挿話【Side:スハイル王弟殿下】報告会(2)
人間、本当に浅はかと言うべきか――――――
先程からワインを水のようにガブガブ飲んではいるが、まったく酔えないどころか、胃がキリキリと痛み、頭痛が酷くなった。
もちろんこの症状を医者に訴えれば、「ワインの飲みすぎです」という言葉が返ってくるだけだろう。しかし、私に言わせればそれは違う。
すべてはシェアトの口から紡がれる昨夜の顛末のせいだ。
ただただ信じられなかった。それどころか、あまりの内容の酷さに気付け薬のようにワインを何度もあおり、さらに胃痛と頭痛を悪化させ、それでも尚続く理解しがたい話をまたワインで腹に落とし込む。
我ながら本当に浅はかだ――――――と思う。
だが、それほどまでに昨夜の件は、何一つ取っても我々の理解の範疇を超えていた。
「…………つまり、こういうことか?セイリオスはいざと言う時のために、ユーフィリナ嬢の魔力の中に転移魔法陣の術式を書き込んでいたと。そして今回、花屋の娘を守るためにユーフィリナ嬢が発動した“光結晶”と一緒に、その転移魔法陣も発動され、セイリオスはそれを使い、瞬時にあのまやかしの炎の壁の中に現れた…………と」
「はい。あの時セイリオス殿がユーフィリナ嬢に説明しているのを、聖獣殿の相手をしながら聞いておりましたが、そういうことだと思います。しかし実際、本当に間一髪でした。もし一瞬でもユーフィリナ嬢の発動が遅れていたら………転移魔法陣がそもそも書き込まれていなかったとしたら………そう考えただけで、今も生きた心地がしません」
などと告げて、途端に顔色をなくすシェアトの様子からも、本当にギリギリだったことがわかる。そして、その当事者であるセイリオスを見やれば………………
「ひッ‼」
見た私自身、途端に生きた心地がしなくなった。可能ならば、このままどこかに封印してしまいたくなるほどのどす黒いオーラまでもが目視できるレベルだ。
しかし言い換えれば、セイリオスもまた思い出しただけでこうなるほどに、生きた心地がしなかったということで…………
「何はともあれ、間に合ってよかったな」
そう声をかければ、セイリオスはグラスのワインを飲み干しながら「まったくだ……」と零した。
しかしそれにしても、一介の魔法使い…………いや、セイリオスを一介の魔法使いの括りに入れてしまってもいいのかさえわからないが、弱冠十九歳の魔法使いが転移魔法陣を敷けるだけでなく、他の人間の魔力に書き込むなんてことが本当にできるのだろうか。
かつて南の公爵が定期点検と称し、王城の転移魔法陣を使ったと聞くが、つまりそれは自分では転移魔法陣を敷けないからに他ならない。
そして現在、この王国で転移魔法陣を敷ける魔法使いは私が知る限りいないはずだ。それほどまでに転移魔法は緻密で正確な術式と膨大な魔力を有するものなのだ。
しかも転移魔法陣には、対となるもう一つの転移魔法陣がなければ意味がない。
南の公爵が王城の転移魔法陣を使用した時、対となる魔法陣は南の公爵領にある屋敷の中に元々しっかりと敷かれていた。もちろん東西南北の公爵領すべてに敷かれているため、希望の転移魔法陣へ飛ぶには多少の魔力操作が必要となるらしいが、それでも対は存在している。
しかし今回はどうだ。確かにセイリオスはユーフィリナ嬢の魔力に術式を書き込み、彼女が発動させると同時に転移魔法を使えるようにしていたが、一つの転移魔法陣が展開されたからといって、直ちにそこへ飛べるものでもない。
出口だけがあっても、そこへ行くための入口がなければ意味がないように、ただそこに転移魔法陣があるからといって簡単には飛べないのだ。
早い話、対となる転移魔法陣がどこかに存在し、尚且つもう一つの転移魔法陣が展開されたことを感知しなければ決して機能しない。
なるほど…………セイリオスは自分の中にも転移魔法陣を書き込んでいるのだな。そして、ユーフィリナ嬢の魔法発動に呼応するように、感知魔法まで仕掛けていたと………………
恐ろしすぎだろう!もはやそれは王家お抱えの呪術師を軽く凌ぐレベルだぞ!
