ヒロインは私が絶対に守ります(7)
時間切れ――――――?
今あんなにも笑っていたのに時間切れ?
オレの負けだって…………
だから、もう諦めることを諦めるって言ったのに?
時間切れって何?
そんなわけ…………
「ユーフィリナ!アカから離れるのだ!」
お兄様の声が耳に届いた瞬間、私の身体はお兄様の手によって強引に引っ張られていた。そしてそのまま後方へと押しやられてしまう。“光結晶”の中にいるヒロインよりももっと後ろだ。
「いいか、ユーフィリナ!最期の最後にアカの自我が戻ったこと自体奇跡なのだ!もちろん、私はお前に諦めることを諦めたと告げた以上、諦める気は毛頭ない!このままアカを朽ち果てさせる気などない!だが、覚悟だけはしておくのだ!最後の一瞬まで全力を尽くした後に訪れる結末が、たとえどんなに望まざるものになろうとも、それを受け入れる覚悟だけはしておきなさい!」
「お兄様ッ!」
『ウオォォォォォォォォォ―――――ッ‼」
しかし私の悲鳴のような声は、アカの慟哭のような咆哮に掻き消されてしまう。
咄嗟に前を見やれば、呼吸困難でもがき苦しむように右へ左へと身体を捩るアカは、すでに全身を黒く染めていた。それは今まさに燃え尽きようとするろうそくの芯のようで………………
「アカ!嘘よ、アカッ!アカッ‼」
『ユ……ユーフィ……リナ……大丈夫。まだオレは……オレのままだ………まぁ、最期にはどうなるか……わからんがな』
アカとしての自我はまだあった。けれど、それが余計に痛々しく思えてしまう。
今はその事が辛いだなんて、なんて自分勝手なのだろうと自分に嫌気が差す。
お兄様は今にもアカへと駆け出して行きそうな私を腕に閉じ込めながら、シェアトへと振り向いた。
「シェアト殿、光魔法はどれほど使える?」
「人並みです!」
「それで十分だ!私もその程度だからな。では、光魔法でほんの少し干渉することにしよう。光の神が我々に与えし魔法が、どれほど“魔の者”が施した呪い――――闇魔法に対抗できるのかわからないが、何事もやらない内からできないと言うのは私の沽券にもかかわることだ。シェアト殿、癒しではなく攻撃魔法だ!光魔法で闇魔法を攻撃する!」
「わかりました!」
シェアトの返事を受け、お兄様は再び私へと視線を戻し告げてくる。
「ユーフィリナはここにいなさい。本当は“光結晶”の中にいてもらいたいところだが、お前も一緒に戦うのだろう?ならば、ここでしっかり見ていなさい。ユフィ、前にも話したと思うが、魔力だけがすべてではない。お前にも能力はある。お前が今、何をどれだけ感じているのかはわからないが、きっとアカを救えるだけの能力がお前の中にあるはずだ。まずは自分を信じなさい」
「アカを救えるだけの……能力…………」
そうお兄様の言葉をただ反復しただけの私に、お兄様はふわりと笑って背を向けた。そして、私をそこに残したまま前線へと戻ると、即座に光魔法を発動する。
「光魔法!あまねく光で影を滅せ!光波‼」
「光魔法!聖なる光で邪を照らせ!光耀‼」
お兄様に続き、シェアトからも発動された光魔法。それは煤のように黒くなったアカの身体を覆いつくす。しかし、アカの身体から湯気のようの湧き上がった黒い靄が、その光魔法を忽ち無効化してしまう。しかも、アカの苦しみようは尋常ではない。おそらくアカに宿る聖なる光もまた、このようにして闇に呑まれているのだろう。
「なるほど…………この程度の光魔法では、あっさり闇に呑まれてしまうことはわかった。ならば、もう少し威力を上げたいところなのだが…………アカ、まだ堪えられそうか?」
『アカ……と……ここで呼んで……いいのは……ユフィ…………だけ…………だ』
