誰がヒロインなのかさっぱりです(4)
はて?
私は何か約束をしたような?
そんなことが一瞬脳裏を掠めたけれど、「ユーフィリナ嬢、大丈夫?」と声をかけてきたシェアトに意識が向き、私はあっさりとその追及をやめた。
そして「大丈夫です」と微笑みを返したところで、「その微笑みは……本当にまずいな………」などと、ぶつぶつと呟き始めたシェアトに、再び首を傾げる。
う〜ん、また何か独り言を漏らしているようだけれど、よく聞こえないし、それにこれはただの独り言だから、聞き返すのも変よね。
ここは、意味のない風の囁きだとでも思うことにして、さらりと流すことにいたしましょう――――――と、笑顔のままでやり過ごす。というか、今まで知らなかったけれど、シェアトは独り言をよく呟くタイプらしい。
シェアトは三人兄弟のはずなのに、まるで一人っ子みたいね…………と、勝手なイメージを押し付けて、その点、私は二人兄妹だから……と考え始めたところで、よくやく思い出した。
自分の本来の目的を。
そうだわ。呑気に考え事をしている場合ではないわ。早くシェアトに聞いて戻らないと、お兄様が本当に来てしまうわ。
しかし、ここは廊下。
ここで切り出すには少々人の目がありすぎる。だからといって場所を変えようにも、咄嗟に思いつく場所もなければ、気の利いた台詞も出てこない。
まさか先程のように腕を掴んで、どこかに連れ込むわけにもいかないし……………
ここまで周りの目を集めてしまっている中でそんなことをすれば、あらぬ噂を立てられかねない。いや、たとえ普通に場所を変えただけでも、好き勝手な憶測が飛び交うのは、火を見るよりも明らかだ。
うん、やっぱりここは出直したほうがよさそうね。シェアトの具合も悪くないようだし…………
私はそう決めると、シェアトへ向かって頭を下げた。
「私の勘違いで、シェアト様を振り回してしまって申し訳ございませんでした。今日のところはこれで失礼いたします。それではまた明日………」
しかし、またもやシェアトに遮られる。
「ユーフィリナ嬢、ちょっと待ってくれないか。確か君は、朝から私の様子が変だと思っていたんだよね?」
シェアトが何を言いたいのかはわからなかったけれど、問いかけられた内容についてはまったくその通りだったので、「えぇ、そうです」と頷きながら素直に認める。
すると、何故かシェアトの顔に喜色が滲んだ。もう無表情とか、喜怒哀楽の振り幅が少ないとか、それは一体誰の話でしょう?と、こちらが色々問い質したいくらいだ。
しかし、このイメージ崩壊は決して悪くない。
むしろ素敵なことだわーーーーーなんてことを思っていると、シェアトがさらに続けてきた。
「つまり、朝から私を見ていたということは、ユーフィリナ嬢は私に何か用事があったのではないかと推察できるのだが…………違うかな?」
まぁ、なんて敏いのかしら、と思わず目を見開く。と同時に、自分に気があるのではと自惚れたりしないところが、思慮深いシェアトらしいわね、と感心すらしてしまう。
けれど、ここで問いかけてもいいのかしら?と、シェアトの意向を確認する意味も込めて、一度目を合わせてから、ちらりと視線を横にずらした。
それだけでやはり敏いシェアトは私の言いたいことがわかったようで、「ユーフィリナ嬢、君さえ良ければ、場所を変えようか?」と、私にだけ聞こえる声で提案してくれる。
確かにその方が有り難いことは有り難い。でも…………と優柔不断な性格が頭を擡げる。
場所を変えれば、あらぬ憶測で今度は確実にシェアトに迷惑をかけてしまうことは間違いない。とはいえ、こんな廊下でする話ではないこともまた確かだ。
やはり、日を改めたほうがいいのではないかしら………と思い始めるものの、でもすぐに、せっかくシェアトが聞いてくれようとしているのに、お断りするのもなんだか申し訳ない気もするし………と、右に左にと思考が揺れる。
まったく正解がわからなくなり、うんうんと悩み始めた私に、シェアトがくすりと笑って、突然声を張った。
