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誰がヒロインなのかさっぱりです(10)

 君子危うきに近寄らず――――――――

 でも、うっかりと言いますか……知らぬ間にと言いますか……近寄るつもりなどさらさらなかったにもかかわらず、近寄ってしまった場合はどうすればいいのでしょう?

 できれば、そうなった時の対処法も、ことわざとして是非とも残しておいて欲しかった。

 けれど、今は自分でどうにかするしかないわよね――――――と、私は拾ったハンカチーフを「どうぞ」と差し出しながら、目の前のデオテラ神聖国第二王子、トゥレイス殿下を、無作法にならないように気をつけながら眺めた。

 学園へ留学された際に催された歓迎式典で、遠目からはそのお姿を拝見したことはあったけれど、こんなに間近でお顔を見るのはもちろん初めてのこと――――――――

 癖一つない僅かな空気の流れにもサラサラと揺れる、銀髪と言っても差し障りのない灰色の髪。光の加減で黄金色にも飴色にも見える神秘的な琥珀色の瞳。

 容姿はとても端麗。すべてのパーツが無駄一つなく最高のバランスで配置されてはいるけれど、残念ながらそこに温かみも、柔和さも感じられない。

 そもそも感情という温度が、そこには宿っていないようにも見える。

 イメージとしては絵本の中の万人から愛される王子様というより、氷の世界から来た孤独な王子様といったところだろうか。

 それでも我が学園の制服を難なく着こなすあたりは、さすが本物の王子様と言えるかもしれない。

 そしてそのトゥレイス殿下の斜め後ろには護衛騎士と思われる男性。といっても、この男性も我が学園の制服を着ているため、一見しただけでは我が学園の男子生徒にしか見えない。けれどよくよく見てみれば、制服が悲鳴を上げそうなほどに、鍛え抜かれた肉体が制服の下でパンパンに張り詰めていることがわかる。

 そしてその容姿は、少し毛先に癖があるセピアの髪と、暗い灰みのエバーグリーンの瞳を持ち、決して整っていないわけではないけれど、少し垂れた目尻のせいで凄味というより愛嬌の方が先に立っているような気がする。

 歳は、トゥレイス殿下と変わらないか、もしくは一つ二つ年上といったところだろう。

 そんな二人を前に今の私ができること――――――――取り敢えず拾ったハンカチーフを渡して、早々に立ち去る。これ一択しかない。

 しかし、どういうわけか先程からハンカチーフを差し出しているというのに、トゥレイス殿下も斜め後ろに控える護衛騎士も、一向にハンカチーフを受け取ってくれる気配がない。というより、私を凝視している。

 この光景…………覚えがあるわね。

 その場で飛び上がったり、高速の瞬きはないけれど、この二人の様子はシェアトに教室で声をかけた時によく似ている気がする。

 最近のシェアトではなく、以前のシェアト以上に感情が薄そうなトゥレイス殿下の後ろで、あからさまに驚きの表情を浮かべる護衛騎士を見る限り、このトゥレイス殿下の若干目を見開いた微妙な表情を驚きとして受け取っても問題はないだろう。

 問題があるとすれば、何故驚かれているかということなのだけれど――――――――

 やはりこの免許皆伝の隠密スキルのせいよね…………と即座に理解する。

 この驚き具合から察するに、トゥレイス殿下も護衛騎士も、私の存在にまったく気づかず廊下を突き進んでいたに違いない。なのに、突然声をかけられ、振り返ってみれば床から湧いて出たかのように現れた私がハンカチーフを差し出していた―――――と。

 確かに、想像しただけで怖いわね…………

 真夜中でも、血みどろでもないし、床から這い出たわけでもないけれど、突如現れた見知らぬ令嬢………そりゃ驚くわよね。

 ある意味、立派な怪奇現象だもの…………と、申し訳なく思う。けれど今は、そんな申し訳なさよりも、さっさとこのハンカチーフを受け取ってほしいと切に願う。

 それとも、デオテラ神聖国では落とした時点ですべてがゴミ扱いとなり、私はゴミを拾って差し出していることになっているのかしら?と、他国の風習や文化の違いに気づき、私の血の気がさぁーと音を立てるようにして引いていく。

 隠密スキルで驚かせた挙句、ゴミとなったハンカチーフを拾って差し出しているなんて、私ったら他国の第二王子殿下相手になんて不敬なことをしてしまったの!

