挿話【Side:シェアト】夢のような少女(5)
今回の“紅き獣”の件において、我々には当初から疑問があった。
“紅き獣”は聖獣のため、“神の娘”であるかどうかの判断ができるのだろうということは、なんとなくわかる。しかしデオテラ神聖国がどのようにしてめぼしいご令嬢を探し出し、そのご令嬢の前に“紅き獣”が出現することになるのか。
その仕組みとも言うべき手順が、何一つ見えてこなかった。
つまり、スハイル殿下の外遊で得た情報を裏付けるための決定的証拠が掴めず、デウザビット王国にしても“紅き獣”がデオテラ神聖国の召喚した聖獣であると強く主張できない状況であった。
そのため我々は密かにトゥレイス殿下の動向を探り、情報を集めていたのだが、その矢先に今回のことが起こってしまった。
よりにもよって、“神の娘”の生まれ変わりであるユーフィリナ嬢がトゥレイス殿下の目に留まってしまったのだ。
しかも、ユーフィリナ嬢にお遊び程度の“仮紋”ではなく、トゥレイス殿下が一生で一度しか付けられない“真紋”を与えようとしていたという。
いくら他国の第二王子殿下とはいえ、許される話ではない。
それを察知し、問答無用で解呪魔法を放ったセイリオス殿の機転に、今や感謝しかなかった。
しかし、どうやらトゥレイス殿下にユーフィリナ嬢を諦める気は毛頭ないらしい。
脅しともいえるセイリオス殿の“砂地宣言”なるものを聞いてもまだ、ユーフィリナ嬢を見つめる琥珀色の瞳に、危険な毒を孕む熱を宿らせたままだ。それどころか、私以上に表情筋が機能していないにもかかわらず、うっすらと笑みらしきものを湛えている。
それはどう見ても歓喜と読み取れるもので、私はその感情に対し身に覚えがあった。
つい昨日、私が手に入れたものとまったく同じものだと。
そしてそれが意味するところは―――――
まかとは思うが、私やスハイル殿下ように、トゥレイス殿下もまた“神の娘”の生まれ変わりであるユーフィリナ嬢と…………白金の髪の少女と会ったことがあるということなのか?
だとするならば、これはとんでもなく厄介な案件だ…………
自分が抱える想いの重たさと比べる気などないし、たとえ比べたとしても負けているとも思わない。それでも、もしトゥレイス殿下が、過去にあの白金の髪の少女と出会っているのだとしたら、ユーフィリナ嬢への執着心が尋常でないことだけはわかる。
そしてこの後に繰り広げられることになる、私を含めた求愛レースというか、溺愛レースに若干気が遠くなりそうになった。
だがしかしだ。
どれほど、セイリオス殿とユーフィリナ嬢の絆が深かろうが、トゥレイス殿下が求婚したのに対し、自分はまだクラスメイト止まりだろうが、ウサギ型魔獣のシャムが喋り出し(しかも猫語で)、ユーフィリナ嬢をメロメロにしようが、そんなものは一切関係ない。
もちろん、言葉では言い尽くせないほどの嫉妬心と悔しさが私の中で渦巻いてはいる。
しかし、気にするべきは今この時点ではなく、最後。
最後の最後にユーフィリナ嬢の心を手に入れられるならば、今がどうであろうと気にするだけ無駄だ。
だから今はただ彼女を誰よりも深く愛し、そしてこの命に代えても守り抜く―――――
そう心に誓い直し、私は憂いも躊躇いもなく“言霊”を使った。
『ユーフィリナ嬢、後のことはセイリオス殿と私に任せて、安心して眠っていればいい』
君は私が守るから。
セイリオス殿にもスハイル殿下にも、そしてトゥレイス殿下にも君のことではもう何一つとして負けやしないから。
だから今はこのままおやすみ――――――
「セイリオス!これは一体どういうことだ!何があったか説明しろ!」
シャムがユーフィリナ嬢を医務室へと運んで行った直後、大学の制服である純白のブレザー姿のスハイル殿下が、これまた同じく純白のブレザー姿のレグルス殿とともに、我が王国のロイヤルカラーとも呼ばれるブロンドの髪を乱しながら疾風の如く駆けてきた。