改めてセイリオスに対して戦慄を覚えながら、私は再びシェアトの話に耳と、ワイングラスを傾けた。
「――――――自我を失った聖獣殿相手に、私とセイリオス殿はただただ防戦一方でした。一度攻撃に転じてもみましたが、それすらもあっさりと一蹴され、やはり実戦は授業で行うシュミレーションデュエル(模擬対戦)ほど甘くはないと心底震えました。しかし、私が震えたのは恐怖ゆえではありません。自分の命よりも大切なものを守るということに、心が奮い立ったのです」
そこまで告げて、シェアトの視線はセイリオスへと流れた。それに気づいていながら、セイリオスはどこ吹く風だ。そんなセイリオスに苦笑するシェアトを見て、おそらくこの二人の間で、以前そのような話をしたことがあるのだろうな…………なんてことを勝手に想像する。
「その戦いの中で、この聖獣殿が実は、神が“神の娘”のために創造した守護獣であり、召喚獣ではないという話をセイリオス殿から聞きました。自分の無知を実感すると同時に、私はすべてを理解しました。何故、聖獣殿がデオテラ神聖国と手を組んでまで、“神の娘”の生まれ変わりを探していたのか。何故、呪いに侵されながらもあれほどまでに“神の娘”を求めていたのか。私はやっと心から理解できたのです。正直に白状しますと、それまでの私はユーフィリナ嬢の想いにただ応えたいだけでした。それでも心の何処かでは、“先見”で見えた未来は決して変わることはないだろう………と、諦めてもいました。しかしこの瞬間、私の意識が変わったです。ユーフィリナ嬢の望みだからではなく、私自身が聖獣殿をこの呪いから救いたいと思いました。そう、私も諦めることを諦めたのです。しかも今回の件は、“魔の者”が仕掛けた罠であったことを聞き…………」
「いやいやいや、シェアトちょっと待て!今、“魔の者”と言ったか?というか、シェアトの言う“魔の者”とはあの“魔の者”のことか?ここ数百年くらいまったく姿を見せていないあの“魔の者”ことか?」
そう必死に問いかけてみれば、シェアトからは「その“魔の者”です」とあっさり過ぎるくらい淡々と返されてしまった。
すでにシェアトの中ではしっかり消化し終わっている内容かもしれないが、こちらとしては呑み込むことさえ四苦八苦だ。
そしてそれは私だけでなく―――――――
「ちょっと……うん、これはさすがに待って。どうしてこの件が“魔の者”の仕掛けた罠だってわかるの?聖獣自身がそう言ったの?」
レグルスにしては珍しく、ペリドットの瞳に真剣さを滲ませている。場合によっては“読心”の能力を使う気なのかもしれない。さらにそのレグルスの横では、サルガスがシェアトを食い入るように見つめていた。シェアトの表情で事の真実を推し量るつもりなのだろう。
だが、それに答えたのはシェアトではなく、セイリオスだった。
「すべての状況が、それを指し示していただけだ。花屋の娘は、躊躇なく聖獣の左目に短剣を突き立てた。確かに彼女はご令嬢ではなかったが、それでも女性であることに変わりはない。そんなか弱き女性であり、大した魔力も持たない花屋の娘が、聖獣相手に自ら剣を突き立てに行くことはまずない。それができたということは、“魔剣”自身、もしくはそれを渡した者に操られていたということだ。そしてそんな聖獣をも呪う“魔剣”を用意できる者がいるとすれば、それは“魔の者”でしかあり得ない」
言われてみればその通りだ。確かに力のある呪術師の中には、呪いを施せる者もいる。だがその呪いはまじない程度のものであり、聖なるものを呪い殺せるほどの力はない。
ならば必然と“魔の者”の存在が浮上してくるのだが、ここ数百年も姿を現していなかった“魔の者”が突如として現れたと言われたところで、やはり鵜呑みにはできない。
「確かに、セイリオスの話には一理あるけどさ、数百年も姿を現してない“魔の者”だよ。そんな奴がなんで急に出てくるわけ?いや、もしかして千年も引き籠っていた聖獣と同じ理由…………とか?」
話の途中で急に思い至った答えを、レグルスはそのままセイリオスへとぶつけた。私とサルガスもまたその結果を黙って見守る。
