挿話【Side:国王アルムリフ】その頃、デウザビット王国では(1)
デウザビット王国、王の執務室。
歴代の王の性格ゆえか質素剛健がモットーである実に飾り気も、彩りもない実務に特化した執務室では、今絶賛重い空気をさらに重くする深い深いため息に満ち満ちている。
「うわぁ~…………何この馬鹿重の空気。めちゃくちゃ気が滅入りそうなんだけどぉ〜」
諸悪の根源のお前がそれを言うなッ!
と、間髪入れず言い返してやりたいところだが、生憎こちらは病み上がりというか、闇上がりというか、そんな気力も心の余裕もない。
なんせ母である王太后は現在“魅了”に侵され幽閉中。
弟のスハイルは“先見”顕現の儀式とはいえ毒を飲み、さらにはその解毒薬が盗まれるという非常事態。
そして、南の公爵家嫡男で、現“幻惑”の能力者であるセイリオス・メリーディエースもまた毒を盛られ、スパイダー化した“光結晶”の中。
そんなところに、目の前のこの男――――――“魔の者”アリオトの出現だ。
面食らっている…………というより、色々となんなら膝詰めで問い質したい。
そう、“魔の者”――――――自分たちのことを“闇の眷属”と称し、神の理の外にある彼が、先程突然執務室の本棚の影から悪びれもせず堂々と現れ、お前は私の友達か!というくらいの気軽さで茶を所望し、今現在戸惑う西南北の公爵たちと共に呑気に茶を飲んでいるこの状況について、だ。
現“先見”の能力者であり、現デウザビット王国の国王である私、アルムリフ・カイ・デウザビットは、己の執務机からアリオトを一瞥し、また深々とため息を吐いた。
現在二十六歳。
我が王国のロイヤルカラーとも呼ばれるブロンドの髪とロイヤルブルーの瞳を持ち、自分で言うのもなんだが見目もそれなりに良い。
だが独身。もう一度言うが、現在独身。独身貴族ならぬ、独身王だ(初めて言ってみたが何気にカッコいいな。今度から使ってみよう。宰相たちには残念な子を見る目で見られるかもしれんが)。
しかも、婚約者の一人もいたことがない完全なる独り身。女遊びも、立場上やら性格上やらもあってしたこともないし、俗にいう初恋とやらも弟のスハイルとは違ってしたことも、そのような機会に遭遇したこともない。
だからといって、異性ではなく同性の方に食指が動くといった特殊な趣味嗜好もない。そんな噂もあるとかないとか聞いたこともあるが(弟スハイルには散々からかわれ、母(王太后)にはさめざめと泣かれたが)、論外である。
はっきり言って、どこに出しても恥ずかしくない健全で清廉潔白、そして純真無垢な乙女の如き国王がこの私だ(これはかなり言ってて恥ずかしいから、二度と言わぬこととしよう)。
もちろん、先程も言ったが、見目は良い。一応先程は、それなりに…………などと謙遜してみたが、私の美的感覚がおかしくなければ、私の見目はかなり良い。そしてこの国の最高権力者でもあるため、これも自意識過剰でなければ、嫌と言うほどの秋波を常に浴びている。
自国他国問わず、さらには年頃の女性たちだけに留まらず、欲に駆られたその彼女らの親類縁者たちからも、ねっとりとした視線で舐めるように眺められる日々だ。
それこそ極上の獲物を見るかのように。
そのせいで、ちょっとした女性恐怖症と、軽度の人間不信となっている。
国王をやってる身として、それもどうかと思うが…………
しかしだ。国王も人間だ。感情だってあれば、好き嫌いも当然ある。羨望と尊敬の眼差しならともかく、捕獲対象として舌舐めずりよろしく眺められるのは不快以外の何物でもない。
ただそれを表面上には微塵も出さないだけで、国王然とした仮面の裏側では、時に嫌悪に顔を歪ませ、思いつく限りの罵詈雑言を並び立てている時だってあるのだ。
そう、まさに今のように!
