誰がヒロインなのかさっぱりです(8)
今日のビュッフェのセレクトは、スモークサーモンとチーズのブルスケッタと、チキンとキノコのクリーム煮。そして、えびとレモンのマリネと、フォンダン・オ・ショコラ風、生チョコケーキ。
もう、天にも昇るようなランチタイムだ。
一度でいいから前世の私にも食べさせてあげたかった。
しかし、それらの料理に舌鼓を打ちながらも、シェアトに“紅き獣”のことをどう切り出そうかと、私は頭を悩ませていた。
せっかくのランチタイムにするような話ではない。だからといって、この機会を逃すと、シェアトに尋ねるのもまた一苦労となる。
私がシェアトに声をかけただけで、確実に女子生徒たちは悲鳴を上げ、男子生徒たちは石化する。
まるで何かに呪われているかのように………………
クラスメイトに声をかけただけで、毎回そんなことになってしまうのもどうかとは思うけれど、まぁシェアトが相手であるならば仕方がないことなのかもしれない。
しかし、回避可能であるならば、できるだけ回避するべきだろうと思う。
そうね。皆さんの平穏のためにも、私の至極のランチタイムのためにも、最後のデザートまで美味しく頂いてから、切り出すことにいたしましょう。
私はそう決めて、まずは目の前の料理を存分に堪能することにした。
「ユーフィリナ嬢は、本当に美味しそうに食べるのだね」
そうシェアトから告げられたのは、私が満面の笑みで本日のデザートであるフォンダン・オ・ショコラ風、生チョコケーキを口に運んだ時だった。
シェアトはとっくに食事を終えていたようで、ニコニコと笑顔でデザートを食べる私を眺めていたらしい。
私は顔に集まる熱をどうすることもできず、口の中のチョコが私の発する熱で呆気なく溶けてしまったことを残念に思いながら、恨めしそうにシェアトを見つめた。
「だって、ものすごく美味しんですもの。締まりのない顔になってしまうのは仕方がないことですわ」
「い、いや、そういうことではなく、気取って食べられるより、そんな風に美味しそうに食べられる方が、それを作った者たちも、その料理も嬉しいだろうなと思っただけだよ」
私の少し拗ねた口調に慌てたシェアトが、取り繕うように言葉を重ねてくる。
そのあまりの必死さに思わず笑みが零れ、ついつい教えなくてもいい情報まで口にしてしまう。
「お兄様にもよく言われます。だから私との食事は楽しいのだと。特に私の百面相を見ているだけで、お腹がいっぱいになってしまうそうですわ」
「それはセイリオス殿らしいね。けれど、セイリオス殿がお腹いっぱいになってしまう気持ちも、よくわかるよ。ユーフィリナ嬢の美味しそうに食べる姿は本当に愛らしいからね。私も君にお腹………というより、胸がいっぱいだよ」
「ッ!!」
あぁぁぁ…………これが俗に言う、攻略対象者の飴と鞭攻撃というやつね。これを直接喰らってしまったら、ヒロインどころか悪役令嬢だってすぐに恋に落ちてしまうこと請け合いだわ。
だから、絵に描いたような見事な三角関係の構図が出来上がって、悪役令嬢である私は断罪されてしまうのね。
なんて恐ろしい。これが乙女ゲームに仕組まれた甘い罠なのね。
ヒロインをシンデレラストーリーに、悪役令嬢を破滅の道へと誘うための――――――
でも私はそんな罠に、そう簡単に引っかかったりなんてしないわよ。
恋の駆け引きと社交辞令を間違えるほど、そこまで自惚れ屋さんのうっかりさんでもないですからね。
事恋愛に関しては、喪女は勘違いしない仕様となっているのですから。
元喪女の私を舐めないでちょうだい!
