28_歓喜なき勝利
カトブレパス討伐後、第五騎士団は残った分隊で作戦を再開。
二日目の日没を少し過ぎたころ、坑道内の魔獣はすべて掃討され、ここにゴドリカ鉱山の奪還は成された。
ロンドシウス王国は巨大な銀鉱を手に入れたことになる。
ここに残って坑道を維持する者の編制や、遺体の引き上げに関する幹部たちの会議が終わると、夜はすっかり更けていた。
俺たちはこの地で野営したのち、明朝本部へ帰還する。
俺の傷は回復魔法により概ね塞がったが、骨は折れたままだ。
だが床に臥せる羽目になった渡河作戦の時とは違い、立って歩くことはできる。
だから俺は、剣を手に天幕を離れていた。
日課の素振りだ。
剣を手に立ち、月を見上げる。
体中に痛みが走るが、それを頭から消し去り、剣を振る。
「ぐっ・・・!」
だが、やはり無理だった。
激痛が走って、まともに振れない。
「ダメか・・・。仕方ない」
そう言って、剣を正眼に構える。
体が利かず剣を振れないのなら、イメージで振るしかない。
息をすべて吐き出し、手と剣の境目を頭から消し去る。
剣を体と同化させ、次に意識を大気と同化させる。
そして意識のなかで剣を振る。
上下に、左右に、袈裟懸けに。
視界に映る剣は一寸たりとも動いていない。
剣先は、ただ月光をたたえている。
体を動かさぬまま、俺は何度も剣を振る。
刃筋を正しながら、一振り一振りに全霊を込めて振る。
「・・・・・・っ」
イメージのなかの刃筋が乱れた。
不意に、忘れ得ぬ者が頭の中に現れたのだ。
あの巨牛だった。
坑道で会った敵のことを思い出してしまったのだ。
それから何度も頭のなかで剣を振り直すが、イメージが修正されない。
刃筋は乱れたままだった。
今夜は無心で剣を振ることが出来ないようだ。
俺の胸中に居座っているのは、水中に没するその瞬間まで闘志に爛々と輝くカトブレパスの眼だった。
あの眼に意志の違いを思い知らされたのだ。
戦う意志において俺は負けていた。
魔力が無いから勝てなくても仕方ない。
俺はそんなことをどこかで考えていたような気がする。
だから、生命のもっとも根源的な部分で負けたのだ。
情けない話だ。
魔力のせいにできない。境遇のせいにできない。
精神で負けた。
もういちど鍛え直しだ。
決意を改め、剣を握る手に力をこめる。
そこへ、よく知る声がかけられた。
「兄さま」
声をかけられるまで誰かの接近に気づかないなんて、ずいぶん久しぶりだ。
やはり今夜の俺は参っているようだった。
「フェリシア様」
俺の返答に、フェリシアが顔を曇らせる。
「・・・・・・今さらですが、私に"様"などとは」
「そうもいきません」
フェリシアの言いたいことは分かるが、そのあたりのルールを破るわけにもいかなかった。
上位者に敬意を払うのは騎士団において当たり前のことだが、問題はそこだけではない。
加護なしへの寛容は、彼女に不利益をもたらすのだ。
まして彼女の場合、俺と話すこと自体がバックマン家に許されていない。
俺と親しげにして、それが父母の耳に入れば、彼女の未来に影が差すことになる。
フェリシアにもそのことは分かっているはずだが、分かることと納得できることは違うのだろう。
彼女は悲しげな眼で俺を見据える。
「それは何をしているのですか?」
「日課の素振りです」
「先ほどから剣を持ったまま、振っていないようですが。実際、そのケガでは剣など振れないでしょう」
「振れないなら振れないなりに、振りようはありますので」
「良く分かりませんが・・・あまり建設的な訓練ではないようですね」
フェリシアには理解できないようだった。
まあ仕方ない。
「それで、俺に何かご用ですか?」
そう訊くと、フェリシアは言い辛そうに口を開いた。
「・・・今日は助かりました」
カトブレパスから助けたことを言っているようだ。
ただ、フェリシアの言葉からは感謝も感じられるが、それよりも悔恨の情が見て取れた。
「軍議のあとで、兄さまには失礼なことを言ってしまいましたね」
「気にしてません」
「そうですか・・・」
押し黙ってしまうフェリシア。
そしてしばらくの無言ののち、彼女は言った。
「・・・兄さまはカトブレパスを、幾つもの分隊を壊滅させたあの恐ろしい魔獣を、たったひとりで・・・」
