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ヒロインは私が絶対に守ります(8)

 ふと私の中に湧いた、名もなき感情。

 但し、名前はなくとも、この感情には痛みと醜さしかないことだけはわかる。

 そして、これから先ずっと……この感情を持て余していく予感さえ私にはある。


 それでも、お兄様の瞳に映るのはこの私で――――――


「ユーフィリナ?」

 お兄様の声に私は我に返った。

 そう、今はそんなことに思い悩んでる場合ではない。

 アカとヒロインを助けることだけを考えていればいい。

 どこか心配そうに声をかけてきたお兄様の瞳を見ることなく、「大丈夫です」とだけ返し、私はアカだけを自分の瞳に映した。

 今や、“紅き獣”と王都で噂されていたあの気高き炎狼たる姿はどこにもない。

 まるで炭化してしまったかのような黒い身体が、苦痛に喘ぎながら地に横たわっているだけだ。

「アカ、今助けるからね」

 そう声をかけて、私はアカへ近づいた。いや、近づこうとした。しかし、シェアトに腕を取られてしまう。

「ユーフィリナ嬢、本当に…………?」

 きっとこれはシェアト自身が、覚悟を決めるための最後の確認。

 私はそれに対して「はい。行きます」と告げ、譲れぬ想いを揺るぎない視線に変えて、シェアトのパールグレーの瞳を見つめた。

 途端、シェアトは泣きそうな顔になる。けれど、それを一瞬で打ち消すと、シェアトは苦笑にもならないぎこちない笑みを浮かべた。

「本当に君って人は………いつもいつも私の想像を軽く超えてくる。だけど、これだけは約束して欲しい。私はいつだって君の笑顔が見たいんだ。だから今回の件がすべて片付いてからで構わない。私に君の笑顔を見せて欲しい。そしてできれば、これからはずっと私のそ…………」

 しかし、シェアトがすべてを言い終わる前に、「シェアト殿、少々お願いが過ぎるのではないか?」と、お兄様は口だけでは飽き足らず、身体ごと私とシェアトの間に割り込んできた。さらには、そのついでとばかりにシェアトの手から私の腕を取り返す。

 その手際の良さに、私もシェアトも啞然とするしかない。

 けれど何故かそんなお兄様に呆れ以上の安堵感を覚えつつ、いえいえお兄様、笑顔をお見せすることくらい、全然大したお願いではありませんよ。むしろお安い御用です――――――などと内心で告げて、私はシェアトに了承の意を込めて微笑んでから、アカへと歩を進めた。


「アカ、よく頑張ったわね。ごめんね。もっと早くこうしてあげるべきだったのに、本当にごめんなさい」

『ユ…………フィ…………よ……せ……』

 完全に黒くなってしまった身体は、ともすれば、砂塵のように風に流れて消えてしまいそうな儚さがあった。

 それでも、アカの自我はまだちゃんとある。それもこんな状態でも私を守ろうとする優しさまである。

 そんなアカを絶対に朽ち果てさせたりはしないわ――――――と、私はアカの前に両膝を付き、“魔剣”である短剣に手を伸ばした。

 アカの身体がこれほど黒くなってしまったというのに、その短剣だけは新品同様の煌びやかさを保ち、金細工が施された柄は忌々しいほどに輝いて見える。

 さぁ、いくわよ――――誰ともつかない心の中の存在に声をかけて、短剣の柄を両手でしっかりと握る。

 しかし、次の瞬間―――――――――

「いやあぁぁあぁぁぁぁぁぁッ!」

 雷電の直撃を受けたかのような衝撃が、私の身体を一気に貫いた。

「ユーフィリナッ‼」

「ユーフィリナ嬢ッ‼」

 矢継ぎ早にお兄様の声とシェアトの声が聞こえてくるけれど、もちろんそれに構っているだけの余裕はない。

 痛みだけでなく、短剣の柄を握る私の両手に、黒いモノがゾワゾワと絡み付いてくる。

『ユ…………フィ…………放すの……だ。は……やく剣…………を……』

「………い…や……」

 アカの声に、私は痛みと悪寒に堪えながら必死に首を横に振る。

 もちろんこの首振りは、絶対にこの“魔剣”を抜くまでは放さないという私なりの意志表示だ。けれど、放す放さない以前に、私の手はその柄の一部と化したかのようにぴったりとくっ付いてしまっていた。

 つまり、放さないという私の意志など一切関係なく、物理的にこの“魔剣”から手が放せなくなっているのだ。

 そして私の手を這うように伝い、“魔剣”から流れ込んでくるモノは――――――――


 痛い!痛い!痛い!もう、解放してほしい!

