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まさかこんなところで乙女ゲーム開始?しかもやっぱり私が悪役令嬢のようです⁉(5)

 静寂を打ち破るように、廊下で反響し合う複数の足音。

 繋がれた手を頼りに、必死に前に足を繰り出していく。

 息はとっくに切れている。

 喘ぐように息を求めるも、それを呑み込む暇すらない。

 そして思考は、先程からずっと同じところを空回りしている。

 何度も、何度も、脳内で再生される同じ光景。

 それは私の瞳が映し、焼き付けたばかりの光景。

 けれど、思考が空回りしているせいで、理解も納得もそこに噛み合ってこない。


「ユフィ!大丈夫か!?」

「だ………………じょ……ぶ…………」

 私の手を握るアカの背中に、なんとかそう返したものの、声は掠れ、言葉も途切れ途切れで、どう贔屓目に聞いても、まったく大丈夫そうには聞こえない。

 しかし、その声は思いの外周囲に届いたらしい。

 勝手知ったる城ということで、私たちの先頭を走るトゥレイス殿下もまた心配そうに振り返り、「ユーフィリナ嬢、もうすぐ私の部屋だ!」と、声をかけてくれる。

 そして、私の横を並走するシロも、私の背後を守るようにして走るレグルス様たちも、「ユフィ、辛かったらおぶりますよ!」「ユフィちゃん、俺が抱き上げてもいいよ!」「それなら生徒会長としての私が!」「クラスメイトとして私がユーフィリナ嬢をお連れします!」と、口々に気遣ってくれている。

 しかし私に言わせれば、彼らの方がよっぽど気がかりだ。

 もちろん体力面ではなく、精神面の方で。

「あ、あ……の皆様は、大丈夫ですか……そのフィラウティアの“魅了”の影響とかは………」

 するとレグルス様たちから、吐く息とともに苦笑が漏れる。

「全然大丈夫……とは言い難いけれど、俺たちもそれなりに対策は立ててきているし、それに物理的に距離も遠ざかった分、今ところなんとか対応できているよ」

 対応できている――――ということは、フィラウティアが現在進行形で、レグルス様たちに“魅了”をかけようとしているのは確かなわけで…………

 そんな状態であるのに、おんぶとか抱っことか色々と気を遣わせて、本当に申し訳なさ過ぎるわ。

 うん、やはりこの件が無事に終わったら、本格的な体力づくりを始めることにしましょう…………

 超絶シスコンのお兄様が反対するかもだけれど、公爵令嬢云々の前に世間一般の成人女性として、ここまで体力がないのはさすがに問題だわ。

 どういうわけか、ここ最近こういう事がやたら多いし…………

 アカの時といい、シャウラの時といい、ほんと走ってばっかだったし…………

 アカたちの声に一瞬途切れた脳内再生。

 その隙をつき、巡った思考はそんなとりとめもないこと。

 まぁ、現実逃避とも言えなくはないけれど。

 とはいえ、たとえ隙をついてでも、そんな呑気な思考がくるくる回り出すくらいに、私たちが走る廊下は閑散としている。

 ただそこで静寂とならないのは、それを片っ端から粉砕するかのように、私たちが容赦なく蹴散らしながら全力で走っているからで、現在この周辺には静寂の“せ”の字も転がってはいない。

 しかし、私たちが走っていなければ、間違いなくここには、重苦しいほどの静寂に包まれていたはずで――――

 誰の足音もない。

 誰の息遣いすらも感じない。

 まるでこの城には、誰一人として存在していないかのように。

 正直、謁見の間から()()()()()()()私たちにとっては、とても都合のいい状況にも思える。

 なんせ、追手が一人もいないのだから。

 そう、ただの一人も。

 謁見の間に向かう時には、衛兵1ダースにガッチリ囲まれていたというのに、今や完全に放置、お好きにどうぞの放流状態。

 おかげで逃げ放題、探索し放題、勝手し放題である。

 本来、追手でなくとも、この城に従事する人間はそこかしこにいるだろうに、その影すらもない。

 無人。

 いや、正確に言うならば、少なくとも謁見の間にはフィラウティアと彼女に“魅了”されている国王陛下たちがいる――――――と、思われる。

 ただ、私たちを追ってこないだけで。

 そのことに、取りあえずは胸を撫で下ろさないわけではないけれど、心底安心できるか?と聞かれれば、答えは完全否定のNOだ。

 この状況を楽観視できるほど、私たちはお気楽でもないし、人がいないことをいいことに、そら、解毒薬探しだ!と、大手を振って城内探検に乗り出すほど図々しくもなければ、怖いもの知らずでもない。

