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解毒薬、そう簡単には問屋は卸さないようです(7)

 カステッルム・スクートゥムデイ――――――――

 “神の盾”という異名を持つ砦。

 我が国、デウザビット王国とデオテラ神聖国との国境を守る砦だ。

 岩壁に溶け込むように作られた外観。

 しかし、結界と守護魔法で守られ、仰ぎ見なければならないほどの強固な黒灰色の扉で閉じられている。

 おそらく扉の素材は何かしらの特別な鉱石。

 魔力を通さない、もしくはよく吸収する鉄壁な防御を担った扉なのだろう。

 さらにその扉を守る(いかめ)しい鎧姿の衛兵たちもまた、魔力、武力共に高い者たちらしく、その扉を開けてもらうだけでなかなか骨が折れそうだ。

 そう、普段なら………………

 しかし生憎、今の私たちは普段からかけ離れた状態。

 なんせ、もはや大軍といって差し障りないグリフォンの大群の御一行様で、砦に攻め込まんばかりの勢いで飛んでいくのだから。

 これを平穏だと捉えるほうが難しい。いや、砦の扉を守る者として捉えては駄目だろう。

 そんなわけで、扉の左右に分かれ、防御を固めていた半ダースほどの衛兵たちは、眼前から迫りくる非常事態に身構えた。

 とはいえ、そもそもの話、この砦を守る衛兵たちもまた、辺境伯領の騎士たちでもある。

 つまり彼らからすれば、大軍を率いてきた己の領主に対して、攻め込まれるという心配ではなく、何かしらの緊急事態が起こったのだという認識の元に身構えた。

 領主からの指示に備えるために。

 おそらく『命に代えても砦を守れ!』という命令がくるものだと、ある程度予想しながら。

 けれど、拡声魔法を使い、空から為された辺境伯の命令は――――――――


「開門ッ!!」


 空から発せられたにもかかわらず、地を這うように轟いたその声に、衛兵たちはその命令の意味を理解するまで、一拍の間を必要とした。呆けたと言ってもいい。しかし、それも強制的に終わりを告げられる。