「そこまでの減らず口が叩けるならまだ大丈夫だな。ちなみにユフィと呼んでいいのは私だけだ。シェアト殿!」
「威力二倍でいきます!」
「だそうだ。行くぞ、アカ」
『…………お好き………に……どうぞ……』
その言葉を聞くと同時に再び発動された光魔法。先程の二倍と言うだけあって、その光の鋭さも二倍増しになっている。
けれど、その分アカの苦痛もまた二倍、三倍と膨れ上がり、アカは哮狂いながら、地へと横倒しになった。それでもお兄様とシェアトは光魔法を放ち続ける。しかし――――――――――
『二人……とも、逃げろ…………』
アカからの忠告に、お兄様がハッと足元へ視線を落とした。その気配にシェアトもまた自分の足元へ視線をやり、二人はほぼ同時に、アカへと発していた光魔法を自分の足元に放ち、そのまま後ろへと飛び退った。
「まったく油断も隙もない。まさかアカの身体から黒き蛇のように地を這い、我々まで呪おうとするとは」
「しかし、僅かですが光魔法の効力はあったようです」
そのシェアトの言葉通り、ほんの僅かではあるけれど、地に横たわるアカの身体の一部が元の色に戻っていた。それは背中の十センチ平方メートルにも満たない小さすぎる一画。あれほどの苦しみに堪えて、狭小すぎる一画だ。
それでも、この呪いを払えないわけでないと私はその希望に縋りつく。けれど、お兄様は事実だけを口にした。
「あぁ、確かに効力はある。だが、これではアカが持たない」
それは紛れもない事実だった。アカは横倒しになってからも、何度も短い咆哮を繰り返しながら、狂ったようにもがき続けている。
私が諦めるなと言ったから…………
必死に堪えて、今も呪いに抵抗してくれているのね。
なのに、私はこんなところで何をしているの?
助けるって言ったのは私なのに…………
諦めるなって言ったのは私なのに…………
こんなにも苦しませるくらいなら、いっそのこと――――――と、まるでそれこそが唯一の救いだとでもいうように、そんな考えが頭を擡げてくる。悪魔の甘い囁きのような考えが………………
しかし、それが唯一の救いであるはずはないと押さえ込み、私はどんなアカからも決して目を逸らさないと決めた。そして、ただひたすら考える。
私にはアカを救うだけの魔力はない。けれど、お兄様は私にもアカを救うだけの能力があると言った。
そして私はお兄様を信じている。そのお兄様がそう言うからには、私にはその力が絶対にあるはずなのだ。
だったら、考えるしかない。
今の私にできることをもう一度、最初から――――――――
そう、あの時…………ここに駆けつけたあの時、ヒロインだけではなく、どうすれば“紅き獣”も救うことができるのかと、私は考えた。そして出した答えは、真実を見定めなくては誰も救えない――――――という単純なものだった。
だからこそ、私自身が聖獣の傍に行かなければならないと思った。シェアトの反対を押し切ってまで。
そして今、私が知る真実は―――――――
アカはヒロインが持っていた“魔剣”に左目を刺され呪われた。
ヒロインもまたその呪いに侵され始めている。
お兄様の推察によると、この件には“魔の者”が暗躍しており、アカもヒロインも“魔の者”の仕掛けた罠に嵌ってしまったらしい。
そのため、聖なるものを呪ってしまったヒロインは“魔物落ち”してしまう恐れがあり、アカもこのままでは確実に…………
冷静に、冷静に、と呪文のように唱えながら、知り得た真実だけを数珠つなぎにしていく。けれど、ふと疑問が湧いた。
アカはかつて“神の娘”である“フィリア”の守護獣だったとお兄様は言っていた。
そんなアカが、“魔の者”の気配を感じ取れないということがあるのだろうか―――――と。
