まさかこんなところで乙女ゲーム開始?しかもやっぱり私が悪役令嬢のようです⁉(3)
断罪。
この言葉に、前世で読みに読みまくっていたライトノベル悪役令嬢もののが脳裏に過ぎるのは、致し方ないことだと思う。
というか、そもそもこうなる予感はあった。
“魔の者”フィラウティアが城を掌握していると聞いた時から。
いや、禍々しい彼女の気配を感じた時から――――
実際、スハイル王弟殿下の“先見”の能力顕現を祝う舞踏会の場で、彼女の“魅了”にかけられた自国の国王陛下も私を“神の娘”の生まれ変わりを語る者として断罪しようとした。
早い話、殺そうとした。
だから、この展開は理解できる。
私たちデウザビット王国組とトゥレイス殿下を除く、ここにいる全員が彼女の“魅了”に心を蝕まれているのだから。
しかし、自分が乙女ゲーム“魔法学園で恋と魔法とエトセトラ”に出てくる悪役令嬢ユーフィリナ・メリーディエースに転生者であるが故か、どうにもこの展開がゲームの強制力により無理やり仕立て上げられた悪役令嬢ものの断罪シーンに思えてならない。
だから、断罪という言葉に震え上がる前についつい思ってしまう。
こう来たかッ!
妙な感心と諦念からくる脱力感を伴って。
まぁ、只今絶賛現在進行形で天使も斯くやという愛らしい笑みを浮かべながら、断罪を告げてくる彼女―――――――侯爵令嬢グラティア様(に扮する“魔の者”フィラウティア)を、ヒロイン(仮定)とするならば…………の話だけど。
それにしても………………
ここには四人の攻略対象者(シェアト・サルガス様・レグルス様・トゥレイス殿下)がいるとはいえ、その彼らでもなく、ましてや国王陛下や第一王子殿下でもなく、ヒロイン(仮定)自ら悪役令嬢に断罪を告げてくるとはなかなか斬新な展開だ。
しかもこの国の権力者たちを尽く傅かせての断罪宣言。
件の乙女ゲームのヒロイン(仮定)は強者にもほどがある。
ま、その中身は思っきり“魔の者”なんだけど。それも、“闇の眷属”の長子であるのだけど。
しかしだ。舞踏会に続き、ここまで立て続けに断罪されると、自分はやっぱりこの乙女ゲームにおける悪役令嬢なんだな――――――と、再認識及び、自覚してしまう。
元はと言えば、自分の地味さを大いに利用して、ヒロインの引き立て役令嬢として断罪回避を目指していたはずだった。
その第一歩目として、引き立てるべき肝心なヒロインを見つけようとしたのだけれど、それらしいご令嬢は一向に見つからず、何かどうなってこうなったのか、自分が“神の娘”の生まれ変わり認定を受けるという衝撃展開となってしまった。
なんとも不本意であり、まったくもって遺憾なことに。
だからこそ、ここが乙女ゲームの世界だと考えることはやめ(途中乙女ゲームの二次小説の世界かとも思ったけれど)、時には脳内で疑問符を乱舞させながら状況に流され、時には状況を打破すべく時には必死に抗ってきた。
現に今も抗っている。
けれど、このゲームの製作者だか、リアル神様だかはわからないけれど、是が非でも私を――――ユーフィリナ・メリーディエースを悪役令嬢として断罪したいらしい。
この状況を客観的に鑑みるに…………
ど定番の婚約破棄からの断罪が無理なら、“神の娘”の生まれ変わりの偽者に仕立ててでも、断罪する気満々である。いや、もう執念すら感じるレベルで。
しかし、さすがにこの展開は無理があるような気がする。
なんせ我こそが“神の娘”の生まれ変わりなどではなく、“神の娘”そのものだと名乗っているのが、“闇の眷属”の長子であるフィラウティア御本人様なのだから。
正体を知るこちらとしてはどの口で?と問い詰めたくなるってものだ。