 はっきり言って、薄気味悪くてしょうがない。

 その証拠に、今の私たちは逃げの一手とばかりの全力疾走で城内を駆けている。

 できるだけ、フィラウティアから遠ざかり、態勢を整えるために。

 そのため、追手がないことに対し、ただただ異様さを覚えはすれども、安堵やら感謝やら有難さを感じることなどあろうはずもない。

 それどころか、かえって恐怖に煽られている。

 この瞬間にも、フィラウティアが張り巡らせた糸に絡め取られるのではないか、と。

 いや、今の私たちは絶賛フィラウティアの罠の中にいることは間違いない。

 この無人と化した城が暗にそれを示唆している。

 ここはもう人の王が統治する健全な城ではなく、“魔の者”フィラウティアの“魅了”によって蹂躙された“魔城”であると。

 ほんと質が悪いというか、始末に負えない。

 一人でいい。たった一人でもから「曲者じゃ!皆のもの出合えーッ!出合えーッ!」的に(←前世で観た時代劇の弊害)剣でも槍でも携えて追ってきてくれたら、ここにもまだ、フィラウティアに毒されていない正気を保った人間がいたんだと、嬉しさのあまり大歓迎してしまうのに。

 もちろん現状的に、大歓迎してのハグとはならず、大歓迎してからの返り討ちにしてしまうのだけれど。

 うん、大歓迎とか言いながら塩辛対応で、総じて申し訳ない。

 

 でもそれすらも今は、儚き願望。

 泡沫の夢の如し希望。

 

 現実は時に非情で残酷であり、茨の道にさらに撒菱を追い掛けしてくる程に過酷だ。

 アカに引っ張られ、前に前につんのめるようにして足を出すけれど、まるで水を掻くようにままならない。

 いや、こんなにも息苦しいのは、私がもうフィラウティアが用意した底なしの闇へと少しずつ沈んでいっているからかもしれない。

 そして、その答え合わせをするかのように、酸欠となりつつある脳内で再びあの光景な回り始める。

 そう、これは――――――

 

 僅か数分前から私の目に焼き付いて離れない凄惨たる場景。

 


 

『そう、話すつもりはないのね。だったら、その笑いごと、息の根を止めてあげるわ―――――――』

 一気に高まったフィラウティアの闇の魔力。

 

『“冥闇焔(めいあんえん)”!』

 

 耳を劈くほどの破壊音とともに、凝縮された魔力が一気に振り落とされる。

『なっ…………』

 反射的に強張る身体。

 咄嗟に瞑りそうになる瞳。

 けれど、この場で視覚を自ら奪うことは、愚か者のすることだ。

 いつだって状況を看破するのは、物事を正しく見極める目と、たとえ一瞬だろうと目を逸らさぬ泰然たる構え――――――というか、度胸。 

 などと、理性的な思考が回ったわけでもないけれど、私は本能的に恐怖を押し留め、目の前の状況を凝視した。

 いや、より正確に言うならば、予想だにしていなかった展開に、思わず我が目を疑い、瞬きすら忘れて大きく目を瞠った。

 ほんと、うっかり目を瞑っていれば、はい?何この状況?と、後々頭を悩ますところだ。危ない危ない。

 しかし、一部始終を見ていたので疑問はない。もちろん理解もしている。ただ、それを軽く上回った衝撃に、驚きと動揺が隠せないだけで。

 それもそのはず。

 フィラウティアの短い詠唱の後、耳を劈く破壊音と()()()、大きな魔力が振り落とされた。

 そう、大きな魔力が振り落とされて、破壊音がしたわけではない。あくまでも“ともに”音がしたのだ。

 より正確さを期すならば、コンマ数秒程、紙一重の差ではあるけれど、破壊音の方が若干速かったかもしれない。

 つまり、破壊音の元凶はフィラウティアの放った“冥闇焔”ではないということ。


 では、誰のかというと――――――


『ア……アカ……これは一体…………』

『ユフィ、気を抜くなよ。一応煽れるだけ煽って、目一杯魔力放出させてから、最大級の炎龍で叩き潰したが、これで倒せるほどフィラウティアはか弱くできてねぇ……っていうか、これくらいで倒せるなら、そもそもこんなに苦労はしてねぇからな』

『イグニスの言う通りですよ。ご存知の通り、“魔の者”は神の理の外にある存在。私たちの“聖なる光”をもってしても、綺麗さっぱり跡形もなく消し去ることはできません。残念ながらね』