 やっぱり穴を一瞬で掘る魔法をお兄様に教えてもらうべきだったわ!

 なんて詮なきことが、血の気の失せた脳内でぐるぐると回り出し、私は軽い眩暈を覚えつつも、これからどうするかを決めた。

 こうなったら、先ず驚かせてしまったことを謝罪して、次にゴミとも知らず届けてしまったことを謝罪して、あとはとっとと逃げ帰ることにしましょう!

 元々敵前逃亡一択だったけれども、今は命からがらといった(てい)だ。それでも命あっての物種というし、逃げ帰ってしまえば、後はどうとでもなるだろう。

 私にはお兄様もいることだし………………

 まさに虎の威を借りる狐。

 けれど、その肝心な虎が後ろに控えていない状況では、ただのひ弱な子狐だ。

 私は敵前逃亡の第一段階として、ここぞとばかりに少々儚げにも見える淡い微笑みを作り、差し出していたハンカチーフをさりげなく引き取りつつも淑やかに頭を下げた。

 もちろん敵前逃亡するにも礼儀はかかせない。とはいえ実際は、引き攣りそうになる顔を今は駄目!と内心で注意し、がくがくと震える足には、お願いだから今だけは踏ん張って!と、これまた内心で励まし、どうにかこうにか取り繕っているだけにすぎないのだけれど…………

 でも、湖面を優雅に進む白鳥だって、その水面下では結構なバタ足。

 そうよ。私は公爵令嬢という名の白鳥なのよ!

 膝丈のスカートから、水面下でのバタ足ならぬ、ガクガクと震える足が曝け出ていようとも、微笑み一つで最後までやり切ってしまえば、あとはお兄様のもとへと全速で飛び立つ(逃げ去る)だけだわ、と開き直る。そして――――――――

「気づかなかったこととはいえ、デオテラ神聖国のトゥレイス殿下に対しまして、不躾にもお声をかけてしまい大変申し訳ございません。こちらのハンカチーフも、私の勘違いだったのでしょう。重ね重ね申し訳ございませんでした。それでは私はこれで…………」

 逃げの一手。もちろん相手に口を挟ませる間も、次の一手を打たせる隙も与えない。

 私は謝罪のために下げていた頭をゆっくりと上げると、右足をそっと後ろに一歩引いた。

 俗に言うところの“回れ右!”だ。

 しかし、私がクルリと回るよりも一瞬早く、トゥレイス殿下が無言で私の右腕を掴んだ。

「…………えっ?あ、あの…………殿下?」

 やっぱりハンカチーフを返して欲しいのかしら?

 デオテラ神聖国でも、落し物はやはりゴミではなく落し物なのかもしれないわ。

 当然のようにそんなことが脳裏を掠め、微笑みを作り直す。

 理由はもちろん、ハンカチーフをお返しする旨を伝えるためにだ。

 けれど、私が口を開く前に、ここまで無言を貫いていたトゥレイス殿下が口を開いた。

「君は誰だ?」

 あぁ………私としたことが………………

 逃げることしか頭になかったために、すっかり名乗ることを忘れていた。公爵令嬢としてあるまじき行為だ。

 私は慌てて頭を下げようとするけれど、如何せん右腕を掴まれている状況なのでそれもできない。

 仕方なく、目を伏せ、軽く足を折ることで、最低限の礼儀を尽くすと、もう一度謝罪の言葉とともに名乗ることにした。

「大変失礼いたしました。私はデウザビット王国南の公爵家の子女、ユーフィリナ・メリーディエースでございます。ご挨拶が遅れまして申し訳ございません」

「南の公爵………ユーフィリナ嬢………」

 トゥレイス殿下は私の挨拶を受けて、私の名前を噛みしめるように呟いた。

 琥珀色の瞳が微かに揺れただけで、表情はほとんど変わることはなかったけれど、味わうかのようにそれはもうじっくりと…………

 けれど今はそんなことより、とにかく私の右腕を解放してほしい。それに腕を掴まれているせいもあるのだけれど、トゥレイス殿下との距離が近すぎるような気がする。いや、気のせいではなく、かなり近い。