するとセイリオスは暫くレグルスを見つめてから、「それしかあるまい」と、ため息交じりに返した。そしてさらに言葉を重ねてくる。
「何故この数百年もの間、“魔の者”が現れなかったのか。その答えは、それこそ単純明快だ。この世界に彼らが消すべき“神の娘”の魂が存在しなかったからだ」
「セイリオス、ちょっと待て!だとしたら、姿を現した数百年前、この世界に“神の娘”の魂が存在したように聞こえるが?」
思わずそう聞き返した私に、セイリオスはちらりとエルナトへ視線をやってから、私へと視線を戻した。王弟専属とはいえ、護衛騎士に聞かせていいい話かどうか迷ったのかもしれない。だが、すぐにセイリオスは口を開いた。
「その通りだ。“魔の者”が最後に目撃されたという数百年前に、“神の娘”の魂は生まれ変わっている。正確に言うならば、過去二度“神の娘”の魂は生まれ変わりを果たした。しかしその二度とも、生まれ変わってすぐに消えた」
「消えたって…………つまり、生まれてすぐに死んだってこと?」
レグルスの問いに、「そういうことだ」とセイリオスは抑揚なく答えた。
「だとしたら、“魔の者”は“神の娘”の生まれ変わりにあわせて、姿を現していることになりますが、私はここ十数年の間に“魔の者”が目撃されたという情報を聞いたことはありません。もし仮に、聖獣殿が探していた“神の娘”がユーフィリナ嬢であるならば、“魔の者”は彼女の生まれた時期――――つまり今から十六年前にその姿を目撃されていたはずです。違いますか?」
サルガスは手にした事実だけを整然と並べて、実直にセイリオスに尋ねた。それに対して、セイリオスもまた真摯に返す。
「本来ならばその通りだ。神が創った特別な人間とはいえ、“神の娘”も死ねば、神の理に従い生まれ変わる。ただ特別な魂ゆえに、その浄化は一切不要とされ、生まれ変わりもその分早い。たとえば我々人間が生まれ変わるのに五百年必要だとすれば、“神の娘”は三百年程といった具合にだ。だが、神は二度しくじった。“神の娘”の絶望は深く、彼女は二度生まれ変わってはいるが、その度にこの世界から消えることを望んだ。しかし神もそう馬鹿ではない。三度目ともなるとそれなりに知恵を使う」
「お前……神相手にその言いよう…………」
そんな私の呟きに、セイリオスはどこがおかしい?とばかりに、片眉を上げた。それから私の後ろで控えるエルナトに対して、エルナト殿はどう思う?と視線だけで問いかける。
エルナトは答えに窮しながらも「セイリオス様のお言葉に問題はございません」と丁重に頭を下げた。
それに満足そうに微笑んだセイリオスは、今度は私に向かって「問題はないみたいだ」などと、しゃあしゃあと告げてくる。
いやいやいや、何故そこでエルナトに聞く?エルナトにすれば、相手は主人の御学友であり、公爵子息。たとえ、神相手にその言いようはないよな――――なんてことを思っていたとしても、さすがにそうは言えないだろう。
それをわかっていながらエルナトに聞くとは、セイリオスもほんと質が悪い。
しかしまぁ、この場にいる顔ぶれの中で同意票を求めるなら、エルナトが確実だろうがな…………と、勝手に納得しながら「もういい。続けろ」と先を促した。
セイリオスはまるで取ってつけたかのように「スハイル殿下の仰せのままに」と告げると、話の舵をさっさと戻す。
「そう、三度目。それが今回の生まれ変わりだ。正直、神がどのような手段を講じたのか、私にも正しくはわからない。だが、おおよその見当はつく。神は“神の娘”の魂の中に残る、彼女自身の意識と記憶を一時的に封印した。そのため今回、“神の娘”はこの世界に絶望しなかった。だからこそ生きた。そしてさらに神は“神の娘”の能力と、聖なる光をも一緒に封印した。ゆえに、“魔の者”は“神の娘”の復活に今の今まで気づくことはなかった――――――私はそう見ている」
「そのセイリオスの見解が当たっているとして、今回“魔の者”が暗躍し始めたってことはさ、“神の娘”の生まれ変わりに遅ればせながら気づいたってことになるんだけど、それは神の施した封印が解けてしまったとみていいの?」