 続いたシロの言葉に、私は小さくコクンと喉を鳴らした。そして、驚きと動揺で霧散しかけた警戒を、再び最大まで引き上げて、前を見据える。

 そこにあるのは、玉座。

 この城を統べる者が座する場所。

 けれど、私の瞳に映るものは――――――


 広がっていた“晦冥海”を氷土へと変え、完全に凍てついた玉座。

 それを囲むようにして傅いていた人々は、足元だけを凍らせたまま、力なく項垂れている。

 どう見ても意識はない。

 けれど、誰一人として死んではいなさそうだ。

 ただ、足元が凍りついているせいで、横にも、前にも、後ろにも倒れることを許されず、ダラリと前のめり気味に項垂れるしかないといったところなのだろう。

 そしてそんな彼らの中心に立つのはフィラウティア――――――ではなく、天井から大口を開けて氷土と化した床に喰らい付く、真っ黒な龍のオブジェ。

 名のある彫刻家によって命を吹き込まれたかのような、荒々しくも美しき龍だ。けれどそれは、今にも朽ち果てそうな儚さも併せ持つ。

 もちろん()()には意思がない。そんなことは元よりわかっている。

 何故なら()()は炎狼であるアカが放った魔力の塊であって、命宿る本物の龍ではないからだ。

 それでも妙に物悲しく思えるのは、あれだけ轟々と燃え盛っていた紅蓮の炎が燃え尽き、炭化した身体から脆いガラスのようにピシッピシッと小さな軋みの音を立てているからかもしれない。

 そう、()()は炎龍だったモノ。

 “冥闇焔”ごとフィラウティアを頭から喰らい、そのまま炭化した炎龍の成れの果てであり、今や残骸。


 玉座には今、儚くも美しい黒き龍がいた。


 

 バリバリと“晦冥海”の触手を噛み砕きながらアカの放った炎龍がフィラウティアに向かって距離を縮め、パリパリと小気味良い音を立てながらシロが氷土を広げていたのはつい先程のことだ。

 そんな中、アカたちの挑発にのり、“冥闇焔”を発動させたフィラウティア。

 おそらくその暗黒の闇炎で、炎龍と氷土を消失させ、そのまま私たちを焼き尽くすつもりだったのだろう。いや、フィラウティアの性格から察するに、一先ず死なない程度に痛みつけようとしていたのかもしれない。

 彼女の欲を満たすこれからのお愉しみのために。

 しかし、すべてはアカたちの術中だった。

 目には目を、歯には歯をとばかりに、フィラウティアの嘲笑を嘲笑でやり返すというあの大爆笑でさえも。きっと…………

『アカ、シロ……わざとあんなにも笑って怒らせたの?フィラウティアに魔力を放出させてから、炎龍で封じるために』

『もちろんそれもある。だが、笑ったのは、実際にあいつが馬鹿げた発言をしたからだ』

『えぇ、なかなか愉快な見解でしたよ。アレは。阿呆の極みでしたけどね』

 一切警戒を解くことなく、アカとシロがそう教えてくれたけれど、どこが愉快だったのかはまったくもってわからない。

 私と一緒に置いてきぼりとなったトゥレイス殿下も、やはり私と同じく笑いのツボとなる愉快なポイントがわからないようで、相変わらず氷のデスマスクを装着しながらも、どこか怪訝な空気を漂わせている。

 ですよねぇ?わかりませんよねぇ?はい、私もです!

 しかしそうなると、だ。レグルス様たちはどうなのだろうと思う。

 アカたちに同調するようにクスクスと笑い声を立ててはいたけれど、果たしてそれがただただ空気を読んだだけなのか、それともやはりそこに笑いのツボが転がっていたからなのか。

 甚だ疑問でしかない。

 あの時――――――所詮私は“神の娘”の“偽物”にすぎないのだと、フィラウティアに嘲笑された。

 まぁ、“闇の神”の長子として生み出され、ずっとこの世界で生きてきたフィラウティアからしてみれば、“神の娘”のフィリアの魂を持つとはいえ、その器としてはただのしかない人間。しかも、“神の娘”とは似ても似つかぬ淡紫の髪にエメラルドの瞳で、やはりどう転んでも“偽物”にしか見えないのだろう。

 そこはもう永遠にわかり合えそうもない価値観の違いと、フィラウティアの“闇の眷属”の長子としての矜持なのだと思う。

 もちろんそれに対して、私自身どうこう思うことはないし、反論するつもりもない。まぁ強いて言うなら、器はともかくフィリアの魂だけは、偽物でも、劣化版でもなく、本物ですよ〜(たぶん)くらいなものだ。