名指しで説明を求められたセイリオス殿は、「これはこれは王弟殿下、随分とお早いお着きで」と取って付けたかように恭しく頭を下げ、私は内心では呆れながらもそんなセイリオス殿の横で丁重に頭を下げた。
「シェアトもいたのか。なるほど……私たち以外、誰も廊下へは出てこないところをみると、シェアトが“言霊”を使ったのだな。で、これは何がどうなっているのだ!セイリオス、何故学園内で魔法を発動させた!今すぐ私たちにも理解できるように説明しろ!」
瞬時に、状況を見て取ったスハイル殿下が再びセイリオス殿へと詰め寄った。
私ではなく、セイリオス殿だけに追及の矛先を向けるのは、もちろん気心の知れた御学友同志ということもあるが、セイリオス殿が発動した魔法を感知したがゆえなのだろう。
セイリオス殿もまた、『だが問題は、今“幻惑”を解くと、スハイル殿下とレグルスも私の魔法発動を感知しているだろうから、間違いなくここへやって来る』などと、話していたことから、この追及の理由は当然の如く理解している。にもかかわらず、訝しそうに片眉を上げた。
「シェアト殿の“言霊”に対しては説明を求められず、私が発動した魔法にだけ説明を求められるのは、公明正大なスハイル王弟殿下とは思えぬほどの狭量だな。いやはや、私はこれほど身命を賭してお仕えしているというのに、報われないとはまさにこのことだ」
相変わらずのいけしゃあしゃあぶりに、スハイル殿下がロイヤルブルーの瞳を大きく見開き、さらにはぽかんと口を開けたまま呆然とセイリオス殿を見つめた。
言うまでもなく、開いた口が塞がらないということなのだろう。身をもってそれを示すとは、さすがスハイル殿下である。
だが付き合いの長さの分だけ、立て直すのも早かった。
「いやいや、ちょっと待て。これは私の了見云々の話ではない。れっきとした事実確認だ。そもそも私とレグルスはお前の魔法を感知してすぐにここへ駆けつけようとしたが、強力な“幻惑”に邪魔をされてそれも叶わなかった。つまりお前は、魔法と同時に“幻惑”をかけ、誰もこの階へ近づけられないようにしてから、シェアトに“言霊”でこの階の生徒たちを教室に閉じ込めさせた。その辺りの流れは、現状を見れば聞かずともだいたいわかる。だが、とっくに学園を卒業し、普通ならばこの校舎に用などあろうはずもないお前が、このようなところで魔法を発動させたその理由を聞いているのだ」
「なるほど。そこまで理解されていながら、肝心なことがまったく理解いただけていないとは、なんとも嘆かわしい」
本当に残念だ……とばかりに深いため息を吐いたセイリオス殿に、スハイル殿下が突如慌てた。
「わ、私が何を理解していないと?」
それに対して答えたのは、二人のやり取りを愉し気に眺めていたレグルス殿だった。
「そんなの決まっているだろ?セイリオスの頭の中には常にユフィちゃんしかない……」
「レグルス、“ユフィちゃん”と言うな」
セイリオス殿からの指摘もさらりと流して、レグルス殿は滔々と続けた。
「そしてここは一年の階で、まさしくユフィちゃんがいる階だ。けれど、そのユフィちゃんが今ここにいないとなると、他の生徒同様、シェアトの“言霊”の能力で教室内に閉じ込められているか、それとも安全な場所に避難しているかの二択………いや、そもそも学園にはいないの三択になるんだけど………」
「だから、“ユフィちゃん”と呼ぶな」
合の手のように挟まれるセイリオス殿からの駄目出しに、レグルス殿は「はいはい」とリズムよく返して、結論を口にした。
