誰がヒロインなのかさっぱりです(11)
「ユーフィリナ、シェアト殿と一緒に私の後ろにいなさい」
「はい……お兄様」
そう返事をして、取り敢えず一歩後ろへ下がったものの、新たな不安に心が掻き乱される。
こ、これは一体どうすればいいの?
私がもっと上手に立ち回ることができていたら、こんなことには………………
不安げにお兄様の背中を見つめる私の肩に、シェアトとそっと手を置いた。そして、小さく頷く。
おそらく、お兄様に任せておけば大丈夫ということなのだろう。
けれど、相手は他国の第二王子殿下だ。
いくらお兄様とはいえども、相手が悪すぎる――――――
雪だるま式に募っていく不安と心配に、でも……とばかりに首を横に振った。
しかしシェアトは微かな笑みすら見せて、もう一度頷いただけだった。
うん……そうね。シェアトの言う通りだわ。ここはお兄様を信じましょう…………
そう自分に言い聞かせると、今度はシェアトにコクンと頷き返した。
そんな私たちの小さなやり取りが終わるのを待っていたかのように、お兄様は徐ろに姿勢を改めた。そして、胸に手を当てながら、恭しくも優雅に頭を下げる。
「ご挨拶が大変遅れまして申し訳ございません。以前、歓迎式典でもご挨拶をさせていただきましたデウザビット王国南の公爵家嫡男、セイリオス・メリーディエースでございます。トゥレイス第二王子殿下におかれましては、我が国の学園に慣れ親しんでいただいているご様子。大変嬉しく光栄に存じます」
まったくもってどの口が!という話だ。
あれほどの魔法を次々繰り出しておいて、今更にも程がある。
しかし、これがお兄様。稀に見る麗しき顔は、稀に見る厚顔だったりする。
先程までの不安と心配はどこへやら。
私は呆れたようにお兄様は見つめ、それ以外の面々は呆けたようにお兄様を見つめた。
もちろん見つめられているお兄様はどこ吹く風だ。
けれどこの中で、真っ先に呆け状態から立ち直り、お兄様に突っ込みを入れたツワモノがいた。
己の任務に忠実なトゥレイス殿下の護衛騎士だ。
「たとえ貴方様が公爵家嫡男であったとしても、我が国の第二王子殿下に対し魔法を放つとは言語道断!これは外交問題となりますよ!」
至極ご尤もな言及に対し、お兄様は奇怪なことを聞いたとばかりに片眉を上げた。そして、動じることなくしれっと返す。
「これは異なことを言われる。私は第二王子殿下に向かって魔法を放ってなどいない。すべて我が妹であるユーフィリナに対して放ったものだ。それもそちらの第二王子殿下が、詠唱なしでかけられた束縛魔法を解除するための解呪魔法と、これ以上妹の身に危険が及ばないようにと守護魔法を放ったにすぎない。そもそも私は、面倒な詠唱をわざわざしてまで魔法を放ち、退避する時間を十分差し上げたというのに、この言われよう…………しかも、私の記憶が正しければ、私に向かって明らかな攻撃魔法を仕掛けてこられたのは護衛騎士殿の方だったと思うのだが?まぁ、これに関しては詠唱すら必要とせず、手で払わせてもらったため、然したるものでもないだろう。ふむ………物事を正しく見極めるのは本当に難しいことだな」
世間話でもするかのような口調で、そう言って退けたお兄様は、やれやれとばかりにため息を吐き、首を横に振った。
いけしゃあしゃあという見本を、見事ここで示して見せたお兄様に、一番の味方であり、一番の理解者でもある私でさえ絶句となる。
できることならば、「相手は他国の第二王子殿下ですよぉ。わかっていますかぁ?」と、今すぐお兄様の耳元で囁き、問いかけたいくらいだ。
まぁ、そう囁いたところで、「もちろんだとも、ユーフィリナ。ここで第二王子殿下と護衛騎士殿が、私の行く手を阻む二対の邪魔な柱に見えているとしたら、それこそ攻撃魔法で一蹴して終わりだ。一々話しかけたりなどしない」という台詞が、涼やかな笑みととも返ってくることは間違いない。