 しかし、それをさておくとしても――――である。

 何故ここで発動されたのがあの大爆笑なのか、アカたちの笑いのツボが何だったのか、今思い出してみてもさっぱりわからない。

 それどころか、実際、笑いのツボとなるようなものがそこにあったのかどうかさえわからない。

 正直、憤るならまだわかる。

 いや、ここは正直に白状しましょう。

 フィラウティアの言い分を、全面的に認めるのは無理でも、なるほど……そう思われても仕方ないわね…………と、ある程度納得しつつも、いやいやそこは守護獣として、仲間として、少しくらいは憤ってくれてもいいんじゃないかしら?と、思ったことは確かだ。

 しかしアカたちは、フィラウティアを真正の阿呆だと宣い、抱腹絶倒の笑いへと突入した。それもレグルス様たちまで一緒になって。これ如何に?である。

 憤りを突き抜けての大笑い……に、見せかけてのフィラウティアの怒りを買う作戦故なのか、はたまた、実際そこにお誂え向きの笑いのツボがあり、都合よく言い値で怒りを買えただけなのか―――――なんて疑問がずっと脳内でマーブル模様を描いていたけれど、たった今両方だったと、アカとシロからお答えを頂戴したばかりだ。

 しかし、その答えに笑いのツボの所在はなかった。というか、そもそもフィラウティアの話に愉快なところなんてどこにもなかったはずだ。

 うん、私的には。

 だいたい、思いっきり自分の話であったにもかかわらず、笑いどころがわからないって一体どうなんだ、って話である。

 本当なら『フィラウティアってば、何にも知らないのね。ぷぷっ』と、私自身が先陣を切って笑ってもおかしくない状況だった。

 いや、きっと笑わなければならなかった。

 でも、笑えなかった。

 笑えるだけのものを、持ち合わせていなかったから。

 

 私は、私の()()知らないのだろう。

 

 当然、今考えることではない。

 そんなことはわかっている。

 でも、不意をつくように私の中に落ちた疑問。

 それがゆっくりと心に波紋を広げていく。

 ザワザワとさざ波を立てながら、今までその欠片すらもなかった不安と不穏の影をその波間に生み出すように。

 そしてその波紋は心のより深いところまで届いてしまったようで、何かに反響し、さらに共鳴するように打ち寄せる波として返ってくる。

 

 アナタは、ワタシではないわ

 でも、アナタはワタシと同じ

 

 アナタもまた、ルークスの――――――



 ………………………この声は

 ………………フィリア

 


 久しぶりに聞こえてきた声に、すべての思考が奪われそうになる。でもその瞬間、レグルス様の声が一気に私を現実へと引き戻した。

『ユフィちゃん、守護獣殿の言う通り、フィラウティアが愚鈍で、セイリオスが一枚も二枚も上手だった、ってだけだよ。“幻惑”の脳力者としてもね。そしてその答えは、すべてが終わってからセイリオスに聞けばいい』

 さすが“読心”の能力者様。

 私の思考はすべてお見通しだったらしい(うぅ、赤面)。しかし、何故そこでお兄様?しかも“幻惑”?という新たな疑問が浮上するも、再びレグルス様の声にあっさりと流される。

『今はそれよりも、解毒薬だ。俺の“読心”でもフィラウティアは今、完全に沈黙しているし、お誂えむきに第一王子の意識もない。このまま第一王子を拉致して締め上げて、宝物庫の鍵を奪取してしまおう』

 傍から聞くと、まさに強盗団そのものの物言いであり、所業である。

 公爵令息と公爵令嬢、隣国の第二王子と神の創りし聖獣が揃ってすることでは決してない。

 しかし、立場的に似合っていようが、似合ってなかろうが、なんなら人としてどうであろうが、今はそれが最善解であることは間違いない。

『えぇ、レグルス様の仰る通りですね。ここはさっさと第一王子ごと奪うことに致しましょう』

 自分でもこの返しはどうかと思いつつも、きっぱりと口にする。

 すると、そうこなくっちゃ、とばかりに皆一様に悪人顔となった。

 うん、繰り返しますが、公爵令息と公爵令嬢、隣国の第二王子と神の創りし聖獣が揃ってする顔では決してない。

 でも今は、その顔こそがこの場にしっくりとくるのだから、仕方がない。というか、そもそも私はこの世界の悪役令嬢。

 企んでなんぼ。悪事を重ねてなんぼ。強盗犯上等。きっとこの顔こそがお似合いだわ。

 ということで、では早速行って参りますね、とばかりにアカとシロの間をくぐり抜け、第一王子に向かって一歩を踏み出した。いや、踏み出そうとした。が、しかし――――――――


『『『『『『ちょっと待った!!』』』』』』

 