「ひとりではありません」
「でも・・・」
そして、また沈黙するフェリシア。
そこにもうひとりの声がかけられた。
「ふたりとも、ここに居たんだね」
「エミリー姉さん・・・」
月明かりの下にエミリーが現れる。
彼女の声も、いつになく沈んでいた。
「・・・ロルフ、こんな日も訓練?」
「はい」
「そう・・・。ムリしないでね」
エミリーの表情は疲れ切っていた。
彼女の心情は察するに余りある。
作戦は成功したが、大勢の部下が死んだのだ。
「ロルフの言ったとおりだったね」
「・・・・・・」
「強力な敵が居るのも、退却が上手くいかずに被害が出るのも。ロルフの言うことを聞かなかったから、こんなことになっちゃった」
「作戦は成功しました」
「・・・そうだね」
「あの、エミリー姉さん、大丈夫ですか?」
明らかに憔悴しているエミリーを、フェリシアが気づかう。
フェリシアにとってエミリーは姉と同然だ。
気落ちしていれば同情を抱くのは当たり前だった。
「あんまり大丈夫じゃないかな。フェリシア、私ね。以前ロルフに軍略の道を勧めたんだよ。アタマ良いんだから剣なんか振るの止めなよって」
「そうなんですか」
「それなのに、昨日はロルフの献策を無下に退けて。その結果、大勢死んで」
「そ、それは・・・」
「理由があって策を用いなかったのですから、無下にということは無いでしょう」
「大勢死んだことは変わらないよ。そしてそのあとは、自分で坑道に突入するという意味不明ぶり」
エミリーが笑う。
自嘲を込めた力の無い笑顔だった。
「で、でもあの時点では敵はグレートホーンだと思ってたんですし、それならエミリー姉さんの魔法剣が有効だったから」
「・・・自らが突入するという判断は、後悔から来る自罰的なものだったんでしょう?」
「うん。たぶんそう。バカみたいだけどね。それとティセリウス団長への対抗心。彼女も前に出てたでしょ」
第一騎士団のエステル・ティセリウス団長の名が出てきた。
確かに彼女も自らが前線に出ていたが、対抗心を燃やす必要も無いように思う。
「ティセリウス団長は王国の英雄ですが、エミリー様も十分高い評価を得ています。あえて対抗する必要も無いと思いますが」
「そうだね・・・」
そう言ってエミリーは目を伏せる。
それから、声を絞り出すように問いかけてきた。
「ロルフ、前に言ってた、この作戦に成功したら王国が大幅に軍拡するって話。やっぱりそうなると思う?」
「はい」
ゴドリカ鉱山の奪還によって、王国は膨大な銀を手に入れる。
銀は第一類の軍需品に指定されており、すべて内需に、つまりこの場合は軍備に回されるのだ。
そして昨今の趨勢から言って、王国は確実に戦火の勢いを強めていく。
中央では主戦派が権勢を増すだろう。
「この作戦、たぶん高く評価されるね」
「そうなるでしょうね」
大勢死んだ。
しかも第五騎士団には貴族の子女が多く所属している。
その意味は小さくない。
だが、膨大な銀を王国にもたらしたことの意味は、それよりずっと大きい。
ゴドリカ鉱山の奪還は、今後の王国の在り方を決定する出来事だ。
残酷なことに、良い指揮官は味方を効率的に殺す者であるとも言える。
今回はそれが為された。
エミリーの意に反し、少なくとも中央はそう判断するだろう。
「・・・本当は、団長の任から退くことで責任を取りたい。それで償えるわけがないけど、でも、こんなに死なせて団長なんか続けられない」
エミリーの瞳から涙が零れる。
「でも、領地の無い泡沫貴族のメルネス家が存続するには、ここでの実績が必要で・・・。アールベック家との婚約を守るためにも、私は騎士団に居なくちゃいけなくて・・・」
エミリーが婚約しているアールベック子爵家。
騎士団幹部という彼女の身分が、その婚約を成立させているのだろう。
もはや俺には無い貴族家のどうにもならないしがらみ。
それが彼女を縛っている。
あなたが加護なしじゃなければ、こんな心配をしなくて良かったのに。
エミリーはそうは言わなかった。
だが事実として、俺との婚約が健在だったら、彼女がこんな思いをすることは無かったのだ。
エミリーが泣いている。
それをフェリシアが悲しい目で見ている。
戦勝を得た日の夜なのに、誰も笑っていなかった。





