ヒロインの登場です!どうやらヒロインはお兄様を攻略対象にしたようです!(10)
――――唇に残された熱は、燻り続ける熾火のようで
闇を抜けたらそこは、優しい明かりに灯された場所だった。
しかし心は乱れ、嫌な予感ばかりが思考を埋める。
できればこのままお兄様の場所まで転移して戻りたい。
けれど、必死に私を守り、逃がしてくれた人たちの気持ちを思えば、ここで今を嘆くのは間違っている。
私はアリオトが予め部屋に満たしていた晦冥海の上に立ちながら、ゆっくりと顔を上げた。
そして、そこを見知った部屋だと認識する前に、私の視界に飛び込んできたのは、やはり見知った人。
「あ、あの……南の公爵家ご令嬢樣、だ、大丈夫ですか?」
酷く恭しく、それでいて探るように声をかけられて、私は思わず苦笑してしまう。
「ロー様、できれば名前で呼んでいただけませんか?でなければ、お互いに疲れてしまいますわ」
こうなることを元より知っていたかのように、晦冥海からひょっこり浮き上がってきた私に驚くでもなく、むしろ心配そうに覗き込んでくるロー様に、私は取り敢えずそう告げた。それから改めて周りを見渡し、私の腕を掴んだまま、こちらもまた心配そうに私を見つめてくるシロを見上げる。
あのキスは“幻惑”の中だった。
だからあの時も、シロは私の腕を掴んでいたけれど、おそらく“幻惑”の中で何かがあったかまでは気づいていないと思う。
それでも気まずさと、羞恥で居心地の悪さを感じながら、私は動揺を押し殺し口を開いた。
「ここは、シロの…………アンゲリー伯爵の屋敷ね」
それもこの部屋は、あの時私がアリオトに連れて来られた部屋だわと告げれば、シロは不安げに瞳を揺らしながら頷いた。
シロの表情に訝しさがないことから、あのキスのことは気づかれてないようだと、内心で息を吐く。
正直、問い質されたとしても、私にあのキスの意味など答えようがない。
なにしろされたご本人である私が一番、その意味について教えてほしいくらいなのだから。
強いて言うなら、聞き分けのない妹に対してのショック療法だった――――といったところだろう。
けれど、世間の一般常識からすれば大いに外れてしまっているがために、理解を求めるのは難しい。
それに元を正せば、アリオトに受けた行為の上書きと、名前を持ってしまった行場のない想いに流されて、お兄様にキスをお願いしたのは他でもない私自身。だから当然お兄様を責めることはできないし、これは度が過ぎるシスコンお兄様の過剰なスキンシップの一環にすぎないのだと、今ではどこか諦念すら覚えている。
名前を持つことで、持て余すことになったこの気持ちには、あまりに酷だったとしても。
それとも、やはりお兄様は単なるキス魔なだけのかもしれないと、若干頭痛を覚えつつ、私を気遣わしげに見つめ続けるシロに、困ったように眉を下げた。
シロの様子からして、この部屋を見ることで、この間のアリオトとのことを思い出し、私が不快に思わないか心配しているらしい。
まったくこちらの守護獣もお兄様やアカに負けず劣らず心配性のようだ。
私は小さく笑って、「大丈夫よ。怖くないわ、シロ。助けてくれてありがとう」とお礼を伝えてから、もう一人へと視線を向けた。
そのもう一人は、いつの間にかちゃっかりとベッドに腰掛けており、これもまた見知った光景だわ…………決していい思い出とは言えないけれど、などと頭の片隅で考えつつ声をかける。
「アリオト、手間を取らせたみたいでごめんなさい。でも助かったわ。ありがとう」
アリオトは、ただ真っ黒に塗り潰しただけの人型の影から、無駄な装飾を一切省きながらも、仕立てのいい貴族然とした服装に、闇色の髪と瞳を持つ、見目麗しく魅惑的な男性の姿となっていた。それでいて妙に人懐こそうに見えるのは、やはり右目の下にある泣き黒子のせいなのかもしれない。
しかし、今のアリオトはその人懐こさを封印するかのように、ベッドに座ったままで不貞腐れたように頬を膨らませている。
私がはて?とばかり首を傾げれば、アリオトからジロリと睨まれた。
かなりご機嫌斜めらしい。
すると、そんなアリオトにシロが噛みついた。
「一体何ですか、そのぶーたれた顔は。ユフィとか、幼い子供がすれば可愛いだけですが、貴方がしたって全然可愛くもなんともないですよ!」