 皆から一斉に待ったをかけられる。

 踏み出すために上げかけた足をそのままに、『はい?』と、首だけで振り返るや否や、今度は注意やら、疑問やら、お怒りが口々に飛んできた。

『いやいやいや、ユフィちゃん。いくらフィラウティアが沈黙してるっていっても、なんで君が行こうとするのかな?わかってるとは思うけど、めちゃくちゃ危険だからね!?』

『ここは、我々に任せしてじっとしていてください!』

『そうですよ!イグニス殿の時といい……シャウラ嬢の時いい……どうしていつもいつもユーフィリナ嬢は我先に行こうとするんです!』

『ユーフィリナ嬢の意外な一面が知れて嬉しいが、兄上に触れる君のことは見たくないかな』

『その前に、私が氷で足元を凍らせてますから、ユフィの力ではピクとも動きませんよ』

『もっとそれ以前の問題だ!由緒正しき公爵令嬢が張り切って男を奪いにいこうとすんな!!』

 

 いや、自分…………

 こう見えて、この世界の悪役令嬢ですから。それも有りかと。

 

 ――――――とは、もちろん言えるわけもなく、ここは大人しく皆の意見に従うことにする。

 っていうか、誰も一人で第一王子を担ぎ上げようなんて思ってなかったですからね。

 するべきことが決まって、身体が勝手に動いちゃっただけですからね。

 などと内心で言い訳を重ねつつ、第一王子奪取組と、待機警戒組とにあっさりと分かれた皆を見つめる。

 ちなみに私は、当然のように待機警戒組であり、なんならそこからさらに保護監視対象枠という特別枠に組み込まれてしまった。

 はい、もう勝手には動きません。

 そして、待機警戒組に見張られ……もとい、見守られながら、第一王子奪取組となったアカ、サルガス様とトゥレイス殿下の背中を祈るようにして見送った。

 どうか、炎龍の中のフィラウティアがずっと沈黙したままでありますように、と。

 けれど、得てしてそういう願いは叶えられないように、世の中世知辛くできているようで…………


 ピシッピシッと軋み続ける炎龍。

 その音は次第に大きくなり、深い亀裂を生む。

 ただもう炎龍が堪え切れなくなっただけか、それとも炎龍の中で何かが起こっているのか。

 慎重に近づいていたアカたちだったけれど、炎龍がもう保たないことを察し、黒き炎龍が喰らいつく玉座まで約三メートル程のところで、アカが声を張る。

『急ぐぞ!』

 しかし、すぐさまレグルス様の声がそれを打ち消した。

『戻れ!フィラウティアが覚醒し―――――』


 ゴゥッ……


 低い唸り声を立てながら、炎龍から吹き上がった闇火。

 一瞬で真っ黒な炎が炎龍を包み込み、辛うじて留めていたその姿も忽ち灰燼と帰す。

 そして炎龍の代わりにそこに残ったものは、白銀の髪と空色の瞳を持つ可憐なる少女。

 とても今まで炭化した炎龍の中にいたとは思えないほどに、白く輝く純白のエンパイアドレスを着て、愛らしくも美しいうっとりとするような微笑みを私たちに向けてくる。しかし、そんな彼女の足元では、彼女のドレスと戯れるように黒き炎が踊り、シロが凍らせ氷土とした“晦冥海”を溶かしていく。

 えも言われぬ光景。

 美しさと悍ましさの共演。

 それはさながら冥界に降り立った天使のようで、私たちは暫しの言葉を失ったまま呆然と見つめた。

 けれど、そんな時間も長くは続かない。

 フィラウティアの笑みが深くなっていくにつれて、私は徐々に現実を取り戻していく。

 そして残酷な現実は、津波の如き黒き業火となってアカたちに襲いかかった。

『皆、逃げてッ!』

『天牢雪獄ッ!』

 悲鳴に近い私の声と同時に発せられたシロの詠唱。

 氷と雪でできた堅牢な壁が、アカたちとフィラウティアの前に立ち塞がる。その間にアカたちが私たちの元へ戻ろうとするけれど、フィラウティアの炎と相殺され、ジュッという音とともに壁が消えてしまう。

 しかし、それを見越していたフィラウティアがさらに闇火の矢を大量に放ち、その合間から高速回転させた黒き炎の長槍擬きまで突き立ててくる。

 アカもまた想定内と言わんばかりに、無詠唱で真っ赤な炎の盾を形成すると、すべての矢を跳ね返し、黒炎の長槍(ドリル回転付き)らしきものを真正面から受け止めた。

 紅蓮の炎と暗黒の炎のぶつかり合い。

 削り合う毎に高まっていく熱に、謁見の間の温度が、アカとフィラウティアの戦いが、一気にヒートアップする。

 すでにシロの展開した氷土はどこにもない。もちろん第一王子たちを床に繋ぎ止めていた氷でさえも。

 メラメラと踊り狂う炎の熱に、ゆらゆらと揺らめく蜃気楼。

 その中で、フィラウティアの笑みがさらに愉しげに揺れた。


 いけない!