「急げッ!!」


 有無を言わせず次に轟いた命令に、再び動き出した衛兵たちは慌てふためきながらも、扉を解錠し始めた。

 たとえそこに疑問しかなくとも、何故?などとは問いかけない。

 領主からの命令は絶対だからだ。

 といっても、もちろん手動でというわけにはいかない。

 特殊な鉱石に魔法陣を刻んだ二枚扉に魔力を流し、魔力施錠された頑丈な扉を開くのだ。

 いつもであれば、きっと物々しく厳かなで雰囲気を醸し出しながら。

 でも、今はそれすらも許される状況ではなかった。


「このまま突っ込むぞ!!」


 鬼である。

 追い打ちをかけるが如く発せられた辺境伯の声に、もはや物々しくやら、厳かにやら開けている猶予は一時もない。

 権力を笠に着た横暴な脅しといってもいい。

「ちょちょちょ、あ、あ、主様!無茶言わないでくださいッ!!」

「なんて言ってる間に突っ込まれるぞ!!全力で魔力を流せッ!!」

「いやいや、流してはいるけれどもッ!」

「つべこべ言わずにさっさと開けろッ!!」

 減速することなく、扉めがけて空から急降下してくるグリフォンたち。味方であるはずなのに、まるで敵襲そのもの。

 そりゃ、慌てもするだろう。

 物理的観点からいえば、扉の大きさは目算でも、大きく翼を広げたグリフォンが余裕を持って通り抜けられるだけの幅はある。

 でもそれは扉が完全に開いていればの話。

 半開きならば、立派な事故案件。

 その際に痛い思いするのは…………いや、下手したらここで人生を終わらせることになるのは、グリフォンたちとそこに騎乗する人間たち――――――つまり私たちだ。

 そして真っ先に、地上へ舞い降りることなくあの世へ飛び立つことになるのは、先陣を切って突っ込んで行っている辺境伯になるのは明白である。

 いや、そんな先陣はいらない。

 むしろ迷惑である。

「デ、デ、デネボラ様ぁッ!」

 思わず、急降下し始めたグリフォンに、ゾクゾクっとお腹の底から悪寒が這い上がってくるのを感じながら叫べば、ふふっと状況にそぐわない笑い声が背後から返された。

「大丈夫よ、ユフィちゃん!このまま突っ込むわよ!」


 ひいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……


 叫びたいのに風に煽られ、さらに悪寒とともに妙な浮遊感に襲われるせいで、それもままならない。

 地上では、未だ現在進行形で衛兵たちが扉の解錠に悪戦苦闘中だ。

「急げ!急げ!急げ!」

 急いで!急いで!急いで!

 地上の声と私の心の声が見事にシンクロする。しかし、声と思いが重なったところで、扉の解錠が加速するわけでもない。

「おいおいおい!」

「いやいやいや!」

「無茶が過ぎるだろ!」

「こら!辺境伯(おっさん)、止まれ!」

 風に乗って、レグルス様たちの突っ込みの声が聞こえてくるけれど、いくら突っ込みを入れたところで、辺境伯は止まらない。むしろ気分を高揚させ、加速を促す合いの手だ。

 それでも、祈らずにはいられない。辺境伯の無茶無理無謀に対する衛兵たちの頑張りを。

 そして――――――――


「開門ッ!」


 再び、開けゴマ!とばかりに、辺境伯の声が地を這った。瞬間、鉱石製の扉に施された魔法陣が淡い光を放ち、ゴゴゴッ……と、独りでに扉が開き始める。前世でいうところの観音開きでだ。しかしそれでは間に合わないと、衛兵たちが扉に体当たりする形で力任せに押し開いていく。

 正直なところ、それで扉の開くペースが速くなったかといえば微妙だけれど、そこは気持ちの問題だ。

 見えない滑り台を滑空してくるように降りてくるグリフォンたち。

 それを呑気に振り返っている暇もなく、ただただ扉を押し開こうとする衛兵たち。そして、一人の衛兵が中に向かって叫ぶ。

「グリフォンが入ってくるぞ!今すぐ避けろ!」

 いや、それ以前にこれだけの数のグリフォンが無事に中へ入れるのかという疑問もあるけれど、今はそれよりも扉を通り抜ける方が急務だ。

「来たぞッ!」

「よし、開いたッ!」

「全員退避ぃぃぃッ!退避ぃぃぃッ!」

 改めて言うけれど、もちろん敵襲ではない。

 ここはまだデウザビット王国なので、当然同胞であり味方だ。それどころか、この砦を守る衛兵たちは辺境伯領の者たちである。

 しかしどう見ても、己の領主から急襲を受けている状態。

 誠に申し訳ない。

 けれど彼らは立派にやり遂げた。

 大きく扉が開いたと同時に、間髪入れず扉の向こう側へ吸い込まれていくグリフォンたち。

 あれだけきっちりと形作られていた隊列は滑空しながら綺麗に解かれ、今は一糸乱れぬ縦一列となっていた。

 さすが(グリフォンに)選ばれし精鋭部隊のことだけはある。私はその指示なり合図なりがいつ出されていたのか、それに気づくことさえできなかった。

 正直、容赦ない急降下と、可哀想な衛兵たちのドタバタで、そんなことを確認している余裕すらなかった。

 でもこれで扉との正面衝突は回避できた。あとは、これだけの数のグリフォンがきちんと中に収まるの?という心配が改めて浮上してくるけれど、それを考える間も、問う間もなく、デネボラ様のグリフォンもまたあっさりと扉をすり抜けていく。