い、いや…………今は罵詈雑言を並び立てているわけではなく、ちょっとした愚痴を漏らしている程度なのだが……
まぁ、眉目秀麗の聖人君子だろうが、腹の中では何を考えているかわからないという良い見本だ。うん。
とはいえ、私が独身なのはなにも女性恐怖症と人間不信のせいばかりではない。
そもそも己の立場は、母や宰相たちにこんこんと説教されるまでもなく、弟スハイルから自分の代わりにとっとと生贄になれと言わんばかりに冗談二割、本気八割で妻子を持てとせっつかれるまでもなく、十分に理解しているつもりだ。
この国の国王として、また、現“先見”の能力者として、己の血を分けた後継が必要なことくらいは。
だが、どうしても持つ気にはなれなかった。
それどころか、私のような者が持つべきではないとすら思った。
“先見”の能力が顕現した後では特に…………
私の前任の能力者は、前国王でもあった我が父であった。
まぁ、“先見”の能力を顕現させた者が国王となる我が国では、ある意味順当な流れとも言える。
しかし裏を返せば、いくら親子であっても“先見”の能力が顕現しなければ国王の座を引き継ぐことはできず、実際過去、国王にとって甥にあたる者が能力を顕現させ、国王となったという事実もある。
国王に息子―――――直系の王子がいたにもかかわらず、だ。
普通ならそこで血で血を洗う骨肉の争うが起こるところなのだろうが、『“先見”の能力者こそが国王になる』という千年前から不文律と、その当時の王子が『未来が見える能力者となって国王になるよりも、私は今を見て、未来を夢描く画家になりたい』という、夢見がち…………もとい、野心とは無縁の穏やかな人物だったこともあり、実にあっさりと王の甥っ子が玉座についたそうだ。
そしてその甥っ子も、とても優秀で人望も厚く、後に賢王と呼ばれるほどの人物だったため、彼の即位にあたってはまったくと言っていいほど反対の声は上がらず、拍子抜けするほどの円満即位であったらしい。
ま、その甥っ子とは、私の祖父様だったりするのだが…………
事実、我が祖父は国王としてだけでなく、“先見”の能力者としても酷く優秀だったという。
そもそもの話―――――この能力は、血によって引き継がれる。
訓練して会得するものでも、持って生まれた魔力の強さに左右されるものでもない。
だがそれでも、能力者の優劣は生じてしまう。
過去の記録を辿れば、毎日のように鮮明な“先見”を見ていた者もいれば、生涯でたった三度、しかもぼんやりとした“先見”しか見れなかった者もいる。さらには、近い未来しか見れなかった者もいれば、自分の死後の未来まで見れた者までおり、はっきり言ってその能力の優劣の差は激しい。
ちなみに私の能力者としての程度は中の下の下…………といったところだろうか。ここは謙遜でもなく……
国王としては………………まぁそこは自分で評価すべきことではないということで…………いや、これは決して逃げではないぞ。国王の評価とは国民が、歴史が、するものであって、自分でするのは烏滸がましいと言うか何と言うか…………だから、自信がないわけでも、敵前逃亡というわけでも…………って、おい、南の公爵!偶然だとは思うが、私を見てため息を吐くんじゃない!偶然だとしても、地味に傷つく!
―――――ぐぬぬぬぬ……まぁいい。
取り敢えず、南の公爵のことは(被害妄想)さておくとして。
確実に言えるのは、祖父は歴代国王としても、“先見”の能力者としても、非常に優れていたということだ。
なにしろ、『“神の娘”の復活に関する“先見”を見た』と王家門外不出の禁書となっている歴代国王(“先見”の能力者)による“先見”の覚書に記していたのだから。
ちなみに“先見”の能力が顕現し、滞りなく儀式を終えた後、前任の“先見”の能力者―――――つまり私の場合は父だが――――に、まず最初に引き継がれるものがこの覚書だ。
それから千年分の覚書すべてに目を通し、自分もまたそこに“先見”で見た内容を記す。
