204_光雨
王都での補給を終え、再び進発した第一騎士団。
進軍の行程は順調である。
再出発から二日目の夜、第一騎士団は水場の近くに陣を取り、野営に入っていた。
「明日は予定どおり、渓谷を西に迂回する」
本部とした天幕で、卓上の地図を指さしながら、ティセリウスが告げる。
天幕内に居るのは彼女ともう一人、副団長フランシス・ベルマンであった。
「心得てございます」
「天候は安定。この付近には魔獣も居ない。ベルマン、ほかに留意する点は無いか?」
「は。騎士らに目立った疲弊も無く、今のところは特に。あえて言えば、近辺から渓谷にかけて、野盗の姿が報告されております」
「野盗が?」
顔をしかめるティセリウス。
しかし騎士団を、まして最強で鳴る第一騎士団を襲う野盗が居るはずも無い。
ティセリウスの不快感は、別のものに起因していた。
「この地を無法者に跋扈されることがご不快ですかな?」
「この地でなくとも無法者を不快に感じるのは当然だろう」
この地。
第一騎士団が野営に入っているこの場所は、ティセリウス伯爵領なのだ。
ティセリウスは、自身の家が治める領を進軍中なのである。
「野盗が出るぐらいは仕方がありません。エリアス様はよくやっておいでですよ」
「分かっているさ」
言われるまでも無いことであった。
エリアスは、この地をよく治めている。
エステル・ティセリウスの弟は有能で、かつ誠実な領主であった。
その誠実さゆえに、清濁併せ呑んでこそ名君、という評価尺度を持つ者からは好かれないが、しかし彼は公正さを以て人心を安定させていた。
「エリアスは領民から信頼されている。身内の贔屓目もあるかもしれないが、あれは良い領主だ」
「それだけに、苦しんでおられるやもしれません」
「…………」
エリアスは、中央に対する戦費の拠出を拒んだ。
もしそれを受け入れていれば、領民に重税を課すことになっただろう。
しかし、拒むことで中央との関係を悪化させていては、これもティセリウス領の人々にとって好事となり得ない。
どちらを選んでも、彼が大切にしている領民に迷惑をかけてしまう状況である。
弟がさぞ悩んだであろうことは、エステルにも分かっている。
悩んだすえ、彼は中央の要請を拒絶したのだろう。
もしティセリウス伯爵家のためを思うなら、中央との関係を優先するべきであった。
元よりティセリウス家は、領軍のみでこの地を守っており、中央からの影響力を抑えている。
結果、少なくともティセリウス家にとって無為と思われる戦線の拡大は防げていたが、そこに中央の高官たちが不服を感じていることは明らかなのだ。
その状況で今回の戦費拠出を断れば、中央との関係悪化は免れない。
それは避けるべきであった。
結局のところ、王国貴族の常識に則り、中央からの要請には応じるのが妥当だったのだ。
しかし、そうはしなかった。
そして、そのエリアスの判断を誰より評価しているのが、姉エステルなのだ。
「悩んだだろうが、エリアスは正しい判断を下した」
「ですが中央に叛意を疑われる可能性がありますぞ」
ベルマンの懸念は当然のことである。
中央に寛容を期待することなど出来ない。それは誰にも分かり切った事実なのだ。
英雄エステル・ティセリウスの存在があったため、今までは中央もティセリウス家に配慮せざるを得なかった。
しかし情勢は変わりつつある。
「……中央集権国家である前に専制国家なのだがな」
"中央への叛意"という考え方が、本来ならおかしいのだ。
臣民が膝をつく相手は王家であって、中央の高官たちではないのだから。
いまティセリウスが抱く感情は、嘆きか、憤りか。
いずれにせよ良い感情でないことは、表情から明らかである。
「お嬢様。王の不予を良いことに高官らが専横に及ぶのは、国家において珍しいことではありません」
ロンドシウス王国の国王は、不予──つまり病臥している。
そういった状況を権力者たちが利用するという光景は、けっして稀なものではない。
それが歴史に語られる事実であることを、ティセリウスも分かっている。
「分かっているのだ。だが」
「だが?」
「その程度のありふれた凶事なら、まだ良い。この国には────」
「…………」
暫しの沈黙。
それからティセリウスは、一つ息を吐き、頭を軽く振った。
「今夜はここまでだ。行軍計画はさっき話したとおり。明朝は日の出前に進発するぞ」
「承知してございます」
