誰がヒロインなのかさっぱりです(3)
それにしても、病人であるシェアトの往生際が悪い。
「ユ、ユーフィリナ嬢、ちょっと待ってくれないか。どうして医務室なんかに……」
「もう待てないと申し上げたはずです。それに、どうしてではありません。朝から体調が優れないのでしょう?なのに放課後まで我慢するなんてとんでもない話です」
「いや、だから体調が優れないって誰が……」
「シェアト様に決まっています。そんな赤い顔をされて、具合が悪くないはずがありません。だいたい朝からずっと癒し魔法が得意な生徒を探されていたでしょう?見ていればわかります。いくらクラス代表とはいえ、無理はなさらないでください」
「ちがッ…………」
ぐいぐいとシェアトを引き摺るようにして廊下を進んでいたはずなのに、ここに来てぐんっと後ろに引っ張られてしまう。
どういうこと?と振り向けば、これ以上は前に進ませないとばかりに、シェアトが赤い顔をぶら下げながら、足をしっかと踏ん張っていた。これではまるで注射を嫌がる駄々っ子のようだ。
「シェアト様!」
「違う!そうではないのだッ!」
「何がです!」
「だから私はッ………その……体調不良ではなくて、私の顔がこんなに赤いのは…………ユ、ユーフィリナ嬢があまりに…………」
「私があまりに?」
この頑なな踏ん張りようと、「違う!」と言ったあの勢いは何だったのかと尋ねたくなるほどに、シェアトの声がどんどん尻すぼみとなっていく。
私もそんなシェアトの様子に、使命感と言うべき焦燥が徐々に削がれてしまい、シェアトをまじまじと見つめながらコテンと首を傾げた。
しかし、今の私はとても冴えているらしい。すぐさまシェアトの気持ちを察する。
そうか、わかったわ!
私の存在があまりに薄すぎて、目の前に立たれていたのにもかかわらず、まったく気づけなかった自分を恥じているのね。
まぁ、本当にシェアトは真面目すぎるわね。これもクラス代表としての責任感ゆえかしら。
ここは、私の隠密スキルが優秀すぎただけで、気にしなくてもいいと伝えるべきね。
ふふふと一人笑み零して、私は掴んでいたシェアトの腕をようやく離すと、一歩後ろに下がった。
緊急事態は無事解除され、今度は正しき紳士淑女の距離を保つためだ。
けれど、シェアトの顔は依然として赤い。それどころか、私の顔を凝視するように見つめながら、ますます顔の赤みが増していっているような気がする。
パールグレーの瞳は潤みっぱなしだし、とても大丈夫そうには見えない。
う~ん……これはどうしたものかしら――――――と思いつつ、再び心配となった私はシェアトに声をかけた。
「あのシェアト様、やはりご気分が優れないのではないですか?お顔の色が、先程よりもさらに酷くなっているように思われるのですが………あの、ここは無理はなさらず、やはり一度医務室のほうに………………」
「いや、心配をかけて申し訳ない。しかし、本当に違うんだ。あぁ………心配そうな顔も堪らなくそうなのだが、先程の笑顔は本当に………あれはいけない。セイリオス殿が隠しておきたがる気持ちもよくわかる。そう…………よくわかりはするが、だからといってこれはやり過ぎだ。だがこれで私も身を持って理解した……………ユーフィリナ嬢を認識するためには、まずユーフィリナ嬢自身に認識され、声をかけられる必要がある――――――ということだ。まったく………これでようやく私にも、スハイル殿下が仰られていた言葉の意味がわかったよ」
どうやらシェアトは何かの意味がわかったらしいけれど、独り言のようにぶつぶつと呟いているだけなので、ほとんど聞き取ることができなかった。
そのため私にはさっぱり意味がわからないままだ。
しかし、体調不良ではないことだけはわかった。つまり、私の早とちり。穴があったら今すぐ入りたいとはまさにこのことだ。
そのせいで、今度は私の顔がじわじわと熱を帯びながら真っ赤に染められていく。
その染まりを阻止しようと、両手で頬を押さえてみたけれど、かっと熱くなった体温を感じ取れただけだった。
むしろそれが呼び水となり、ますます体中の血を沸き立たせ、全身を隈なく真っ赤に染め上げてしまう。
あぁ……これは本当に恥ずかしすぎるかもしれない………
今度お兄様に、瞬間的に穴を掘る魔法でも教えてもらおうかしら(そんなものがあれば……だけれど)。もしかしたら、恥ずかしい時以外にも需要があるかもしれないし………
温泉を掘り当てるとか?
