88_風巻く姉弟1
「一応訊ねるが、降伏の意志は無いだろうか。すでに領軍は半壊している」
一見して強者であることが分かる姉弟。
その姉、ヴィオラに俺は訊ねた。
「無いわね。貴方の首を獲れば、まだ何とかなると思うし」
「大逆犯の首を中央への土産に?」
「そういうこと────」
ヴィオラのセリフから語尾が消えた。
一瞬で距離を詰め、槍の穂先が俺の胸へ伸びてくる。
恐るべきスピードだった。
煤の剣でガードし、槍に纏われた魔力を消し去ったうえで反撃に転じる、という手段は採れない。
ヴィオラの槍はガードさせるのが目的で、本命はその後ろから来ているテオドルの槍だからだ。
「つっ!」
俺は半身になってヴィオラの槍を躱す。
槍との距離を十分に取ることが出来ず、その槍に纏われた魔力が俺の胸を少し抉って行った。
だが、このダメージは織り込み済みだ。
俺はヴィオラの横を通過しつつ、その後方のテオドルに向け、剣を下段に構える。
「!」
テオドルが察し、横合いへ跳び退った。
ヴィオラも跳び、その横へ並ぶ。
あのまま突っ込んで来たらカウンターを叩き込めていただろうが、さすがに向こうも反応が速い。
「姉さん、この男……」
殆どの者は、ヴィオラの槍をガードした瞬間にテオドルの槍で刺し貫かれるのだろう。
それを躱し、カウンターを企図した俺へ、テオドルが警戒を露わにする。
「初見で私たちの連携に反応できるとはね。それとも、何処かで見たことがあるのかしら?」
「さあ、どうだったかな────」
今度は、俺が最後までセリフを言えなかった。
再びヴィオラが踏み込み、下段へ槍を突き入れて来たのだ。
だが、さっきと違い、これは躱させるのが目的だ。
横に避けたところで、テオドルの攻撃が来るのだろう。
俺は剣でヴィオラの槍を払いつつ、後方へ大きく跳んだ。
攻撃の機会を失ったテオドルが、ヴィオラの後ろで驚く。
「やはり彼は僕らの連携を見たことがあるんじゃ?」
「いえ、どうやらこの場の判断力で対応してるわ」
そう答えるヴィオラの目つきが変わった。
本気になったようだ。
彼女は腰を落とし、槍を強く握り込んだ。
「『嵐渦槍』」
その透き通るような彼女の声とは対照的に、激しい暴風が槍を中心に渦巻く。
風の魔法付与だ。
ヴィオラが手にする槍は、すべてを引き裂く恐るべき魔槍へと、その姿を変えた。
「はぁっ!!」
離れた間合いから、ヴィオラが槍を突き出す。
するとその槍から、渦を巻いた暴風が地面を抉りながら突っ込んできた。
「くっ!」
横へ転がって大きく躱す。
そこへ突き込まれてくるテオドルの槍。
金属音が、がきんと響いた。
「これにも反応するのか……!」
剣で防いだ俺に、テオドルが歯噛みする。
彼も、さっきまでとは全く違っていた。
踏み込んでくる速度が段違いなのだ。
間違いなく、魔力による身体強化だった。
そこへ、轟々と唸りを上げながら竜巻が襲い来る。
再び襲来する、刃の群れのような暴風。
大きく跳び退って躱すが、躱した先にテオドルが突っ込んでくる。
「せぁっ!!」
「そう何度も!」
俺は槍を剣で払い、そのまま下段斬りを繰り出す。
だが、そこには既にテオドルの姿はなく、遠い間合いへと下がっていた。
教科書通りのヒット&アウェイだが、スピードがとんでもない。
どうやらこれが、エストバリ姉弟の戦闘スタイルであるようだ。
ヴィオラが牽制し、テオドルが本命を突き入れてくる。
さっきまでと同じだが、本気になることで、すべての攻撃が大幅にレベルアップしていた。
「……私の竜巻を躱した先で、テオドルのスピードにも反応できるのね。そう居ないわよ、そんな人」
まず竜巻と超スピードの連携攻撃を仕掛けてくる奴がそう居ないんだけどな。
しかし、どうしたものか。
出来れば頭を先に潰したい。
戦いをコントロールしているのは、やはりヴィオラだ。
先に彼女を叩けば、かなり優位に立てる。
だがあの竜巻に阻まれて近寄れない。
魔法で作られた暴風は凄まじい威力で、彼女の魔力の強さが見て取れる。