まだ、れっきとした人間であるどこかのご令嬢が名乗りをあげたのなら、そうかもしれない――――――と、思えたかもしれない(私のことだから)。
そもそも私としては、自覚云々は抜きにして、いい加減認めるしかない状況に追い込まれてもなお、“神の娘”の生まれ変わり認定を返上したくて堪らないのだから、そりゃすぐに乗っかりもするだろう。
しかし、何度も言うようだけどこれはない。
言うに事欠いて、神の理の外にいる“魔の者”が“神の娘”なんて、質の悪い冗談としか思えない。
むしろ、よくもまぁ正体バレバレの中で堂々と言い切ったな…………と、呆れを通り越して感心すら覚えてしまうほどだ。
そして、そう感じたのはなにも私だけではなかったようで――――――
「すごいな…………“魔の者”の気配を一切隠しもせず、我こそが“神の娘”と言い切ってくるとは……なかなかに図太い神経をお持ちのようだな」
「レグルス殿、“魔の者”の神経を我々人間レベルで測るのはどうかと…………しかし、姿形だけ変えていれば、我々が鵜呑みにするとでも思ったのだろうか?だったら浅はかというか、愚かとしか…………」
「サルガス殿に一票です。いくら千年前の“神の娘”の姿に化けたからって、あれだけ闇の魔力を漏らしていたらまるで意味がない。ユーフィリナ孃の純真無垢で透明感溢れる美しさとは雲泥の差だ」
い、い、いや、シェアトさん?
何故ここで私の名を出すかな?
それにですね、私の場合は透明感というより、あまりの地味さ故に個人カラーと呼べるものがないだけなんですよ。
人間国宝級、免許皆伝の隠密スキルを、一切の修行スルーで極めてしまうほどに。
というか、皆様。色々と突っ込みを入れたくなる気持ちはわかりますが、なんなら謁見のえの字ももはやありませんけれど、ここは紛れもなく謁見の間ですよ!
いくら小声で玉座までは聞こえないとはいえ、ボソボソと好き勝手に話してはいけません!
ま、その謁見の間に、トゥレイス殿下の御学友を猛アピールすべく学園の制服姿で乗り込んでる時点で既に大概ですが…………
などという私の心の声は、“読心”の能力者であるレグルス様にも拾ってもらえず、それなりの緊張感(ほとんど殺気)を纏わせながらも、トゥレイス殿下や、アカとシロまでもが参戦していく。
「言えてるな。所詮紛い物は紛い物にすぎないということか。それ以前に“魔の者”としての矜持はどこに捨ててきた」
「いや、ある意味、守護獣であるオレたちを前にして、あんなふざけた寝言を宣えるなんて清々しさすら感じるぞ。だからといって、絆されてやる気も、許す気も微塵もないがな」
「まぁ、寝言なら寝ながら言ってほしいところですが、その前にあのフィリアそっくりの顔でのドヤ顔は、万死に値しますね。ここは私が寝言さえ言えないように徹底的に凍らせて、永久凍土で永眠させてあげましょう」
うん、皆様、一戦交える気満々ですね。
というか、笑顔が滅茶苦茶怖いです。
顔上半分に真っ黒な影を纏いながら口元だけで笑うのはやめてください。
そんな彼らに要人警護よろしくガッツリ囲まれている私としては、もはや彼らの殺気のど真ん中にいるようなもので、正直居た堪れない。
むしろ台風の目の如く雲の晴れ間ならぬ、殺気の晴れ間となれば、少しは心穏やかになれるかもしれないものを、渦中ど真ん中ドンピシャなため、殺気の当てられ方が半端ない。
これをとばっちりと言わずしてなんという。
もちろん彼らの殺気の矛先は、我が物顔で玉座の前に立つフィラウティアであって、私にではない。
それでもさっきからずっと、ビシッバシッとプラズマをも生まんとする殺気は、じりじりと私の肌を焼くよう。
おかげで私の膝はカタカタと小さく笑っている。
ま、それを武者震いだと言い切るだけの強がりは、まだ余裕でするけれど。