 どうして私が頑張らなればならないの?

 どうして私がやらなくちゃいけないの?

 私はただ居場所がほしかった。

 前世でもなかった居場所。

 だから、せめて今世ではその居場所がほしかっただけなのに…………

 でも私は、自分が誰なのかもよくわからない。

 ユーフィリナ・メリーディエースという名前は持つけれど、それすら私ではないような気がするの。

 ねぇ、私は誰?私はここにいてもいい存在なの?

 もしこの世界にも私の居場所がないならば、この世界もまた私を必要としないならば、ここにいても意味がない。

 いいえ、違うわ。

 こんな世界、あってもまるで意味がない。

 

 だったらいっそのこと――――――

 このまま世界を消してしまおうか。

 

 流れてくる負の感情に溺れ、私の意識が闇に沈んでいく。

 そんな暗闇の中で見つけたただ一つの光明。

 その偽りでしかない光明に手を伸ばしかけたその時――――――――

 

 ユフィ――――――――ッ‼


 誰かが私を呼んだ。さらにはそのまますごい勢いで捲し立ててくる。

 

 いい?あなたはユーフィリナ・メリーディエースで間違いないわ。他の誰でもないユーフィリナよ。

 そして、見ず知らずの相手のために頑張っちゃうのも、背負わなくていいものまで背負ってしまうのもあなたなのよ。

 本当に見てて飽きないくらいの頓珍漢さんだけど、それでいいわ。だって、それがあなたなんですもの。

 とにかくこれだけは忘れないで。あなたはユーフィリナ。そしてこの世界はあなたを必要としている。

 フィリアでもなく、神の娘でもなく、ユーフィリナを必要としているのよ。

 だから、頓珍漢さんなりに頑張りなさい。

 今はとにかくアカのために…………

 

 呆然とそれを聞いているだけの私。

 そして私はこの状況を知っていると思った。

 そう、これは前世の記憶が戻った時に体験した事。

 まるで、水と油のように“ユーフィリナ”と“白井優里”が分離し、ちょっとした多重人格のような様になっていたあの時の状況と酷似している。

 但し、この一方的に捲し立ててくる相手は“白井優里”ではないみたいだけれど………

 それに、頓珍漢さんはさすがにない。見てて飽きないって、いつ、どこで、私が頓珍漢なことをしたというのだろう…………と、怪訝に思う。

 しかし、アカを救うことには激しく同意だ。

 私は誰かもわからぬもう一人の意識に、もう大丈夫よ。ありがとう……と告げた。

 自分は間違いなくユーフィリナ・メリーディエース。その言葉だけで、私は自分を見失わなくて済むと思えた。

 そして私は、この世界に存在していてもいいのだとも――――――――

 そんな私の変化を、敏感に感じ取ったらしいもう一つの意識が、今度は凛として告げてくる。

 

 ユフィ、自分を強く持ちなさい。そして、何が正しくて何が間違っているのかちゃんと見定めなさい。

 あなたの想いは、あなたの存在は、この世界に希望を生むわ。

 

 さぁユフィ、戻って!