まともに食らえば、俺は一瞬で切り刻まれてしまうに違いない。
竜巻に気を配りつつ、テオドルのスピードに対処し続けるのは骨だ。
一つでも判断を誤れば、俺は即座に死ぬだろう。
「これほどの相手には、なかなかお目にかかれないわ。貴重な機会と言うべきね」
「加護なしと侮ってもらった方がラクなんだがな」
「お生憎さま」
薄く微笑むヴィオラ。
俺を認めつつも、自分たちの優位を確信している表情だ。
ただ、俺にとって僥倖と言える点もある。
相性は悪くないのだ。
姉弟が攻撃の起点にしているあの竜巻。
凶悪きわまる暴風には、普通なら対処に窮するところだ。
だが俺にとってはそうではない。
俺はあの竜巻を斬れるのだから。
暴風を斬り裂いて敵へ肉薄してしまえば、勝機を作れるだろう。
だがエストバリ姉弟は疑いようの無い戦巧者。
俺が魔法を斬れるという点は、間違いなく戦術面に考慮されている。
そして敵の読みどおりの動きをしてしまえば、俺はたちまちテオドルの超スピードに捕捉されてしまうだろう。
彼は、俺が竜巻に向けて剣を振り上げる瞬間を、恐らく待ち構えている。
そうなると、テオドルを先に狙うべきか。
逆こちらが動きを読み、突っ込んでくるところにカウンターを合わせたい。
それには、やはりあのスピードが問題だ。
タイミングを少しでも間違えれば、俺は槍に刺し貫かれる。
落ち着いて、冷静に、二人の動きを見て対応するんだ。
だが俺を落ち着かせまいとするように、またも激しい風音が耳朶を打つ。
唸りを上げ、凄まじい暴風が三度襲って来た。
この攻撃は、おそらく横へ躱させようとしているものだ。
俺は敢えてそれに乗った。
剣を下段に構えながら、横へ跳ぶ。
そしてそれと同時に、目の前へ剣を繰り出した。
「!!」
そこへ跳びこんで来ていたテオドルが驚愕の表情を浮かべる。
このタイミングで正解だったようだ。
そのまま俺は振り抜こうとする。
だが。
────轟。
暴風がまたもや襲い来る。
こうも早く二の矢を放てるとは!
今度は俺が驚愕に見舞われることとなった。
俺は体勢を崩しながらも転がって躱し、テオドルから離れて剣を構え直す。
今の攻撃は予想外だった。
回避が一瞬でも遅れていればヤバかっただろう。
背筋を冷や汗が伝う。
「姉さん、ごめん」
「大丈夫よ。あなたは私が必ず守る。絶対に、奴の剣をあなたには触れさせない」
「うん。信じてるよ」
この二人には強い信頼関係があるようだ。
だからこそ、優れた連携が可能になっているのだろう。
さすが王国中に名を轟かせるエストバリ姉弟。
そしてヴィオラは、弟を気遣う声とはトーンを変え、俺に語りかける。
「疲れているようね? だいぶ汗をかいてるわよ」
「美人を前に緊張しているだけだ。気にしないでくれ」
「その手のセリフを言い慣れてないのがバレバレよ。無理しないことね」
ああ、そのとおりだ。
余裕をアピールすべく言ってみたが、あっさりと看破されてしまった。
彼女の言うとおり、俺は消耗している。
だが、それが何だと言うのだ。
これは武芸試合ではない。
万全な状態で戦いに臨める方が稀というもの。
兵法書にある。
剣砕け矢尽きようとも絶念するべからず、と。
そして幸いにも、俺の手にあるのは決して砕けぬ剣だ。
皆、今も戦っている。
終わりが遅れれば遅れるほど、一人、また一人と仲間が斃れてゆく。
泣き言を言っている場合ではない。
消耗しているなら、魂に火をくべて、より力を絞り出すまで。
そして俺が将を討って終わらせるのだ。
「ふぅー……」
一方で、熱くなるばかりではダメだ。
魂を燃やしつつ、頭では冷静に突破口を探すのだ。
そしてこのとき、俺の胸中に何かが残っていたらしい。
糸口を探すべく会話を試みる俺の口をついて出たのは、先ほど剣を突き立てた妹の名だった。
「………フェリシアが……妹が世話になったようだな」
「……そう、会えたの。良かったじゃない」
「…………?」
いま彼女は何と言った?
