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ヒロインは私が絶対に守ります(5)

 眼前には、嘆きと怒りの炎を立ちのぼらせる聖獣。

 周囲はまやかしの炎でできた壁。

 しかし、触れれば本物の炎となり、触れた者を確実に焼き殺すという。

 そんな逃げ道もなければ、当然入り口もない、むしろ危険だけがそこにある鳥籠の中へ、突如として現れたのはフロックコート姿のお兄様。

 もちろんそのフロックコートも、チャコールグレーの生地に銀の刺繍が細かくあしらわれたとてもおしゃれな一品で、私の制服姿とは何もかもが段違い違う。


 これは私の願望が生んだ幻?


 そう思ってしまうのは、ある意味当然のことで―――――――

「ユフィ。私はお前が呆け顔で思っているような幻ではない。それよりも、屋敷にいるはずのお前がこんなところに制服姿でいることに、私の方が目を疑ってしまいそうだよ」

 なんてことを、お兄様はやはり涼し気にしか見えない横顔で告げて、“氷手”で受け止めていた炎の塊を、ジュッという音ともに消し去ってしまった。

「セイリオス殿!」

 お兄様の突然の登場に、シェアトも驚きを隠せないらしい。とはいえ、聖獣からの攻撃に文字通り手が離せないシェアトは「まさか転移魔法までとは………」と、ぼやくように呟きながら前を向き、“水盾”と“氷矢”を新たに発動させつつ「セイリオス殿、そこでユーフィリナ嬢を頼みます!」と叫んできた。

「これはこれは頼もしい。聖獣はシェアト殿に全面的にお任せするとしよう」

 まったくその気もないくせに、お兄様が感心したように嘯く。

 そんなお兄様の背中に向かって、私は先ず目先にある疑問からぶつけてみることにした。

「お兄様、本当に転移魔法でこちらへ?」

「あぁ、そうだ。お前の“光結晶”には、私の転移魔法陣を組み込ませてあるからな。お前がそれを発動させれば、私はたとえどこにいようとも、すぐお前の元に転移できるようになっている」

「……なっ……え?…あ、あの“光結晶”にどうやって?だって、転移魔法は…………」

 以前、お父様がやらかした前科一般。

 領地にいる私の身に何かが起こったことを察知したお父様が、王城の転移魔法陣を定期点検だと称し、王家並びに全公爵家を巻き込み強引に使用したあの一件。

 あの一件からもわかるように、転移魔法陣はおいそれと使えるものではない。あの王城にある転移魔法陣にしても、歴代呪術師の中で最強だと謳われるほどの王家お抱えの呪術師が構築したものであり、一般の魔法使いでは転移魔法陣を敷くことすらできない。

 なんせ、失敗すれば五体満足に転移できず、確実に命を落とすことになる危険極まりない魔法だからだ。

 そんなものに、誰も率先して手を出そうとはしないだろう。

 実際、王城にある転移魔法陣にしても、多くの犠牲があったとお父様たちからも聞いている。

 そんな転移魔法陣を私の“光結晶”に組み込んでいたと言われても、「なるほど。そうだったのですね」とは、さすがにならない。

 いやいやその前に、組み込むとはどういうことなのかさえわからない。

 何故、私の発動した魔法にお兄様の転移魔法陣が組み込まれることになったのか、その原理というか方法というか、もうさっぱりだ。

 しかし、お兄様にとっては疑問でも不思議でもないらしく、さも当然とでもいうように返してくる。

「毎日のおまじないだ」

「………………はい?」

「以前、話しただろう。私の心の安寧のためにも、おまじないは絶対に無くせないと。つまり、私はおまじないと称してお前自身にせっせと転移魔法陣を書き込んでいたのだ。そうすることによって、お前が危機的状況に陥り、唯一使える“光結晶”を発動した際に、私の転移魔法陣も同時に発動するようになっていた。そして、おまじないを毎日行わなければならなかったのは、一日しかその転移魔法陣の書き込みが持たず薄れてしまうため、毎日上書きをしていたということだ」

「あのおまじないが…………転移魔法陣の書き込み…………というか、上書き?」

「そうだ。だというのに、お前はなかなか危機的状況になっても“光結晶”を使おうとはしないし、今回ようやく使ったかと思えば、自分は“光結晶”の外にいるし、私は褒めるべきか、嘆くべきが本当に悩んでいる」