 アカのために“魔剣”を抜くのよ‼


「ッ‼」

 全身を斬りつけられる痛みとともに覚醒する意識。

 私の両手はすでに黒いモノで覆われており、制服のスカートから覗く足にまでその異変は及んでいる。おそらくこの様子だと、私の顔まで達しているはずだ。

「大丈夫か!ユーフィリナ!」

「ユーフィリナ嬢!無理はするな!」

 お兄様とシェアトは再び光魔法で攻撃しながら私に声をかけてきた。どうやら、私を援護してくれているらしい。

 しかしその顔はどう見ても悲壮で、心配させているにもかかわらず、ほんの少し笑ってしまう。

 そしてそのお兄様たちからの攻撃を一身に受けるアカは、意識を朦朧とさせながら横倒しの状態で痙攣していた。

 それでも私のために声を絞り出す。

『も…う……い……い…ユ……フィ………』

 とにかく痛かった。苦しかった。でも、それ以上にアカの言葉の方が何十倍も私には痛かった。

 だからこんな“魔剣”が与えてくる痛みなど、アカが堪えてきた痛みに比べれば、全然大したことはないと単純にそう思った。

 そして、強く願う。いや、声にする。

「全然……よく……ないわ。私は絶対に……アカを助けるの。絶対に……“魔剣”なん…かに負けたりしな…い。こんな……こんな……“魔剣”なんかに………アカを……彼女を……奪わせやしない。この“魔剣”は……私が引き抜……く。この呪いは……私が消す。だから、アカ…………」

『ユ…………フィ…………』

「諦めるのを諦めなさい」

 私はアカにそう告げて、襲い来る痛みに堪えながら両手に力を込めた。

『ユ……フィ…………ユ……フィリナ!』

「あぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼」

『ユーフィリ……ナ!』

 アカの声を耳に捉えながら、私は膝を付いていた状態から立ち上がり、必死に“魔剣”を引き抜くために力を入れる。

 その背後で、お兄様の声が聞こえた。

「シェアト殿!ユーフィリナが“魔剣”を抜いた後からが我々の出番だ!」

「はい!」

 この“魔剣”さえ抜くことができれば、後はお兄様とシェアトがなんとかしてくれる。

 私はさらに希望を見出して、渾身の力を入れて“魔剣”を引いた。


「お……願いッ!もうこれ以上、アカを、彼女を、呪わないで――――――ッ‼」

 

 急に身体が軽くなった。

 感覚で言えば、天を仰ぎながら宙を舞っている感じ。

 そう――――“魔剣”が抜けたのだ。

 だから別に宙を舞っているわけではない。ただ“魔剣”が抜けた反動で私の身体が後ろへと(かし)いでいるだけの話だ。

 そんな私の身体を、お兄様が危なげなく受け止めてくれる。と同時に、お兄様がまやかしの炎の向こう側へと叫んだ。

「シャム!いるのはわかっている!魔獣の中でも幻獣であるお前なら、実体化を解いてこのまやかしの炎を通り抜けることができるはずだ!来い!」

 シャム…………?幻獣…………?

 耳で拾い聞いた言葉を咀嚼する前に、アカが横倒しのままで再び咆哮した。

 その刹那、“魔剣”が抜けたアカの左目から眩き光が放たれる。と同時に、黒い塊と化した身体にもピシッとピシッと音を立てながら大きな亀裂が入り、その亀裂から全方向に向かって神々しい光が溢れ出した。

 そんなアカと呼応するように、ヒロインを包む“光結晶”もまた煌々と光り始める。

 瞬時、まやかしの炎で作られた鳥籠の中は、アカと“光結晶”が放つ白い光に包まれた。

 そこへ、今日の放課後にも見たあのハングライダー状態となったシャムが、まやかしとはいえ触れた者は確実に焼き殺すという炎の壁を突き抜けてくる。

「やっぱり、セイリオスはウサギ使いが荒いにゃ―――――って、めちゃくちゃ眩しいにゃ、ここ!」

 などと、文句を垂れながら………………

 そしてお兄様の前に降り立ち、羽を元のサイズへ戻すと、シャムは放課後同様、器用に両手を使い毛づくろいをし始めた。どうやらこれがルーティンらしい。

 その毛づくろい中のシャムに、お兄様は構わず指示を出す。

「シャム、あの“光結晶”の中には、負傷したご令嬢がいる。まずはそのご令嬢が握っている鞘を取って来るのだ。ユーフィリナが彼女の呪いも解呪したから、魔獣であるシャムが触れてももう呪われることはない。そしてその後は、ご令嬢に癒し魔法を施しながらとにかく守れ。この頭の固い聖獣から」

 お兄様の言葉にシャムは毛づくろいを止めると、やや光がおさまりつつある“光結晶”へと視線をやった。それから今度は、頭の固い聖獣呼ばわりされたアカへとその視線を向ける。