お兄様はそういう人だ。うん、嫌というほど知っている。
でもでも、何度も言うようですが、相手は他国の第二王子殿下なのです。身分の差というものが付いて回るのは如何ともしがたいところなのです。
だからお兄様、今はそんな直球ど真ん中の球なんていりませんから、なんなら的外れでもいいくらいですから、やんわりとした球を投げましょうか。
不敬にならない程度な感じで………………
そんな私の届かぬ心の声に、同調してくれた人がいた。
もちろん第二王子殿下の護衛騎士だ。
しかし、謂わば敵対関係のような立ち位置なので、お兄様を思っての同調ではない。己の主君を思っての同調だ。
そのため、相手は厚顔な上に、魔力も強力で、口も立つけれども、なんとか主君のために一矢報いようと再度口を開いた。
「セ、セイリオス殿、不敬でございますよ!ご自分の相手が誰だかおわかりになった上で、そのような発言を………………」
けれど、護衛騎士の口はそこで制された。片手を挙げたトゥレイス殿下によって。
主君からの無言の命令に、護衛騎士は後に続くはずであった言葉をそのまま呑み込むと、殿下の後ろへと下がった。
それを横目で確認してから、トゥレイス殿下は無表情でお兄様を見据え、飄々と告げる。
「セイリオス殿と言ったかな?我が騎士が大変失礼な態度を取ってすまない。どうやら行き違いがあったようだ」
「行き違いでございますか。殿下がそう言われるならそうなのでしょう。しかし、私の目には、殿下が我が妹の手にキスをされているように――――――いえ、“紋”を付けようとなさっているように見えましたが?これもまた私の見間違いだったのでしょうか?」
「いや、見間違いではない。私は貴君の妹君に私の“真紋”を与えようとしていた。おそらくセイリオス殿ならこの意味をわかっていただけると思うが?」
そういえば…………と思い出す。
トゥレイス殿下は確かにそのようなことを言っていた。
仮紋ではなく、殿下の真紋を与えよう――――――――と。
そもそも“紋”って何なのかしら?
さっぱり意味がわからないと首を傾げる私の横で、シェアトが息を呑んだ。
どうやらシェアトは“紋”が何であるかを知っているらしい。しかも、険しくなっていく横顔を見る限り、歓迎すべきものではないことがわかる。
私はその答えを求めるかのように、お兄様の背中に視線を戻した。と同時に、お兄様の口が開く。
「えぇ、存じております。遠い昔、我が国にも“紋”を付けるという慣習がありました。貴国とは違い、己の伴侶に対してのみではありますが………しかし、その“紋”は“束縛紋”と言われ、相手の心を縛るもの。心底愛し合っている仲ならともかく、一方的に付けられた“紋”は相手の心の自由を奪い、自分に縛り付ける呪いと同じです。そのため我が国ではとうの昔に無くなってしまった慣習でもあります」
なぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
ちょ、ちょっと待って!
トゥレイス殿下は、私にそんなものを与えようとしていたの?
いやいやいや、そんなもの簡単に与えては駄目でしょう!
っていうか、なんで私に?
ヒロインに与えるならまだしも…………いや、与えては駄目だけれども、まだ理解はできる。
だって、相手はヒロインですもの!
でも、私に与えようとする意味がさっぱりわからないわ!
私はこの世界でいえば、悪役令嬢なのよ!
ゲームの中では、トゥレイス殿下のお兄様と手を組んでしまうような、極悪人なのよ!
まぁ、今の私は違うけれども…………って、まさか!
…………私のこの隠密スキルがご所望なの?
そういえば、さっきもハンカチーフを拾って声をおかけした時、酷く驚かれてしまったわ。
つまり、私の心を縛って、デオテラ神聖国の隠密として使うつもりなのね!