「なんと、これはいけない。ユーフィリナ嬢の体調がよろしくないようだ。ここはクラス代表として、私が医務室に連れていこう」
「へっ?」
「ユーフィリナ嬢、辛かったら私に掴まってもいいからね」
キョトンとする私に、シェアトが周りに気づかれないようにパチンと片目を瞑ってきた。
なるほど、そういうことですか。さすがクラス代表様です。
えぇ、これは大変素晴らしい機転だと思います。
すべてを察した私は、了承の意を込めてコクコクと首を縦に振る。
シェアトの台詞がちょっと芝居かかっていたのは否めないけれど、どうやら私の気持ちを汲んで、一芝居打ってくれたようだ。
あぁ、シェアトは本当に思慮深くて素敵な紳士ね。
そう嬉しく思いながら、シェアトの芝居に乗る以上、ここは笑顔ではなく少しでも儚げに見えるようにしなければ――――と、内心で拳を作る。そして、「えぇ、ありがとうございます。シェアト様」と、へにょりと眉尻を下げてみた。
そんな私の儚いというより、情けない顔を見たシェアトは慌てて目を逸し、一つ咳払いをする。
それから私に背を向けたままで「それでは、行こうか」と、廊下を歩き出した。
このシェアトの反応からして、どうやら私の芝居は大根だったらしい。
いやいや、シェアトも人のことは言えないくらい棒読みでしたからね!
なんてことをシェアトの背中にぶつけつつ、私は結局、当初の目的地でもあった医務室へと向かうことになった。
医務室は、時計塔と呼ばれる時計台を兼ねた別棟の一階にある。
その理由は、学園と同じ敷地内に併設する大学と共用している場所だからだ。
その医務室も前世の私が知る日本の保健室とはかなり様相が違っている。
ベッドはあるけれど、その下には癒しの魔法陣が敷かれているし、一応清潔感溢れる白で統一されてはいるけれど、薬品の瓶以外にも薬草やトカゲのしっぽが干されていたり、大きな窯が置かれていたりと、オカルト的要素も所々見受けられる。
そして最大の違いは、保健の先生がいないこと。
その代わり、そこにいるのは光魔法に特化した大学院生と、その助手となる使役獣だ。
使役獣とはその名の通り、人に仕え、使われる獣のことで、日本では牛や羊、ヤギなどの家畜や盲導犬などのことをいうらしいけれど、魔法があるこちらの世界での使役獣は、従魔契約をした魔獣のことを指す。
ちなみにこの医務室にいる魔獣は、成人男性ほどの身長がある大型のウサギ型魔獣だ。
もこもことした灰色の毛に、くるりとした赤い目と愛くるしい垂れ耳を持ち、ピョンピョンと飛び跳ねるのではなく、テクテクと二足歩行をするというまさに癒しの塊。
さらに背中には、それでは絶対に飛べないだろうと、突っ込みを入れたくなるような毛と同じ色の小さな羽が付いている。
名前はシャム。ウサギだけどシャム。そこは誰も気にしない。気にしてはいけない。
しかし、ここにいる使役獣のシャムは少々特殊で、以前は数代前の学園長先生の従魔だったそうだ。けれど、その学園長先生の死で従魔契約が切れてしまった。
契約者が事故などで突発に死んだ場合には、その従魔も命を落とすことになるのだけれど、契約者が寿命で亡くなった場合は、従魔が命を落とすことはない。そして、そもそも魔獣はとても長生きだ。
そのためシャムは、新たな契約者を探そうと思えばいくらでも探すことはできたし、自由に生きることもできた。にもかかわらず、何故か学園から離れることを酷く嫌がったそうだ。
そこで、元々光魔法に特化していた学園長先生の従魔だったことから、学園と大学が共用する医務室に従事することで落ち着いたらしい。
今ではこの学園と大学の使役獣として、きっちりと勤務時間を守った上で医務室に詰め、時間外になると学生寮の庭ある住処に戻って休むという、とても勤勉で可愛い魔獣なのだ。
そしてここにいる大学院生は、癒し魔法の訓練と研究もかねて当番制で詰めているわけだけれど、放課後は己の研究に没頭するためか、ほとんど医務室にはいない。