 ちなみに、アカはすでに立ち上がっており、身体の亀裂から放たれていた光も“光結晶”と同じく徐々に収束を始めたようだった。

 そして、黒く変色していた身体は、縦横無尽に入った亀裂がさらに細かく砕け、まるで黒い殻がポロポロと剥がれ落ちるかのように、炎狼としての姿を取り戻しつつある。

 とはいえ、左目には酷い刺し傷があり、見るからに痛々しい。しかし、呪いに侵されていただけの右目は無事に視力も回復したようで、思わぬ珍客の登場にギロリと動いた。

 その右目とばっちり目を合わせてしまったらしいシャムは、普段は完全に垂らしている耳をピーンと跳ね上げる。

「え、炎狼にゃ!しかも何だか凄く目が怒ってるにゃ!っていうか、ユフィが真っ黒にゃ!完全に呪われているにゃ!」

 お兄様への報告途中に、今度は私の姿を見つけたらしいシャムは、大きな赤い目をさらに丸々とさせて、その場で地団駄でも踏むようにぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 もう、こんな時なのに全力で可愛いってどういうことなの?

 あぁ…………できればこのままモフモフしたい…………

 私もまたこんな時なのに、モフモフ依存症の発症だ。

 しかし、私のことはともかく、シャムがそうなるのもわかる。

 アカから引き抜いた“魔剣”を、未だ両手で握り締めている私は、その“魔剣”から漏れ出してくる黒い靄を全身に纏わせているため、どう見ても呪われていようにしか見えない。

 しかも、その“魔剣”自身が私の手から一向に放れようはとせず、口を開くこともままならないほどの重い束縛を強いてきている。

 確かに、これも立派な呪いだと受け取れなくもないのだけれど、実際ところは決して呪われているわけではなく………………

「ご丁寧な説明をありがとう、シャム。だが、その前にユフィと呼ぶな。それとこの状況についてだが、ユフィは呪われているわけではない。この“魔剣”が、ユフィの中にある“聖なる光”に純粋に引き寄せられているだけだ。それゆえユフィの手から放れようとしない。しかし、“魔封じの鞘”でこの“魔剣”を封じてやれば、ユフィの身体に纏わりついている黒い靄も消え、“魔剣”も放れる。実際ユフィは、この“魔剣”で傷つけられ“聖なる光”を封じられたわけでも、“魔剣”で聖なるものを呪ったわけでもないからな」

「なるほどにゃ。でもこのままユフィを支えていたら、セイリオスの方にもこの黒い靄が移ってしまうにゃ」

 あぁ、その通りだわ…………お兄様にも影響を及ぼしてしまう…………

 シャムの言葉で、ようやくそのことに気がついた私はお兄様の手から抜け出し、可能な限り遠ざかろうとする。しかしそれを察したお兄様は、さらに私を後ろから抱き込んでしまう。

「問題ない。私では“魔剣”を抜くことも、呪いを払うこともできないが、私自身の身体は如何なる“呪い”も“魔”も、寄せ付けないようになっている。だからたとえこの聖獣をどれだけ呪ったとしても、私が呪われることはない。それと何度言ったらわかる。ユフィと呼ぶな」

 まぁ……お兄様ったら、最強の魔法使いだけでなく、そんな特異体質の身体を持っていたのね!

 と、驚きと感心でお兄様を振り仰ぐ。とはいっても、そのお兄様本人に抱き込まれているせいで、ほとんど顔は見えなかったけれど。その代わりに、お兄様の隣に立つシェアトが目に入る。

 もちろんシェアトもまた驚きの表情でお兄様の横顔を見つめていた。けれど、感心というより、どこか困惑のようなものが入り混じっているようだった。そのことに私は内心で首を傾げたけれど、すぐにシャムの声に気を取られてしまう。

「だったらすぐに取ってくるにゃ。このままだと可愛いユフィが半減するにゃ」

「ユフィの可愛さはたとえどうなろうと半減したりなどしないが、とにかく早く取ってくるのだシャム。実体化を解けば、“光結晶”の中にある鞘にもお前なら手が届くはずだ。本来ならば“光結晶”を解除すればいいだけの話なのだが、今、あれを解除するのは得策ではない。そんなことをすれば、確実にご令嬢はこの融通のきかない聖獣に殺される。聖獣は自分を呪った者を絶対に許さないからな。だからシャム、ご令嬢の傷を癒しながら守るのだ!聖獣は私たちで面倒を見る」