「セイリオスがここにいる以上、ユフィちゃんは学園にいることは間違いない。そして魔法を感知した俺とスハイルがここに来ることを、このセイリオスが察せないはずもない。そんな状況で、ユフィちゃんを教室内へ閉じ込めたままにしておくわけがないから、つまりユフィちゃんは今、安全なところで匿われている。そして、この騒動の発端は何を隠そうそのユフィちゃん…………違う?」
「“ユフィちゃん”と言わなければ、ほぼ百点満点の解答だな」
「ん?だったら、今は何点?」
「“ユフィちゃん”と七回も言ったからな。三十点だ」
「うえっ、“ユフィちゃん”一回につき、十点の減点?」
「今も言ったから、二十点だな」
「ちょ、冗談だろ?何その減点方式。あと二回で零点ってこと?」
「心配するな。マイナスにもなる」
「いやいや、誰もそんな心配してないから!」
そんな二人の会話を、頭が痛いとばかりにこめかみに手をやり聞いていたスハイル殿下だったが、さすがにここで割り込んだ。
「今はレグルスの点数なんかどうでもいい!とにかく先ずは、お前の大事なユーフィリナ嬢の身に何があったのか説明しろ!すべてはそこからだ!」
そこへ、パタパタと足音を廊下に響かせながら「大変遅くなり、申し訳ございません!」と、サルガス殿が全速力と思われる早歩きでやって来た。
おそらくだが、この学園の生徒会長として廊下を走ることが憚られ、それでもセイリオス殿の魔法を感知し、サルガス殿にとっての最速歩行でここまで来たのだろう。その証拠にローアンバーの髪から覗く額にうっすらと汗が滲んでいる。
本当に堅物というか、融通が利かないというか…………うん、さすが我が学園の現役生徒会長様だ。
しかしそんなサルガス殿の到着を待っていたかのように、セイリオス殿は突然指を鳴らした。そして告げる。
「これで役者は揃ったな。今、もう一度“幻惑”をかけ直したから、誰かが迷い込んでここへ来ることもない。そして、シェアト殿の“言霊”もまだ解除していないため、教室にいる者たちに話を聞かれることもない。では、スハイル殿下のご所望通り説明をすることにしようか」
つまり、ここまでののらりくらりはサルガス殿が来るまでの場繋ぎ。
いや、きっとそれだけではないだろう。
いつものようにスハイル殿下やレグルス殿との会話をすることで、セイリオス殿は心の平静を取り戻そうとしていたのかもしれない。
あの時、彼の後ろにユーフィリナ嬢とともに控えていた私にはわかる。
飄々と対応しているように見せかけて、実のところ静かなる焔でジリジリと身を焼いていくような殺気が、セイリオス殿の全身から立ちのぼっていた。
トゥレイス殿下の返答如何によっては本当に殺してしまいかねないほどの………………
早い話、セイリオス殿もまた冷静沈着とは程遠く、今も尚、その感情を少なからず引き摺っていたということだ。
セイリオス殿もやはり人の子なのだな…………………
ふとそんなことを脳裏に過らせつつ、「ようやくか…………」と、息を吐いたスハイル殿下に思わず苦笑した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!ユーフィリナ嬢に“真紋”だと⁉何血迷ったことを言っているのだ、トゥレイス王子は‼」
「あぁ、是非ともそれはトゥレイス殿下ご本人に直接言っていただきたい台詞だな。デウザビット王国の王弟殿下からそう言われれば、さすがのトゥレイス殿下も正気を取り戻すかもしれない」
「言えるわけないだろうが!…………って、いや……目の前でそんなことを告げられれば、さすがに言ってたかもしれんな。しかし、どうして急にそんなことになる?ユーフィリナ嬢がいくら落し物を拾ったからといって、突然そんな話にはならないだろう?普通…………」
スハイル殿下のご尤もな疑問に、私は先程思い至ったある可能性を述べるべきかどうか悩んだ。
もし話せば、スハイル殿下はユーフィリナ嬢こそが自分が探していた“白金の君”だと今度こそ確信してしまう。そうなれば、確実にこの溺愛レースにスハイル殿下も参戦してくることになるだろう。