そう、一歩も引かない。
逃げもない。
ふざけた断罪とやらに、おとなしくされるがままになるつもりは毛頭ない。
そんな意志を込めてフィラウティアをアカとシロの背後から見据えれば(要人警護中なのでやむを得ず)、フィラウティアは見た目そのままの愛らしさで小首を傾げていた。
その視線の先は、どう見ても断罪相手の私ではなくシロ。
なんで?と不思議に思うも、フィラウティアもまたシロを不思議そうに見つめている。そして、我慢しきれなかったように、僅かに驚きを含んだ声で問いかけてきた。
「あら雪豹、よく見れば貴方、アリオトに隷属していたどこかの伯爵にそっくりね。…………いえ、もしかしてその御本人様なのかしら?」
はい、仰る通り。大正解です。
しかし、雪豹だとは気づいていても、今の今まで見知った伯爵だとまったく気づいていなかったことにこちらの方がビックリだ。
シロの話だと、アリオトがシロの屋敷に入り浸っていたせいで、そこそこ会っていたはずなのに(現に、私がアリオトに囚われていた時も来ていたし……)。
それに、今のシロもアリオトを影に入れることでアリオトの闇の影響を少なからず受けているはずだ。なのに、フィラウティアはシロが聖なる光を持つ守護獣であることを、その容姿よりも先に気がついていた。
それって………………
私の視線は自然とシロの足元に広がる影へと落ちる。
アリオトは、シロの影の中にいると言っていた。でも、フィラウティアを見る限りアリオトの気配を感じているような印象は受けない。
もしかしたらアリオトは、影転移を使ってフィラウティアから一時的に避難したのかもしれない。
うん、それならそれでいい。
アリオトが無事ならそれで。
うん。
ちなみに、それほどまでにアリオトが心配なら、感知魔法を使って確認すればいいだけの話なのだけど……
いつもの私なら魔力量が匍匐前進しているので“、光結晶”以外の魔法は何一つとして使えなかった。
しかし今はスハイル王弟殿下の専属護衛騎士であるエルナト様より頂いた、ユーフィリナ史上初となるフル満タン(それでも世間一般で言えばおそらく底辺)の魔力がある。
――――――すっかり忘れていたけれど。
ならば、少しは魔法が使えるようになったはず!なんて希望的観測をしてみたいところだけれど、現実はそんなに甘くない。むしろピリリと世知辛い。
そう、魔力量が増えたからといって、いきなりありとあらゆる魔法が使えるわけではない。
属性、相性、そして制御のための訓練が必要となってくる。
あの無尽蔵に魔力を持つお兄様だって、飄々と魔法を使っているように見えて実は、日頃の訓練と努力の賜物だったりするのだ。多分、きっと……うん、おそらく?(お兄様はあまりに天才すぎて一般には含まれないので、悲しいかな断言できない)。
そして、高爵位持ちの令嬢としてそれは常識的にどうよ?とは思うけれど、私には属性やら相性やらの見当もつかないし、唯一訓練と呼べるものは“光結晶”をお兄様に教わった時だけ。
とどのつまり今の私は、エルナト様のおかげでフル満タンの潤沢な魔力はあれど、やっぱり発動できるのはいつもより少しばかり大き目な“光結晶”限定であることに変わりはないわけで……
完全に宝の持ち腐れである(泣)。
その結果、感知魔法でアリオトの気配を探ることなどできるはずもなく、疑問と心配だけが視線とともにシロの影に落ちた。
そんな私の思考と視線を断ち切るように、その影の御本体様であるシロの声が地を這う。
「おやおや、あれほど何度も顔を突き合わせた仲だというのに、全然気づかれていなかったことに、私としては軽くショックを覚えそうなんですが?」
守護獣雪豹だったことに?
それともニウェウス・アンゲリー伯爵だったことに?
