170_背教の剣
石造りの床に、放射状の罅が走った。
床には煤の剣が深く食い込んでいる。
それを中心に、巨大な蜘蛛の巣の如き罅割れが出来ていた。
黒い刃は、聖なる講堂を蹂躙するように、その存在を主張している。
刃が刺さるその場所には、先ほどまで魔導士の姿があった。
今はもう居ない。
まさに爆散であった。
血肉と骨とを砕けさせ、彼はこの世から消え去ったのだ。
彼の体が緩衝を為したというのだろうか? 俺はあの高さから飛び降りて無事である。
いや、脇腹の傷は強く痛むが、しかし生きている。
「きさ……!」
貴様。
しょっちゅう聞く言葉なので、別に最後まで聞かずとも良い。
俺は床に刺さった剣を抜き、右へ横薙ぎを放つ。
そして勢いを殺さぬまま剣を反転させ、左へ振り抜いた。
ひゅ、と黒い剣が風を切り、同様に敵たちの胸を深く斬り裂いた。
戦棍を振り上げ、左右から襲いかかって来ていた彼らは、ほぼ同時に絶命する。
残る四人の敵のうち、最も厄介なのは、うしろに退がっている一人だ。
味方が上空からの斬撃を受けるのを見て、硬直するでも、恐慌に駆り立てられて斬りかかるでもなく、いったん距離を取っている。
戦場が見えているのだ。
したがって、彼を優先的に倒さねばならない。
俺は剣を中段に構えると、足と腰に溜めを作る。
そして息を吐き出すと同時に、前方へ踏み込んだ。
どん、と靴底が床を蹴る音。
一足で四メートルを踏破し、突きを繰り出す。
同時に、その相手は迎撃の体勢に入っている。
彼はやはり優れた技量の持ち主で、俺の動きに反応していた。
正面で、構えた戦棍を振り下ろしてくる。
だが俺は、そのまま突っ込んだ。
俺の剣の方が先に届くと読み切れていたのだ。
果たして黒い刃は男の喉を貫く。
その瞬間から、男の上段斬りは力を失い、ひょろりと俺の横を通り過ぎた。
「貴様!」
結局それを口にする。
そういうルールでもあるのだろうか?
残る敵は三人。
彼らは俺を取り囲み、じりじりと詰めてくる。
構えを見れば一目瞭然である。
三人とも、怖い相手ではない。
だが絶対に油断はしない。
出来得る限り最良の構え、最速の足運びで一人へ剣を見舞う。
俺の手に戻ってきた黒い剣。
その剣の前に、彼ら上位兵を守る魔力障壁は、一切の意味を持てない。
バターをナイフで切るように、煤の剣はするりと障壁を両断する。
そして頭蓋を割られ、男は崩れ落ちた。
「う……!」
残る二人が、額に汗を浮かべる。
焦りに、まともな間合いが見えなくなっているようだ。
彼らは正しい距離を取れておらず、俺の攻撃圏内に立っている。
だが俺は斬りかからない。
確認することがあるのだ。
「聞かせてもらおう。今回の計画の首謀者は何者だ?」
「…………」
当然、その口から答えを得られるとは思っていない。
俺は、彼らの表情を注意深く観察する。
眼前の敵たちは、感情によって理性を侵されていた。
味方を斬り伏せる背教者への怒りで、冷静さを失っているのだ。
こういう相手であれば、視線や表情から情報を読み取ることが可能かもしれない。
「西棟に居るのがそれか? 元々のお仲間ではないようだな」
「……!」
二人とも、俺から目を逸らした。
何かを読み取られることを嫌っての行動だが、そこから推察出来るというもの。
俺は先ほど、中央棟で、敵の会話を盗み聞きしている。
あのとき敵兵たちは、誰かについて、敬い畏れるかのような口ぶりで話していた。
どうやら済生軍とも所属の違う何者かが絡んでいるようだった。
そいつが首班か、少なくともこの計画の中心近くに居る者であろうと俺は考えていたが、彼らの反応を見る限り、そう外してはいないようだ。
そこに手応えを得て、俺は次の問いを投げかける。
「それから、お前らの規模だ。どれぐらい居る? そもそも何処に隠れていたんだ?」
この学術院は念入りに索敵済みだ。
にも関わらず、纏まった数の敵たちが現れている。
現状、敵の規模が分からず、この先どれほどの戦闘が発生するか読めない状況だ。
どれほどの敵が、何処に、どのように隠れていたのか?