先ずは、自分の死について――――――
そう、“先見”の能力が顕現した時に一番最初に見る“先見”こそ、自分の死についてだ。
それは悪夢以外の何物でもない。
むしろただの悪夢だった方がどれほど救われるか…………
話は戻ってしまうが、私が結婚しない最大なる理由は、そんな覆ることもない自分の死を知りながら――――――自分がそんなに永くは生きられないことを知りながら――――――妻子を持つのは酷く無情に思われたからに他ならない。
そして何より、共に生きられぬことを知っていて、我が子の成長を見届けられぬまま残していかなければならないと知っていて、愛する者たちを傍に置くことに、私自身が堪えられる自信がなかった。
そう、これは私の弱さだ。
なんてことはない。
絶対に覆ることのない死を受け入れられなくなる自分の弱さから、不甲斐なく目を逸らした結果が今の私だ。
国王が聞いて呆れる。
それでも、“先見”の能力が顕現し、私は国王となった。
この世界に理があるように、この私の生にも意味やら使命やらがあるのだろう。
ならば、この国の国王としての威厳…………はともかく、虚勢くらいは張るというものだ。
我が国の民が、我が治世において、少しでも安心して暮らせるように、いつも穏やかで笑顔でいられるように、いつか歴史に名を刻む英雄になれなくとも、決して愚王ではなかったと、平和な治世であったと後の世で語られるように。
それが私の矜持であり、ささやかな願いだ。
いや、凡人たる独身王の私にとっては、大いなる野望ともいえる。
さすがにスハイルにも、宰相たちにも恥ずかし過ぎて口が裂けても言えないが。
とまぁ、そんな私の大いなる野望(ささやかな望み)はいいとして、我が祖父様が記したその覚書によれば――――――――
今から百年以内に“神の娘”は復活し、最強の守護者と共にこの世界の理を覆す。
そしてその時、淡くも優しい光でこの世界をあまねく満たすことになる。
――――――――――だそうだ。
わかっている。
“先見”とは時に、輪郭でさえ不明瞭なぼんやりとした景色のように、とても曖昧なものである場合もある。
特に遠い未来になればなるほど、見える“先見”は不鮮明だったりする。
その未来は遠すぎてまだ霞がかっている――――――とでもいうかのように。
だが、いくら遠くとも我が国の公式なる記録書、もしくは非公式なる記録書と照らし合わせてみれば、覚書に記された“先見”が覆ったことなど一度としてない。
どんなに残酷で無慈悲な“先見”であろうともだ。
何故ならそれこそがこの世界の理だから―――光の神の創りしこの世界の絶対的ルール――――だからだ。
だからこそ、我々はその覚書に記された“先見”はどんなに不明瞭でも絶対的未来として受け止める。
そして私と、その前任者である我が父である先王は、我々の治世の間に、もしくはその次代に、“神の娘”が復活することを、引き継いだ覚書から絶対的未来として知ってはいた。
だとしても、だ。
祖父様、曖昧が過ぎて状況がまったく見えません!
というか、意味がわからな過ぎてもはや“神の娘”に恐怖しか覚えないのですが!
だってそうだろう。
先にも述べたように、我々は理の中――――――光の神のルールの中で生きるしかない者たちだ。
それに対して、“神の娘”は最強の守護者とともにその世界の理とやらをもぶっ壊…………失礼、覆すというのだ。
しかも、その後の世界は淡くも優しい光にあまねく包まれるという……………
いやいやいやいやいや、ちょっと待て!
いくらその光が淡かろうが、優しかろうが、それに満たされた世界はどうなる?
それってまさかの更地か?
世界を綺麗さっぱり更地にしちゃうってことなのか?
光しかない真っ白な世界に。
そうなると、我々の存在は?
この世界に息し生けるモノたちは?
“神の娘”って言いながら、実は恐怖の大魔王とか言わないよな?
おーい、祖父様!そこら辺もっと詳しく!