自分でも狭量なのは嫌と言うほどわかっている。が、できる限りそれは避けたい………
そもそもの話、今はまだスハイル殿下には会わせたくないという自分勝手な思いから、私はわざわざ“言霊”まで使い、ユーフィリナ嬢を眠らせたのだ。
万が一にも、シャムに運ばれている途中でスハイル殿下に遭遇した場合、ユーフィリナ嬢に意識があれば、今度はスハイル殿下に声をかけてしまう恐れだって十分にある。
もしくは、ユーフィリナ嬢自身が“幻惑”のスイッチである以上、私やシャムに姿が見える時点で、スハイル殿下にも見える可能性だって大いにあるだろう。
それを阻止するためにも、私はユーフィリナ嬢の意識を強制的に閉じた。眠るという方法で――――――――
にもかかわらず、トゥレイス殿下もまた白金の少女とかつて会ったことがあり、ユーフィリナ嬢にその面影を見た可能性がある――――――などと告げるのは、本末転倒もいいところだ。
さて、どうしようか…………私がそう逡巡し始めた刹那、レグルス殿は何が疑問なんだと首を傾げつつ告げた。
「スハイル、目の前にいるセイリオスをよく見てみようか。この兄を持つ妹だぞ。美しくないわけがない。そして、公爵令嬢ともなれば、身分的にも釣り合いが取れ、デウザビット王国とも強い繋がりができる。何も、不思議なことはないさ。そりゃ“真紋”だってくれるだろう」
「確かにそうですね。愛を育むには時間が必要ですが、恋に落ちるのは一瞬だと聞いたことがあります。おそらくトゥレイス殿下も一瞬で恋に落ちたのかもしれませんね。今すぐにでも“真紋”を授けたくなるような恋に」
生真面目な口調で愛と恋について論じたサルガス殿に、スハイル殿下は曖昧な笑みを返し、「だがなぁ……」と呻くように言葉を重ねた。
「一目惚れをしないとは言わない。私は未だユーフィリナ嬢に会わせてもらったことはないが、おそらくとても美しいご令嬢であることくらい想像はつく。しかしだ。私も一応は王家の人間だ。そして今は王弟となっているが、かつてはトゥレイス王子と同じ第二王子だった。だからこそわかる。一目惚れをしたからと言って、簡単に結婚相手を決めてしまえるほど、安易な立場ではない。それも“真紋”をその場で与えようとするなど、その執着心は異様だ。言い換えるならば、誰にも取られたくないという強い独占欲。それも一生、永遠にと、即断できるほどの恋情。そんなものを、一目見ただけで一国の王子に抱かせるユーフィリナ嬢とは…………」
そこで一旦言葉を切ったスハイル殿下は、何かに気づいたように私へと視線を向けた。そして徐に再び口を開く。
「…………シェアト、すっかり失念していたが、お前がセイリオスと一緒にいたということは、ユーフィリナ嬢を見たということでいいのだな?」
直接そう聞かれてしまえば、答えるしかない。それが、絶対的な身分差というものだ。
そのため私は、事実だけを有りのままに告げる。
「はい、見ました。もちろん、話もしました。昨日、私に聞きたいことがあったようで、ユーフィリナ嬢から声をかけられたのです。そしてその際に、ユーフィリナ嬢の姿を目にすることができました」
「そうか……それで………………」
スハイル殿下は言葉と一緒に、問いたくて仕方がない気持ちまでも濁した。が、向けてくる視線は痛いほど私に突き刺さってくる。
私はその視線を真正面から受け止めながら、やはり事実だけを淡々と口にする。
「とても可憐で愛らしく、それでいて眩しいほどに美しいご令嬢です。そしてその髪色は淡紫のライラックに、瞳はエメラルド。セイリオス殿が申されていた通りの色合いでした」
彼女がそうであっとも、違ったとも返すことなく、ただ見た目通りの印象だけを告げて、目を逸らすことなくスハイル殿下を見つめ返した。