即答し、一礼するとベルマンは天幕を出ていく。
彼は、この話を追求しようとはしなかった。
そして一人残ったティセリウスは、美しいピンクブロンドをくしゃりと掻きあげ、目元を悔しげに歪ませるのであった。
◆
ティセリウスは目を覚ました。
天幕の中は真っ暗で、外がまだ真夜中であることが分かる。
彼女にとって、深夜の目覚めは珍しいことであった。
「…………」
貴族籍を持つ騎士団幹部の中には、天幕内に寝台を作らせる者も居るが、ティセリウスはそういったことを好まない。
ゆえに遠征時の彼女は、ただ毛布に包まって就寝する。
いま彼女は、その毛布の中から、もぞりと身を起こした。
フランシス・ベルマンが音も無く天幕へ入ってきたのは、それと同時のことである。
ティセリウスは無礼を咎めず、やや潜めた声で話しかけた。
「ベルマン。静かな夜だな」
「静か過ぎます」
「そのようだ」
あたりは静寂に満ちている。
その静寂に音無き警鐘を聞き取り、二人は目を覚ましたのだ。
「明らかに不自然な静けさ……。しかし気配は感じる。敵襲の前兆だとして、野盗か?」
「いえ、違うでしょう」
野盗であれば、怒号と共にただ襲いかかって来ただろう。
だが、敵たちは静寂を保ったまま、この天幕へ近づいている。
明らかに高い練度を思わせる動きであった。
「野盗でなければ何だと言うのだ?」
ティセリウスにも、想像はついている。
しかし問わずにはいられなかった。
認め得ぬことであったのだ。
「お嬢様。この野営地は騎士らが完全に警護しています。外から突かれれば、必ず騒ぎが起きましょう」
「…………」
苦い顔を見せるティセリウス。
悔しげな吐息。悲しげな瞳。
「……内部の者なのか?」
「そう考えるのが妥当でしょうな」
ティセリウスはそれを信じたくないが、ベルマンが言うとおり、そう考えるしか無い。
いま、この天幕を囲もうとしているのは、第一騎士団の騎士たちなのだ。
中央の一部勢力と通じる者らが、団内に居るのだろう。
「この展開か……」
エステル・ティセリウスとティセリウス伯爵家に不穏の動きあり。
そう考える誰かが彼女の排除を目論んだとしても、恐れを抱くティセリウスではない。
だが、部下の中に裏切者が居るという事実には痛痒を覚える。
もっとも、その部下からしてみれば、ティセリウスこそが王国を裏切っていると言うのかもしれないが。
「……お嬢様、ここを出ましょう」
ベルマンが言い、ティセリウスの思考を中断させる。
敵の狙いは、まず間違いなくティセリウスの命である。
この天幕に留まっても、良いことは無い。
「分かった」
部下の造反という事態は、ティセリウスをも自失させ得るものであった。
しかし彼女に自失があったとしても、それは数秒のことだ。
彼女は、思考を即座に戦いへ切り替えていた。
寝床の横に置かれた剣を手に取るティセリウス。
就寝時も、必ず手の届くところへ剣を置く彼女である。
「付いて来てください」
言って、ベルマンが天幕の外へ出る。
後に続くティセリウス。
そして周囲を警戒しつつ、敵の気配を探った。
そこへ、風切り音と共に矢が飛来する。
魔力を満たした鏃は、天幕の分厚い皮革を易々と突き破った。
しかし射手が標的としたのは、当然ながら天幕ではない。
本来の標的であるティセリウスは、闇夜から飛来する矢を避け、すでに剣を構えていた。
半身になり、剣を後ろへ引いている。脇構えである。
自らの身体で刀身を隠し、相手に間合いを測らせないための構えだ。
だが彼女のそれは、圧倒的な火力を叩きつけるためのものである。
「『白炎剣』!」
行使したのは、ごく一般的な魔法剣であった。
だが、威力は一般のレベルを大きく逸脱している。
現出して剣に纏われた炎は、空気を食みながら、ごうごうと音を立てた。
見るからに凄まじい密度を持つ炎である。硬度を持った物質と見紛うほどだ。
広い平原で燃え上がる炎が、一本の剣に集まったかのようである。
「せい!!」
ティセリウスは、前方へ剣を振り抜いた。
武威を叩きつける横薙ぎの一閃。
剣先が通過した先へ、炎が扇状に広がる。
闇に潜んでいた敵たちは、一瞬で炎に巻かれた。
「ぐわぁっ!!」
部下たる騎士たちから悲鳴が上がる。
ティセリウスにとって聞きたくない声であった。
しかし、潜む彼らからの刺すような敵意を、彼女は感じ取っている。
ここに居る者たちは疑いなく、ティセリウスを殺そうとしているのだ。
