青波台 風見の少年との再会
その後、しばらく経ってから、私はあの古民家に暮らす事になった。志保のマンションに比べて、家が広くなった事で、様々な来客が訪れるようになった。結婚した鬼門さんも、休日に時々訪ねるようになった。
今回は久々に『風見の少年』こと風見瞬君の話をしよう。瞬君は、強力な霊力を持つ少年で、私を十七、八年間の狂気から目覚めさせてくれた子だ。彼は私に宿る圭ノ介という妖の意思とお初の霊を出会わせ、私と圭ノ介を分離させた。そして、私と圭ノ介が完成させようとしていた『本』の呪縛から解き放ってくれたのだ。
もし、瞬君が居なければ、私はあの圭ノ介と同じように人ならざるものになっていたか、『本』の呪縛に呑まれて死んでいただろう。瞬君には感謝してもしきれない。そして、まだ瞬君には話したい事がある。
何故今そう思っているのと言うと、私が狂気から覚めてからの出来事によるものだ。
私は狂気から覚めてから、一週間の夢と現実の見境がつかなくなった。その時、私は幽霊の姿を視た。あの時は、透明な老人が横切っただけで害はなかった。その頃はてっきり白昼夢だとばかり思っていた。だが、視えないはずの幽霊の姿が脳裏にこびりついてしまった。私にも霊感があるのかと疑問に思った。
一週間後、目覚めてからその疑惑は確信に変わった。私は幽霊や妖の姿がはっきり視えるようになっていたのだ。最初は、道端で会っても人間なのかそうでないのか分からなかった。
何故、突然幽霊が視えるようになっただろうか。その原因を二つ考えている。一つは、圭ノ介の力がまだ私に残っているのではないかという事だ。九泉岳の怪は私から妖の気配がすると言っていた。その力が私に霊や妖を視せているのだろうか。
もう一つは、狂気から覚めた代償ではないかという事だ。私よりも前に『本』に魅入られ、命を落とした者が居たそうだ。その者達の怨念が残っているのならば、私にその姿を視せていてもおかしくはない。今のところ、私はそれらしき存在を目撃してはいない。これは私の憶測に過ぎないが、私に自身の存在を誇示しようとしながら、私を恐れているのではないだろうか。私は圭ノ介の生まれ変わりだ。それが故に私に圭ノ介と似た気を感じて寄り付かないのだろう。
それが分かった最初の方は戸惑った。恐怖すら感じた。だが、だんだんそれは薄れていった。怖い事はあったが楽しい事もあった。人に友好的な妖や神達に出会えたのだ。私に力が無ければその出会いもなかっただろう。
幸運な事に、私はこの力を手にしてから命の危険に陥る事はあっても、どうにか人の形を留めている。この命も、瞬君や志保が居なければ、どうなっていたか分からない。私は瞬君と再会して感謝の気持ちを伝えようと思ったのだ。
夏のある日だった。その日、瞬君は家族と一緒に私の家を訪ねてきた。瞬君は今もご両親と弟の友也君と一緒に志手山で暮らしている。
「お久し振りです、茂さん。一年振りでしたっけ?」
六年生になっても瞬君は変わらなかった。まだ小学生だというのに落ち着きがあって、まるで人生の全てを達観しているような目をしている。私は瞬君とご両親に挨拶をすると、瞬君と縁側に座った。
「茂さんの洋服姿初めて見ました。」
私は午後から出掛けるので洋服を着ていた。そういえばこの姿を瞬君に見せるのは初めてだった。
私はあの後の出来事を瞬君に話した。妖や怪、それから死神に出会った話等、突拍子もないものばかりだったが、瞬君はそれを信じてくれた。
「そうですか…。僕が居なくなってからそんな事があったのですね。」
瞬君はそう呟いてから、私が幽霊の類が視えるようになったのに気付いてこう質問した。
「茂さんは幽霊が視えるようになって嫌だとは思いませんでしたか?」
「ああ、私はもう慣れたよ。それに嫌とも思わない。この力があったから出会えたものも居るからね。私は今が楽しくてしょうがないよ。」
「僕にもう少し力があれば、そんな事にはならなかったのでしょうか…。」
どうやら瞬君は私が霊を視えるようになったのは自分のせいだと思っているようだ。私は落ち込む瞬君をどうにか慰めたかった。
「いや、良いんだよ。瞬君は私を狂気から目覚めさせてくれた命の恩人だ。ありがとう、瞬君には感謝してもし尽くせないよ。」
「人ならざるものとの出会いを楽しめる茂さんが羨ましいです。」
瞬君はそう言って悲しいような苦しいような顔をしていた。
そして、両親に呼び掛けられると瞬君は立ち上がった。
「また遊びに来ていいですか?」
「ああ、何時でもおいで。」
瞬君は、居間で優太と遊んでいた弟の友也君と一緒に両親の元に戻った。
帰り際に私は瞬君達の両親と話した。私が狂気から覚めた話をすると父親の守さんの方は信じてくれたが、母親の奈緒さんの方は信じてくれなかった。きっと、瞬君のような力が無いのだろう。
その後、瞬君は両親と帰ってしまった。私は支度を済ませて青波台のコーヒースタンドに向かった。
そこで出会ったのは鬼門さんの奥さんの美沙さんだった。今日は美沙さんと仕事の打ち合わせの約束をしていたのだ。
実は彼女もまた編集者だ。特に写真やグラフィックを専門に扱っている。普段は雑誌のレイアウトのデザインをしているそうだ。
「先生が今まで趣味で撮られた写真を写真集にして欲しいとの要望があります。
私も専門外なのですが、一緒に造っていきましょう。」
私は写真をデータにして美沙さんに手渡した。私はその中から美沙さんと一緒に写真を選んだ。
私は小説の資料の為に趣味で写真を撮っている。もちろん、プロのカメラマンではないから腕前が良いとは到底思えないが、SNSで投稿するとファンから返信が来る。
そういえば昔、瞬君に心霊写真を撮って欲しいと頼んだ事がある。流石に本物の心霊写真を載せる訳にはいかないが、ふとそれを思い出した。