確かに今回はアカの前に直接“魔の者”が現れたわけではない。しかし、左目が刺されるまで、ヒロインが持っていた“魔剣”の存在に気づかないなど絶対にあり得ない。
お兄様は、千年もの間ずっと引き籠っていたために勘が鈍ったような話をしていたけれど、それでもアカは聖獣だ。
それも“神の娘”の守護獣。つまり、“魔”の気配に誰よりも敏感であって然るべき存在なのだ。
その証拠に、視覚と嗅覚を奪われた中でも、アカは“フィリア”の魂を感じ取っていた。
そんなアカが、視覚も嗅覚も奪われていない状態で“魔”の存在に気づかないわけがない。あまつさえ、“魔剣”でヒロインに簡単に刺されてしまうなんてことが起こり得るはずもない。
だとするならば、考えられる答えは一つ。
あの時、“魔剣”は完全に封じられていたということだ。
聖獣であるアカが気づかぬほど完璧に………………
そしてもし、“魔剣”を一時的にでも完全に封じることができる、そんなモノがあるのだとしたら、それは――――――――――
「――――――“鞘”だわ!」
そうだ。それならばすべて辻褄が合う。
今にして思えば、はじめヒロインの脈を確かめた時、鞘を持つヒロインの左手は黒く変色していなかった。けれど先程、“光結晶”の中のヒロインを見た時、その左手は黒く変色し始めていた。
しかしこのタイムラグは、一見問題がないように見えて、実はおかしい。
今のように鞘を持っているだけで呪われ、肌が黒く変色してしまうのであれば、ヒロインは“魔剣”を手にした直後に、そうなっていなければならない。
百歩譲って、この時点ではまだアカを呪っていなかったからだとしても、“魔剣”を突き刺した直後に、やはり黒く変色していなければおかしい。しかし、そうはなっていなかった。
それは、鞘によって封じられた“魔剣”を持っていたからに外ならず、そしてアカを刺した後もこの鞘にずっと守られていたのだとしたら…………
「けれど……どうして今頃になって彼女は呪われ始めたのかしら?」
そんな私の自問をちゃっかりと聞いていたお兄様が、これまでの私の思考さえも聞いていたかのように答えてくれる。
「聖なるものを呪った人間は、その理由がどうであれ呪われる。だが、そのご令嬢の手に握られている鞘は“魔封じの鞘”だ。そのためアカを呪った直後も、暫くの間はその鞘に守られていた。しかし、鞘の中にあった“魔剣”の呪いの残滓が、ユーフィリナの発動した“光結晶”に反応し、その中にいたご令嬢をゆっくりと呪い始めたのだろう。まぁ、聖なる聖獣を呪ってしまった以上、遅かれ早かれこうなる運命だったのだが…………」
「なるほど。聖獣殿の呪いが一気に加速した時と同じですね。聖なるものに呪いが反応した………」
「そういうことだ」
どうやらお兄様とシェアトはすっかり納得してしまったようだけれど、私はわかったようでわからないそんな感じだ。
確かに、改めてそう言われてみれば、アカが自我を失った時に、シェアトはそのようなことを零していたような気がするけれど、正直あの時は気が動転しすぎていて深く考える余裕はなかった。
でも、どう思い出してみたところであの直前、アカにくっ付いてモフモフしていたのは私なわけで、そうなると私が必然的に聖なるものになってしまうのだけれど………………
そうよ!
私はあの時、妙な既視感を感じていたんだったわ!ヒロインの中の“フィリア”の魂と共鳴しているのかもしれない…………なんてことを。
アカの呪いもまた“フィリア”の聖なる光に引っ張られて一気に拡散したのだとしたら、どう考えてみても、いえ、わざわざ考えてみなくとも、全部私のせいじゃない!
助けようとしたことが、すべて裏目に出てしまっているなんて、こんなことってある?