「完全ではないが、徐々にな。実際“神の娘”はまだ覚醒途中といったところだろう………」
レグルスにそう答えて、セイリオスは考え込むようにして口元に手を置いた。
そんなセイリオスの様子に、何故かレグルスがムズムズとし始める。どうやら聞きたくて堪らないことがあるらしい。そしてもう我慢できないとばかりにレグルスが叫んだ。
「だぁッ‼もう、限界ッ!いい加減聞くけどさ、ずばりユフィちゃんがその“神の娘”の生まれ変わりってことでいいの?」
「ユフィちゃん言うな」
「やっぱり先にそこ突っ込んじゃうんだ」
「だったら、ユフィちゃんと言うな」
「いやいや、だからね…………」
「今回の件からしても、ユーフィリナが“神の娘”の生まれ変わりであることは間違いないだろう」
「うん、それはわかって…………えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ‼」
あまりにさらりと言われた真実に、シェアト以外皆して息を呑む。レグルスに関して言えば、自ら尋ねたにもかかわらず、思わぬタイミングでの暴露に、もはや普通に驚いている。
しかし、納得はあっさりと降りてきた。
私が出会ったあの“白金の君”のことにしても、シェアトの言動にしても、トゥレイス殿下との一件や今回の件にしても、そうでなければすべての辻褄が合わないからだ。
そして何より、国王陛下の…………兄上の“先見”を覆せた事実。
もうこれ以上の証明はないだろう。
あぁ……今にして思えば、セイリオスの髪色が銀から紫銀に変わったように、ユーフィリナの髪色も――――なんてことを考えていた自分が懐かしい…………というか、恥ずかしい。
髪色も瞳の色も、学園で姿が見えないのも、すべてはセイリオスがユーフィリナ嬢を守るために“幻惑”をかけていただけのことだ。
だがそうなると、心情的には腑に落ちない部分もある。
それはこのセイリオスの態度のせいかもしれない。
周りが呆れるくらいの超シスコン。可愛い妹のためならば犯罪行為さえも厭わないほどの溺愛っぷり。
しかしこれが妹だからではなく、“神の娘”だから……………となると、どうにもしっくりとこない。
そう、有り体に言えば、セイリオスはユーフィリナ嬢を心から愛している。
この世界にとって大事な“神の娘”であるがゆえにユーフィリナ嬢を守っているのでなく、セイリオスにとって大事な存在であるからこそユーフィリナ嬢を守っているように思えるのだ。
それもユーフィリナ嬢がこの世界に生まれ落ちたその瞬間から――――――――
セイリオス……
お前はいつ彼女が“神の娘”だと気づいた?
何をもってそう判断した?
お前は何を知っているのだ?
ユーフィリナ嬢はお前にとってどういう存在なのだ?
そもそもお前は―――――――何者だ?
喉元までせり上がってくる疑問を、今はまだ時期尚早だと腹に沈める。
そんな私の腹の内を読んだわけではないあろうが、二の句を告げないでいる私たちにセイリオスはさらにこう続けた。
「確かにユーフィリナは、“神の娘”の生まれ変わりに違いないだろう。しかし“神の娘”自身ではない。ユーフィリナはあくまでもユーフィリナだ。たとえ、“神の娘”と同じ能力を持っていたとしても、ユーフィリナが使えばそれはまた別のモノとなる。何故ならユーフィリナの想いはユーフィリナのモノであって、“神の娘”のモノではないからだ。だからこれだけは心しておいてほしい。この世界にとって、ユーフィリナは重要な存在であることは間違いない。しかし“神の娘”の生まれ変わりとして見るのではなく、ユーフィリナとして見てやってほしい。たとえいつか完全に覚醒したとしても、やはりユーフィリナはユーフィリナなのだ。それだけは忘れないでやってほしい」
それは私たちに頼んでいるというより、セイリオスが自分自身に言い聞かせているように私には聞こえた。
だが今の私にそれを追及する気はない。というより、今はもうこの事実だけで腹も頭もはち切れんばかりだ。そのため………………
「もちろんです。ユーフィリナ嬢が“神の娘”の生まれ変わりであろうとなかろうと、ユーフィリナ嬢であることに変わりありません。セイリオス殿、ユーフィリナ嬢のことはこの命に代えても私が守ります。だから安心して私にお任せください」