「そ、それは……大変申し訳ないことをいたしました」

 いや、だって……まさかあのおまじないがそのようなものだったとは全然知らなかったわけで………で、でも……………

 お兄様は私が物心ついた時からずっとこのおまじないをしてくれていた。つまり、その頃からすでに転移魔法陣を構築できていたということで……………

 ううん、そうじゃない。そういうことではないわ。もちろんそれも凄すぎる話だけれど、私が思うところはそこではないはずよ。

 私がお兄様に思うことは、そんな幼い頃からずっとずっと私を守り続けてくれていたということ。

 なのに私は、お兄様に心配させてばかりいる。そして今も………………

 私は自分の身勝手さに、思わず唇を噛みしめた。そんな私に殊更優しい声が降ってくる。

「構わない。たとえ“光結晶”の外にいようとも、それはお前の優しさがさせたことだ。そして私は間に合った。だから今は、それだけで満足しよう」 

 もちろんお兄様の口調に怒りの響きはない。どちらかというと呆れの響きが若干あるくらいだ。

 しかしそれ以上に安堵の響きを感じ取って、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 けれど、今回はどんなに言い訳を重ねたところで、完全なる確信犯だ。お兄様を心配させることははじめからわかっていた。だからこそ私は謝罪の言葉ではなく、敢えてお願いを口にした。

「お兄様、今回のことはどう考えても私が悪いです。だからあとで、お説教でも罰でも何でもお受けいたします。けれど、私はこのご令嬢も、聖獣も助けたいのです。どんな絶対的な未来であろうとも、最後まで諦めたくはないのです。ですから、今はどうかお兄様のお力をお貸しください!」

 そして、お兄様を見つめた。とはいっても、今の私はお兄様の背に庇われている状況なので、お兄様の顔を真正面から見つめることはできない。できるのは、紅き炎に照らされているその横顔を見つめるくらいだ。

 お兄様は視線だけで、私が発動した“光結晶”の中にいるご令嬢と、今も尚シェアトに容赦ない炎を攻撃を浴びせ続けている聖獣を見やって、一つ息を吐いた。しかしそれは、やれやれといったため息ではなく、仕方がない奴だなと謂わんばかりの苦笑に近いものだった。

「そうだな。そろそろユーフィリナには私の気持ちをわかってもらう頃だな。この件が片付いたら、じっくりと理解してもらうことにしよう」

「お、お兄様?」

「うん、これは実に愉しみだ」

「えっ?その…………えっ?」

 あ、あの……なんだかとっても不穏なものを感じるのですけれど、気のせいでしょうか?

 しかし、私の動揺をよそに、お兄様は満足げにその話を引き上げてしまうと、突如私の腕を掴みお兄様へと引き寄せた。そして――――――――

「水、風、融合魔法‼あらゆる脅威から遮断せよ!吹雪障壁‼」

 すかさず、前線に立つシェアトとの間に荒れ狂う吹雪の壁を作ると、さらに私を腕の中に囲い込み、そのままギュッと抱きしめた。

「お、お兄様…………⁉」

「すまない。少しこのままで…………」

 

 トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…トクン…トクン………………

 

 早鐘のように打ち始める心臓。もはや私の身体全体が心臓となってしまったかのようだ。きっとお兄様にもこの心臓の音は届いてしまっていると思う。そう思っただけで、私の顔に一気に熱が集まってくるけれど、“吹雪障壁”から届く冷気さえ、今は私の顔の火照りを癒してくれそうにない。