出来れば情報が欲しい。
「ふん……。さあな」
額に汗を浮かべながらも、声音には若干の余裕が見られる。
安堵しているのだ。
恐らく彼らは、話題が変わったことに安堵している。
首班と西棟への追及を俺が切り上げ、次の質問に移ったことが、好都合だったのだろう。
その辺りに触れられたくないのだ。
「西棟に色々とありそうだな。隠れ場所もそこか?」
「…………背教の徒が、小賢しいことだ……!」
当たりだ。
二人とも、顔に険を増して睨みつけてくる。
そして、殺してしまえば関係ないとばかりに、戦棍を構えた。
彼らは顔を緊張の汗で覆いつつも、しかし俺を見据え、少しずつ近づいてくる。
二人とも逃げようとはしない。
彼らにも、力の差が分からぬ訳ではないのだ。
彼我の戦力差を正確に測れてはいないだろうが、しかし勝ち目が薄いことは理解しているはず。
だが、神の名のもとに俺を討伐することこそ、今は自身の命にも優先するのである。
つくづく便利なものだ、神というやつは。
目的のために、命をも道具へと貶める。
世界を欲する者にとって、これほど重宝するものも無いだろう。
俺に信教への憎悪は無いつもりだが、信教を利用する存在への怒りは、抑え難いものがある。
自然、剣を握る手に力がこもった。
そんな俺へ、二人が襲いかかる。
叫び声をあげながら。
「どこへも行かせんぞ! 背教の愚物よ!」
「くらえぇ!!」
殺意が込められた二本の戦棍。
俺は剣を下段に構えたまま、一本目を半身になって躱す。
そして二本目が来る前に、それを振り下ろそうとしている敵へ斬り上げを見舞った。
「ごぼっ……!?」
男は腹を下から斬られ、喉へ上がった血を吐き出した。
その血に臆することなく、もう一人は戦棍を構え直そうとしている。
だが彼が武器を構えることはもう無い。
斬り上げの振り終わりから、そのまま俺は上段斬りを見舞った。
「あがっ!!」
肩口から深く致命の斬撃を受け、彼は膝を着く。
どさりどさりと二人は倒れ、ここではない世界へ旅立った。
彼らに言わせれば、神の御許へ。
「…………」
訪れる静寂。
倒れる法衣の男たち。
彼ら自身からしてみれば殉教者。
俺から見れば狂信者。
実際いずれであったのか、世界が答える日は来るのだろうか。
がらん、と背後で音がした。
人による物音ではない。
先ほど敵が投げ、尖塔に刺さった短剣が落ちてきたのだ。
「貰っておくか」
俺はそれを拾いあげた。
リーゼも武器を失っているかもしれない。
短剣なら邪魔にならないし、一応持っていこう。
「それと……」
俺は周囲を見回す。
確か、この辺りだ。
戦いのさなか、瓦礫の隙間に発見していたのだ。
「……あった。よし」
鞘である。
外套と同様、ゴルカ族長の娘、ディタの手による逸品だ。
俺はその鞘を回収し、煤の剣を納めた。
黒い鞘に、ぴたりと納まる黒い剣。
それを腰に差し、ようやく俺は人心地つくのだった。
やはり安心感がある。
こいつが腰にあるだけで、まったく違うというものだ。
「…………」
それにしても、あの怒り。
俺の両肩を掴んで揺するような、あの激情。
こうなると、あのとき聞こえた声も、やはり……。
「……まあ、それは後だな」
物思いに耽っていられる状況ではない。
何も終わっていないのだから。
俺は覚悟を新たに、講堂を後にするのだった。
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