免許皆伝、門外不出、人間国宝、今やそんなレベルになりつつある私の隠密スキル。
私にそんな需要価値があっただなんて…………目からウロコだわ。
そう一応の納得をみた私だったけれど、どうやら話はまったく違う方向へと流れているようだった。
「それにしても驚きました。殿下は冷淡……いや失礼、とても冷静沈着な方で、一時の感情に流されるような方ではない思っておりましたが、なんともまぁ、これほどまでに情熱的な方だったとは。妹に“真紋”を与えようとされていたと仰られましたが、デオテラ神聖国の王家がだけが与えることを許されている“真紋”とは正式な“婚約紋”だったはず。お遊び程度の所有を示す“仮紋”とは違い、一生消せないものです。そんなものをハンカチーフを拾っただけの妹に与えようとされるとは、これは情熱的か、短絡的かのどちらかとしか思えません。それとも、私の認識不足で、現在のデオテラ神聖国における“真紋”とは随分と気軽なものになってしまったのでしょうか?だとしても、我が妹を気軽に差し出すつもりは毛頭ありませんがね」
「いやいや、さすが南の公爵家のご嫡男殿だ。その見識の深さは恐れ入る。“紋”に関してのセイリオス殿の認識は正しい。“仮紋”は一時の所有を示す“紋”。つまり、今のお気に入りを示すだけのものだ。しかし“真紋”は正式な“婚約紋”となり、それ以降“仮紋”ですら与えられなくなる。そして与えらえた者は、与えた者だけを永遠に愛するようになる。そのため世間では“束縛紋”とも言われることがあるが、早い話、互いの不貞防止だ」
なぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
ちょ、ちょ、ちょっと待って!
トゥ、トゥレイス殿下は、私にそんなものを与えようとしていたの?
婚約して、結婚して、隠密をさせる?
いやいや、それはさすがに話がおかしいわ。
だったら、本当に私に求婚を?
いやいや、それこそまったく意味がわからないから。
トゥレイス殿下、そもそも貴方はヒロインの攻略対象者なのよ。
こんなところでおいそれと、それも悪役令嬢相手に“真紋”を使ってしまっては駄目なのよ。
ま、まさか……………ヒロインを第一王子殿下に奪われそうになることを今から予見して、自暴自棄になってしまっているのでは?
だから、一応公爵令嬢でもあり、隠密スキル持ちのこの私で手を打とうと………………
駄目よ!駄目よ!駄目よ!
ヒロインが貴方とのルートを選ぶかどうかはわからないけれど、人間諦めたらそこで終わりよ!
えぇ、そうね。ここはトゥレイス殿下のためにも、そしてもちろん私のためにも、お兄様には頑として立ちはだかってもらいましょう。
先程までの、やんわり路線をあっさりと引き下げ、直球だろうが、剛速球だろうが、トゥレイス殿下の自暴自棄を打ち砕いてもらわなければと、お兄様の背中に向かって気合と念を送る。
そんな私からの気合が届いたのかは不明だけれど、お兄様は絶対零度の声で宣わった。
「だから安心して、ユーフィリナを殿下にお渡ししろと仰るのですか?不貞など一切なく、永遠に愛し愛されることになるからと?これはこれは、デウザビット王国の四対の柱の一角である南の公爵家を、随分と甘く見ていらっしゃるようだ。我が両親は、妹を殊の外溺愛しておりましてね、親馬鹿ならぬ馬鹿親なんですよ。そんな両親が、誘拐紛いの求婚でデオテラ神聖国へユーフィリナが連れ去られたと知れば、一体何をしでかすことやら。外交問題?なんとも可愛らしいお話だ。それは国がそこにあればこその話であって、そこがただの砂地ならば外交問題など起こりようもない」
ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!
全身鳥肌が立ったことは言うまでもない。
シェアトは顔を引き攣らせながら「この人ならやる。絶対にやる」などと独り言を呟いているし、殿下の護衛騎士は可哀そうなくらいに顔面蒼白となっている。
かくいう私も、蒼白となりながらお兄様の背中に向かって直ちに修正を入れる。
お、お、お兄様…………私はトゥレイス殿下の自暴自棄を打ち砕いて欲しいとはお願いしましたが(気合と念で)、一国を滅ぼして欲しいとまでは言っておりません!
しかし、お兄様を筆頭にお父様とお母様、そして専属侍女のミラとラナに、家令のアルファードと執事のムルジムまで加わり、デオテラ神聖国を難なく亡ぼす様が普通に想像できてしまうところがなんとも恐ろしい。
本当に冗談を抜きにして、やりかねないのだ。この人たちは――――――――
ですから、トゥレイス殿下も早々にヒロインを諦めることを諦めて、デオテラ神聖国の存続のためにも私に“真紋”を与えようなどという世迷言は金輪際言わないでください!
そう祈るように思いつつ、お兄様の背中の影からトゥレイス殿下を覗いてみた。
もしかしたら、お兄様の脅しにも取れる言葉を聞いて、シェアトのように顔を引き攣らせているか、護衛騎士のように顔面蒼白になっているかと考えたからだ。
けれど、そこには無表情のトゥレイス殿下がいた。
いえ、これは――――――――笑ってる?