 刹那にも永遠にも感じられた時間。

 どこか現実の時間軸からすっぽりと抜け落ちてしまったかような時間。

 私は高鳴り続ける心臓の音を全身で感じながらも、どこかで安らぎを感じていた。そしてそれはお兄様も同じだったようで…………

「ようやくユフィが無事だと……ここにいると実感できた。ありがとう、ユフィ。あぁ…私もまだまだ弱いな」

 そんなことを私の耳元で囁いてから、ゆっくりと私から身体を離す。そしていつものように私の額に、自分の額をくっ付けた。

「おまじないだ。“光結晶”を使ったからお前の魔力は枯渇しているはずだ。だから転移魔法陣と一緒に私の魔力を少し分けておこう」

「お兄様…………」

「大丈夫だ。心配ない。すべてはきっとお前の望む通りになるはずだ」

「えっ…………?」

「ユフィ。心を強く持ちなさい。諦めないと決めたなら、最後までそれを貫くんだ。たとえ、どんな残酷な未来であったとしても」

「お……兄様……」

「一度は諦めたほうがいいと思った。そうすれば、お前の事だけは守れると。だが、やはりお前はここに来た。ならば、私も諦めることを諦めよう」

 そう告げると、お兄様は私からそっと離れた。

 私の額に残ったお兄様の温もり。

 そして私の心を満たすお兄様の魔力と言葉。

「お兄様!」

 私の呼びかけにお兄様はふわりと笑う。

「行ってくるよ、ユフィ」

 お兄様は軽く手を払うことで“吹雪障壁”を消し去ると、そのまま前線に立った。



「それにしても、“魔剣”で呪われてしまっている上に、すっかり自我を失ってしまっているようだが、これは随分と厄介なことになっているみたいだな。ところでシェアト殿、これまた随分とズタボロになってはいるが、まだ生きているようでなによりだ」

「それはどうも。ところで、ユーフィリナ嬢をお任せした者として少々聞くのも憚れますが、“吹雪障壁”に隠れて何をされていたのしょう?」

「もちろんお教えするのは構わないが、ユーフィリナが恥ずかしがるかもしれないのでね。ここは内緒としておこうか」

「ほぉ…………つまりユーフィリナ嬢が困るようなことをされていたわけですね」

「では、言い方を変えよう。シェアト殿がショックのあまり戦線離脱をしてしまいかねないことだ」

「それはお気遣いいただきましてありがとうございます。でも、私は揺らぎませんよ。どんなことがあろうとも」

「そうか。ならば、私も遠慮なく立ち向かわせてもらおう。これは久々に全力でやれそうだ」

「……お手柔らかにお願いします」

 お兄様とシェアトはそんな軽口(?)を叩き合いながら、聖獣からの攻撃をあらゆる属性の魔法で跳ね返していた。

 しかし、現在呪いで完全に視覚と嗅覚を奪われている聖獣からの攻撃は、無規則で無差別。

 そのため、雨あられのようにもたらされる炎の攻撃は、お兄様とシェアトに少なからずダメージを与えており、服は焼け焦げ、そこから覗く素肌は血の色に濡れている。

 対する聖獣は、全身に炎を纏わせながら完全に怒り狂っており、お兄様とシェアトの会話も聞こえてはいないようだ。そして立ちのぼる炎の中に見える身体は益々黒く変色し、まるで燃え尽きる前の蠟燭の芯のようだった。

「これはまずいな。防戦一方でまったく光明が見えない。それに、このままでは聖獣の身体の方が先に潰えてしまう」

「はい。どうにかしてこの攻撃を止めさせないと…………」

「ならば、攻撃するしかあるまい。そうすれば自我を取り戻す可能性もある」

「所謂、ショック療法ですね」

「そういうことだ」

 そう話が決まるや否や、シェアトは素早くお兄様の前に立った。そして聖獣に向かって両手を伸ばし、守護魔法を発動する。

「水、風、地、融合魔法!我が眼前に絶対的守りを!凍土壁(とうどへき)!」

 シェアトの詠唱に応じて、分厚い氷の壁が地を割って立ち上がった。高さ三メートル程となった氷の壁に、聖獣からの炎の攻撃がいくつも刺さるが、ジュッと音を立てて消えていく。

 その氷の壁の守護を受けて。今度はお兄様が攻撃魔法を発動する。

「水、風、融合魔法!吹雪を纏え!風龍‼」

 忽ちお兄様の手より生れ出た白き龍は、聖獣の身体に巻き付き、そして聖獣が放つ炎をもその吹雪を宿す身体に閉じ込めてしまう。けれど――――――――

 

『ウオォォォォォォォォォォ――――ッ‼』


 再び空へ向かって咆哮する聖獣。と同時に、“風龍”によって閉じ込められた炎が、再び轟々と燃え盛り始める。そしてそのまま“風龍”は聖獣の炎の餌食となり、火力を増した炎の塊がシェアトの“凍土壁”を完全に融解させた。