どちらとも取れるシロの言いように、フィラウティアがふふふ……と愉しげな笑い声を立てる。
「それは失礼したわ。でも、仕方がないのではなくて?だって貴方、あまりにも真っ黒に穢れていたんですもの。それにしても、聖なる光を持つ聖獣、雪豹ともあろうものが“闇の眷属”に隷属させられて、闇に染まっていたなんてね。ふふふ…………一応あの時はアリオトのモノだったから遠慮したけれど、こんなことなら一度じっくり味わっておくべきだったわね。ほんと惜しいことしたわ」
「遠慮してアレですか?貴女の遠慮はなんとも馴れ馴れしくて、随分図々しくできているのですね」
殺気を微塵も緩めることなく、声音を呆れと侮辱で染め上げながらため息を吐くシロに、フィラウティアは激昂するどころかさらに笑みを深めていく。
「あら、あんなものは社交辞令の範疇よ。その証拠に押し倒しはしなかったでしょう?」
「まさか、そのことに感謝しろと?」
「残念がってくれてもよくてよ」
「御冗談でしょ」
さすが数百年来…………いや、フィリアの件から言えば約千年の付き合いの程はある。
私たちをなおざりに、二人の間ではポンポンと会話が弾んでいる。
もちろんそこに親しみの情は欠片もなく、ただただ殺伐としているだけだ。
正直、お互いに笑顔なので余計に怖い。
しかし、いいのだろうか。
この話の内容からすると、フィラウティアはその気配や魔力だけでなく、自身の正体が“魔の者”であると認めてしまっているも同然なのだけれど。
自分こそが“神の娘”で、突如現れた“神の娘”の生まれ変わりを名乗る者(つまり私)を断罪する――――――という当初の設定を、自らぶち壊して行っているような気が………
まさか、シロとの話に夢中でそのことに気づいていない、とか?
まぁ、デオテラ神聖国側の人たち(トゥレイス殿下を除く)は“魅力”にかかっているせいでそんな疑問も持たないとは思うけれど、こちら側(主に断罪される予定の私)としては、残念な子を見るような目を向けてしまう。
そしてそれはシロも同じだったようで――――――――
「それより、気づいていますか?さっきから御自分で自分が“魔の者”だと言ってるも同然だということに。それにこれは最初からですが、フィリアそっくりに化けてはいるようですが、貴女の禍々しい魔力がだだ漏れでまったく隠し切れていませんよ。こういうのを人間たちの言葉で、『頭隠して尻隠さず』――――と、言うのでしょうね」
丁寧な口調ながら、その内容はもろ悪口だ。
これぞ慇懃無礼の手本かもしれない。
それでもなお、もはや尊敬さえ覚える程にフィラウティアの笑みは崩れなかった。それどころかあっさりと認めてくる。
「えぇ、そうね。でも、貴方たちは私のことを知りながらここへ来たんでしょう?そんな相手に今更隠しても仕方がないわ。それにね、そもそもの話、王子様に見初められて“仮紋”を付けてもらったはいいけれど、この城の結界、“闇の眷属”には全然優しくできていないんですもの。しかも、迎え撃つ相手に守護獣が2匹もいるのよ。こちらも全力でおもてなしするのは当然のことでしょう?」
そう告げながら、真っ白な左手の甲に薄っすらと浮かぶ淡い紅色の紋様を愛おしげに撫でる。どうやらそれが、第一王子に付けられたという“仮紋”らしい。
“魅力”が先か、“仮紋”が先だったのか、それはわからない。
それでもある意味、フィラウティアにしてみればただの城への通行許可証にすぎなかったのかもしれないけれど、第一王子にしてみれば隷属の誓い――――――闇落ちの印、だ。
フィラウティアの足元で摺り寄るように傅く第一王子の姿に、憐れさが募る。
もちろん乙女ゲーム設定上の第一王子の性格を知る者としては、自業自得と思わなくもないけれど。
そして、もしも――――
お兄様があのままフィラウティアの“魅力”に落ちてしまったら……………それを第一王子の姿に重ねて、絶望を覗き込んだような気分になる。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
あんなお兄様なんて見たくない!