誰に告げるわけでもなく、いや、むしろどこかで聞いているかもしれない神様に物申すくらいの気持ちで、心の中でそう告げると、私は真っ赤に染まった顔のまま、上目遣いでそっと前を窺った。
そこには、愛しいものを見つめるかのような甘くとろける視線を、私に向けてくるシェアト。
そして私と目が合った瞬間、さらに追撃の一言を放ってくる。
「本当に君は、このまま食べてしまいたいほどに愛らしいよ」
「~~~~~~~~~~~ッ‼」
だ、駄目だわ。
私の許容範囲を、遥かに超えてしまっているわ。
お兄様といい、シェアトといい、公爵令息は甘い言葉を吐く教育でも受けてきているのかしら。
だったら、それに対抗し得るだけの教育を私にも受けさせてほしかったものだわ。
甘い言葉を無味無糖に変換する方法とか。
顔に集まる熱を一気に冷却する方法とか。
この難局を乗り切る方法を、ありとあらゆるパターンを想定して色々と―――――――
そもそもの話、幼少の頃からそのような教育を受けてきた彼らに、前世の属性が喪女である私が、太刀打ちなどできるわけがないのだ。
勘違いはしなくとも、免疫不足からくる動揺は必至。
ここまでのレベルともなると、心臓への負担過多で、私の命だって十分に危うい………そんな気がする。
お願いですから、もう少し手加減をしてくれませんかね!っていうか、その教育の成果はヒロインだけにお見せください!私には一切不要です!
なんてことを、懇願の体で盛大に叫ぶ。
もちろん内心で。
そして、実際の私はというと………………
「お、お腹を壊されても……知りませんからね」
真っ赤な顔を隠すように俯きながら、消え入るような声でそう返すのが精一杯だった。
どうやら私の台詞は、シェアトの笑いの壺へと綺麗に収まったらしく、「できればお腹を壊してみたものだ」などと過去の自分のイメージを払拭するかのように、シェアトは暫くの間、朗らかに笑い声を立てていた。
その様子をやっぱり真っ赤な顔で恨めし気に見つめながら、シェアトの屈託のない笑顔に私は少し嬉しくなる。
けれど今は、恥ずかしさのほうが断然上回っているので、「シェアト様、笑いすぎです」と、しっかり窘めておく。
するとシェアトは「いや……本当にすまない……」と、笑いを引き取りつつも「うん……だが楽しい」と自分の心に問いかけるように呟いた。
しかし、そんな楽しい(恥ずかしい)ランチタイムも延々と続くわけではない。
そのため私は、デザートの生チョコケーキを美味しく最後までいただいてから(この部分は譲れない)、「あの……シェアト様、実は……お伺いしたいことが……」と、ようやく本来の目的を切り出した。
けれどシェアトは、こんな時にも優秀さを垣間見せる。
「ユーフィリナ嬢が私に聞きたいこととは、“紅き獣”のことだね?」
「どうしてそれを…………」
「私も、君に聞きたいと思っていたからね。どうして君が“紅き獣”ついて知っているのか」
「それは………………」
正しい答えを告げるならば、前世で乙女ゲームの冒頭部分だけをしたことがあるから――――となるのだけれど、もちろんそう答えるわけにはいかない。
それらしき答えを用意するならば、噂でそんな話を聞いたから―――――となるのだけど、昨日、交友関係が極端に少なくて、友人と呼べる方もいないなどと、自ら公言してしまっている以上、どうも信憑性に欠けてしまう。
だったら、夢で見たとか?占いでそう出たとか?あとはそうね………“紅き獣”を実際に見たから………とか?
まぁ、確かにゲームで見たことを見たと言ってもいいのであれば、その答えもあながち嘘ではないのだけれど、この世界の“紅き獣”がゲームで見たモノとまったく同じモノだとは、どうも言い切れないような気がする。
なんといっても、悪役令嬢の私がそうなのだから、ゲームのキャラとこの世界のキャラを等しく見るべきではないとも思う。
おそらく、このシェアトにしても…………
もちろん前世で“江野実加子”が話していた内容と、そこに出てくるキャラの名前が一緒であることは間違いない。私も、ほんの冒頭部分だけではあるけれど、ゲームをしたからこそそれはわかる。
この世界は乙女ゲームの設定そのままだと――――――――
でも、何かが微妙に違っているような気がする。
それに、私の前世での記憶が正しければ、“江野実加子”はシェアトに対してこう言っていたはずだ。
『シェアトはね、三男である自分が能力を顕現させたことに、負い目を感じているの。だから、自分の兄がヒロインに一目惚れをしたことを知ると、シェアトはその兄にヒロイン…………って、私のことなんだけどね。その私を譲ろうとするのよ。自分の心を押し殺してまで……もうそのシーンが切なすぎて泣ける泣ける。たとえゲームでもね』
――――――――なんてことを。
確かに、元来生真面目なシェアトのことだから、能力の件に関しては、兄たちに対し多少の負い目はあるのだろうと思う。
けれど、今のシェアトは兄にヒロインを譲るどころか、むしろぐいぐいとヒロインに迫っていきそうな勢いすら感じる。
彼女だけは、たとえ相手が誰であろうとも絶対に譲れない―――――――そう、一途な想いを貫いて。
もちろん自分自身がゲーム中のキャラとは違っているからこそ、そう見えてしまうのかもしれない。
しかし、それだけでは説明がつかない奇妙な違和感とういうべきものが、確かにここにはある。
乙女ゲームとは違う何か………………
乙女ゲームにはなくて、この世界には存在する何か。
“江野実加子”から散々聞かされた話の中に、その答えらしきものがあったのかもしれないけれど、話半分どころか、食欲旺盛、話無関心で聞いていたため、まったくと言っていいほど思い出せない。
もう、前世の私ったら、なんて役立たずなのかしら!