 このままトゥレイス殿下の腕の中に、囚われてしまいそうだと、起こり得るはずもない錯覚を覚えるほどに…………

 それに、感情という温度がまるで感じられない琥珀色の瞳に見下ろされていると、胸が妙に騒いで落ち着かない。というか、この状況で落ち着ける人がいるならば、それはただの現実逃避か、感情の一部が欠落しているかのどちらかだと教えてあげたい。

 えぇ~い!ここは、溺れる者は藁をもつかむよ!と、つい先程自分を白鳥だと見立てたばかりだというのに、今やすっかり溺れる者と成り果てた私は、トゥレイス殿下のすぐ後ろに控える藁――――――もとい、護衛騎士に救いを求める。

 もちろん、声に出して頼んだりなどしない。あくまでも視線だけでさりげなくだ。

 しかし、藁は所詮藁だった。というより彼もまた、トゥレイス殿下の行動に驚いているのか、トゥレイス殿下と私の間で視線を泳がせている。この場合、泳いでいるだけマシと言うべきか、溺れているのも同然と見るべきかは悩むところである。

 けれど、唯一縋りつけそうだった藁も役に立たないとなると、やはりここは自力のバタ足しかない。

 私は不敬も承知の上で、もう一度トゥレイス殿下に話しかけた。

「トゥレイス殿下、ハンカチーフをお返しいたしますので、どうかお手をお放しいただけないでしょうか?」

「…………………………」

 返ってきたのは沈黙。

 途方に暮れるとはまさにこのことである。

 さぁ、これからどうしましょう……………

 私は再び遠い目となった。でもその時、ようやく視線の着地点をトゥレイス殿下へと定めたらしい護衛騎士が、おずおずと口を開いた。

「殿下、このご令嬢にお心当たりがおありなのですか?」

 いえいえ、そんなものはないですよ………と、私がトゥレイス殿下より先に内心で答える。

 しかし、当のトゥレイス殿下はそれに答えることなく、何故か私に質問をぶつけてきた。

「君の髪色と瞳の色は、生まれた時からその色なのだろうか?」

 前にもこれと似た質問をされた気がするわね――――――と、記憶を浚い、そういえばシェアトにも同じようなことを聞かれたのだったわと思い出す。

 それにしても、どうして皆して私の髪色と瞳の色を確認するのかしら?と、不思議に思う。

 けれど、やはり最近の私はとても冴えているらしい。

 そうよ。トゥレイス殿下にしても、シェアトにしても、ヒロインこと“神の娘”の生まれ変わりを探しているのだったわ。

 つまり、白金の髪色で空色の瞳を持つご令嬢を探しているわけで、もし何かの間違いで私の幼い頃の色合いが、それに近い色合いだったとしたら、候補の一人として加えなければならなくなる――――――ということね。

 万が一まで想定して尋ねなければならないなんて、本当に人探しって大変だわ。私もヒロイン探しをするお仲間として見習わなくては…………

 そう思い至り、「生まれてからずっとこの色でございます」と、丁重に返した。

 僅かな可能性の芽もしっかり摘み取ってあげることが、トゥレイス殿下のためだと思ったからだ。

 しかし、トゥレイス殿下はほとんど変わらない表情に、何故か落胆の色を浮かべた。けれど、一瞬でそれを打ち消すと、今度は喜色とも取れる色を僅かに滲ませる。

「そうか。残念だとは思ったが、それはそれでよかったのかもしれない。君が()()であったならば、このまま兄上に差し出さなければならないところだったが、君が“違う”と言うのであれば、その必要もない。私はそれをただ鵜呑みにすればいいだけの話だからな。あぁ……これこそ天の配剤だ。君の髪色と瞳の色が、今の色で本当によかったよ」

「あ……あの…………………」

 トゥレイス殿下って、実はものすごく話されるのですね………ではなくて!

 

 兄上?

 差し出す?

 誰を?

 まさかヒロインを?