幼い子供と並列に並べられて、正直複雑な心境だけれど、今ここで反論しても時間の無駄だと察して、アリオトの様子を窺う。
けれど、シロの一喝もどこ吹く風で、アリオトは私から再び目を逸らすと、面白くなさげに口を開いた。
「やっぱりさ、君ってちょっとおかしいんじゃない?普通はさ、ボクのこと怖がったり、嫌ったりするはずなのに、会えて嬉しそうにしたり、お礼まで言ってきたりしてさ…………さっきも言ったけど、ボクはまだ君をこのベッドで犯して、身も心もボクの闇で染めてやりたいと本気で思っているんだからね!」
だからほんと調子が狂うんだよ…………
などと、文句を並び立てた後も、独り言のようにぶつぶつとぼやいている。
察するに、私の態度がアリオトの想像とは違い、面食らっているらしい。
まぁ、確かに自分でも不思議には思っているけれど。
あれほど恐れていた‘魔の者’を相手にしながら、今は素直じゃない弟を前にしているようで、可愛いとすら感じているのだから。
しかし、それを言うならシロたちもどうかと思う。
魔物の血を使い、アリオトに隷属していたはずのシロは、その隷属が解かれたこともあり、今はすっかり立場が逆転して、「どうして貴方はそんな言い方しかできないんでしょうね!正直だからいいってわけではありませんよ!」と、アリオトの主人、もしくは保護者や教育係といった様相となっている。
いや、それどころか、守護獣であるシロが傍にいるとはいえ、お兄様たちはいともあっさりと、“魔の者”であるアリオトに私を託した。
あの時、平常な精神状態であれば、『お兄様、私は大丈夫だと思いますけど、本当にそれでいいのですか?』と、聞き返したはずだ。
ここまでくると、昨日の敵は今日は友を地でやっているとしか思えない。
まぁ、昨日の敵は今日も敵よりかはいいけれど。
そしてそれをアリオト自身が、どこか面映ゆく感じているらしい。
そのため逸らされた視線とは別に、単なる照れとも取れる苛立ちと、戸惑いがそのまま私に向かってくる。
「ねぇ、ユフィ。君、本当にボクに何をしてくれたの?もちろん影法師だった時の記憶はあるし、こいつにも話は聞いて、君がボクとこいつと、どこかの王子の闇を祓ったってことは知ってるよ!」
「私を呼ぶなら、アンゲリー伯爵か、ニウェウス様、もしくは旦那様です。ちなににユフィのことはユーフィリナ様とお呼びしなさい」
などと、すかさずシロから教育的指導が入り、「うるさいぞ!雪豹!」と、反抗期丸出しのアリオトが噛みつく。
そのことに、驚きで目を丸くするのではなく、微笑ましさで目を細めていると、今度はそんな私に気がついたアリオトが、「うわぁぁぁぁッ!」と奇声を発して、少し癖のある黒髪を掻きむしり、そのまま頭を抱え込んでしまった。
「本当に何なの?いくら君がボクの闇を祓ったところで、ボクが“魔の者”であることに変わりはない。何故ならボクは……ボクたち“魔の者”は、この世界の光を喰らい、闇で満たすために存在しているからだ!だから君に興味があるのは、君が聖なる光を持つ“神の娘”だからであって、それ以外の理由なんてない!君を犯してやりたいと思うのも、心を闇で染めて絶望を味あわせてやりたいからだ!なのに……なのに、君のせいでボクの中の闇がどうして完全に戻ってこない!しかも君を見た瞬間、不完全なものが満たされた気になるのはどうしてだ!ユフィ、君はボクに一体何をしたんだ!教えてくれ!」
あの日私が消してしまったアリオトの中の闇は、今は7割程戻ったと聞く。
しかし、何故かそれ以上は戻らないとも。
そしてそれは、“魔の者”であるアリオトにすれば、酷く不安なことなのかもしれない。
自分の存在は、不完全になってしまったと。
けれど、それはあの日私が望んだからだと、改めて気がついた。
闇色に染まったアリオトの心を光で照らし、この世界はたくさんの色で溢れていることを教えてあげたい――――――――と。
そして、今のアリオトを見れば、さらに気づかされることがある。
本人はイライラし過ぎて気づけていないのかもしれないけれど、自分の感情を剥き出しにしていることに。
以前のアリオトは人懐っこい笑みを浮かべ、一見表情は豊かに見えるけれど、どこか俯瞰だったように思う。