もしかしたら私って、疫病神なのではないかしら…………
そのことに後頭部を鈍器で殴られるくらいのショックを覚えたけれど、今は落ち込んでいる場合ではない。
ほら、しっかりしなさい!と、自分に言い聞かせて、私はまた必死に思考を巡らせる。
しかし、ここである矛盾に気がついた。
やっぱり変だわ…………
お兄様とシェアトの光魔法によって、たとえ狭小であろうとアカの一部は元の色に戻ったのよね。それなのに、光魔法の“光結晶”に反応してヒロインを呪い始めるなんて、これって矛盾していないかしら。
う~ん…………と、眉を寄せて考え始めた瞬間、再びお兄様がアカに向かって先程より若干威力を落とした光魔法を発動しながら、私の思考に割って入ってきた。
「“光結晶”は光魔法の守護魔法で、アカに発動しているものは攻撃魔法だ。つまり、光が守りに入れば闇は忽ち浸食を始めるが、光が攻撃に移れば、闇は光の前に消える。それが光と闇の相互関係だ。そのため普段のアカであるならば、闇から浸食される前に、光魔法によって排除できたはずなのだ。しかし今回はこの“魔剣”を直接左目に突き立てられることで、光魔法を発動する前に呪われてしまった。さらにはアカの“聖なる光”までもがこの“魔剣”に封じられている状態だ」
なるほど…………さすがですお兄様。私が問いかけなくとも、余すことなく私の疑問にすべて答えてしまうなんて、阿吽の呼吸以上の察しの良さです。
しかしそうなると、アカの“聖なる光”を封じているというあの“魔剣”を抜けば、アカの“聖なる光”は復活して、呪いを排除できるのではないかしら?
とまで考えて……………アカから、どれだけ好奇心の血が騒ごうとも触るな!と、厳命されていたことを思い出す。
でもすぐに、いやいやこれは、決して好奇心とかではないですから!と内心で反論し、私は決めた。
どれほど光魔法で攻撃し、アカの中の呪いを少しずつ消し去ったとしても、アカの“聖なる光”を封じ、尚且つ呪い続けているあの“魔剣”を抜かなければ、アカの中の呪いは永遠に消えることはない。
いや、その前にアカが朽ち果ててしまうだろう。
だったら、アカから“魔剣”を抜き、ヒロインが持つ鞘でその力を封じてやれば、アカ自身の“聖なる光”で、身体を侵食し続けている呪いを払拭できるかもしれない。
もちろん、これはあくまでも希望的観測であって、アカ自身が告げてきた『時間切れ』という言葉からも、もう手遅れである可能性のほうが高い。
けれど、ゼロでもマイナスでもないならば、諦めるのは早計だ。
それに、諦めないと誓った私がここで一人指をくわえて見ていることなんてやっぱりできない。
そうでしょ?と、心に問いかけてみれば、その通りよ――――――という答えが返ってくる。
正直なところ、この心の声がヒロインの中の“フィリア”のものなのか、それとも幼き頃から感じていたあの声なのか、今の私にはわからなくなっている。
何故なら、ずっと感じていたあの声は、私からも、この世界からも、どこか一線を引くようにいつも感情を削ぎ落としていた。しかし、今の声には温度がある。
言い換えるならば、絶望しかなかった声に、今は僅かながら希望の光が灯っている――――――と、いったところだろうか。
でも…………うん、そうよね。
同じ持つなら絶望より希望の方がいいわよね。
それに今の声の方が温かみと親近感があって断然いいわ――――――などと口許だけで小さく微笑んで、私はアカを見据えながらこれからの目算と段取りを立てた。
現在、お兄様とシェアトはアカに対し、手を出しあぐねているといった状態だ。
地に転がり、足で宙を搔きながら狂乱の様を見せるアカに、これ以上の光魔法による攻撃はアカを苦しめるだけだと判断したからだろう。
そしてなにより、アカがもうこれ以上は持たないとも………………
私はアカの左目に刺さる“魔剣”に狙いを定めた。