「右です!」
ベルマンが叫んだ時、ティセリウスも目の端に敵を捉えていた。
剣を振り上げ、右側から襲い来る敵たち。数は三人。
ティセリウスも剣を振り上げる。
なお炎は剣に纏われ、彼女の美貌を赤く照らした。
そこに浮かぶ覚悟のもと剣は振り下ろされ、三人の敵は炎の中で絶命する。
ティセリウスは、左側にも襲撃者が一人居ることに気づいていたが、そちらは無視した。
そして彼女の想定どおり、ベルマンがその敵へ対処する。
老いたりと言えど矍鑠とした剣閃が敵を倒すのだった。
「がはっ!」
敵は悲鳴をあげて倒れたが、それで終わってはくれない。
さらに十人近くの敵が、一斉に襲いかかってくる。
しかし彼らの顔には、焦りが浮かんでいた。
内部からの夜襲という一手は、確かにティセリウスの虚を突いている。
そこまでは良かった。
だが、事に及ぶ前にティセリウスの武装を解除出来なかったのは、彼らにとって痛手である。
彼らは、ティセリウスから剣を引き離すべく画策してはいたが、彼女が隙を見せなかったのだ。
いかに奇襲を成功させようと、その手に剣があるなら、ティセリウスは万難を切り抜ける。
敵たちは、襲いかかりながらも、それを思ってしまう。
顔が焦燥に歪むのも当然であった。
しかし、実のところ彼らはしっかりと役目を果たしていたのだ。
捨て石という役目をである。
「むっ!?」
ベルマンが声をあげた。
彼の視線の先、少し遠くで、一筋の光が夜空へ昇っていく。
まっすぐ上へ飛んでいく光。
空に糸を引くような光景である。
どこか惹きつけられる美しさがあり、地に居る者を天上へ引き上げる蜘蛛の糸を思わせた。
だが、糸に見えたものは矢であった。
ティセリウスとベルマンがそれに気づくと、次の瞬間、矢は夜空で爆ぜる。
そして、千を超える光の筋が、彼女らへ向けて降り注いだ。
「!?」
驚きに目を見開くベルマン。
豊富な知識と経験を持つ彼をして、初めて目にする魔法であったのだ。
ただ、見たことが無くとも、それが激しい殺意で満たされた攻撃であることは明白だ。
ベルマンと、そしてティセリウスも同様に、光の雨から逃れるべく走り出した。
その攻撃に対して背を向けていた襲撃者たちは、ティセリウスらにやや遅れて回避行動に入る。
第一騎士団所属の騎士は皆、戦う者として一流以上であるが、降り注ぐ光すべてを躱すことは出来なかった。
一筋の小さな光が、騎士の前腕に当たる。
その瞬間、焼けた石を水に入れたように、ぼしゅりと大きな音が響く。
騎士の腕は消し飛んでいた。
悲鳴をあげる騎士へ、光の雨が次いで幾つも着弾していく。
ぼしゅ、ばしゅりと激しい蒸発音が轟き、騎士は幾つかの肉片を残して消え去った。
周りの騎士らも、同様に消滅していく。
輝く雨粒一つが騎士の胸に大穴を開け、残った四肢も雨の中に消える。
降り注ぐ光は、その一つ一つが凄まじい威力を持っていた。
先ほどティセリウスが見せた魔法剣を、明らかに上回る威力である。
見たことの無い光景に対し、思考を巡らせる余裕は無い。
ティセリウスとベルマンは全力で離脱を図る。
だが、幾筋かの光が、ティセリウスへ襲いかかった。
「お嬢様!」
どじゅうと重い蒸発音が響く。
雨がティセリウスの剣に着弾した音だった。
彼女は咄嗟に剣を眼前で構え、光の雨を防いだのだ。
だが、ティセリウスの剣は、その刀身を消滅させていた。
そして銀の剣を沸点へ到達せしめるほどの光雨は、なおも降り注ぐ。
「くっ!!」
輝く雨粒を躱そうとするティセリウス。
しかし図抜けた動体視力を持つ彼女といえど、降りそそぐ雨から逃れ切れるものではない。
幾つかの雨粒が腕や足を掠め、そのたび肉は抉れ、爆ぜるように血が飛び散った。
「……っ!」
それでも直撃を避け、そして悲鳴を喉で押し留めつつ、離脱を図るティセリウス。
だが足がもつれる。
夥しい出血が地面に血だまりを作っていた。
ティセリウスは、強く歯を食いしばる。
いかな敵と相対しようと、敗れることの無かった英雄。
だがこの夜、かつて無い鋭さを持って刃は向けられた。
その刃はまさに、白く美しい喉へ突きつけられようとしている。
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今回も大幅加筆でお送りします。
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