それが今は憤りも露わに、ついでに言えば髪もボサボサで、私を責め立ててくる。
かつてアリオトは言っていた。
“ボクたち“闇の眷属”には愛なんていう感情はない”
確かに、“魔の者”はそういう感情を持っていないのかもしれない。
でもアリオトの言う“愛”とはその形が違えども、今のアリオトは無意識にもそれを求めているような気がする。
自分が不完全だからこそ、その心の穴に滲み出す不安や恐怖や焦燥。
そしてそれを埋めるのは、心を許せる友だったり、誰かがくれた優しさだったり、知らず知らず思い描いていた未来への希望だったり、様々だ。
そう、アリオトは気づかぬうちに求めているのだ。
誰かの愛情や優しさを。
だからこそ、私を見て満たされた気になったのかもしれない。
“魔の者”であるアリオトが惹かれて止まない“聖なる光”を持つ(らしい)この私に…………(まぁ、シロも持っているのだけど)
うん、これはいい兆候だわ。
アリオトにとっては不本意かもしれないけれど。
私は都合良くそう勝手に解釈すると、一層笑みを深めてみせた。
それに比例するかのように、アリオトの顔が一層渋くなる。
初めて見るその顔に、私は思わずうふふ……と笑い声を立てると、案の定アリオトから胡乱気な目を向けられてしまう。
「ねぇ、ユフィ。なんでそんなに嬉しそうなわけ?ボクはどっちかっていうと、怒ってるんだけど?」
と、ベッドの上で小首を傾げながら、わざとらしく闇の力を増幅させる。
どうやら、怒ってますアピールらしい。
そのことに私は余計に絆されてしまったのだけど、シロは違ったようで、「アリオト!」と、私を庇うようにして前に立ち、一気に魔力を増幅させた。
ロー様もまた、なんでこんなことになるんだと、顔を引き攣らせながら一歩前に踏み出し、魔力を凝縮させつつ身構える。
ただ、そのロー様の身体がブルブルと、なんなら歯が鳴るくらいに震えているのは、相手が不完全体とはいえ“魔の者”だからなのだろう。いえ、これはれっきとした武者震いね、などとロー様の名誉のためにもそう思うことにする。
しかし、この一触即発の雰囲気の中で、何故か私には焦りも恐怖もなかった。
なんとなくだけれど、アリオトに攻撃の意思はないと感じ取っていたからだ。
そのため、シロとロー様の腕に振れ、大丈夫だと視線だけで伝える。そして二人の前に立つと、アリオトに微苦笑を向けた。
「アリオト、ごめんなさい。何も面白がったわけでも、からかったわけでもないのよ。ただね、嬉しかったの。不完全であることに、アリオトがとても不安そうにしていたから…………」
「ちょっと待って!それってもっと最悪じゃない?ユフィって実はものすごく性格が悪いの?」
「んなわけないしょう!」
間髪入れずそう突っ込んだのはシロだ。
さすが守護獣。
身贔屓が半端ない。
でも、自分で言っといてなんだけど、確かにあんまりな発言だったと思う。
不安そうにしていたから、嬉しかったなんて、その発言だけを聞けば性格が歪んでいるとしか思えない。
けれど――――――この間のことを思えば、これくらいの意趣返しは許されるかもしれないと、再び口を開く。
「アリオト、私は貴方にたくさんの感情を知ってほしいと思う。不安や苛立ちもその一つよ。そしていつかそんな感情が吹き飛んでしまうくらいの、優しさと愛情が貴方の心を満たす日がくると信じているの。だから、アリオトの揺れる感情が見られてすごく嬉しい。いっぱいいっぱい悩んで不安になって、そしてその感情を剥き出しにすればいいわ」
ちゃんと私が受けて立つからね、と笑えば、アリオトは毒気を抜かれたような顔となり、呆けたように口を開けたまま私を見つめた。それから気だるげに首を横に振って、殊更深いため息を吐く。
“魔の者”もこんな深いため息を吐くのね。
呑気とも思える感心をする。
しかしそれも束の間、アリオトが徐に顔を上げ、ゆるりと口角を上げた。
「……なるほどね。ユフィは責任を取ってボクの感情を一身に受け止めてくれるってわけだね。だったらいいよ。ボクはこの不完全な状態を受け入れて、ボクが君に抱いたすべての感情を余すことなくユフィへぶつけてあげる。だから、精々覚悟しておいてね」