「おやおやシェアト殿、誰もそこまでは頼んでいないのだが?ユーフィリナのことは今まで通りこの私が守るからそれこそ安心してほしい」
などと、微笑ましいどころか、むしろ剣呑すら感じる二人の会話の後に、私もしれっと続く。
「セイリオスの話はわかった。だが私は、その肝心なユーフィリナ嬢に一度も会わせてもらってないのだが?そうだな、明日にでも前触れを出して見舞いに行こう」
「それはそれはお忙しいスハイル殿下に、当家にお越しいただけるなど光栄の極みではあるが、ここは断腸の思いで丁重にお断りさせていただくとしよう。まだまだ今回の件の後始末が残っておられるのだろう?そんなお忙しい中で見舞いのために時間を割くていただくなど、滅相もない話だ。それにユーフィリナの意識はまだ戻っていない」
「それは大変です!腕のいい医者と回復師を連れて行きましょうか?」
「シェアト殿のお心遣いには感謝するが、我が南の公爵家にもそれなりの医者と回復師はいる。それにいざという時には、選りすぐりの医者たちをある場所から調達してくればいいだけの話だ。問題ない」
そうシェアトに告げて、麗しく微笑んでみせたセイリオスに、もはや嫌な予感しかしない。しかも私の脳内では、いつか見たあの黒い袋が何故かちらつく。それも三袋…………
「調達って、まさかお前ッ………………い、いや、言うなッ!これ以上は聞いてはいけない気がする。それよりもだ。今はユーフィリナ嬢のことが心配だ。よし!やはり私が見舞いに行こう」
「今の流れで、どうしてそうなるのか私としては理解不能だが、ここは再度丁重にお断りをしておこうか。それに、トゥレイス殿下の件はどうなっている?あの時一瞬だが、トゥレイス殿下の気配を感じた。まぁ、すぐに消えてしまったがな。おそらくユーフィリナを見つけた以上、余計なトラブルは御免だということだろう」
「あぁ、私も感じた。炎の壁が消えた直後に一瞬な。セイリオスの言う通り、トゥレイス殿下は無関係を決め込む気だろう。だが、今回の件に“魔の者”が暗躍していたとはいえ、聖獣が呪われ、花屋の娘が傷つけられたことに関しては、デオテラ神聖国にも責はある。知らぬ存ぜぬが通用するほど、我が国は甘くない。必ず交渉の席に座らせる」
「ならば、ますます殿下には時間がないはずだ。そんな殿下の貴重なる時間を見舞いに使わせるなど言語道断。私が後々ユーフィリナに怒られてしまう」
「なに心配はいらない。見舞うくらいの時間なら作れるさ」
「あ、スハイルが行くなら俺も行くよ。ユフィちゃんのお見舞い」
「却下だ」
「酷ッ!スハイルにはそれなりの理由を並び立てて丁重に断ってたくせに、俺は一蹴?」
「だったら、言い直そう。丁重に却下だ!それにだ。スハイル殿下にユーフィリナを見舞っている時間がないのは嘘ではない。事実だ」
「その本人が大丈夫だと言っているのだが?」
呆れたように私がそう返すと、セイリオスは「この先に続く話を聞いたとしても?」と、やおら首を傾げた。
それがまた絵となり無性に腹立たしいが、今はそんなことなどどうでもいい。
私の貴重なる時間を埋めるほどの案件となるらしい、その先に続く話とやらの方がよっぽど私の精神衛生上よろしくない気がする。というより、可能な限り聞きたくない。このまま蓋をして、セイリオスと一緒にどこかに埋めてしまいたいくらいなのだが、もちろんそういうわけにはいかないこともわかっている。
「あぁ……取り敢えずその先を聞こうか」
そう答えたのが運の尽きだった。
「じ、実際に“魔の者”が現れただと⁉」
シェアトは神妙に頷き、セイリオスはワイングラスをゆらりと回した。
お前ら本当にちょっと待て!これはさすがに情報が過多すぎるぞ!
確かに“魔の者”が暗躍している可能性については聞いた。ついさっきな!
なのに、いきなりご本人登場とはいくら何でも早すぎだろう!
だいたいなんだこの顔ぶれ…………
“紅き獣”である聖獣に“神の娘”に“魔の者”………………ここに“光の神”が加われば、ほぼオールキャストじゃないか!