 果たして寿司詰めか、それとも定員オーバーで弾き出されるか…………

 しかしそんな心配は杞憂に終わり、視覚ではなく、ひんやりと肌を撫でる空気の冷たさで愚問だったことを知る。

 なぜなら、外の光に慣らされていた目は、砦内の必要最小限の明かりに閉口し、忽ち私の視界を闇で閉ざしてしまったからだ。

 とはいえ、それはほんの束の間のこと。

 闇が淡い光に霞んでいくようにぼんやりと揺らぎ始め、徐々に私の視界を広げていく。

 薄暗ささえ感じる場所。それでも鮮明になっていく砦内部の様子と状況に対し、静かに息を呑んだ。


 広い空間。

 しかし殺風景というわけではない。

 むしろ、岩壁に同化していた無骨すぎる外観からは想像できないほどに、中は壁や柱に重厚感たっぷりのレリーフが彫り込まれ、華美さや優雅さはないけれど、ここが神聖な場であることはわかる。

 それもそのはず。

 ここは軍事的砦であると同時に、政治的砦でもあり、出入国審査を担った砦でもあるからだ。

 まぁ、その唯一の相手方であるデオテラ神聖国とは千年程お付き合いはなかったのだけれど。

 それでも、突如トゥレイス殿下の留学の話が持ち上がり、スハイル王弟殿下が外遊と称してデオテラ神聖国の思惑を推し量るべく訪問したことによって、政治的、事務手続き的色合いが一気に濃くなった。

 その証拠に、ここを守る衛兵たちは辺境伯領の騎士たちだけれど、砦の中で政治的、事務的な仕事を担っていいる者たちは、王都より派遣された役人となっている。

 つまり私たちは、できるだけ穏便な形でデオテラ神聖国へ入国するためにも、ここで出国の許可を取る必要がある。

 そんな公的な場に、押し入ったグリフォンが五十頭近く。

 穏便というより、物騒という言葉の方が正しいかもしれない。

 ただ救いは、グリフォンたちが大人しく整然と並んでいることだ。

 辺境伯と次期辺境伯を前に配し、その後ろにデオテラ神聖国遠征組――――――つまり、私たちを乗せたグリフォンたちがずらりと横一列に並んでいる。さらに、前列の倍以上の数のグリフォンたちがその後ろにもう一列。

 にもかかわらず、グリフォンたちは寿司詰めどころか、犇めき合うことなく、なんなら適度な間隔さえ開けて並んでいる。

 そんなことができるのも、私の心配なんて何のその。砦の内部は予想以上に広かったからなのだけれど、それでも圧倒的違和感しかない光景であることは、もはや疑いようもなく――――――


「へ、へへへ辺境伯ッ!!これは一体どういうことですかッ⁉」

 少々白いものがまざり始めたキャメルの髪を振り乱し、奥の扉から慌てて飛び出してきたのは、ひょろっと長身の年配の男性。その男性が慌てふためきながら叫ぶように問いかけると、「時短だ」と、辺境伯はさも当然のように宣った。

 その反省の欠片も謝罪の色もない台詞に、問いかけた男性が絶句する。

 しかし、彼こそがこの砦内の政治的あれこれや、事務的あれこれを取り仕切る長官、バーダン・トリマン侯爵であり、こっそり耳打ちしてくるデネボラ様の情報によると、辺境伯の酒飲み友達でもあるらしい。

 つまり、この状況に目を剥きはするけれども、伊達につき合いが長いわけでもないため諦めも早く、立ち直りも早い。

 とはいえ、親しき仲にも礼儀あり。

 ということで――――――――

 

「時短ではない!しっかり説明をしたまえ――――――――ッ!!」


 怒髪天を衝く勢いでそう叫んたのは、致し方ないことだと思う。

 ……………うん。



「やれやれ人間って、何かとしち面倒くさいよね。決まり事とか、国境とか、色々つくっちゃってさ」

 レグルス様がまた“伝心”によってさらりと説明をしている間に、人の理の外に属する“魔の者”であるアリオトがそう呟くのを、彼の正体を知る人間代表の私たちが苦笑し、聖獣であるアカとシロが、横目でジトリと睨みつける。