 その防御の隙を突くかのように、聖獣の全身から炎の槍が一斉に放たれる。

 もちろん聖獣は目が見えていない。おそらく自分が攻撃していることにも気づいていないのかもしれない。

 しかし、すべてのものを拒絶するかのように、聖獣は紅き炎の槍を放ち続けた。

「吹雪障壁‼」

「水盾‼」

 お兄様とシェアトがすぐさま守護魔法を展開するけれど、炎の槍はそれすらも躱して二人を襲う。

「お兄様ッ‼シェアト様ッ‼」

 さらに一層濃く立ち込める肌の焦げる匂いと血の匂い。

 一向に止まない聖獣からの攻撃に、お兄様とシェアトは再び防戦一方となった。

「あぁ、ユフィ。心配ない、私もシェアト殿も軽度の火傷とただのかすり傷だ。しかしこれは、なかなか手強いな。さすが、神が創造した特別な聖獣二体の内の一体だけはある」

「特別な聖獣?」

 守護魔法の手を止めることなく聞き返したシェアトに、お兄様もまた新たな守護魔法を発動しながら頷いた。

「そうだ。神は“神の娘”の守護獣として二体の特別な聖獣を創った。それが炎の聖獣である炎狼イグニスと、雪の聖獣である雪豹ニクスだ」

「ニ、ニクス⁉」

 そう思わず声を漏らしてしまったのは私。

 何故なら“ニクス”は、今や白猫としてではなく、立派な雪だるまとして成長してしまった私の愛猫の名前だからだ。

 そういえばあの時…………と、この名前を決めた時のお兄様の反応を思い出す。

 当時十歳だった私に、『ユフィがそう決めたのなら反対はしないけど、本当にその名前でいいの?ずっとその名前で呼ぶことになるんだよ』と、念押しするように聞いてきたお兄様。

 でも最終的には、『ニクス……いいんじゃないかな。なんか面白いことになりそうな気がするし。うん、ニクス……いい名前だよ。これは愉しみだ』などと、悪戯な笑みを見せたお兄様。

 もしかして……いえ、もしかしなくとも、雪の聖獣の名前とまったく同じ名前であることを知っていて、お兄様は私に『それでいいのか?』と、あれほど確認していたのね……とまで考えて、私は内心で首を捻る。

 聖獣と同じ名前だと何か問題があるのかしら――――――と。

 しかし、数メートル先で私の声をしっかり聞き取ったにもかかわらず、お兄様は僅かに口角を上げただけだった。

 私もまた、今目の前にいる聖獣は雪豹のニクスではなく、炎狼のイグニスであるため、一先ずニクスのことは棚上げすることにする。

「そう、二体の聖獣は他の聖獣に比べ、さらに美しく魔力も膨大で、常に守護獣として“神の娘”に寄り添っていたそうだ。それはもうべったりという表現がしっくりとくるほどに………そして、“神の娘”が亡くなった後も召喚獣とはならず、天国とこの世を繋ぐという光の階段で、“神の娘”が生まれ変わるのを待ち続けているという話だったが………」

「今はもう恐ろしいまでのセイリオス殿の知識量については、敢えて触れないでおきますが、しかしその話だと、この聖獣はデオテラ神聖国が召喚した召喚獣ではない―――――ということになります。つまり、この聖獣はデオテラ神聖国とは無関係だということですか?」

「いや、無関係ということはないだろう。この聖獣…………炎狼イグニスは、間違いなくトゥレイス殿下によって“仮紋”が付けられたご令嬢の前に現れている。あの“光結晶”の中にいるご令嬢を感知魔法で一通り確認したが、やはり右手の甲に“仮紋”があった。おそらく、イグニスは召喚獣としてではなく、同じ目的のため一時的にデオテラ神聖国に協力しているだけなのだろう」

「“神の娘”の生まれ変わりを見つけ出すという目的ですね」

「そういうことだ。そして、イグニスは罠にかけられ呪われた」

「罠?」

「そうだ。デオテラ神聖国とイグニスの目的を知り、先ずは“神の娘”の守護獣であるイグニスを消そうとした者がいる。その者が、そこのご令嬢に護身用とでも告げて“魔剣”を渡したのだろう。しかし“魔剣”は手にした者の心を悪に染める。本来ならば、攻撃をしてこない獣に対し、自ら剣を突き立てに行くご令嬢はいない。それも目に直接だ。だが、このご令嬢はそれをやって退けた。どう考えても、“魔剣”………もしくはそれを渡した者に操られていたとしか思えない」

「それって…………」

「“魔の者”の仕業だろう」

 