 ほとんど本能的で察し、焼け付く喉を絞り上げる。

『アカッ!上よッ!』

『ッ!!』

 私の声に、咄嗟にアカたちが顔を上げる。その目に飛び込んできたのは、濛々と鈍色の煙を纏わせながら垂直に落ちてくる黒き炎龍――――――ではなく、火柱。

 おそらくアカが放った炎龍に対する意趣返しのつもりなのだろうけれど、さすがに炎龍そのものは無理だったらしい。それでも、人三人分は優に圧し潰せるだけの火柱が、重力に逆らうことなくまっすぐに落ちてくる。

 そう、あれは、隕石に匹敵する落下物だ。

 圧し潰され、尚且つ灰になるまで焼かれるという制作者の性格がうかがい知れる質の悪い代物である。

 生憎、アカは手が離せない。物理的に。

 サルガス様とトゥレイス殿下はアカを援護しようとしていたところで、これまた初動が遅れるのは必至。シロたちもまた然りだ。

 ならば、真っ先に気づいた私がどうにかすればいいだけの話。

 ちなみに、ここで私が使えるモノは二つ。

 今だけは潤沢にある魔力(世間一般では底辺)と、“神の娘”としての能力(実際の能力は依然として不明)だ。

 ただ前者は、魔力がいつもよりあるというだけで、使える魔法の種類もそれに応じて増える―――なんて嬉しいサプライズもない。

 早い話、私が使えるのはお兄様直伝の“光結晶”だけで、おそらくいつもより大きなモノが作れるかもしれないけれど、三人を守れるだけのモノを作れるのかと問われれば、自信も確信もない。

 そして、後者の“神の娘”としての能力もまた、確実性はほぼ皆無に等しい。

 でも、過去の経験上、ここぞという時にはいつもちゃんと応えてくれた。今もそのここぞという絶体絶命のピンチだ(主にアカたちの)。ならば、私の取るべき手段は自ずと一択に絞られるわけで…………

 もちろんそんな理屈っぽいことを、切羽詰まったこの状況でつらつらと考えたわけでない。

 この危機的状況において、もっとも有効的かつ最善な手段としての取捨選択が、自己防衛本能のもとに行われただけだ。

 ほとんど無意識下で。

 そして私は、“神の娘”の魂を持つ者としてソレを望む。


 闇の炎よ、消えて!!


 と同時に――――――――


『水盾!!』

『吹雪障壁‼』

『風水流転!!』


 短い詠唱やら、無詠唱で、サルガス様やトゥレイス殿下、そしてシロたちが火柱に向かって、防護魔法と攻撃魔法を畳みかける。

 どうやらたとえ初動が遅れても、彼らの魔法の発動速度は私の予想を超えて、はるかに速かったらしい。

 その甲斐あって、火柱は一瞬で掻き消えた。

 大きなシャボン玉が指一本で弾けてしまったかのように。

 おかげで、“神の娘”の能力がちゃんと機能したのかどうかわからずじまいだけれど、皆が無事ならそれでいい。瑣末事だ。

 けれど驚いたことに、あれほどアカたちを甚振るように放たれていた無数の矢も、力比べとなっていたドリル系長槍も、そのすべてが消え失せていた。

 しかもそのことに一番驚いているのは、何故かフィラウティアのようで…………


『まさか…………』


 しっかりと声が届いたわけではないけれど、フィラウティアがそう呟いた気がした。

 そして、いきなり戦意喪失したように、その場で茫然自失となって立ち尽くす。

 その隙にアカたちが私たちの所へと戻り、再び私を中心とした(囲い込んだ)鉄壁の防御態勢を敷く。

 それから皆して内心で首を傾げながら、改めてフィラウティアを見やった。

 おーい、一体どうした?とばかりに。

 できることならば、今のうちに第一王子を奪取し、宝物庫の鍵を手に入れてしまいたい。でも、いくらフィラウティアが戦意喪失気味とはいえ、第一王子を連れ去る私たちを大人しく見送ってはくれないだろう。


