ、そんなアカまで…………嘘でしょう……………………
だって、だって、私は悪役令嬢で……ヒロインの敵役で、もしかしたらラスボスかもしれなくて……その私が“神の娘”の生まれ変わり?
えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――ッ⁉
「ユーフィリナ、大丈夫か?」
『ユフィ、ユフィ、しっかりしろ!』
思わず白目を剥いて倒れそうになる私を、お兄様とアカが必死に繋ぎ止める。そこへ――――――――
バンッ!と、ノックもなくドアが開いた。
今度は何?と振り向けば、そこから勢いよく部屋へ雪崩れ込んでくる二人組…………
「「ユーフィリナッ‼」」
「お、お父様!、お母様!」
驚く私を他所に、お兄様は「早馬を出して、まだ二日と三時間。これは随分と早いお帰りで……」と呆れた口調となっている。
その間にもお父様とお母様は私へと駆け寄り、私の前に陣取るお兄様を押しのけると、そのまま二人揃ってギュウギュウに抱きついてきた。
「まったくこのお転婆娘はどれほど私に心配させれば気が済むのだ」
「本当ですわ。でも、無事で本当によかった…………」
「も、申し訳ございません。でも、あの…………どうして………………」
いや、もう…………今更聞くまでもないだろう。
私が意識を失っていたのは約三日。そして、屋敷から領地まで早馬で片道約二日。お兄様の言葉を借りるとすると、その早馬が出立して二日と三時間。
つまり――――――――
「「転移魔法陣の緊急点検だ(よ)!」」
あぁぁぁぁぁぁぁぁ………これでお父様は前科二犯で、お母様は前科一犯。
っていうか、それより何より、この私が“神の娘”の生まれ変わり?
いやいや、ないから。本当にないから。
悪役令嬢が“神の娘”の生まれ変わりなんて、それこそ世も末だから。
一度、目が覚めたら、そこは異世界だった――――――
次に目が覚めたら、私は“神の娘”の生まれ変わりになっていた――――――
あぁ、誰か私に平穏な日々をくださいッ‼