聡明なスハイル殿下のことだ。これだけですべてを察しただろうな…………などと思いながら――――――
そして案の定、スハイル殿下はふと笑みを漏らすと、もう一度「そうか…………」とだけ呟いた。
微かにだが、その呟きには喜色が滲んでいたように感じられた。
ただその横では、闇の神、魔王も斯くやのセイリオス殿からどす黒いオーラが立ちのぼっていたが、そこはもう気にしないことにする。
というか、視界にも入れない。
これは自己防衛本能からくる正当な危機回避だ。
そんなどす黒いオーラを纏わせたまま、セイリオス殿がユーフィリナ嬢のことはここまでだとばかりに告げた。
「ユーフィリナのことはこちらで対応するから問題ない。いざとなれば、デオテラ神聖国を砂地に変えるだけだ」
「おいこら待て!一国を簡単に砂地に変えようするな!それにユーフィリナ嬢の件は、もはや南の公爵家だけの話ではない!デウザビット王国の問題だ!っていうか、問題大有りだろうが!」
すぐさま反論したスハイル殿下に、セイリオス殿は纏うオーラをさらに禍々しいものへと変化させる。
もはや魔王も斯くやではなく、魔王そのものだ。
「ユーフィリナをトゥレイス殿下にやるつもりはない。それ以外の返答がこちらにない以上、トゥレイス殿下と平行線になるのは必至だ。おそらくあの様子では諦める気もなさそうだからな。ならば、已むを得まい」
「「已むを得なくない!!」」
すかさず声を揃えて、スハイル殿下とレグルス殿が否定した。しかしそれを丸っと無視して、セイリオス殿は我々がどうしてもわからなかったあの疑問について言及し始めた。
「そんなことよりも今は、デオテラ神聖国がどのようにしてめぼしいご令嬢を見つけ出しているのか、その仕組みと手順の解明が先だ」
「ユーフィリナ嬢のことは決してそんなことではないが、まさかわかったのか⁉」
言うべきことだけはしっかり言ってから、スハイル殿下が目を剥く。
それはレグルス殿とサルガス殿にしても同様で、私もまた例外ではなかった。
だが私の場合は、あの場に居合わせておきながら、まったく気づけなかったことへの不甲斐なさも入り混じり、その驚きはさらに倍へと膨れ上がる。
そして、セイリオス殿が純白のブレザーのポケットからあるモノを取り出し、私の目はさらに大きく見開いた。
そう、実はセイリオス殿とトゥレイス殿下の話を聞きながら、ずっと不思議に思っていたことがあった。
しかし状況が状況だけにあの場で問うこともできず、有耶無耶のままここまで流してきたモノだ。
そしてソレは、ユーフィリナ嬢を眠らせた時に、彼女の手からひらひらと零れて落ち、セイリオス殿が回収していたモノでもある。
それが改めてセイリオス殿の手に握られ、私はようやくソレについての疑問をぶつけた。
「セイリオス殿、ソレはユーフィリナ嬢が手にしてた鳥の羽根ですよね?」
「あぁ、そうだ」
さも当然のように頷いたセイリオス殿に、私はもう一度問い返す。今度は疑問でしかなかった言葉を付け加えながら…………
「えぇ、それはどう見ても鳥の羽根です。しかしあの時、セイリオス殿も、トゥレイス殿下も、その羽根をハンカチーフと言っていました。そしてユーフィリナ嬢も、それを違和感なく聞いているようでした。だが、私の目には白い鳥の羽根に見える。これは一体どういうことですか?」
セイリオス殿以外の面々は奇妙な話を聞いたとばかりに、皆一様に首を傾げながら、セイリオス殿が手にしている羽根をマジマジと見つめた。そして――――――――
「羽根だな」
「うん、紛うことなき白い鳥の羽根だ」
「はい。羽根にしか見えませんね」
――――――と、全員一致の見解をみせる。
それに対しセイリオス殿は、「あぁ、羽根だ。私の目にもそう見える」と認めた上で、その羽根を反対の掌に乗せた。