あまりに微か過ぎて微笑とも言えないような笑み。なのに、不思議とトゥレイス殿下は愉し気に見えた。
そして、私と目が合う。
「ッ!」
思わずというか、ほぼ反射でお兄様の背中に隠れてしまう。これではまるで人見知りをしている子供みたいだ。
しかしそんな私に、トゥレイス殿下はその笑みを深めたように感じた。
あくまでも私がそう感じただけで、実際のところはどうだったのかわからないのだけれど――――――――
「どうやらこれはさすがに、私が性急すぎたようだ。今日のところはこれで引き上げることにしよう」
「今日だけとは言わず、ユーフィリナからは完全に手を引いていただけると有難いのですが……」
間髪入れずそう返したお兄様に、トゥレイス殿下は「それは難しい注文だな」とだけ返し、お兄様の背中に隠れたままの私に向かって声をかけてきた。
「ユーフィリナ嬢、そのハンカチーフは差し上げよう。私にはもう必要のないものだからね。ではまたいずれ近いうちに」
一方的にそれだけ告げると、トゥレイス殿下は護衛騎士を連れ、颯爽とこの場を後にした。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……
ため息しか出ない。声も出なければ、身体も動かない。
今、少しでも動けば、絶妙なバランスで積み上がった積み木ように私の身体も崩れ落ちてしまいそうだ。
正直、頭の整理がまったくつかない。
悪役令嬢に、ラスボス疑惑に、今度は求婚。まさに混乱の極みだ。
そんな私に「ユーフィリナ嬢、大丈夫?」とシェアトが声をかけてくれるが、全然大丈夫ではない。
しかし、公爵令嬢の端くれとして「えぇ、大丈夫ですわ、シェアト様。ご心配をおけして申し訳ございません」と、今できる精一杯の微笑みで返す。けれど、やはりお兄様には通用しなかったようだ。
「全然大丈夫ではないのだろう?無理をすることはない。正直に言いなさい」
そう言って差し出された手に、私は迷うことなく手を重ねた。
お兄様の手の温もりに、その力強さに、私の身体と心が安堵の息を吐く。そして僅かに気持ちが緩んだ瞬間、涙が頬を伝い落ちた。
「お兄様、私………お約束を……………」
「それはいい。ユーフィリナのせいではない」
「でも…………」
「私の方こそ悪かった。もう少し警戒をしておくべきだった」
「お兄様が悪いことなんて何も…………」
「だったら、この話は終いだ。ユフィも悪くなれば、私も悪くない。それでいい」
「お兄…様…………」
悲しくもないのに、辛くもないのに、ポロポロと堰を切ったかように零れ落ちる涙を、お兄様の指がそっと掬い取ってくれる。
その懐かしくも優しい感触に私は目を細め、お兄様もまたアメジストの瞳を愛しげに細めた。
しかし、そんな私たちを唇を噛みしめながらシェアトが見つめていたことに、私はまったく気づいていなかった。
「さて、これから私とシェアト殿はここの後片付けを少々しなければならない」
お兄様のその言葉にシェアトが頷く。
「そうですね。“言霊”で教室に閉じ込めた生徒たちの記憶を、まずサルガス殿の能力で消さなければいけません」
そういえば、西の公爵家のサルガス様は“忘却”の能力者だったわ…………と、思い出す。
「しかしそのためには、まずこの辺りに仕掛けた“幻惑”を解かなければな。そうしなければ、サルガス殿もここへは来られまい」
まぁ、いつの間に?と、お兄様を見やれば、「これ以上迷える子羊たちを増やして、サルガス殿に迷惑をかけられないだろう?だから、この廊下には誰も入れないように、風魔法と同時に“幻惑”をかけておいた」と、当然のことのように返してくる。
シェアトはさすがですとばかりにお兄様を見つめ、私は少し遠い目となった。
うん、もうすべてにおいて次元が違いすぎるわね。ここは黙っていることにいたしましょう。
「だが問題は、今“幻惑”を解くと、スハイル殿下とレグルスも私の魔法発動を感知しているだろうから、間違いなくここへやって来る」
「レグルス殿はともかく、スハイル殿下は問題ですね」
シェアトはそれはとんでもないことだと眉を寄せ、何故か私を見つめてくるけれど、私にはスハイル殿下の何が問題なのかさっぱりわからない。やはり次元が違う話のようなので、曖昧な笑みでやり過ごす。
しかし、ここでも私の笑みを正しく理解しているお兄様は、困った奴だとばかりに私を眺めて一つため息を吐くと、「だからユーフィリナは医務室で少し休んでいなさい」と告げた。
一体何が“だから”なのか、やっぱりわからない。けれど、それを問う間もなく、「シャム!」とお兄様が叫んだ。
えっ?ここで何故シャム?なんでシャムが出てくるの?