ただそのためには、私の前方を陣取るお兄様とシェアトの間を掻い潜って行く必要があるのだけれど、そんなことをすれば確実にお兄様の手か、もしくはシェアトの手に捕まってしまう。どれだけ全力で最速に駆けようも、どれだけ小さくこそこそと駆けようとも間違いなく捕まる。
もちろんこういう時にこそ、免許皆伝の隠密スキルが物を言うのだけれど、どういうわけかお兄様にだけはこのスキルは通用しない。
ならばここは、堂々と正面突破することにいたしましょう。
私はそう決めると、“光結晶”の横を通り過ぎながら、その中のヒロインの様子を確認した。
先程よりも、黒く変色した範囲がぐんと広がり、今や身体の四分の一ほどが黒に染まっている。
その状態に胸を痛めながら、必ず助けるからね――――と、内心で声をかけ、私はお兄様とシェアトの間に立った。
「ユーフィリナ嬢!ここに来ては危険だ!」
すぐさま声をかけてきたシェアトに「申し訳ございません。シェアト様」と、アカから目を逸らすことなく言葉だけの謝罪をし、私はさらに続ける。
「お兄様、私は後ろからずっとずっとアカを見ておりました。そして自分に何ができるのかを考えておりました」
「ほう、それでユーフィリナはどんな答えを見つけ出したのだ?」
これほど緊迫した状況にもかかわらず、お兄様の声にはどこか愉悦が滲んでいる。そのことに、あぁ……お兄様はすべてを察しているのだな、と感じながら私は口を開いた。
「私が“魔剣”を抜きます」
「ユーフィリナ嬢‼」
シェアトにしてみれば、突然投下された爆弾発言。その衝撃をはね返すようにシェアトはすぐさま口を開きかけるけれど、お兄様が右手を挙げることでその口を塞ぐ。そして「一先ずユーフィリナの話を聞こう」と、私に先を促した。
私はアカからお兄様へと視線を移し、率直に告げる。
「言わずもがな、あの“魔剣”こそが呪いの元凶です。その元凶を取り除かない限り、どれほど強力な光魔法で攻撃したところで、“魔剣”はすぐにアカの身体を呪いで浸食してしまいます。現に、一度は元の色に戻った背中の一画もすでに呪いで黒くなっています。つまり、あの“魔剣”を抜かなければ、どんな光魔法の攻撃も意味がないのです」
「あぁ、そのようだな。それで、何故ユーフィリナがあの“魔剣”を抜くことになる?」
そう、ここが肝なのだ。
お兄様にも、“魔剣”を抜かなければならないことはわかっていたはずだ。けれど、敢えてそれを口には出さず、光魔法での攻撃だけをして見せた。
そう――――――私に、して見せたのだ。
光と闇の相互関係を、実際見せるために――――――そして私自身に決断をさせるために――――――
『お前も一緒に戦うのだろう?ならば、ここでしっかり見ていなさい。ユフィ、前にも話したと思うが魔力だけがすべてではない。お前にも能力はある。お前が今、何をどれだけ感じているのかはわからないが、きっとアカを救えるだけの能力がお前の中にあるはずだ。まずは自分を信じなさい』
お兄様は、私にそう告げた。それは気休めでもなく、慰めでもなく、真実だけを告げていたのだとしたら――――――――
「あの“魔剣”は私しか抜けないからです!」
私の口は、頭で考えるよりも先にそう断言していた。
すぐ隣でシェアトの目が大きく見開かれているのがひしひしと伝わってくるけれど、今は何も感じないフリでやり過ごす。
自分でも、なんて大胆な発言をしているのだろうと思わないわけではない。しかし即座に、えぇ、ユフィなら抜けるわ――――と、後押しをしてくれる心の声を信じようと思う。
そしてそう思った瞬間、私は理路整然と説明することを止めた。
つまり、頭で考えることを放棄し、心が告げてくるままにその想いを声に乗せていく。
「光は闇の前に消えるわけにはいきません。闇が光を浸食するというのであれば、光はさらなる輝きでその闇を包み込めばいいだけの話です。だから私が、アカにとっての光になります。そして今の私ならそれができると…………私の心が、大丈夫だとそう告げているのです」
もはや根拠も何もなかった。理屈ですらない。どう贔屓目に聞いていも、抽象すぎる感情論。