っていうか、それよりも何より、お前たち………………
「よく生きて戻ってこられたなぁ………」
しみじみと発せられたレグルスの言葉に、私はまさしくその通りだと盛大に頷いた。もちろんサルガスとエルナトも頷いている。
そんな私たちにシェアトは少し眉尻を下げながら「運がよかったのと、セイリオス殿、そしてやはりユーフィリナ嬢のおかげです」と、謙遜気味答えた。しかしそんなシェアトの台詞にセイリオスがすぐさま異議を唱える。
「シェアト殿、何を言う。あの時、もしシェアト殿の心にほんの僅かでも怯えがあれば、一瞬で“魔の者”の手に落ちていた。だが、シェアト殿の心にはそれがなかった。だからこそ私もユーフィリナも、そしてアカも、シェアト殿に全幅の信頼を置いて共に戦えた。私はシェアト殿に背中を預けることができたのだ。だからこれは決して、私やユーフィリナだけのおかげではない。そして運だけでもない」
「セイリオス殿…………」
シェアトは眉尻を下げたままで笑った。おそらく、他でもないセイリオスに認められたことが嬉しいのだろう。シェアトの顔にはその喜びが如実に表れており、思わず私たちまで目を細めてしまう。
しかし、そこから再び語られた話に、私たちは限界まで目を瞠った。
「ま、ま、ま、“魔の者”から求婚だと――――――――ッ⁉」
あぁ、もう駄目だ。いっぱいいっぱいだ。
どれだけワインをあおろうとも、腹に落とし込める気がしない。
っていうか、“魔の者”って結婚とか普通にするものなのか?そのあたりは一体どうなのだ?
いや、もうなんだかユーフィリナ嬢に会うことすら恐ろしくなってきたぞ。
もしユーフィリナ嬢に会ってしまったら、私はいきなりその場で傅き、何はともあれ求婚をし始めるのではないだろうか?
だって、そうだろう。
デオテラ神聖国の第二王子であるトゥレイス殿下に続いて、今度は完全に敵側である“魔の者”からだぞ。
敵味方関係なく一目会うだけで、求婚せずにはいられないほどのご令嬢ということではないか!
確かに彼女は“神の娘”の生まれ変わりだ。そして私の記憶にある“白金の君”を思えば、成長した彼女の美しさは類を見ないほどなのだろう。
しかし、本当にこれは危険だ。傾国の美女どころか、世界を傾かせるほどの美女。
世のため、人のためにも、やはりユーフィリナ嬢はセイリオスの“幻惑”で隠しておいてもらうべきなのかもしれない。
そんなことを思い始めて、ちらりと周りを見やれば、さすがのレグルスとサルガスも口をぽっかり開けたまま固まっている。そりゃそうなるだろう。
ただ私の陽気な護衛騎士であるエルナトに限っては「うわぁ……余程完璧なご令嬢なのですね。これは是非ともその御尊顔を拝してみたいものですねぇ」などと宣い、セイリオスから思いっきり睨まれていた。
…………………うん、それもそうなる。
あぁ、でもそうだな。
やはり私もユーフィリナ嬢に会ってみたいと思う。
今や怖いもの見たさなところもあるが、それ以上にただ会いたいのだ。
だが、本当に心して会わなければ、冗談ではなく本気で求婚しかねない。
いやいや、さすがにそれはないだろう………とは思うが、はっきり言って長年温め続けてきた想いが重すぎるだけに、そのままうっかり彼女に手渡してしまう危うさも大いにしてある。
その場合、私は確実にセイリオスに殺されるだろうがな。
けれど、幸か不幸か私のお見舞い計画は、ひょっこり出てきた“魔の者”のせいで綺麗にご破算となりそうだ。
国王陛下への報告と、デオテラ神聖国との聖獣に関する交渉、そして何より“魔の者”たちの動向の調査。
しばらくはこれらの案件で忙殺されそうだ。
だから、一旦落ち着こう。落ちついてからユーフィリナ嬢に会おう。
そうすればいきなり求婚することはないだろう。
たぶん…………………
しかし、この世界の神様はとんでもなく悪戯好きな性格のようで――――――――
この数日後、私は何の心の準備もないままに彼女と出会うことになる。
あぁ…これは本当に……無理だ………
頼むから勘弁してくれ…………
そんな懇願とともに天を仰ぐことになるなど、今の私はまだ知らない。