 さて、ここからどうしよう…………


 不意に訪れた逡巡の間。

 しかしそれも、フィラウティアの突如再熱した怒りの前に瞬く間に消えることになる。

 遠目で見てもわかるほどに、わなわなと小刻みに震え出すフィラウティアの身体。

 愛らしい顔が憎悪に歪む。

『そう…………忌々しいことに使えるのね。“偽物”の分際で…………』

 意味がわからなかった。

 フィラウティアの怒りの理由も、その矛先も。

 でも“偽物”という言葉に、“神の娘”の能力のことだと気づく。

 そしてあの火柱や長槍擬きを最終的に打ち消したのは、()だったということにも。 

 

 よかった……

 ちゃんと使えてた。

 思いっきり火事場のナントカだったけれど…………


 しかし、フィラウティアの怒りは先程以上(大笑い以上)に買えてしまったらしい。

 いやいや、仲間の上に降りかかる火の粉(火柱)は払うもんでしょ。と、突っ込みたいところだけれど、間違いなく火に油を注ぐ行為となることは火を見るより明らかなため、ここは賢明にも押し黙る。

 そう私は、アカやシロと違って、無駄な買い物はしない倹約家タイプなのだ。前世から。

 まぁ、うっかり買ってしまったものはともかくとして…………


『起きなさい』


 その声はフィラウティアのものは思えないほどに厳かであり、どこか平坦でもあった。

 しかし、有無を言わせぬ圧倒的な力――――強制力を孕んでいた。

 その証拠に、今まで傅いた姿勢のままで意識なく項垂れていた者たちが、次々に立ち上がる。

 そう、今はシロの氷の枷もない。

 彼らは難なく立ち上がり、私へと向き直った。

 何故私に?と思う間もなく、次の声がかかる。

 

『その娘を捕らえなさい』


 フィラウティアの言葉に目を見開いた瞬間、私に向かってなんの躊躇もなく皆一斉に駆け出した。もちろん第一王子も、国王陛下も。

 が――――――


()()()!()!()


 シェアトの“言霊”が絶対的効力でもって、それを止める。

 思わず内心で安堵の息を吐いたのは、決して彼らの動きが封じられたからではない。

 フィラウティアの“魅了”で自我を失ってしまった憐れな彼らを、いくら足止めのためとはいえ攻撃せずに済んで、ホッとしたからだ。

 しかしそれもほんの束の間のこと。


『行きなさい』


 再び、無情にもかけられたフィラウティアの言葉に、彼らがその場でひきつけを起こしたかのようにガタガタと震え始めた。

 シェアトの“言霊”を受け、身体は一切動かない。にもかかわらず、フィラウティアの“魅了”がそれを許さない。

 脳と心が牽制し合い、己が身体の支配権を主張し合う。

 そして――――――――

『ひっ…………』

 激しい痙攣を続ける彼らの目から零れ落ちるのは、真っ赤な血の涙。

 もちろんその彼らの中には、この国の国王陛下と第一王子の姿もある。

 その光景に、私は悲鳴を噛み殺すべく、必死に手で口を塞いだ。

 助けてあげたい。

 でも助けられない。

 けれど…………と、咄嗟にレグルス様を見上げる。しかし、すぐさま心痛な面持ちで目を伏せられ、首を横に振られる。

 わかっている。

 デウザビット王国でも、レグルス様の協力を得て、国王陛下の“魅了”は解くことはできた。けれど、王太后陛下の“魅了”は解けなかった。

 そもそも“魅了”はかけた能力者本人でないと解けないとされている。

 たとえ、能力者が死んでしまったとしても。

 そう、国王陛下の解呪は奇跡と言っても過言ではないのだ。

 ましてや、この城の人々は全員フィラウティアの“魅了”に侵されている。

 とてもではないけれど、今すぐ簡単にどうこうできるものではない。

 それでも…………

 血の涙を流すほどに苦しむ彼らを、これ以上は見ていられなかった。

 私は感情の赴くままにシェアトへと振り返る。

『シェアト様、“言霊”を解除して上げてください!』

『しかし……』

 私の懇願に、シェアトが渋るように目を泳がせた。

 その理由も、気持ちも、痛いほどにわかる。

 “言霊”を解除すれば、彼らはフィラウティアの命令に従い、再び私に襲いかかってくるからだ。

 私を守ろうとしているシェアトにとっては、できぬ相談なのだろう。

 しかしこの先、万が一……億が一にでも、彼らの“魅了”を解くことができた時に、彼ら自身が身も心もバラバラに壊れてしまっていては、それこそ意味がない。

 それにだ。

 たった一人でも“魅了”が解けたという事実がある以上、この先その希望がまったくないわけではない。

 