 

 デオテラ神聖国は“神”を復活させるために、“神の娘”生まれ変わりを探しているとシェアトに聞いたばかり。

 なのに、トゥレイス殿下の口から飛び出してきた言葉は、どう聞いてもデオテラ神聖国の第一王子殿下のためにヒロインを連れ帰るというものだ。

 そんな非人道的なことが許されるはずもない。でもそういえば……………と、こんな時なのに、いや、こんな時だからこそ、“江野実加子”の声が脳内で再生された。


“トゥレイス殿下はね、兄君である第一王子殿下のためだけに生きてるのよ。シェアトもそんな感じだったけれど、それよりもっと深刻っていうか、第一王子の人形というか、奴隷というか……まぁ、そうなるだけの理由があるっちゃあるんだけどね。でもさ、これまた第一王子が最低な男でね、強欲だわ女好きだわで、王子らしさなんて皆無。しかも、悪役令嬢のユーフィリナと手を組んで、ヒロイン……私を差し出せとか言ってくるのよ!あの最低第一王子めッ!けれど、ヒロインと出会って、恋をしてトゥレイス殿下は変わるのよ。人としての自分を取り戻して、そして第一王子殿下一派を退けて王太子となるの。自分のためではく、国民とヒロインのためにね。あぁぁぁ〜もう!素敵過ぎてきゅんきゅんしちゃう!”


 ……………………なるほど。

 だからこの台詞となるのね…………と、納得をする。

 しかし、納得はしても寛容はできない。

 いくらトゥレイス殿下が攻略対象者とはいえども、今の段階のトゥレイス殿下にヒロインを渡すわけにはいかない。

 そもそも私は、悪役令嬢を改め、引き立て役令嬢になるのよ。だから、死んでも第一王子殿下となんか手を組まないわ。

 ヒロインのことは、必ずこの私が守ってみせるんだから!と、心に誓い直し、右腕を取られながらもトゥレイス殿下を見据えた。

 しかし、どうも様子がおかしい。

 私を見つめる瞳に、先ほどまでまったく感じられなかった温度が――――熱が籠もっているような気がする。

 瞳以外の表情がほぼお亡くなりになっているので、瞳から発せられる圧が際立ち、余計にたじろいでしまう。

 怖い………………純粋にそう思った。

 けれど、相手が他国の第二王子なだけに、力任せに腕を振り払うこともできない。

 どうすればいいの?

 どうすれば放してくれるの?

 何が間違っていたの?

 そう―――――お兄様やシェアトの言う通り、やはり話しかけてはいけなかったのだ。

 だからこうなった。

 それはわかっている。

 でも、わからない。

 何故、トゥレイス殿下が私を放そうとしないのか。

 何故、そんな風に見つめてくるのか。

 何一つわからない。

 なのに―――――私を捉えて放さないトゥレイス殿下の琥珀色の瞳が、黄金色から飴色へと変わった。

 熱でとろけた甘い甘い飴色に………

 毒さえも含んだ蠱惑的な飴色に………

 その甘さと毒に私の思考は麻痺し、私の心はその瞳に溺れ沈んでいく。

 

 あ……駄目………目を逸らさなきゃ………

 

 そう思った時には遅かった。

 そして私は、その甘くも危険な琥珀の瞳に囚われた――――――



 身体も、思考も、心さえも動かない。

 ただただトゥレイス殿下の瞳を見つめるだけの人形だ。

 そんな私に、トゥレイス殿下が囁くように告げてくる。

「決めたよ。君は私がもらう。兄上には渡さない。だから君には()()ではなく、()()()()を与えよう」

「殿下ッ!」

「黙れ!」

「しかしッ……」

 護衛騎士とトゥレイス殿下の声が交互に響き、私の思考が僅かに動いた。

 

 私をもらう?

 仮紋って……真紋って何?

 そういえば、ここは廊下だったわ…………


 ――――――そんなことが、順々に頭を巡り、自分がまた昨日同様周囲の目を集めていることに気づく。けれど、トゥレイス殿下からは、どうしても目が離せない。

 これは一体どういうことなの?

 私に何が起こっているの?