水脈を見つけ出すとか?
そうなれば一攫千金ね。
だいたい私が唯一使えるあの魔法では、こんな時全然役に立たないもの。というか、恥ずかしいことをする前提っていうのも、なんだか情けない話よね。
けれど、備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖よ。
それに、隠密スキルに穴掘り魔法まで加われば、もう誰も私を見つけられないわ……………………って、そこだけをこれ以上極めてどうするのよ、私!
―――――などと、わざと思考を明後日の方向へと飛ばしてみるけれど、その効果はまるでない。
完全に茹で上がっているのが自分でも判る。
それは当然、シェアトにも一目瞭然なわけで―――――――
「ユーフィリナ嬢、すまない。君にとんだ誤解をさせてしまったばかりか、恥ずかしい思いまでさせてしまって……」
「い、いいえ、シェアト様のせいではありませんわ。私が勝手に早とちりをしてしまっただけで…………私の方こそ申し訳ありませんでした。シェアト様を強引に教室から連れ出すような真似をいたしまして………」
「いや、それこそ気にしないでほしい。君は私の体調を気遣ってくれただけなのだから…………」
学園の廊下でもじもじとする二人。
これではお見合い直後に、妙に気の回る仲人から突如二人っきりにされたカップルのようだ(前世でもそんな経験はないけれど)。
私は逃げ出したい気持ちをなんとか抑えて、涙目ながらにシェアトを見上げた。そして、唯一残った疑問を口にする。
「それではその…………どこも体調が悪くないのでしたら、シェアト様は朝から一体どなたをお探しになられていたのですか?」
これもまた私の勝手な思い込みではあるのだけれど、癒し魔法に特化した生徒――――つまり、この乙女ゲームのヒロインを探しているのだとそう信じて疑いもしなかった。
それが根底から崩れ去った今、あのシェアトの行動には疑問符しか付かない。
するとシェアトは酷く罰が悪そうに、とても言いづらそうに答えた。
「君を……ユーフィリナ嬢を探していたんだ」
「私を……ですか?」
これには正直驚いた。
私とシェアトは入学してからこれまで挨拶以外したことはない。それも私からすれ違いざまに一方的にする程度で、シェアトからの挨拶はあくまでも儀礼的な実のないものだった。
視線すらまともに合ったことはなかったと思う。
だから私にしてみれば、前世の記憶が戻り、ヒロイン探しをしなければならないこんな事態に陥らなければ、そのままシェアトと一切関わることなく卒業を迎えるはずだった。
片や公爵令息の“言霊”の能力者であり、女子生徒憧れのクラス代表。
そして片やこちらは、一応公爵令嬢ではあるものの、隠密スキルだけがやたらと際立つ影の薄いクラスメイトだ。
接点などできるはずもない。
なのに、シェアトは私を探していたと言う。一体どんな理由があってと訝しく思うのは当然のことだろう。
もしかしたら、提出しなければならない課題があったのかしら?
それとも、私の底辺すぎる魔力量に対して、同じクラスのクラス代表として一言物申したいことがあるのかしら?