しかしこの時の私には確信があった。というより、これは予感かもしれない。
私なら、間違いなくアカとヒロインを救えると――――――――
それは、ここに来た時からずっと漠然と感じていたことだ。
但し残念なことに、それを裏付けるものを持ち合わせていないため、どうしても説得力にかけてしまうのだけれど…………
そこで、もうこれ以上言葉での説得が無理だと思った私は、ただ一心にお兄様を見つめた。
お兄様のアメジストの瞳は、今やアカの命の灯火をも具現化しているように見える、まやかしの炎の壁に染められ、煌々とした赤紫に変じている。しかし、その瞳もまたとても美しく思えた。そしてやはりその瞳に映るものは私だけで、お兄様が私を見つめているのがわかる。
いつだってそうだった。
お兄様は私だけを見つめ、時に諭し、時に導き、試すのだ。
今回もそうだ。
おそらくお兄様にも、迷いがあったのだろう。だから口では、『諦めなさい』『いい子でいなさい』と告げながら、私を自由にした。私が屋敷を抜け出すことを百も承知で。
そして今度は、私に覚悟と決断を促した。
お兄様にはすでにアカを救う方法が見えていたに違いない。それができるのは私だけだということも。
そう―――――この私は、アカが放った炎の塊で死ぬことはあっても、呪いでは死なないという確信が、お兄様にはあるのだ。
どうしてお兄様に、そんなことがわかるのかなんてわからない。
そもそも自分の根拠のない自信の出処もわからないのに、お兄様の考えがわかるはずもない。
けれど、これだけはわかる。
覚悟とは、決して諦めることではなく、どんな結果になろうとも勇気を振り絞って挑むこと。
心に少しでも迷いがあれば、心が少しでも怖気づいてしまえば、私の心もまた闇に侵される。
だからこそお兄様は、残酷な未来を受け入れる覚悟を促し、さらにはすべてを見せた上で、私自身に決断させたのだ。
誰かにそう言われたからするのではなく、自分の意志で決めて行動することにすべて意味があるのだと。
ねぇ、そうでしょう?お兄様――――――――と、微笑んでみせれば、お兄様もまたふわりと微笑む。
そしてやはりどこまでも質の悪いお兄様は、いつもの如くしゃあしゃあと宣った。
「私は可愛い妹からの我儘ならば、たとえどんな我儘だろうが、すべて縦に首を振ってしまうような兄馬鹿ならぬ馬鹿兄だ。ならば、聞き入れよう。その望みを」
「お兄様!」
「セイリオス殿!さすがにそれはッ………」
私の声を遮るようにして、すかさずシェアトがお兄様の言葉に異議を唱えようとするけれど、お兄様の視線がそれを制した。しかし、すぐにそこへ言葉を連ねる。
「シェアト殿も気づいているはずだ。神の理から外れたモノは、たとえ神でも修正はできない。しかし、それを可能にできる者がいるとするならば、ただ一つの存在しかないと」
「わかっています!しかしそれは可能性であって、絶対ではありません!」
「そうだな。だが、可能性が少しでもあるのならば、ゼロでもマイナスでもないならば、それにかけるべきだと思うが、どうだろう?」
「それでもし、ユーフィリナ嬢を失うことになったらどうするのです!」
噛みつくようなシェアトの問いかけに、お兄様は一切の迷いもなく告げた。
「その時は私も死ぬだけだ」
その言葉に、その声に、ひやりとしたものが背筋を駆け抜けていく。
けれどお兄様は、その場で凍り付く私とシェアトをなおざりに、どこか遠くを見るような目で言い重ねた。
「だが、そうはならない。ユーフィリナの心が大丈夫だと告げているならば、絶対にそうはならない。私はユーフィリナの心を信じている」
そしてお兄様は、もう一度私に向かってとても愛しげに微笑んだ。
もちろんお兄様の瞳に映っているのは私だ。
微笑みを向けられているのはこの私で間違いない。
なのに――――――――
今はそんな時ではないのに―――――――
そのお兄様の微笑みは、私ではない誰かに向いているような気がして、私は酷く悲しくなった。