心の叫声に、思わず唇を噛み切れる程に噛み締めた。
その間にも、シロの容赦のない追及は続いており――――――――
「なるほど。で、さっきからのこの茶番は一体何でしょう?わざわざフィリアそっくりに姿を変えてまで、御自分が“神の娘”などとなんともふざけた寝言を宣ったり?我々のことをさも御自分の守護獣であるかのように厚顔にも話されていましたが?もしかして、立ったまま白夜夢でも見てます?」
「失礼ね。私は正真正銘の“神の娘”よ。但し“光の神”の――――とは一言も言っていないわ」
「それを我々の世間では屁理屈って言うですよ。“魔の者”の世間ではどうかは知りませんが」
どこまでも辛辣なシロに、フィラウティアの鉄壁の笑顔は揺らがない。
うん、さすが“魔の者”。鋼のメンタルをお持ちのようだ。
それどころか、笑顔で爆弾を投下してくる。
「だいたいね、新たな飼い主を見つけたと浮かれいる薄情な守護獣たちはすっかり忘れてしまっているようだけれど、貴方たちの本当の主は千年前に死んだのよ。それも永遠の命を持ちながら自らそれを捨てて、守護獣である貴方たちを残してね。そんな捨てられた貴方たちがあんまりにも哀れで哀れで…………だからその時から決めていたのよ。雪豹と炎狼を私の従順な下僕として拾ってあげましょうと。もちろん私好みの闇色に染め上げてね」
「今度は夢を見ながら嘘泣きですか?どうやらとんでもなく奇想天外な夢を見てるみたいですね」
「なぁ、ニクス。起こしてやるのもなんだし、だからといってこのままふざけた寝言聞いてるのも胸糞悪いだけだし、さっさと灰燼に帰していいか」
怒りを通り越して呆れに達したものの、そこからまたくるりと半周して怒りに舞い戻ってきた、もしくは新たな怒りに到達したらしいアカが、即有言実行とばかりに左の掌に炎の塊を生み出す。
それでもフィラウティアはどこ吹く風と、涼しげに口を開く。というか、案の定嘘泣きだったらしい。
「あと、そうね………この姿は人間たち――――主に人間の男たちの好みに合わせてあげただけよ。闇色の黒髪、黒瞳と方が余程美しいというのに、ほんと揃って趣味が悪いのね。貴方たちといい…………あの千年前の王子といい…………」
「悪趣味なのはどっちだ」
「そもそも中身が伴っていなければ意味がないだろう。ましてや中身が“魔の者”など論外だ」
「どっちにしろ、厚顔であることに変わりはないが…………」
「恥知らずなほどにな……」
ついにレグルス様たちからも呆れの言葉が口々に漏れる。
確かに悪趣味極まりない。
それはもうドン引きするほどに。
でも、フィラウティアの言うことは納得はできなくとも、事実として理解はできる。
フィラウティアは魔王――――――“闇の神”の娘だ。
“神の娘”であることに嘘はない。
さらに言えば、フィリアは愛する王子の死に絶望し、アカとシロを残して自ら命を捨てたことは偽りなき事実だ。
そして、今お兄様に宿る魂こそ、その“千年前の王子”のモノてあり、フィラウティアの態度と何気ない台詞たけで、その執着の強さが伺い知れる。
もちろんそれを、認めることは永遠にできないし、する気もないけれど。
「なんとでも言えばいいわ。でも、そのおかげで、貴方たちの驚いた顔も見られたし、あの男の動揺も誘えた。人間になりすまして、侯爵家の養女になった甲斐があったってものだわ」
負け惜しみでもなんでもなく、心底そう思っているのだろう。
ふっくらと柔らかそうな唇が綺麗な弧を描く。
しかし、そこでようやく気づいた。というか、思い出す。
あの舞踏会の夜からフィラウティア――――――グラティアの養父であるプリオル侯爵の姿が消えたままだということに。
フィラウティアがここにいるなら、侯爵は今どこにいるのか。
足元から這い上がってくるような嫌な予感に、わなわなと唇を震わせながらも、なんとか声を絞り出す。
「こ、侯爵は…………プリオル侯爵は……どうしたの?」
そのか細き問いかけに、フィラウティアはシロから私へと温度なき視線を向けた。しかしすぐに、可憐な花が咲き誇らんとばかりに笑み綻ぶ。
「もちろん生きているわ。もうすっかり闇落ちしてしまっているけれど」
無邪気にも聞こえる口調。
しかし、残酷でしかない台詞。
それを私の耳が拒絶した瞬間、フィラウティアの足元から溢れ出るように、真っ黒な影がブワッと広がった。さらにはその一部が、真っ直ぐ触手を延ばすかのように、私へと向かって床の上を猛スピードで這って寄ってくる。
これは“晦冥海”!