 魔の者―――――――

 それは闇の神、魔王の眷属。

 その姿形は我々人間に非常に似ており、言い換えるならば我々人間を模倣し闇の神により創造されし存在。

 そして、光であるこの世界の創造者である神の干渉を唯一受けない存在でもある。


 私はお兄様の話を聞きながら、この状況について改めて考えた。

 “魔の者”のせいで、乙女ゲームの内容と大きく食い違ってきているのではないか―――――と。

 しかし、もしそうだとしたらすべてにおいて納得がいく。

 ご令嬢に“仮紋”が付けられていたとは知らなかったけれど、トゥレイス殿下がめぼしいご令嬢を見つけてはそれを付け、聖獣に確認させるための目印にしていたのだろう。

 確かに、“仮紋”はお気に入りの印だと言っていたし、“真紋”と違って消すことも可能だという話だったから、印付けにはもってこいのはずだ。

 そして今回、ヒロインにその“仮紋”が付けられた。

 どうやって付けられたかについては、この際考えないことにするとして(だいたいの想像はつくけれども…………)、本当ならばこのまま乙女ゲームのストーリーへと進むはずだった。

 スハイル殿下と出会うことになるあのシーンへ。

 けれど、“魔の者”が現れ、すべてが狂ってしまった。根底から覆されてしまったと言ってもいい。

 

 そう――――――――“魔の者”だけが、神の決めた理を、運命を壊すことができるのだから。


 言わずもがな、この世界は光の神によって創造された。

 そして、この国で子供たちに読んで聞かせる御伽噺では、闇の神はその光の神が実体化した時にできた影によって生まれたとされている。

 しかし光の神は暫くの間、闇の神の存在に気づかなかった。

 それをいいことに、闇の神は人間を模倣し、“魔の者”を創造してしまう。

 突然、闊歩し始めた異分子。

 神の理を壊していく、神すら干渉できぬ存在。

 そこでようやく闇の神の存在に気づいた光の神が、自分の実体化を解き、この地に落ちる自分の影を消した。

 それにより急激に闇の神の力は弱まり、“魔の者”たちは僅かな数しか創造されることはなかったと謂う。

 但し、人の数に比べては――――――――

 しかも、“魔の者”たちは永遠とも言えるほどの命と、闇属性に特化した膨大な魔力を有しており、光の神の創造物ではないがゆえに、光の神が定めた運命に左右されることもなかった。

 そんな“魔の者”たちの目的は、闇の神である魔王復活と、光の神が創造したこの世界を破壊することだとされている。

 しかし、ほとんどの“魔の者”が今から約千年前に消滅し、現在残る“魔の者”は数える程。

 そしてここ数百年の間、まるで何かの時を待つかのように、ずっと闇に身を潜め続けている――――――それがこの国の御伽噺であり、暗黙の事実でもあるのだけれど…………

 その“魔の者”が今回のことを仕組んだとしたら、正しき運命が歪んでしまったとしても、何もおかしくはない。

 乙女ゲームで置き換えるなら、“魔の者”の存在は“バグ”。

 つまり、乙女ゲームのプログラム上に発生したバグが、ゲームのストーリーにまで影響を与え、乙女ゲームの内容を根本的に狂わせてしまったということだ。

 しかも、この世界の設計者である神にとっても修正できないバグ。

 そのせいで、ヒロインの運命がたとえ大きく変わってしまったとしても、なんら不思議ではない。

 なるほどね………

 これですべてが腑に落ちたわ。

 やはり、もう乙女ゲームありきで考えては駄目だということね。

 それも神様(設計者)ですら役に立たないとなると、“魔の者”(バグ)が引き越した運命の歪みは、私たちの手で修正しなければいけないわ。

 たとえ完全に修正できなくとも、ヒロインと聖獣の命だけは………………

 私はそう改めて結論を出すと、“光結晶”の中にいるヒロインへと視線を向けた。

 辛うじて息があるようだけれど、それも時間の問題に違いない。そもそも瀕死の人間を一瞬で治せるだけの癒し魔法は、この魔法の世界にも存在しない。

 だからこそ、一刻も早くヒロインを医者と回復師に診せなければならないのだけど…………と、思考と視線を巡らせている途中で、ある異変に気がついた。

「噓………鞘を持つ左手が、黒く変色してきている」

 それはヒロインもまた“魔剣”の呪いに侵されているという証に他ならず、一刻の猶予もないということだ。

 しかし、この炎の鳥籠には出口はない。お兄様がここに現れたのは、“光結晶”に予め施していた転移魔法陣のおかげであって、これがない外へはたとえお兄様といえども出ることはできない。