 そう告げながらお兄様がシェアトへと視線を向けると、シェアトはすでに臨戦態勢に入っていた。

 そしてアカもまた、身体を覆いつくしていた黒い変色部分を、呪いと一緒に払い落したようで、左目の傷以外、あの美しき聖獣の姿に戻っていた。

 紅き炎の毛を纏う、気高き炎狼の姿に。

 しかも、その姿勢は前傾姿勢。   

 視覚の戻った焔色の美しい右の瞳は、“光結晶”の中のヒロインを完全に獲物として捉えていた。

 そんなアカにお兄様が告げる。

「アカ。すっかり元気になったようでなによりだ。ところで何をそんなにいきり立っている?ユーフィリナが持つ“聖なる光”のおかげで九死に一生を得た身ならば、ここはユーフィリナに感謝して終わりではないのか?それとも、デオテラ神聖国への帰り方がわからなくて困っているだけだと言うなら、早速お仲間のトゥレイス殿下に迎えを頼むとしよう」

『セイリオス!ウサギにあの娘の守護を頼んでおいて、よくもまぁぬけぬけと言えたものだな。それにオレはデオテラ神聖国のものではない。オレはユーフィリナの守護獣だ。ならば、ここにいるのが筋であり、聖なるものを呪った者を殺すのは当然のことだ。何故そうしなければならないのか、一々説明など必要あるまい?』

「要らないな。一度でも“魔の者”と縁を結んでしまった人間の魂は穢れる。そしてその縁が切れない限り、その人間の魂の末路は“魔物落ち”だ。しかも今回は、聖獣まで呪った。たとえその呪いは解けても、その罪が消えることはない。それは“魔の者”の(しもべ)であるという烙印を押されたのも同じだ。つまり“魔物落ち”は免れん。ならば、この人間の魂が、神の理から完全に外れてしまう前に殺してしまわなればならない。そうしなければ、この魂は救えない。たとえそれがこの魂の消滅を意味するとしても、“魔物落ち”するよりかはずっと救いがあるということか?」

『そういうことだ』

「それをユーフィリナが望んでいなくとも?」

『それが守護獣であるオレの役目だ』

 アカの返答に、シェアトは奥歯を噛みしめ、お兄様はやれやれと息を吐いた。

 そうか。お兄様はこうなることがわかっていたからこそ、“魔剣”を抜いた後は、自分たちの出番だとシェアトに告げたのね。

 アカともう一戦交えなければならないことを知っていたから…………

 しかし、それをこのまま黙認することはできない。

 私はお兄様の腕に支えられながら、「駄目よ!彼女こそがあなたの探していた“フィリア”なのよ!見えるようになったその右目でちゃんと見てみなさい!」と、アカに向かって叫ぼうとする。けれど、“魔剣”から漏れ出してくる呪いが身体全体にずっしりとのしかかってくるせいで、それすらもできない。

 だいたい今、私の中にあるという“聖なる光”にしても、意識を閉じているヒロインの中の“フィリア”と共鳴しているからこそだ。

 私が“魔剣”を抜くと同時に、アカとヒロインの呪いを消すことができたのも、もちろん“神の娘”である“フィリア”のおかげ以外の何ものでもない。

 その“フィリア”の魂を持つヒロインを殺すということは、“フィリア”の魂をも殺すことと同義。

 だからこそ私はアカに伝われ!と、目一杯睨みつけながら内心で叫ぶ。

 あなたは千年も待った“フィリア”の魂を消滅させてしまってもいいの⁉いいわけないでしょう⁉

 早く、私ではなく彼女こそが“フィリア”なのだと気づきなさい‼

 その回復した視覚と聴覚もフル稼働させて‼

 しかし、アカにはまったく届かなかった。それどころか…………

『ユーフィリナ、これからはまたオレがお前を守る。もう千年前のような愚は絶対に犯させない。だから安心しろ』

 と、非常に頼もしくはあるけれど、酷く見当違いなことを告げてくる。

 そもそも千年前に“フィリア”がどんな愚を犯したかなんて知る由もないけれど、私にとっても、アカにとっても、差し当たりの問題は今なのだ。

 もしここで“フィリア”の魂を消滅させてしまったら、もうどんな形であれ“フィリア”は生まれ変わることができなくなる。本当に守るべき相手をそれとも知らず、自ら手をかけ、今度こそ永遠に失ってしまうのだ。

