202_思わぬ来客
ヘンセンからの進発の日。
俺はリーゼたちの見送りに来ていた。
将を務めるリーゼの前には、大軍が整列している。
軍はこれからバラステア砦を南に越えて旧ストレーム領へ、そして南東へ旧タリアン領、旧イスフェルト領を経て、旧アルテアン領に至る予定だ。
その地で反乱軍と合流し、さらに南下してレゥ族軍と合流。そののちダオハン族の援護に向かうのだ。
長征である。
そしてその先に待ち受ける戦い。
困難な任務だ。
そんな困難へ赴くリーゼ。
彼女は俺へ近づき、真面目な声音で言った。
「ロルフ。ヘンセンは任せたわよ」
「ああ、分かった」
講和会談の場で、俺やリーゼが敵の陰謀に直面していた時、このヘンセンでも破壊工作が企図されていた。
しかしフリーダやデニスの、さらにどういうわけかミアの活躍があり、それは未然に防がれたのだ。
ミアを荒事に巻き込みたくはないが、彼女が居なければ人々に被害が出ていたとのこと。
どうにも複雑な思いである。
とにかく、敵はまた何事かを企むかもしれない。
リーゼたちが後顧の憂いなく戦えるよう、残る者がこの地を守らなければならないのだ。
「リーゼ将軍。それにロルフ将軍も」
俺たちへ声をかける者が居た。駐在武官事務所の職員だ。
額にひとすじの汗を浮かべている。
「フリーダさんから急ぎの伝言が。このタイミングで嫌な情報が入りまして……」
「何かしら?」
「第一騎士団が動き出したようです」
今回の戦には関係しないはずの第一騎士団。
別の任地にある彼らだが、このタイミングで移動を始めたらしい。
「第三騎士団はどう?」
「予定通り進発の動きは見せているようですが……」
職員の声に不安が滲む。
連合軍は第三騎士団との戦いを想定していた。
しかし、出し抜かれたかもしれないのだ。
俺は思考を巡らせる。
「第三……第三騎士団か」
ここ数週間の彼らの動きは、見るからにダオハン族への攻撃を企図したものだった。
だが、あそこの騎士団長は、エーリク・リンデルだ。
奴なら、連合を謀るぐらいの芝居を打てるのではないか。
「報告によると、第一は東部から王都方面へ移動しているそうです。王都を通過してダオハン族を突きに向かう可能性も……」
「代わって第三が東をカバーする、と?」
東部の戦線は重要かつ難しい。
そこを第三が受け持つのだろうか。
「分かったわ。第一騎士団との戦闘も想定する」
すかさず、そしてはっきりと応えるリーゼ。
兵たちの前で動揺する姿を見せはしない彼女である。
だが、俺としては心中穏やかでいられない。
第一騎士団という相手は、本当に強力極まるのだから。
「リーゼ、気をつけろよ」
「大丈夫。第一騎士団とは戦ったことがあるし、ティセリウスの技もこの目で見てる」
彼女の言うとおり、リーゼは第一騎士団と交戦済みである。
あそこは熾烈な戦場だった。
「エルベルデ河か」
「あれって、もう五年も前だよね」
「ああ……」
そう。あれからもう五年だ。
第一騎士団と共闘したエルベルデ河が、俺の初陣だった。
そしてリーゼと初めて会った場でもある。
彼女との戦いで受けた真一文字の傷は、今も俺の胸に残っている。
「あの戦いから今日まで、本当に色々あったよね」
「激動の時代だからな」
リーゼの問いかけは、俺にとってやや唐突に思えた。
それ故か、特に気の利いた言葉も口に出来ず、俺はただ当たり障りの無い返答を返す。
そんな俺を、リーゼは覗き込むように見上げた。
形の整った唇に浮かんだ笑みは、どこか不敵である。
「戦いへ赴く前に思い出話だなんて、嫌な予感がする?」
「…………」
悪戯っぽい表情に意図を掴みかね、二の句を継げない俺。
リーゼは、その表情のまま言った。
「でも死なないから、私」
「分かってるよ」
安っぽいジンクスに絡め取られる彼女ではない。
そんなことは分かっている。
ただ、戦いが水物であることもまた事実。
戦場がなお流転しようとしていることを、この時の俺たちは知らなかった。
◆
ロルフがリーゼらを見送って一週間。
ヘンセンから進発した軍がアルテアン領に至り、デニスたち反乱軍と合流している頃。
街に残った将兵たちの顔には、幾ばくかの緊張が見られた。
自ら武器を手に戦場へ立つわけではないが、しかし同僚たちを案じるのは当然である。
まして戦場から遠くにあって待つ家族たちの思いは、如何ほどであろう。
待つ者の苦しさについて、改めて思索するロルフであった。
そのような状況にあっても、彼は日々、神経を尖らせている。