思いつくのは良からぬ理由ばかり。
そのおかげで、先程まであれほど私を茹で上がらせていた熱も、今やすっかり冷めきっている。
しかしシェアトの熱は未だ冷めきらないようで、耳まで赤くしたままとても真摯に返してきた。
「夜会の席で聞いたんだ。君が怪我をして夜会を欠席したと。それから三日、学園も欠席で……やっと今日出席だと聞いたのだが、朝からユーフィリナ嬢の姿が見えなくて……だからずっと君のことを探していたんだ………その………色々と……確かめたいこともあって……」
まぁ……なんて生真面目さんなの。これがクラス代表というものなのね。というか、シェアトこそクラス代表の鏡じゃないかしら。
しかもシェアトの話によると、私のことを色々確かめたかったみたいだわ。おそらく、怪我の具合やら、授業の遅れ具合なんかを確かめてくれる気だったってことよね。
もう、どこまで面倒見がいいの、シェアトったら。
これでは色んな苦労を自ら背負い込みそうで、逆に私のほうが心配になってしまう。
だというのに、この私の隠密スキルが免許皆伝ものだったせいで、シェアトには大変申し訳ないことをしてしまった。
どうやらお兄様同様、シェアトにも心配性の気がありそうだと、直感的に感じた私は、もう大丈夫だというアピールをするべく笑顔を作る。
「シェアト様、ご心配をおかけしてしまったようで申し訳ございません。お兄様がとても心配性で三日ほど大事をとって学園をお休みさせていただきましたが、私はもうすっかり元気ですわ。だから心配には及びません」
そう告げて、さらにふふっと笑みを深めてみせる。
それを、食い入るようにシェアトはじっと見つめてから、殊更深いため息を吐いた。
「うん……そうだね。セイリオス殿はとてもユーフィリナ嬢のことを大事にしているようだから、三日間くらいの安静は当然かもしれないね。彼なら一生安静とか言い出しかねない気がするけれど………………」
さすがシェアトだわ。お兄様の事をよくわかっているじゃない――――と、初めて同調されたこともあり(家の者は全員心配性なので同調は得られない)、嬉しくなってついつい言葉を重ねてしまう。
「そうなんですよ。いくらなんでも心配性の度がすぎるとは思いませんか?もういい加減私も子供ではないのですし、少しは大丈夫だと言う私の言葉も信じてもらいたいものですわ」
ポロッと本音が漏れ出て、拗ねたように口を尖らせる。
お兄様に言わせれば、こういうところが子供なのかもしれないれど、子供扱いばかりされるからついこうなってしまうのよ、と内心で自己弁護しておく。
そんな私の表情を見たせいなのか、それとも一応私の言葉に同調してくれたからなのか、シェアトは少し苦笑となって「確かにセイリオス殿は心配しすぎるきらいがあるね」と言った後で、「まぁ、実際に君を見たらわからなくもないけれど」と言葉を付け添えた。
同調しておいて、見事に落とす。これはこれでなかなかなダメージだ。
やっぱりシェアトから見ても私は頼りなく映るのね…………と、トドメを刺された気分となり、内心でガックリと項垂れる。
しかし、トドメを刺した張本人であるシェアトは、どうやらいつもの調子を取り戻しつつあるようで、抑揚もない口調でポツリと言った。
「ユーフィリナ嬢の髪は……淡紫のライラックなんだね」
「えっ?」
思わず私はシェアトを見上げた。
そこには、顔の赤味を消したいつものシェアト。
感情を読ませない顔で私を見つめる瞳に、仄かな熱を感じる。
「生まれてからずっと?」
「え、えぇ……もちろん」
「そうか。やはり…そうなんだ……」
どうとでもとれる言葉を淡々と発して、まるでその真意と、帯び始めた熱を隠すかのようにその瞳を伏せた。
廊下の窓から差し込む斜陽の光に、シェアトのパールグレーの瞳を縁取る睫毛が、頬へと静かに影を落とす。
「もし君の髪が白金だったら…………」
「白金…………?」
「…………私が君を…閉じ込めていたかもしれない。彼女の面影を残す君を、この腕の中に…………」
最後の言葉は呟くように小さく、さらに窓の外でざわめく風と木々の音に遮られ、私の耳までは届かなかった。
その刹那、シェアトの顔に微かに浮かんで消えた自嘲の笑みに、私は不思議な既視感を覚えた。
しかしそれも、次に発せられたシェアトの言葉で綺麗に霧散する。
「でもこのままではまた、ユーフィリナ嬢を見つけられなくなってしまうな」
「はい?」
思い悩むように顎に手をあてながら、再び私を見つめてくるシェアトに、私は忽ちすべてを理解する。
もしかしてそれは私の隠密スキルのせいでしょうか?いえ、もしかしなくてもそれですよね?