 またもや疑問だけが空回る。

 身動き一つできない私を確かめるように、トゥレイス殿下は妖しく目を細めながら、徐ろに私の右腕を解放した。

 突然の自由に、ハンカチーフを持ったままダラリと垂れる右腕。これで頭を下げて立ち去れば済む話なのに、私の身体はやはりピクリとも動かない。

 何故?と問う間もなく、今度は下から掬い上げるようにして、左手が取られてしまう。

 廊下で片膝をつき、私に傅くトゥレイス殿下。

 そして、サラリと灰色の髪を揺らし、私の左手へと口づけを落とす。


 い……や………………


 囚われの心が起こした小さな拒絶反応。

 それは波紋となって広がり、一度は溺れ沈んだ心が、最後の足掻きとばかりに藻掻き始める。

 キラキラと水面上でそよぐ光。

 私にとってのその光は――――――



 お…兄様………

 お兄様―――――――――――ッ‼


 

 そう心が強く求めた瞬間―――――――


「風魔法!すべての鎖を噛み砕け!風牙(ふうが)‼」


 今まさに私の心が求め、呼んだ、誰よりも信じられる人の声が背後から聞こえた。

 と同時に、私を包み込んだ一陣の風。

 小さく舌打ちをしたトゥレイス殿下が、その風を避けるようにヒラリと身を翻しながら立ち上がった。

 風の中に一人取り残された私の耳元で鳴る、パキン!パキン!と何が砕け散る音。

 何?と思った刹那、風が霧散し、自由になったことを知った。

 身体も、思考も、心もすべて…………

 しかし、お兄様のもとへ駆け出したい気持ちとは裏腹に、私の足はもう限界だったようだ。

 安堵からくる脱力感に、私はそのまま廊下にへたり込んでしまった。

「ユーフィリナ!」

「ユーフィリナ嬢!」

 綺麗に重なったお兄様とトゥレイス殿下の声。けれど、お兄様とは少し距離があるため、お兄様の声はトゥレイス殿下の声にやや埋もれた。

 トゥレイス殿下はもう一度片膝をつき、無に近い表情を微かに曇らせながら、私に手を差し出した。

 そこへまた――――――

「風魔法!守りを固めよ!風盾(かざたて)‼」

 お兄様の声ともに突風が吹き荒れ、私とトゥレイス殿下の間を遮るように、ゴウゴウと唸り声を上げながら風の盾を作り上げた。

 その風の盾からトゥレイス殿下を守るべく、護衛騎士が殿下の身体を抱えて後ろに飛び退いた。けれど、すぐさま攻めに転じる。

「火魔法!燃やし貫け!火矢‼」

 間髪入れず、お兄様へと連射された炎の矢。

 ヒュン!ヒュン!ヒュン!と、音を立てながら空気を切り裂き、確実にお兄様を捉える。

 しかしお兄様はそれを、涼しげな顔のまますべて素手で払い落とした。

 おそらく手に、風魔法か、水魔法を纏わせていたのだろうけれど…………我が兄ながら、本当に最強だ。

 しかし廊下は一気に阿鼻叫喚。

 それを聞きつけたのか、それとも魔法の発動を感知したのかはわからないけれど、シェアトが「ユーフィリナ嬢!」と叫びながら廊下を駆けてくる。

 そのシェアトに対し、お兄様は振り向きもせず「シェアト!」とだけ声を張った。

 それだけでシェアトは自分が何をしなければならないのか察したのだろう。

 駆けていた足を一旦止めると、廊下で慌てふためく生徒たちに向かって声を発した。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 “言霊”の能力――――――――

 その絶対的な能力の前に、私たち以外の生徒たちは忽ち騒ぐのを止め、従順に教室へ戻っていく。

 それをへたり込んだ状態で呆然と眺めていると、お兄様とシェアトが素早く近づいてきた。

「ユーフィリナ、大丈夫か?」

「怪我はない?」

 心痛の色さえ見える二人の表情に、私は泣きそうになりながらも「大丈夫です……」とぎこちない笑みで答えた。それから、私に向かって差し出されたお兄様の手を取り、なんとか立ち上がると、「お約束を守れず……本当に…申し訳ございませんでした」と、頭を下げた。

 その謝罪に対してお兄様は何も答えず、私の右手に握られていた白のハンカチーフへと視線を落とす。

 明らかに男性物のハンカチーフ。

 私のものでないことは一目瞭然だ。

 事の顛末を一々語らずとも、ハンカチーフ一枚でここまでの経緯をすべて読み取ったらしいお兄様は、「姑息な真似を………」と吐き捨てるように呟き、軽く手を払うことで風の盾を消した。

 

 風の音が止み、束の間の静寂が廊下を包み込む。

 その静寂の中で、トゥレイス殿下と対峙したお兄様。

 

 やがて静寂は、不穏な空気の中で泡沫と消えた―――――――

 

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