 それこそ、完全なる愚行であり、私はアカにそんなことをさせたくないのに!…………と、頭を抱え込みたくなる。しかし、“魔剣”のせいでそれもできない。

 するとそこへ「セイリオス、鞘を取ってきたにゃ――――」とシャムが駆けてきた。もちろんパタパタと二足歩行で。

 それにいち早く反応したのは、お兄様ではなくアカだった。

『よしウサギ、さっさとそれをユーフィリナに渡して、ここから立ち去れ。オレに殺されたくなければな』

「にゃッ!」

 そのアカの言葉に、シャムは鞘を手にしたまま二メートル程手前で立ち止まった。しかしそこからアカに向かって叫び返す。

「こ、殺されたいわけないにゃ!でも、セイリオスの言葉は絶対にゃ!だからシャムはあの娘を守るにゃ!」

 聖獣相手に怖いだろうに、普段の垂れ耳をピンと立ててそう言い募るシャムに、私はお兄様とシャムの絆を見た気がして、なんだか無性に嬉しくなった。けれど、シェアトはまた違った感想をお持ちのようで…………

「シャムにすれば、聖獣殿よりもセイリオス殿の方が余程怖いということか…………」

 その呟きをしっかりと聞いていたらしいお兄様はシェアトを睨みつけてから、シャムへと声をかけた。

「いい子だシャム。まずはその鞘をこちらに…………」

 しかし、お兄様の声は途中で途切れた。何故ならシャムの手に握られていた鞘が、まるで命を宿したかのように宙へと飛び出していったからだ。

「にゃッ!鞘が急に無くなったにゃ!」

 そんなシャムの声が耳へと届く前に、お兄様はその鞘に向かって魔法を発動させていた。

「光魔法!光矢!」

 流星の如く一斉に放たれた数え切れぬほどの光の矢。しかしそれらの矢はひょいひょいと宙を踊る鞘自身にすべて躱され、まやかしの炎の壁の向こうへと消えていく。それを確認するや否や、お兄様は舌打ちとともに新たな魔法を発動させた。

「風、光、融合魔法!光旋風!」

 突如顕現した光の渦を巻く暴風。その風は今度こそ確実に鞘を呑み込み、さらにはその鞘を持つ()()()()までも捉えた。そしてその()()を絡めとったまま、光の渦は高くとぐろを巻いた状態で硬化した。

「セイリオス殿、あれは⁉」

 まやかしの炎で作られた鳥籠の中にそびえ立つ、高さ五メートル以上はある光の螺旋。その丁度真ん中付近で、螺旋の渦に捉われている()()()()()()()()()()()()

 実体化しているようでもあり、ただの影のようでもある得体の知れぬモノ。

 それに向かってアカは低い唸り声を上げ、シャムはその場で石化したように固まった。

 もちろん私には、それが何なのかわからない。けれど、誰よりも安心できるお兄様の右腕の中にいるにもかかわらず、全身の毛が逆立ち、身体がどうしようもなくカタカタと震え始める。

 恐怖、畏怖、不安、嫌悪、厭忌、憎悪………………………

 ありとあらゆる負の感情に、心の深淵でいつかも垣間見た絶望がちらつく。

 そしてふと思う。私はこの感情を確かに知っている―――――――――と。

 でも思い出せない。思い出してはいけない気がする。

 私の意識が、感情が、グラグラと揺れ始めた瞬間、私を閉じ込めるお兄様の右腕に一層力が込められた。

 その力強さに、温もりに、私の中でちらついていた絶望の影が消える。

 まだここに希望はあるのだと………………

 そしてそれを見計らったかのように、お兄様が告げた。

 

「あれは“魔の者”だ――――――――」


 そう――――――そこには、ヒロインに“魔剣”を渡し、アカを呪った“魔の者”がいた。

 

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