 もちろんこの睥睨には、黙ってそこに立ってろ!という意味もあるけれど、人の理は神が創りしモノであり、枠外の存在なくせに神を冒涜するようなことは言うな!という意味も大いに含んでいるのだろう。

 ちなみに今の私たちは、騎乗してきたグリフォンから降り、この砦の長官であるバーダン・トリマン侯爵の前に、授業中にこっそり学校を抜け出し、うっかり見つかってしまった生徒よろしく、ずらりと横一列に並んでいる状態だ。

 ただ一人、未だ絶賛気絶中のトゥレイス殿下の護衛騎士様は除く…………だけれど。


「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜」

 

 殊更大きなため息が、広い砦のホールに充満するように響いた。

 このため息を零したのは問題児たちを前にして頭痛がするとこめかみを押さえる生徒指導の先生ではなく、この砦の(おさ)でもある侯爵だ。

 それから一列に並ぶ私たちを順々に見やって、困惑したように低く唸った。

「………国家を揺るがしかねない緊急事態であることはよくわかりました。辺境伯が“時短”だと抜かし、ここまでの暴挙に走った理由についても………………」

 侯爵の疲れ切ったような声音に、問題児…………もとい、デオテラ神聖国遠征組の私たちは、苦く笑うより他ない。

 そもそも当初の予定では、こんな風に呆れられ、説教を受けるが如く横一列に並ばされるつもりはさらさらなかった。

 わざわざ結界に攻撃魔法を仕掛け、グリフォンを強引に呼んだのも、留学中のデオテラ神聖国第二王子殿下とその留学先でできた御学友――――としての体裁を整えるためであり、間違っても砦に問答無用で押し入るためではなかったはずだ。

 なのに、何故こうなったと、侯爵に負けず劣らず頭を抱え込みたい気分である。

 その紛うことなき元凶ある辺境伯が、酒飲み友達の気軽さで侯爵をせっつく。

「侯爵!状況がわかったんならさっさと出国させろ!ほれ!国王陛下の国璽が押された出国許可書もあるんだぞ!」

 レグルス様がちゃっかりと預かってきた(いつの間に⁉)許可書を指差し、辺境伯が侯爵に詰め寄るけれど、侯爵も負けじと言い返す。

「わかってる!だが、相手国がある以上、お…いそれと出国させるわけにはいかないんだよ!たとえ国王陛下の国璽が押された出国許可書があろうとも、出国メンバーにトゥレイス殿下がいようともな!」

 確かにその通りだと思う。

 こちら側がどれだけ出国を望み、それを国のトップが認めたとしても、受け入れ側の国がそれを良しとしなければ、簡単に入国はできない。

 それをなるべく友好的かつ穏便な形でと言いながら、まったくの手回しなどせず押しかけ同然で入国を求める自国の王子と、御学友だという他国の公爵令息と令嬢。デオテラ神聖国にしてみれば、穏便どころか怪しさ満載である。

 侯爵に言わせれば、これは国家間の問題であって、稚魚の放流や、保護した野生動物を野に帰すのとわけが違うんだぞ!と、いうことらしい。

 うん、ご尤も。

 けれど、そこを強引にでも押し通してもらわなければ、ここまでの時短が水の泡だ。

 もちろん侯爵もそれはわかっているようで、どうすれば簡単にデオテラ神聖国側に納得させることができるかと、ぐりぐりとこめかみを指で解しながら、あーでもないこーでもないと自問自答を繰り返している。

 そんな侯爵の尻を容赦なく叩くのが辺境伯で………

「ぐだぐだ考える前に、さっさと神聖国側と交渉を始めろ!」

「馬鹿を言うな!これはれっきとした外交問題なんだぞ!自国の王子の緊急帰国に対して、神聖国側から痛くもない腹を探られることだってある!場合によっては、言いがかりをつけられ、賠償金を求められる可能性だって十分考えられるのだぞ!」