そんな疑問が渦巻きかけた瞬間、それは来た。
ビュンという風を切る音と共に、お兄様へ向かってただただ一直線に――――――――
「シャ、シャムッ⁉」
いつもは何のために付いているかもわからない小さな飾りのような羽を、前世で言うところのハングライダーのように大きく広げて、低空飛行でありながら猛スピードで廊下を飛んでくる。
そしてお兄様の直前まで来ると、その大きくなった羽を一羽ばたきさせてスピードを殺し、お兄様の前にぴょんと降り立った。と同時に、羽がいつものサイズに戻り、シャムは飛行で乱れたモコモコの灰色の毛を直すように、垂れた耳の付け根から両手を使い毛づくろいをする。それからお兄様を赤い瞳で見つめ、きょとんと首を傾げた。
もう、なにこの癒し?っていうか、シャムはお兄様の何なの?だいたい幻惑がかけられているはずなのに、ここまで来られたのは何故?あぁ、それよりも今はシャムに抱きついてモフモフしたい!
緩和と疑問に一人翻弄される私。お兄様からの視線が少々痛い気もするけれど、そんなものはシャムを視界に入れていれさえすれば、まったく気にならない。なんせ私にとってシャムは、最強の癒しとなるウサギ型魔獣なのだから。
一心にシャムだけを見つめ続ける私に、やっぱりお兄様はため息を吐いてシャムへと視線を移すと、当然のように命じた。
「シャム、このままユーフィリナを医務室に連れて行け」
「了解にゃ。でもセイリオス、相変わらずウサギ使いが荒いにゃ」
なぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!
ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!
い、い、今シャムがしゃべったのよね?
可愛い男の子ような声で、しかもウサギなのに猫語で………………
ううん、そもそも猫語ってものはないし、ただ語尾に“にゃ”が付いているだけなのだけれど、ウサギなのに“にゃ”って、もう何なの?私を悶え死にさせたいの?いいえ、そんなことより本当に話せたのね、シャムは…………
あぁぁぁぁ、これは駄目だわ。悶えて悶えて、もう立っていられそうにない………
なんてことを思っていると、私の身体がヒョイッと持ち上げられた。
所謂、お姫様抱っこというやつだ。
どうやらお兄様の命令に従い、シャムが私を抱え上げてくれたらしい。その少し高めの体温とモフモフの身体に、私はまた一気に癒される。
ここまでの光景を呆然と眺めていたシェアトもまた、「シャムが喋った…………」などと呟いているところを見ると、クラス代表とはいえども、シャムが話せることまでは知らなかったようだ。
けれど、シェアトはその驚きからすぐさま立て直すと、足早にシャムへと近寄った。そしてシャムに抱きかかえられている私にふわりと微笑みかける。
「ユーフィリナ嬢、後のことはセイリオス殿と私に任せて、安心して眠っていればいい」
耳障りのいいシェアトの声に、途端に重くなる瞼。
徐々に閉ざされていく視界に、お兄様が映る。
いつかのように、またお兄様が泣きそうな顔をしているわ。
私はもうお兄様を置いて消えたりなどしないのに―――――――
そんなことが脳裏を過って、お兄様を抱きしめてあげなくては…………と思う。
お兄様に向かって伸ばす手。
けれど、途中で力尽き、空だけを掴んでだらりと垂れる。
その刹那――――――――
ワタシハ貴方ノ笑顔ガ見タイノニ
悲シマセテバカリデゴメンナサイ……
心の深淵から聞こえてくる声。
それは、私であって私ではない心の声。
あぁ、あなたもお兄様が好きなのね………
そう心の声に呟いて、私の意識はそこで途絶えた。