それから私へと視線を向け、「だが、ユーフィリナにはこう見えていた」と、魔法を発動させる。
「光、水、融合魔法!汝の仮初めの姿を示せ!水月!」
セイリオス殿の詠唱に伴い、白い鳥の羽根が淡い光を放つ。瞬間―――――――それは忽ち、白のハンカチーフへと姿を変えた。
「これは…………」
二の句が継げないでいる私に代わり、スハイル殿下がセイリオス殿へ問いかける。
「これは白い羽根が本当の姿で、ハンカチーフが仮初めの姿でいいのか?」
セイリオス殿はその問いに頷きだけで返し、そのまま種明かしをするかのように続けた。
「これは所謂、魔力の吸収と跳ね返りだ。この世界は魔力で満ちている。ゆえに我々は五感だけはでなく、無意識のうちに魔力による識別を同時に行っているのだが、その際に微力すぎる魔力に対しては、無として判断してしまう傾向がある」
確かにセイリオス殿の言う通りだ。我々は常に視覚、聴覚、嗅覚等でモノを認識しつつも、同時にそのモノが持つ魔力量を量ってしまう。
そして、それが取るに足らない魔力量ならば、意に介さず捨て置く。
なぜならそれは自分の脅威とはならないからだ。しかし裏を返せば、無警戒になると言えなくもない。だが、所詮微量すぎる魔力だ。何も問題はないはずなのだが……………
「もちろん普段であれば問題はない。我々にしてみれば普通のことだ。だが今回は、それを逆手に取られた。史実では“神の娘”は神から魔力を与えられることはなかったとされている。謂わば、魔力なしだ。そしてデオテラ神聖国の狙いが“神の娘”の生まれ変わりであるならば、魔力なしか、枯渇寸前の微量すぎる魔力を持った人間を探すことになる。そこで、彼らはこの羽根に細工をした。光魔法と水魔法によりこの羽根をハンカチーフに見えるよう幻術を施し、拾った者がその感触に違和感を覚えないようにと、ご丁寧にも地魔法でハンカチーフそのものの感触まで付け加えた。三つもの属性による融合魔法でだ」
「ならば、我々はそれ相応の魔力を感じてもおかしくないはずだが?」
思わずといった体でそう口を挟んだスハイル殿下に、セイリオス殿は「その通りだ」と認めてから、「だからこそ魔力の吸収と跳ね返りなのだ」と言い切った。
「まず、我々がどのようにして魔力による識別を行っているかの話だが、大抵の者がその問いに対し持ち得る答えは『感覚で』となるだろう。しかしそれでは、この件の答えは一向に出ない。そこでその感覚とやらを論理的に説明するならば、我々はある一定量の無害な魔力をぶつけ、その跳ね返りで相手の魔力量を判断している。跳ね返りが多いほど魔力量が多く、少なければ魔力量が少ないというふうにだ。そしてこの羽根に対しても、我々は同じことをした。だが、この羽根には光魔法の光鏡も施されている。つまり、光鏡によって我々がぶつけた魔力は吸収され、いかにも人畜無害だと謂わんばかりの微少な魔力だけが返された。さらにもう一つ、子供だまし程度の水魔法、水鏡で作られた幻は、我々にとっては無に等しき程度のものであったため、仮初の姿に惑わされることなく、真実の姿である“白い羽根”として認識した――――ということだ。私は基本ユーフィリナに関するもので、自分の認識外のものに対しては常に詳細な魔力精査を行う癖がある。それゆえに今回のことに気づけたが、普通ならば見過ごされるものだ」
だからあの時――――――『姑息な真似を………』と、セイリオス殿はこの羽根を見て、吐き捨てるように呟いたということか…………
ようやく納得はできたが、セイリオス殿の観察眼というか、そのユーフィリナ嬢限定に発動される癖には唸るしかない。
だがこれは、ユーフィリナ嬢を守る者として絶対に見倣うべき癖だ。
私もまたそれを我が癖とすることに即決めた。
それでもまだ疑問は残る。