などと、またもや前世の私に悪態を吐いてみるものの、仕方がないわよね、だって本当に興味がなかったのだから…………とすぐさまフォローを入れる。
それに今、私が考えなればならないことは、どうして私が“紅き獣”を知っているのかという理由(言い訳)であって、乙女ゲームとこの世界の間違い探しなどではない。
そこで私は信憑性があろうとなかろうと、嘘ではない話をすることにした。
「食堂で昼食を食べている時に聞いたのです。王都で“紅き獣”が目撃されたと……」
もちろん私の言う食堂とは、この世界の食堂ではない。そして話を聞いたのも、今の私ではなく前世の私。
けれど、そこには真実しか含まれていなかったせいもあり、シェアトはその言葉を信じてくれたようだった。
「そうか……王都での目撃情報がこの学園でも広がり出したのか……」
「…………………………」
当然それに対しての答えは返さない。返すならば、否となるからだ。
しかしその沈黙をシェアトは肯定として受け取ったのか、そのまま次の問いかけを口にする。
「私の耳が正確であるならば、昨日の君は『紅き獣はまだ………?』と呟いていた。あれは一体どういう意味なのだろうか?もしかしたら、君が探しているご令嬢と何か関係があるのかな?」
本当にシェアトは敏い。そして耳がいい。さらに付け加えると記憶力もいい。
今の私にとっては、非常に有難くないものばかりだけれど…………
さて、どう答えるかと一瞬頭を悩ませてはみたけれど、やはり話せる真実だけを告げることにする。
「これも聞いた話ですが、その“紅き獣”は誰かを探しているようだと……そして、姿を見せるだけで、まだ誰も襲ってはいないと聞きました」
そう、確かに“江野実加子”から聞いた記憶がある。
ヒロインこそが、“紅き獣”の初めての被害者であり、最後の被害者になったと――――――
けれど、私がしたのは本当にゲームの冒頭部分だけだったため、その辺りの事情とか、最終的に“紅き獣”がどうなったのかとか、そういったところが全然わからないままだった。おそらくゲームを進めていけば、その真相にも辿りつけたのだろうけれど、すべては後の祭りだ。
しかしこれだけは言える。
「つまり、“紅き獣”は目的の人物をまだ探し出せていないということになります。だから…………」
「まさか君は、その“紅き獣”に襲われそうな人間を探し出して、注意を促そうと…………いや、違うな。君は癒し魔法に特化した一年の女子生徒を探していた。そしてそれは、スハイル殿下のご推薦で入学したご令嬢だとも言っていた。君ははじめから、“紅き獣”がすでに目的の人物を探し出したという前提で話を進めていたんだ」
「…………………………」
「しかし、私は『そんなご令嬢はいない』と答えた。だから君は『“紅き獣”はまだ……』と呟いたんだな。ならば、どうして君は“紅き獣”が目的の人物をすでに探し出したと思い込んだのか…………そして、何故“癒し魔法に特化した一年の女子生徒”が、“紅き獣”の目的の人物であると断定できたのか………これはとても興味深いね」
「…………………………」
こういう時、敏い人が相手だと非常に助かる場合もあれば、困る場合もある。少し押し黙っただけで、その沈黙の答えを見つけ出してくれるからだ。
あたかもそれが、真実であるかのように…………
そして今回は非常に困る場合となるわけで、見つけ出された答えがほぼ正解なだけに、否とも言えなければ、応とも言えない。
しかし、これほどまでに見事な推理力を見せたシェアトだったけれど、それ以上の追及をする気はなさそうだった。
むしろ、満足そうにも、眩しそうにも私を見つめ「やっぱり君は、特別な人なんだね」と呟いている。
いやいや、それは大きな勘違いですよ。
私はただの転生者であって、それも過去色んなファンタジー小説の転生者中で、断トツ乙女ゲームをやってこなかった、やっちゃった系元喪女の残念すぎる転生者ですからね。そこはお間違えなく。
という台詞を苦笑にかえて、シェアトを見つめ返す。
するとシェアトは、今までの話で何をどう理解し納得したのか、うんうんと頷き、こう続けた。
「ユーフィリナ嬢が、まだ何も話せないということはわかったよ。だからこれ以上は、紳士としても、君の良き理解者としても、私からはもう何も聞かないと約束するよ。たとえ今の君が何も話せなくとも、私にはちゃんとわかっているからね」
一体、シェアトは何をわかっているというのかしら?(私はさっぱりだというのに?)