まぁ、放課後なので屋敷や寮に戻ってお抱えの医者なり、専属の回復師に診てもらえば済む話なので、そこは大した問題ではない。というより、今の私たちにとっては非常に有難い状況だった。
「ここでいいかな?」
「はい」
シェアトに促されるようにして医務室へと入る。もちろん、疚しいところがない慎みある紳士淑女として、扉は開けたままにしておく。
それにしても、当初は私の方がシェアトをここへ連れてくるつもりだったのに、今は何故か付き添われる形となっている。
明らかな立場逆転。
なんで?とは思うけれど、取り敢えずシェアトの機転により、周りに怪しまれることなく場所を変えられたことに一安心だ。
可愛いシャムとは医務室に来る途中ですれ違ったところをみると、どうやらもう勤務時間は終了してしまったらしい。
私の癒しが…………などと、思わなくはないけれど、これで落ち着いてシェアトからヒロインの情報を聞き出せるわね――――――と、前向きに捉えることにし、シェアトから進められるままに診察用の丸椅子へと腰かけた。
「それで、私に聞きたいこととは何かな?」
乾燥させるために吊られた薬草が、さわさわと揺れる窓際へと立ったシェアトが、改めて問いかけてきた。
私とシェアトの距離は、私が普通に歩いて約五歩分。近くもなければ遠くもない絶妙な距離感だ。
そしてこの距離感もまた、思慮深いシェアトの気遣いの一つだと思うと、なんだか成人した立派なレディとして扱われているような気になり、とても嬉しくなる。
なんせお兄様は、妹相手の気軽さゆえからかその距離感がかなり近い―――――気がする。
他のご令嬢たちに対してもあんな距離感だとしたら、これは大問題だわ、とお兄様の紳士としての作法に一抹の不安を覚えながら、私はまずシェアトに向かってペコリと頭を下げた。
「シェアト様、このようにお時間を割いてくださり、ありがとうございます。それでお尋ねしたいことなのですが…………」
「うん、何かな?」
問いかければ、間違いなくこのシェアトの寛容な紳士然とした表情を崩してしまいそうな内容だけれども、私は覚悟を決めて土下座案件であるあの名前を口にした。
「実は訳あってあるご令嬢をお探ししているのですが、あの……こちらの学園にケチャップ家のトマト様というご令嬢はいらっしゃいますでしょうか?」
「えっ?ケチャップ家のトマト嬢………?」
予想通りシェアトの顔がキョトンと固まった。
せめてもの救いが、この世界にはトマトケチャップなるものがないという点だ。
そもそもこの世界ではトマトのことをリコペルと呼んでいる。
もしそれでケチャップを作れば、リコペルケチャップとなるので、トマトという名前からあの真っ赤に熟れた野菜を想像されることもない。
それでも、言ってる私の方が今絶対に熟れたトマトのような顔になっていると思う。
口に出してみてよくわかったけれど、この名前だけは絶対にないと言い切れるレベルだ。
前世の私は本当に何を考えていたのかしら…………うん、わかってる。ご飯のことよね。
あの頃の自分の脳内を即座に思い出す。色気より食い気に走っていたあの頃の自分の脳内を。
もちろん、こんな事になると知っていたら、それはもう我が子の名前を考えるような真剣さでヒロインの名前を決めただろう。
アバターだって、全方向トマトになんてするはずがない。
前世の私にだってそれくらいの常識はある。記憶の中のアバターを思い出す限り、センスがあるとは言い難いけれど…………
しかし、ここがゲームの世界であるならば、ある意味なんでもありのような気さえしてくる。そうなってくると、このあり得ない名前も決してあり得なくなってくるわけで――――――――
これはあくまでも念の為の確認よ。神様だってこんなへんてこな名前を、麗しきヒロインの名前にするわけがないもの。もしそんなことをしたら、神様のネーミングセンスを疑ってしまうわよ――――――と、前世の自分の所業を棚の上に放り投げながら、私は死刑宣告を待つ罪人のようにシェアトの言葉を待った。