――――――――覚書を引き継いだ時に、思わずそう突っ込んだ私は決して間違っていないと思う。
おそらく前任者の父もそう突っ込んに違いない。なんせ伊達に同じ血は流れていないからな。
それにこの内容では、何をどう警戒していいかもわからない。というか、そもそもこれが良きことなのか、悪しきことなのかもわからない。
いや、うん、さすがは歴代能力者の中でも能力の強い祖父様というか、中の下の下である私とは精度が違うというか、次代を担う者としては非常に有難いことに、しっかりと百年以内という明確な括りが明文化されてはいる。
そうしっかりとされてはいるが、以内となっている以上、当然明日だって百年以内となれば、ぴったり百年後ももちろん百年以内となり、極論、一秒後だって立派に百年以内となる。
さすがに、その百年という長くもあり短くもある微妙に他人事では済まされない絶妙な括りに、気が遠くなる。いや、正直滅入る。
せめて百年後となっていれば、『次代の者たちよ、頑張れ!』と,内心で同情と激励を告げるだけで済んだのに、この内容ではそうもいかない。
完全に我が身に降りかかってくる可能性が大だ。
これを父から引き継ぎ読んだ当時の私は、自分の死期を“先見”し、能力者として顕現した直後ということもあって、自分史上かなりの混乱期にあった。
そんなところにコレである。
混乱するなと言う方がおかしい。
そしてこの頃はまだ父もまだ国王ではあったが、今にして思えば父も自分の死期が迫り、国の行く末や次期王となる私を案じていた頃で…………つまり父子共に混乱期真っ只中にあったため、この突っ込みどころ満載の一文について語り合うこともできなかった。
いや――――――暗黙の了解で、覚書については一切語ることを禁じられている。
何故なら“先見”を実際に見た者でしか、その“先見”が真に示すものを正確には汲み取れないからである。
憶測で未来を語るのは危険。
さらに言えば、“先見”は覆ることのない確定的な未来であり、それがこの世界の理。
火山の噴火やら、洪水やら、日照り続きの不作ならば策の立てようもあるが、漠然とした“先見”に対応も、対策も、ない。
抗うことも許されず、ただただ流され呑まれていくままに、その未来に辿り着くのは必至。
早い話、自分ではわかり得ないどうにもこうにもならない未来について語ったところで無意味なだけで、時間の無駄ということである。
だからこそ、なのか…………それとも父子ともに単に避けただけなのか、お互いその覚書について触れることはなかった。
父が“先見”通りに亡くなるまでずっと………
しかし今に思えば、少しでも聞いておけばよかったと思う。
南の公爵ご令嬢、ユーフィリナ嬢がまさかまさかの“神の娘”の生まれ変わりであることを、父は知っていたのかと。
そしてその兄、セイリオスの魂が千年前の王子のものだということを。
あぁ……確かに理は覆った。
私の見た“先見”は――――――“紅い獣”にとある少女が殺されるという“先見”は、彼女――――ユーフィリナ嬢によってあっさりと覆された。
その際に、淡い光が世界を包んだかどうかは、報告に聞く限り定かではないが、もし、覚書にある最強の守護者が彼であるならば、それは確かに最強だろうと思う。いや、最恐、最凶、最狂かもしれないが…………
妹狂い、ユーフィリナ嬢狂いとして――――――
それでも彼女の存在は、決して“恐怖の大魔王”でないことだけが唯一の救いだ。
今だって、スハイルとセイリオスを助けるために、“魔の者”によって歪められた未来を正すために、なんなら今度もまた理を覆してまでも二人を救おうと尽力してくれている。
そう――――守護獣様たちと、彼女を慕う現能力者である公爵子息たちともに。
そして何故か、本当にどういうわけか、本来敵対関係にあるはずの“魔の者”アリオトの協力を得て。
――――――――で、今である。
「それでアリオト……どうしてお前がここにいる?お前は今、ユーフィリナ嬢たちと一緒にデオテラ神聖国にいるはずではないのか?」
何を呑気に茶など飲んでおるのだ!
それもここ、デウザビット王国の私の(王の)執務室で!お前は私の茶飲み友達か!
という言葉だけは、これまたすっかり冷えた茶とともに飲み込み、黒とグレーを基調とした上品な礼服姿で完全くつろぎモードのアリオトを見やる。
その目が少々……いやかなり鋭くなってしまったのは致し方ないことだと思う。
もちろんそれは西南北の公爵たちとて同じ。最大級の警戒を払いながら……いやなんなら、アリオトと同じように茶を啜りつつ、最大高度の魔力をこれでもか!とばかりに練り上げ、アリオトの一挙手一投足に全集中を傾けている。
うん、それはもう執務室ごと吹き飛ばさんばかりの勢いで………(私の執務室なのに……)
しかし当のアリオト本人は、どこ吹く風で、むしろ平然とくつろぐことで私を含め、公爵たちを煽っているかのように見える。
うん、やっぱり“魔の者”。根っこから質が悪い。
それでも私の問いには一応答える気はあるようで、貴族然とした所作でゆっくりとカップをソーサーに戻すと、右目下の泣き黒子のせいで無邪気でありながら、妙に色っぽく、さらには不適にも見える笑みを湛えながら口を開いた。
「実はさぁ……――――――」
「「「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」」」
――――――語られた内容に、我々が場所やら、身分やら、威厳やら度外視で、盛大に声を張り上げてしまうのはこの後すぐ。