理解が脳に辿り着くまでコンマ数秒。
このままでは皆して闇に呑まれる!
ほぼ反射的に脳内で思考が回るけれど、身体は金縛りにあったかのようにピクリとも動かない。
見開かれる瞳。
喉に張り付く声。
ただの獲物と化した身体。
唯一できる魔法は“光結晶”。
しかしいくら魔力が自分史上初のフル満タンとはいえ、ここにいる全員を包み込めるだけの“光結晶”を出せるとは到底思えない。
一秒にも満たない時間で駆け巡った焦燥と逡巡。
その間も、視線だけは迫りくる闇の触手を追い続ける。
来るッ!
シロとアカの間をすり抜けるように伸びてきた触手。
その刹那――――――――――
ガッ!!
まるで床に縫い付けるかのように、長剣ほどの長さの氷の杭が触手に向かって鋭角に打ち込まれた。
完全に沈黙した触手。
それと呼応するかのように謁見の間に舞い降りた静寂。
けれどそれも、シロの声にあっさりと消え失せる。
「本当に奇想天外な白夜夢を見てるようですね。まさか隷属もなく、呪われてもいない完全体の守護獣が揃っている中で、こんな奇襲にもならない陳腐な攻撃を仕掛けてくるなんて。この私たちがそう容易く通すわけないでしょう。ひょっとして私たちを舐めてます?それとも、イグニスと一緒で単細胞の馬鹿なんですか?だったら、“闇の眷属”の長子だと過大評価していたものを、下降修正しなくてはなりませんね」
やれやれとばかりにため息を吐いたシロ。
味方ながら見事な毒舌っぷりである。
もし私がフィラウティアの立場なら、泣いてたかもしれない。
しかし、当のフィラウティアは晦冥海で満ちた玉座の前に沈むことなく立ちながら、シロの毒舌にも愛くるしい笑みを湛えてままで私たちを――――――いや、私を見据えている。
そして――――――――
「ニクスッ!!誰が単細胞の馬鹿だッ!!」
謁見の間いっぱいに轟いたアカの怒声。
ある意味、引き合いに出されたアカにとっては、もらい事故の被害者だ。
怒鳴りたくなる気持ちもよくわかる。
とはいえ、思いの外響き渡ったアカの声の反響を探るように、ふと馬鹿高い天井へ視線を泳がせてみれば………………
「ッ!!」
再び、驚愕に息を呑む。
というか、我が目を疑った。
何故ならそこには、鱗の一つ一つが紅蓮の炎でできている、全長十メートル以上は軽くある立派な龍が一匹。
その姿はさながら前世の某アニメで、集められた七つの玉によって呼び出された神聖なる龍のようだ。
そんな龍がいつの間に?という疑問は、その龍が噛みついているものを目視した途端、呆気なく霧散していった。
こちらが本命とばかりに天井から私に向かって真っ直ぐに伸びる黒き触手。
アカの放った炎龍は、噛み千切らんばかりにその触手に喰らいついていた。