「ようするに、それらしきご令嬢の前で羽根を落としては、羽根と認識され捨て置かれるか、ハンカチーフとして届られるかで、魔力量を確認していたということですね。そして今回偶々、ユーフィリナ嬢の近くに淡いブロンドで碧眼の女子生徒がいたのでしょう。しかしその女子生徒には白い羽根に見え、ユーフィリナ嬢にはハンカチーフに見えた。だからユーフィリナ嬢は親切にも拾って届けたと……」
「間が悪いことにな」
まったくだ………と思いつつ、その先にある疑問を口にする。
「先程、セイリオス殿の説明にもあったように、我々は無意識のうちに魔力識別を行っており、相手の魔力量も量ることができます。ならば、こんな小道具など必要ないのではないですか?」
そう、こんな回りくどい方法を取らずとも、トゥレイス殿下であればそれができたはずだ。
それを敢えてしない理由が他にあるのだろうか………と、疑問をそのままぶつけてみれば、セイリオス殿からは意味深な視線が返された。
「確かに我々なら、相手を見るだけで魔力量を量ることができる。だが、私のような凡庸な者ならともかく、ここにおられる紳士諸君並びにトゥレイス殿下が、魔力量を量るためとはいえ、その度にご令嬢を真剣な目で見つめれば、あらぬ期待を抱かせてしまうのではないかな?」
いやいやいや、誰が凡庸ですかッ!
という、私の内心での突っ込みはどうやら全員の総意らしく、それぞれが呆れやら、唖然やらの視線をセイリオス殿に向けている。
しかし、それらすべてをどこ吹く風とばかりに受け流し、セイリオス殿は続けた。
「そしてもう1つ、この小道具には大きな役割がある」
「役割?」
「そうだ。むしろその役割のためにこの小道具があると言ってもいい」
「一体それは何なのだ」
答えを急くようにスハイル殿下が問いかけた。しかし、セイリオス殿は質問に質問で答える。
「さてここで問題だ。トゥレイス殿下はこんな小道具まで使って目星を付けたご令嬢を、どのようにして“紅き獣”へと指し示すのか」
ちらりと掌に乗る白い羽根を一瞥してから、セイリオス殿は我々の答えを待つことなく、自らそれを口にした。
「仮紋だ」
そして、掌の上の白い羽根に詠唱なしで火魔法を放ち、一瞬で灰燼に帰す。
しかしその一言だけで、ここにいる誰もがすべてを理解した。
「なるほど。この小道具を使えば、魔力量を量れるだけでなく、ご令嬢とごく自然にお近づきにもなれるってことだな。大方、ハンカチーフを届けてくれたご令嬢に対し、感謝の印とでも称して口づけを送るのだろう。“仮紋”を付けるためにな。なんせ、相手はれっきとした麗しの王子様だ。ご令嬢も嫌とは言いまい」
「さすが、かつて王子様だった人の台詞は説得力があるね。けれど、俺もスハイルに一票だよ。確か“真紋”の場合は、くっきりとした紋様が浮かび上がり、消すこともできないけれど、“仮紋”は特殊魔法でしか見えないように消すことも可能だったはずだ。しかもそれは、一時的なお気に入りの印でもあるから、用が済めば簡単に消し去ることもできる」
「そして、それを付けられたご令嬢が一人、今夜“紅き獣”に襲われ、命を落とします」
そうだ……
今夜、そのご令嬢は死ぬ――――――
サルガス殿の言葉に、重い沈黙が降りる。
だが、それも束の間のこと。
スハイル殿下はのしかかる重い空気を振り払うかのように、毅然とした態度で言い放った。
「先見は絶対だ!その未来は変わらん!だからこそ、それ以外の被害は絶対に出させん!ユーフィリナ嬢のこともだ!必ず我々で守る!」
決意にも、誓いにも聞こえるスハイル殿下の言葉。
私達は黙することでそれに同意を示した。
しかし、この時の私は失念していた。
彼女が、ただ守られるだけの存在ではないということを。
そしてなにより――――――――
彼女が、“神の娘”の能力を有する存在であるということを……………