 本当に八方塞がりだわ………………

 私は再び聖獣イグニスへと視線を戻した。

 すでにその身体の八割ほどが黒く変色し、自我はない。そこにあるのは激しい怒りと嘆き。そして、“神の娘”フィリアへの狂おしいまでの想いだけだ。

 けれどその想いも、その身体ごと朽ち果て、燃え尽きてしまうのだろう。

 灯滅せんとして光を増す――――――この攻撃もすべて、滅びる直前の最後の輝きというものなのかもしれない。

 だとしても、それを黙って見ているわけにはいかない。

 私はヒロインもイグニスも救いたい。

 その想いが、その身体が、完全に燃え尽きて消えてしまう前に――――――――


「お願い!もうやめて‼」

 

 気がつけば、私はイグニスに向かって駆け出していた。

「ユーフィリナ!」

「ユーフィリナ嬢!」

 お兄様やシェアトにとって、今の私は守るべき存在であって、戦力ではない。それどころかただのお荷物であることも自覚している。

 それでも、ヒロインも聖獣も助けたいと言い出したのは、他でもないこの私自身。

 諦めない!諦めたくない!と口先ばかりで何もしなければ、何も変わらない。

「お願いだから、もうやめて!あなたの怒りも、悲しみも、私が全部受け止めるから!もう誰も傷つけないで!そして何より自分自身を傷つけないで!これではあなたの方が先に燃え尽きてしまう!」

 守護魔法を発動し続けるお兄様たちの前へそのまま躍り出ようとするけれど、すんでのところでお兄様に腕を取られ、止められてしまう。

「ユーフィリナ、やめなさい!今のイグニスにはもう誰の声も届かない!今、前に出たところで攻撃の的になるだけだ!」

「いいえ、イグニスがあれほど怒っているのは、あれほど嘆いているのは、“神の娘”であるフィリア様への想いがまだ残っているからです!」

「フィリ……ア?」

 お兄様は驚きと痛みを綯交ぜにしたかのような表情でその名を口にした。私はそれに構わず一気に捲し立てる。

「そうです!先程、イグニスはその名前を必死に呼んでいました!そしてこの私のことを、フィリア様として受け入れてくれました!もちろん私は本物のフィリア様ではありません!本物のフィリア様は意識を閉じています!けれど、私ならそのフィリア様の代わりになれます!私の声ならまだイグニスに届くかもしれません!だから、私に行かせてください!」

「ユーフィリナ、お前は一体何をどこまで………いや、お前は断じてフィリアの代わりなどではない!お前は私のッ…………」

 お兄様がそう険しい顔で言い返そうとした時、シェアトの声がそれを遮った。

「セイリオス殿!前ッ!」

 シェアトの言葉に、私とお兄様は咄嗟に前を見る。

 一際明るく煌々と燃え盛り始めた火柱。

 その火柱の火力を吸い取るようにして、イグニスに頭上で大きく膨れ上がっていく巨大な炎の塊。

 あぁ、これが最後の輝きなのね…………

 そんなことが私の脳裏を過る。と同時に、私たちに向かってその塊が放たれた。

 その刹那、私はお兄様の手を振り解く。

「ユーフィリナッ‼」

「ユーフィリナ嬢!よすんだッ‼」

 お兄様とシェアトの声も振り切って、私は両手を広げイグニスの前に立った。

 眼前に迫るは、人一人優に呑み込んでしまえるほどの炎の塊。

 わかっていた。

 飛び出せばもう、たとえ無詠唱でも魔法発動は間に合わないと。

 けれど、私の中にあるものは、イグニスを燃え尽きさせたくない想いだけ。

 だから届け!と思う。

 この想いが………

 この声が………

 

「やめなさいッ!アカッ‼」

“やめなさいッ!アカッ‼”

 

 何故、“アカ”と呼んでしまったのか、自分でもわからない。

 けれど、その名前こそが正しいと謂わんばかりに、私の声と寸分違わず脳内で響いた男性の声。

 そして、その声に―――――――


「ルークス…………」


 私へ届くことなく霧散した炎の塊。

 お兄様の呟きもまた、私へ届くことなく消えた。

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