「そこをなんとかするのが、長官である侯爵の腕の見せ所だろうが!こっちの状況は待ったなしなんだ!とにかくやれ!今すぐやれ!」

 無茶振り甚だしく、なんなら鼻息も荒く、侯爵へ詰め寄る辺境伯を、「父上!落ち着いてください!」と、次期辺境伯が羽交い締めしてひしと止める。

 さらにはデネボラ様までが「なんならわたくしが神聖国と交渉いたしましょうか?」と、侯爵へとにじり寄り、「姉上は大人しくしていてくださいッ!」と、こちらはすぐさまレグルス様に羽交い締めされた。

 カオスである。

 しかしそんなカオスな状況でも、侯爵は冷静に思考を巡らせていたようで、不意にトゥレイス殿下へと視線を向けた。そして、慎重に尋ねる。

「恐れながら、トゥレイス殿下。ここまで敢えて黙っていらっしゃいますが、貴方様は本件における協力者でございます。つまり、入国に対してもまったくの無策というわけではないのでしょう?」

 その問いかけに、トゥレイス殿下は氷のデスマスクを装着したまま、小さく頷いた。

「ないわけではない。ただ、他に手があるならそれを優先したいと思って黙っていただけのことだ。私の策は大事な彼女を使うことになってしまうからな」

 温度の伴わない、淡々とした口調でそう告げたトゥレイス殿下の視線が、長官から私へと流れてくる。その視線を追った長官の糸のように細い目が、私を捉えた瞬間、それはもう火に炙られた貝のようにぱっくりと見開かれた。

 ほんとあからさまが過ぎる。


 どうだ、見たか!

 この私の隠密スキル!


 内心でそう告げて、へらりと笑っておく。

 もはや開き直るより他なかった。



 結局、長官の頭をどんなに捻ったところで、友好的、穏便かつ時短でデオテラ神聖国の入国許可を得る方法が見つからなかったため、当初の予定通りトゥレイス殿下の策に縋ることにする。

 そのせいで私が危険に晒される可能性があると皆心配してくれているようだけれど、そんなことははじめから覚悟していたことだ。

 だから気にせず、私の存在を理由に入国許可を取ってほしいと、無言の視線で告げた。

 デオテラ神聖国とのやり取りは、“交渉の間“と呼ばれる部屋で行われるらしい。

 何でもその部屋には“神の石板”と呼ばれる古の魔道具があり、その石板に指で文字を書くと、デオテラ神聖国にある対となる石板に文字が浮き出る仕組みとなっているそうだ。

 もちろんこの石板が日の目を見たのは、トゥレイス殿下の留学があったからこそだけれど、万が一のためだと、代々その使い方を正しく引き継いできたこの砦の人々に頭が下がる思いである。

 そんなわけで私たちは、ここまで物々しく威厳を持って…………というより、有無を言わせず押し入る形で砦に運んでくれた辺境伯領グリフォン部隊御一行様とお別れをし、“交渉の間”へと入った。

 その際に、絶賛気絶中だったトゥレイス殿下の護衛騎士様はシェアトの“言霊”により強制覚醒させられ、今は『黙ってトゥレイス殿下に付き従え』という新たな“言霊”によって、理由はさておき、ついでに状況もさておき、ただただ盲目的にトゥレイス殿下に付き従ってくれている。

 そんな護衛騎士様に憐れむような視線を送ってから、「では、デオテラ神聖国と入国の交渉を始めましょう」と、侯爵は粛々と告げた。

 先程の広いホールとは違い、息苦しさを覚えるほどに狭い部屋。

 明り取り用の窓もなく、黒灰色の大理石――――ネロマルキーナの壁で四方を囲んだ部屋は石室そのもの。

 恐らくは、魔道具である石板の風化を恐れ、このように風が通ることも許さない密封された場所となったのだろうけれど、閉所恐怖症なら一目散に逃げ出したくなるような閉塞的空間だった。