でも、大変申し訳ないことに、あまりに極めすぎていて、もはや自分でも解除方法がわからないのです。
ここは目を眇めてみるとか、根気よく探すとか、なんなら名前を叫んでいただければ、「ここにいます」と、挙手付きで返事をさせていただくのですが………………
などと、私なりに対処法を考える。
けれど、シェアトはシェアトでもっといい対処法を見つけたようだった。
「本当はね、できるだけこれは使いたくないのだけど、セイリオス殿に対抗するためには仕方がないかな」
「えっ…………」
やんわりと目を細め、ゆるりと唇で孤を描きながら湛えられる魅惑的な微笑。
シェアトのことを喜怒哀楽の振り幅が少ない無表情な人などと評していた過去の自分に、それは大きな勘違いであると今すぐ教えてやりたい。
きっと本来のシェアトは、表情と感情がとても豊かな人なのだと思う。
でもそれを自制で押し殺し、無表情な仮面を被ることで守っているだけなのだと。
自分の大事な人たちを
自分の心を
他の誰でもない“言霊”の能力を持つ自分自身から――――――――
ふとそんなことが、違和感とともに脳裏を過ぎっていく。
しかし目の前の状況は、それを呑気に考えるだけの間を与えてはくれなかった。
一体全体これはどういうことだろう。
今更ながらではあるけれど、ここは学園の廊下。私が強引にシェアトを医務室に連れ行こうと教室から連れ出したのだから、この状況になってしまった原因は私にあることぐらいわかっている。
そして今は放課後。屋敷や寮に帰ろうとする生徒たちがそれなりに行き交う場所でもあるため、紳士淑女の節度ある距離はもちろん保たれてはいるものの、四方から寄せられる好奇の目がとてつもなく痛い。というか、先程からグサグサとひっきりなしに刺さってくる。元喪女には完全に瀕死の重傷レベルだ。
もちろん、私とシェアトに疚しいことなど何一つとしてない。
こうなってしまった理由ならいくらでも説明できる。
その際、多少羞恥に悶えることになるだろうけれど、それは致し方ないと諦める。
けれど、このままこの場所で話を続けるのは、シェアトの立場を思えば非常に問題があるような気がする。いや、問題しかない。影の薄い公爵令嬢との噂だなんて、マイナスポイントしかないだろう。
なのに、この衆人環視の中でシェアトは私との距離を詰め、間近で視線を合わせてきた。
咄嗟に距離を取ろうとするが、「駄目、動かないで」とシェアトの声に制される。
瞬間―――――――――……
風にざわめく木々の音も、興味にざわめく周りの声も、何も聞こえなくなった。
私の瞳に映るものは、シェアトのパールグレーの瞳だけ。
目を逸らすことも、閉じることも許さないと無言で語るパールグレーの瞳に魅入られて、私は思考も、視覚も、聴覚も、すべてをシェアトに明け渡した。そして――――――
「ユーフィリナ嬢、これから君は私を見かける度に必ず声をかけること。これは君と私の約束だ」
それは約束とは名ばかりの絶対的な決め事。
その決め事に対し私は無意識のままに「はい、私とシェアト様の約束です」と、そのパールグレーの瞳に誓いを立てた。
意思なく彼を見つめる私の瞳には、シェアトの綺麗な微笑みだけが映っていた。