それに、いつからシェアトは、私の良き理解者となったのかしら?(それはそれで有難いけれど)
なんなら、途方に暮れている私に何をどうわかったのか、一から噛み砕いて説明してほしいくらいだわ。
そうは思うものの、やはり何一つ言葉にできなくて、私は苦笑を深めただけだった。
そんな私にシェアトは一度微笑んで見せてから、真剣な表情へと改めた。
「しかし、ここまで君に話をさせて、私から何も話さないのはフェアではないね。だから、話せることだけ話すことにするよ。まず、東西南北の能力者である私たちは現在、スハイル殿下から直接ある任務を命じられている。そしてその任務が、“紅き獣”に関することだ」
「そう言えば、昨日お兄様も仰られていましたわ。スハイル殿下から『厄介な頼まれ事をされた』と…………」
「あぁ、それは間違いなく任務のことだね。それで、私たちの任務のことなのだが…………」
「ちょ、ちょっとお待ちください!シェアト様!」
私は思わず、シェアトの口を止めた。
その場で立ち上がり、テーブルに阻まれながらも、シェアトの口を実力行使で塞ぐべく、必死に手を伸ばす。
もちろん、まったくもって届きはしなかったけれど…………
「私は能力者でもないただの公爵令嬢です。そんな私が、重要な任務のお話を聞いてもよろしいのでしょうか?私はシェアト様のご迷惑になるようなことだけはしたくありません。ですから、もう一度よくお考えになられてから、お話しください」
シェアトは目を丸くしながらそれを聞いていたけれど、やがて面白い話でも聞いたかように肩を揺らし笑った。
もう、キャラ崩壊云々などと言うつもりは一切ないけれど、ここは笑うところではないということだけは是非とも言いたい。けれど、やっぱり言えなくて、シェアトを睨むように見つめる。
「いや、笑ってしまって本当に申し訳ない。ユーフィリナ嬢は、自ら“紅き獣”の目的の人物を探し出そうとするほど、とても行動的な一面もあるのに、私に迷惑をかけたくないからと、任務の話をすることを考え直すように言ってくれるとは、なんて慎み深く、思慮深い人なのだろうかと思ってね」
いやいや、今の私の態勢のどこに慎み深さが出ているというのでしょう?
実力行使で口を塞ごうとしている、この私の態勢の一体どの辺りに?
私は罰が悪くなり、取り敢えずしずしずと座り直す。
きっと……いえ、絶対に顔が赤くなっているだろうけれど、気にしてはいけない。気にするとさらに赤くなる。だから絶対に、気にしてはいけないと呪文のように唱えながら、私は居住まいを正した。
シェアトはそれを待って、改めて口を開く。
「心配してくれてありがとう。だが私も、いくら麗しいご令嬢に頼まれたからといって、すべてを話してしまうほど愚かではないつもりだよ。だから、今から話す内容は、任務に差し障りのない部分だけだから、安心してくれていい」
「は、はい。申し訳ございません。話の腰を折ってしまいまして」
しゅんと小さくなりながら私がそう伝えると、シェアトは「いや、ユーフィリナ嬢がそういう女性だとわかって嬉しいよ」と、私を過大評価するような台詞をさらりと吐いてから、話の舵を元に戻した。
「私たちの任務は、これ以上の被害を出さないためにも“紅き獣”を捕獲すること。そして、デオテラ神聖国へと穏便に連れ帰っていただくことだ」
「デオテラ神聖国に?」
「そう。これはスハイル殿下が外遊中に掴んだ情報なのだが、デオテラ神聖国はある目的のために、この“紅き獣”を召喚したらしい」
「召喚って……まさかこの“紅き獣”は……」
大きく目を瞠った私に、シェアトはしっかりと頷いた。
「召喚獣。つまり、“紅き獣”は魔獣ではない。デオテラ神聖国によって召喚された“聖獣”だ」