 ならば、一縷の望みに縋ってもいいはずだ。


『シェアト様、どうかお願いします!』

『………………』

 シェアトの瞳が私を映し、それから彼らを見て、また私を映す。

 そのパールグレーの瞳に滲むものは困惑、怒り、そして悲しみと痛み。

 かつて喜怒哀楽の振り幅が少なく、常にトゥレイス殿下並に無表情だったはずのシェアト。 

 そんな彼の瞳に、これほどわかりやすく感情の色が漏れ出るようになったのはいつからだろう。

 しかし、もはや驚きはなく、ただただ申し訳なさだけが募る。

『あらあら、その偽物さんは随分と我儘なようね。もう何をしたって、無駄なのに』

 割り込んできたフィラウティアの声に、思わず反射で睨み返す。けれどすぐに、シェアトへと視線を戻した。

 無駄かもしれない。

 酷なことを頼んでいる自覚もある。

 けれど――――――――


『さぁ、行くのよ』


 三度かけられたフィラウティアの声に、さらに彼らの痙攣はヒドくなり、目から、鼻から、口から、血が零れ落ちる。

『フィラウティア、もうやめて!お願い!“魅了”を解いて!』

 咄嗟にそう叫ぶけれど、フィラウティアに愉悦の笑みが広がっただけだった。

 ここで私が彼らに捕まれば、一時的には彼らの苦痛は終わる。

 でもそれはあくまでも一時的であって、何の解決策にもならない。

 それに何より、私は今ここで捕まるわけにはいかない。

 必ずお兄様のもとへ解毒薬を持って帰らなければならないのだから。

 

 そのためにはやはり、彼らのことは諦めるしか…………

 

 まるで悪魔の囁きのような思考が脳裏を掠める。

 この先の希望を見出す前に、絶望がチラつく。

 でも私は、何があってもフィリアのように絶望して、諦めないって決めたはずよ…………と、己をひたすら叱咤する。

 なのに、今度はレグルス様から苦悶の声が漏れる。

 

『ッ……これはちょっと……ヤバいな………』

『レグルス様?』


 慌ててレグルス様を見やれば、何かの痛みに堪えるように眉を寄せ、酷い汗をかいていた。

 気がつけば、サルガス様やシェアト、トゥレイス殿下までもだ。


 そんな、まさか…………


 そのままフィラウティアへと視線を向ければ、無邪気なほどにっこりと笑まれた。

 おそらくそれが答え。

 フィラウティアがレグルス様たちに毒牙を伸ばした証拠。

『フィラウティアッ!!』

 怒りしかない私の声も、ただ謁見の間の空気を揺らしただけで、フィラウティアには少しも届かない。

『ユフィ!ここは一旦引きましょう!フィラウティアの“魅了”に彼らがまだ抗えるうちに!シェアト殿、私が物理的に彼らの動きを止めますので、その後に“言霊”の解除をしてください!できますか!?』

『大丈夫……です。できます』

 シェアトから辛うじて吐き出された声。

 シロはそれに頷き、無詠唱で魔力を放った。 

 瞬間、フィラウティアの“魅了”に弄ばれ、シェアトの“言霊”に苦しむ人々の膝から下が、再び床へと縫い付けられるように凍りつく。

 それをしっかり見届けてから、シェアトが“言霊”を解いた。

 もちろんこれはただの時間稼ぎにすぎない。

 それでも、“言霊”と“魅了”の重ねがけで精神を壊されるより、物理的に行動を止められるほうがずっと彼らの負担が少ないはずだ。

『ユフィ!行くぞ!』

 フィラウティアを睨みつける私の手を取り、アカが走り出す。

 引っ張られるままに動き出す足。

 けれど視線は最後までフィラウティアから離せない。

 そして、音を立てるようにして痙攣し、血を流す彼らの姿が目に焼き付いて離れない。

 アカによって、蹴破るようにして開け放たれた重厚な謁見の間の扉。

 その扉を私たちが通り抜ける間にも、殿(しんがり)を務めるシロが氷と光の結界を張り、彼らを完全に封じ込める。

 

 これは決して敵前逃亡なんかではない。

 戦略的撤退だ。

 

 そう自分自身に言い聞かせ、いつしかフィラウティアから遠ざかるために、必死に駆け始めた己の足を弁護する。

 しかし、そんな私を嘲笑うかのように。執拗に追いかけてくるフィラウティアの声。


  

『いいわ。どこにでも逃げなさい。


 ―――――――――ま、所詮無駄だけど』



 その声は恐怖という名の影となって私の足元に落ち、どこまでも追ってきた。


 

 

 

 

 


  

 

 

 

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