おかしなことを言わなかったか?
「でもやっぱり、貴方は説得に応じなかったのね。それで彼女はどうしたのかしら?」
俺とフェリシアが交戦したことを知らないのか?
そんなことがあるのか?
監視塔からは収容所全体が見える筈なのに。
いや、全体が見えるからと言って全ての戦闘を把握できるわけではない。
俺を重要視してはいただろうが、正門側の戦いは激戦だったのだ。
そちらの指揮に注力せざるを得ず、収容棟側で俺とフェリシアが会敵したことに気づかなかったのか?
終わってみれば、俺とフェリシアの戦いは短時間のものだった。
ヴィオラもテオドルも共に気付かなかったという可能性は、確かにあるかもしれない。
それとも本当は戦いを見ていて、俺を騙そうとしているのか?
判断に迷うところだ。
そう考え、俺はヴィオラを凝視した。
表情、瞳の揺れ、息遣い。
それらを注意深く観察する。
…………俺が見る限り、嘘は見当たらない。
やはり彼女たちは、俺とフェリシアの戦いを見ていないのではないか?
賭けにはなるが、ここは……。
「どうしたの? 無口な男がモテると思ったら、大間違い───」
ヴィオラが言い終わる前に、俺は彼女に向かって真正面から駆け込んでいく。
「……!?」
一瞬、困惑するヴィオラ。
俺の行動は予想外のものだろう。
正面から真っすぐ突っ込んで来るなど、竜巻の餌食にしてくださいと言っているようなものだ。
「はぁっ!!」
ヴィオラは一流の傭兵だ。
困惑したまま行動の選択を見送るような真似はしない。
彼女はすかさず槍を突き出し、暴風を発動させた。
凶悪な魔法の竜巻が俺へ襲いかかる。
俺は、領都での戦いにおいて、フェリシア戦以外では一度も魔法を斬っていない。
シグムンドとウルリクを相手にした時も、ウルリクの障壁を斬りはしたが、魔法を斬ってはいない。
エストバリ姉弟は、俺が魔法を斬れることを知らないのだ。
巻き込む者を骨ごと切り刻む常識外れの暴風が、正面から飛来する。
俺はそれへ向けて突っ込みながら、煤の剣を上段に構え、そして振り下ろした。
ひゅごうと何かが収束するような音を残し、一瞬で消え去る竜巻。
その光景に、姉弟が目を見開く。
ただでさえ、俺が竜巻を消し去って正面から斬り込んで来る可能性を、ヴィオラは全く考慮していなかった。
そして剣で魔法を斬ることが、相手の自失を誘えるほどに衝撃的であることを、俺はフェリシア戦で学んでいたのだ。
姉弟の自失はごく一瞬のことだった。
そう、一瞬。ほんの一瞬だ。
だが確かに、姉弟は理解できない事態に直面して思考力を失った。
その一瞬を俺は逃さなかった。
彼らの意識に間隙を作り、そこへ滑り込む。
俺はそれに成功したのだ。
そしてヴィオラに肉薄した俺は、再度剣を振る。
斬撃の感触が、ざくりと手に響いた。