にんまりという表現がぴったりな笑みを浮かべ、すっかりご機嫌麗しくなったアリオトは、嬉々としてそんなことを宣わってくる。
それを聞いたシロが「あぁ……頭痛の種が……」と片手で目元を覆い、ロー様は「ユーフィリナ様、今すぐ前言を撤回されたほうが…………」と、オロオロとしている。
うん、私もちょっと早まった感はあるとは思うけれど、私の一方的な思いをぶつけた結果、今の不安を抱え込んだアリオトがある以上、少々の八つ当たりくらいは大目に見るべきだと思う。
いくらなんでも八つ当たりで闇魔法をぶつけられることはないだろうし…………
だったら…………と、潔く覚悟を決めた。
「わかったわ。ちゃんと全部受け止めるから、安心して。でも……闇魔法をぶつけてくるとか、こないだのようなこととかは絶対に駄目だからね」
念のためにそう言うと、アリオトはベッドに手を付き、身体を反るようにして天井を見上げた。
そして、口元に笑みを残したまま「それは残念…………」と呟いた。
窓の外にはぽっかりと浮かんだ月。
あの日よりもふっくらとした月に時の流れを知る。
その淡い光を見つめながら、自分だけが安全な場所に来てしまったことに、悔恨と焦燥がまた胸をじわじわ焼くけれど、シロが入れてくれた紅茶を口に含み、その熱に一時的な鎮静を与えた。
滾る炎を熾火へと変えるように。
以前この部屋に連れてこられた時には、調度品と呼べるものはベッドだけだった。
でも今は、猫脚のマホガニーで、美しい模様が施されたベルベット張りの応接セットが品よく設えられ、居心地のよい部屋へと様変わりしている。
とはいえ、部屋の床には、お兄様があの日発動した転移魔法陣が、今も尚くっきりと残されていた。
その精緻で複雑な魔法式をぼんやりと眺めながら、シロの話を聞く。
現在、この魔法陣に魔力供給をして常時使えるようにしているのは、シャウラであること。しかもそれは、シャウラの余剰の魔力を消費させるためでもあり、お兄様の提案であったこと。
またロー様は、王都にある魔道具の店を切り盛りしつつも、お兄様が店の奥に用意した転移魔法陣でこの屋敷に通い、後々シロの養子となってアンゲリー伯爵を継ぐべく、絶賛準備中であること。さらには、シャウラとは将来を考えていること―――――――など、驚きと祝福に満ちた話だった。
だた、素直に喜ばしいと思う反面、ふと置いてきぼり感が漂い、寂しく思ってしまったことは、永遠の秘密だ。
ほんとアリオトのことは言えないと、自嘲する。
でも、お兄様がシャウラとロー様の未来を考えて行動を起こしてくれていたことに、アメジストの瞳を見つめて、感謝の気持ちを伝えたいと心から思った。
そんなお兄様が堪らなく大好きだと――――――――
誰よりも愛していると―――――
しかしその言葉を紅茶とともに飲み込んで、私はようやく本題を口にする。
といっても、すべて疑問。
疑問と疑心しかそこにはない。
「国王陛下は、何故あんなことを…………」
自分で口にしておきながら、まるで詮無き独り言のようだった。
けれど、自問自答するにしても、その答えがまったく見えてこないため、自答はできない。
そのため、私の対面に座るシロを真っ直ぐに見つめた。
たとえ、想像でも憶測でもいいから、それらしき答えが欲しいと。
シロは、そんな私の視線の意味を的確に読み取ったようで、手にしていたティーカップを優雅な手つきでソーサーごとローテーブルに戻した。
そして真摯な銀色の瞳を向けてくる。
「あれはおそらく……“魅了”でしょうね」
“魅了”―――――――
その言葉は、新たな能力者を示唆するとともに、その者が私に害なす存在だと明確に告げていた。
こんにちは。星澄です☆
たくさんの作品の中から、この作品にお目を留めていただきありがとうございます♪
はい、読み治しをしながら寝落ちてました。
気がついた時には日付はすっかり春変わっており………
最悪だぁ~
っていうか、本当にすみません(泣)
さてお話は、出てきました“魅了”。
次回はまたまた衝撃な展開が………ある予感です。
恥ずかしながら誤字脱字は見つけ次第、すぐに修正いたします。
何卒ご容赦のほど………。:゜(;´∩`;)゜:。
どうぞよろしくお願いいたします☆
星澄