 ネロマルキーナの壁に埋め込まれた、横一メートル、縦八十センチほどの、闇を切り取ったかのような真っ黒な石板。

 まず侯爵は右手に小さな木槌を持つと、その石板を打ち鳴らした。


 リーーーーーン………………


 石を叩いた音とは思えぬほどに、涼やかな音が鳴り、硬いはずの石板が湖面のように波紋を広げた。

 そしてその波紋がおさまった頃、暗き湖の底からひっそりと浮かび上がるようにして、淡い光の粒子を纏った文字が石板に刻まれる。


“私はデオテラ神聖国神官、アルビレオ・ケプラーと申す者。石板に呼ばれ文字を返す”


 しかしその文字は、再び湖面に沈んでいくように泡沫と消える。それを待って、侯爵が石板に文字を綴った。


 “私はデウザビット王国、辺境砦カステッルム・スクートゥムデイを守りし者。長官のバーダン・トリマン。この度は突然の呼びかけに応じて頂き、感謝申し上げる”


 その文字が淡い光を纏いながら、石板の底にゆらゆらと沈んでいく。それを見送って暫し待っていると、再び新たな文字が浮かび上がってきた。


 “構わない。呼びかけの理由をお聞かせ願おう”


 侯爵はその文字を拾い読んでから、トゥレイス殿下へと視線を向けた。

 表情筋一つ動かないトゥレイス殿下から何を読み取ったのか、侯爵は意を決したように石板に向き直ると指を滑らせた。

 

 “デオテラ神聖国第二王子トゥレイス殿下が帰国を求められている。入国許可を頂きたい”


 “そこに王子殿下はおられるのか?”


 “おられる”


 “では、直接王子殿下のお言葉を頂戴したい”


 想定通りの展開に、侯爵はトゥレイス殿下へと場所を譲る。

 するとトゥレイス殿下は、躊躇なく石板に文字を綴り始めた。

 しかしそれは馴染みのない文字。

 その文字を読めない私たちを気遣ってか、トゥレイス殿下は細く長い指を動かしながら、口を開く。

「この文字は“神の文字”と呼ばれるものだ。我々人間が使う文字の基礎となるもので、すべての文字はこの“神の文字”を使いやすいように略し、または崩したものだと言われている。ただ我が国は、未だ神を絶対だと崇拝する国。王族と神官はこの“神の文字”を正確に書けなければならない。つまり、この文字を正しく記すことこそが、何よりも私が第二王子であるという証となる」

 そう告げながらつらつら綴られていく文字は、あまりに複雑過ぎて何かの幾何学模様にしか見えない。

 けれど、アカとシロはそうではないらしく…………

「相変わらず美しい文字だな」

「あぁ……慈愛に満ち、それでいて美しい…………」

 と、懐古と陶酔の目を向けている。それを呆れたように眺めるのは、やはり難なくこの文字を読めるというアリオトで、「ただ格式張って堅苦しいだけだよね。これに慈愛やら、美しさやらを感じるなんて、こいつらの感覚ってゆーか、美的センスに疑問しかないんだけど?」と、奇怪なモノを見る目となっている。

 しかしそれも新たな文字が浮かび上がってくるまでのことだった。

「おぉっと、餌に喰い付いた!」

「こらアリオト!ユフィを餌呼ばわりするんじゃない!」

「アリオト、即時訂正なさい!」

 嬉々とした声を上げたアリオトに、すぐさまアカとシロが噛みついた、けれどアリオトは悪びれもなく、「いやいや、デオテラ神聖国にとってユフィは極上の餌でしょ。この喰い付きようなんだし?」と、ひらひらと手を振りながら肩を竦める。