返答次第では土下座をするぞ!と決意を固めながら…………
当然、私のそんな決意を知る由もないシェアトは、困り顔で告げてくる。
「ユーフィリナ嬢には申し訳ないが、心当たりはないかな。私も存外顔が広い方だけど、トマト嬢という名前のご令嬢とは面識はない。噂としても聞いたことはないな。ケチャップ家に関してもね。うーん、そうだな……もしよかったら、他の生徒にも尋ねてみようか?」
まぁ、なんてシェアトは面倒見がいいんでしょう。けれど、そんな必要はまったくないのです。それどころか、シェアトの記憶の中にそんなご令嬢が存在しないと知れただけで大満足なんです。
だって、攻略対象者であるシェアトが知らないってことは、そんなへんてこな名前のご令嬢はこの世界にいないも同然だと、太鼓判を頂いたようなものですから。
土下座回避の喜びに湧く心をなんとか押さえつけながら、私はほんの少し残念そうな口調で告げた。
「いいえ、そんなシェアト様のお手間を取らせるわけには参りません。きっとお名前は私の記憶違いだったのでしょう」
「いや、手間なんて思わないが……もしよかったら、ユーフィリナ嬢が知るそのご令嬢の特徴とかを教えてくれないか?私でよかったら尽力しよう」
あぁ、ほんと紳士の鏡。紳士の模範。紳士の中の紳士だわ。
シェアトの真摯な人柄に感動さえ覚える。そしてこのシェアトからの申し出は、私にすれば願ったり叶ったりだった。
そこで私はできるだけ神妙な顔を作り、丸椅子に腰かけたままでシェアトを見上げた。
「シェアト様にご尽力いただけるなんて申し訳ないことですわ。でも、正直困っていましたの。私、お恥ずかしいことに交友関係が極端に少なくて、友人と呼べる方もいないのです。だからお尋ねできる人も見当たらず、本当にどうしようかと…………」
そう眉を下げて苦笑すると、シェアトは何故か大層納得したように何度も頷いた。
「あぁ、それはそうだろう。今のユーフィリナ嬢が交友関係を広げるのは非常に難しい。私ですら、君に声をかけてもらってやっと話ができたくらいだからね。それも、一応対応策を講じたとはいえ、明日にはどうなっていることやら見当もつかない……………そう考えると、君が学園で友人を作るのはおそらく不可能に近いだろう」
あ、あの………シェアト様?今かなり私の心臓を抉るように、グサグサグサと色々なものが突き刺さってきたのですが…………
えぇ、えぇ、もちろんわかっておりますとも。
前世の属性である喪女の呪いが、今世の私にもかかっていることくらい、しっかりと自覚済です。
先日、改めて自分の顔を鏡で見た時には、あれ?私の顔ってもしかしてとんでもなく美少女系?などと、自惚れかけましたが、今はちゃんと自分自身の分を弁えております。
だから……だから…………明日にはどうなるかとか、不可能に近いとか、あまりはっきり言われると、顔で笑って心で泣いちゃいそうなので、せめてオブラートか何かに包んでもらえませんかね?
私は引き攣りかける頬を微笑みで誤魔化しつつ「そ、そうなんです。自分でもなんとかしようとは思っているのですが、なかなか思い通りにはならなくて…………」と、なんとか無難に返す。
するとシェアトからは「いやいやこの件に関しては、君の力だけでは絶対に無理だと思うよ」という見事な返り討ちにあった。
うん、めげそうだわ。
できればここは心の一番柔らかい部分なので、お得意の紳士対応でお願いしたかった。
あぁ…………………
今こそこの医務室に、ウサギ型魔獣のシャムがいてくれたらいいのに…………
シャムにとっては迷惑な話だろうけれど、それはもう全力でもふもふするのに…………
――――――――と、ダメージ過多による瀕死状態である私は、心の底から癒しを切望した。
しかしこの数分後、その癒しが恐怖と連れ立ってやって来ることを、今の私はまだ知らない。