兵が少なくなっているヘンセンにあって、またぞろ敵の謀に見舞われぬよう、警戒せねばならない。
幸い、この日に至るまで、何事も起こってはいなかった。
だが、謀というものは普通、手の届くところで起きてくれるものではない。
それをロルフは知ることになる。
曇天のヘンセンを馬が歩く。
人を乗せてゆっくりと、いわゆる常歩で進んでいた。
馬上に居るのは五十代の後半と思しき、人間の男である。
「…………」
男は周囲を見渡すと手綱を引き、馬を止めた。
そして下馬して自ら歩き出す。
「……っ」
歩き出した途端、男は眉間にしわを刻み、顔を歪ませた。
その顔を伝う汗は、彼が苦痛に耐えていることを表していた。
どうやら負傷しているらしい。
長い外套の隙間には、血の滲む包帯も見える。
それが戦闘による傷であることを知れば、いよいよ人は訝しむだろう。
だが、通りかかった幼い魔族の少年は、そんなことに気づかない。
だから彼は、純粋な気遣いから、男に近づいて訊くのだった。
「おじさん……大丈夫?」
居合わせる大人があれば、少年を止めたかもしれない。
どうも只事ではない雰囲気、しかも人間である。
街に人間の姿が増えたとはいえ、あまり話しかけるべきとも思えぬ相手だ。
しかし幸いと言うべきなのか、男は少年に害を為そうとしない。
ただ顔を向け、小さな声で問うのだった。
「大丈夫だよ。ところで、このあたりに軍本部があると聞いたのだが」
それを訊くということは、彼はこの街で軍務に就く者ではない。
戦傷を負っているにもかかわらず、である。
いよいよ怪しいが、しかしそれが分からない少年は、求められるままに道の先を指さしてしまう。
「あそこを右だよ。大きな建物だからすぐ分かるよ」
「ありがとう」
微笑を浮かべ、男は礼を言った。
そして歩き出す。
やや呼吸を乱しながらも、少年に言われたとおり角を曲がった。
すぐに、大きな木造の建物が視界に入った。
近づくと、門の前に立っていた軍人が、男の姿を見咎める。
「止まれ! 何者だ!」
敵が何事かを仕掛けてくるかもしれないと、ロルフの命で警戒態勢にある最中。
そこへ見慣れぬ男が現れたのだ。
男の靴や手袋が軍装であることは門番の目に明らかであり、かつ何故か負傷している。
門番が制止を求めるのも当然であった。
しかし男は立ち止まることなく、少しずつ近づいていく。
「止まれと言っている!」
「……ロルフ将軍にお目通り願いたい」
男は将軍の名を口にした。
ロルフに対する上申の類は無下にせぬよう、本人から指示が出ている。
とは言え、およそ取り次ぐべきとも思えぬ相手だ。
いったん身柄を抑えるべきかと考える門番だったが、しかしその瞬間、彼は驚く。
まずいタイミングで、男の後ろに人影が現れたのだ。
「何かあったのか?」
現れたのは、まさに話の当人、ロルフであった。
多くの兵がヘンセンから出払っている今、ロルフは自身でも警邏にあたっているのだ。
そして本部へ戻って来たところで、この現場に鉢合わせたのである。
「…………」
男は振り向き、ロルフに気づく。
そして、ほうと息を吐いた。
その吐息には、安堵と共に感嘆が込められている。
五年前、エルベルデ河で会った時、この若者は既に見事な体躯を持ち、そして瞳に強い意志を宿していた。
だが、その時はまだ十七歳。男から見て、粗い部分もあったのだ。
しかし今、目の前に居るロルフは凄味を増している。
肉体は見るからに強靭で、顔は精悍であった。
瞳には強さだけではなく、どこか深みも見える。
そして剣士として大きく前進したことが、その佇まいから窺い知れた。
五年の歳月、戦いと、そして出会いと別れとを繰り返し、若者は成長を続けていたのだ。
危険を冒してでもこの地まで来た判断は正しかった。
自分は頼るべき者を誤りはしなかった。
男は、それを理解するのだった。
一方で、ロルフは表情に驚きを浮かべた。
目の前に、居るはずの無い男が居るのだから。
「ベルマン副団長……?」
「……お久しぶりですな、ロルフ殿。ご機嫌は如何か」
ロンドシウス王国、第一騎士団副団長、フランシス・ベルマン。
苦しい道の果て、漸く辿り着いた彼だが、しかし安堵で倒れこんだりはしない。
紳士は軽く腰を折り、その腰の前に流麗な所作で右手を置く。
完璧なボウ・アンド・スクレープであった。
ロルフの述懐にある、講和会談と並行して企図されていたヘンセンでの破壊工作と、それを防いだ者たちの活躍。
そのあたりは、書籍第7巻で描かれています。