 そしてその横で、アリオトたちと同じく文字を読んだトゥレイス殿下の口端もまた僅かに上がっていた。

 その微妙な変化はよく見なければわからないものだったけれど、私たちへと振り返ったトゥレイス殿下の言葉に確信を得る。

「どうやら入国の許可が下りたようだ」

 アリオトの言う通り、“神の娘”の生まれ変わりである私という存在に、見事に喰い付いてくれたらしい。

 それはもう諸手を挙げて入国を許可するほどに。

 作戦通りとはいえ、ここまでの喰い付きっぷりに、どんな歓迎を受けることになるやら……と、若干不安を覚えるけれど、今は前向きに感謝しておくことにする。

 しかし、あっさり入国許可は下りたものの、一体どこからデオテラ神聖国に入国するのだろうと首を傾げたところでそれは起こった。


 綺麗に蓋をするように、隙間なく部屋を取り囲んでいる黒灰色の大理石――――ネロマルキーナの壁。

 そのネロマルキーナの表面に魔法陣が浮き出るや否や、ゴォーと地鳴りのような重低音を立てて、すべてのネロマルキーナが突如床へと沈み始めた。

 まさか天井もッ⁉と、咄嗟に仰ぎ見れば、そこに鎮座していたはずのネロマルキーナは跡形なく消えており、いつの間にか私たちの頭上にはぽっかりと青空が広がっている。

「な、な、何⁉どうして空が⁉」

 魔法ありきの世界相手に、今更何言ってんだという話だけれど、魔法無縁の前世の常識にとらわれている私としては、この非常識な展開に目が点だ。

 令嬢としてあるまじきことに、お口もポカンと開いている。

 そんな私の肩に、落ち着けとばかりに置かれた誰かの手。

「ユーフィリナ孃、心配ない。ここがこのままデオテラ神聖国への入口となる。ほら、前を見て」

 留学時に、デオテラ神聖国側で一度経験したのだろう。

 トゥレイス殿下が対外向けの氷のデスマスクを、淡い微笑みで融解させて教えてくれる。

 その微笑みに促されて、前を見やれば――――――――


 突然外へと放り出されたかのように開かれた部屋。

 左右に展開するのは断崖絶壁にしか見えない岩壁。

 その岩壁と岩壁の間には、二つの国の結界が重なり合うことで融和された、結界の綻びともいえる半円状の穴。

 もちろんその穴は馬車が余裕で通り抜けられるほどの大きさがあり、堂々と一本の道が貫いている。

 そしてその道の先に見えるのは、天を突き抜けんばかりの白亜の塔――――――かつて神が住んでいたという美しき天宮。


 それはまるでおとぎ話のような光景で、でもどこか懐かしさを覚える光景だった。


 なのに―――――――――

 

 今の私が感じるのは、全身の毛が逆立つような悪寒。

 武者震いなどと、とても言い繕えないほどの震えが全身を襲う。

 おそらく私の肩に手を置くトゥレイス殿下にも伝わっているだろうけれど、今はそれを気にかけている余裕もない。


 そんな……そんなことって…………

 まさか――――――――

 

 どうして自分に()()がわかるのかもわからない。

 私にはそんな能力はなかったはずだとぷるぷると首を横に振る。

 それでも、吐き気をもよおすほどの悪寒に冷や汗が滲み、思考は悪しき予感で真っ黒に塗り潰されていく。

「ユーフィリナ孃?」

 トゥレイス殿下の声がやけに遠くに聞こえる。

 それなのに――――――――


「最悪だね…………デオテラ神聖国に、フィラウティアがいる」


 しっかりと耳に届いたアリオトの呟き。

 しかもそれは、予感などという甘いものではなく、確信を含んだ声音。


 その瞬間、私の悪しき予感は忽ち悪夢の現実となった。 

 

  


 

 

 

 

こんにちは

星澄です☆ 

たくさんの作品の中から、この作品にお目を留めていただきありがとうございます♪


深夜の投稿失礼します。

毎度毎度遅くなりすみません。


さてお話はようやく天宮が見えました。

待ちに待った?デオテラ神聖国でございます。

次回は、即王城に突撃予定。


一体どうなることやら…………



恥ずかしながら誤字脱字は見つけ次第、すぐに修正いたします。

何卒ご容赦のほど………。:゜(;´∩`;)゜:。



ではでは

どうぞよろしくお願いいたします☆



星澄

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