118_新しい局面
会談ののち。
トーリの望みで、俺たちはヘンセンの町並みを見て回っていた。
驚いたことに、トーリは誰も随行させず、ひとりで残った。
信頼を表すためであろう。
それに報いるため、こちらも俺とアルバンだけだ。
また、こちらとしても彼だけに話したいことがあったので、都合が良かったのだ。
俺とアルバンは、その"話したいこと"を彼に告げた。
「神疏の秘奥にそのような裏があったとは……」
「推測を含む話ですが、しかし、いま言ったとおり───」
「ええ。筋が通っている。頷ける話です」
沈痛な面持ちで、俺たちの話を受け止めるトーリ。
頭の回転が速い彼は、秘奥による思想誘導や、それが女神への信仰心と結びついていることについて、よく理解してくれた。
「信教は統治の手段としてごく一般的です。それは良い。良いが……しかし、これは」
苦虫を噛み潰したような顔を見せるトーリ。
そこには怒りや屈辱が見て取れる。
「信仰心の薄い唯物主義者たちに、魔族への差別意識が低く見られるのには、そういう理由もあったのですね。私もそのひとりだ」
「そうなります」
先進的な商人であるトーリは、強い唯物主義者であり、実利主義者だ。
信仰からは、かなり離れたところに居る。
「その事実にこちらが気づいていることは、可能な限り秘匿しなければなりませんね」
「そうだ、トーリ殿。だから貴方だけに話したのだ」
アルバンとしても、部下たちを信頼している。
リーゼ含め、皆に秘密を作りたくはないだろう。
だが、この件はそういうわけにもいかないのだ。
「分かりました。それで、話してくださったのは私を信頼したからだと考えてよろしいのですか?」
「俺はトーリ殿を信じます。ただ、アルバン殿。貴方はどうだろうか」
俺はアルバンにそう質した。
これから先、いよいよ大きな戦いが始まっていく。
互いの信頼について、この場でハッキリさせておかなければならない。
「ふむ。際どいところを突いてくるじゃないか。言いたいことは分かる」
腕組みをして、重々しく口を開くアルバン。
やや言い辛そうにしながらも、しっかりとトーリを見て言った。
「実のところ、まだ確信に至っていないのだ。我々には歴史がある。良くない歴史が。ロルフのことは信じたが、新たに現れるそれ以外の人間も同じように信じ続けられるかというと、そこはやはり難しい」
隠さず、胸の裡を話すアルバン。
トーリは優れた人品の持ち主で、しかも彼の協力は俺たちにとって得がたいものなのだ。
手を結ぶべき相手であるはずだ。
だが、それが分かっていても、割り切れぬものがある。
長い対立の歴史は、そう簡単には乗り越えられない。
そもそも俺も、未だ信頼を積み重ねる途上にあるのだ。
「トーリ殿。貴方にはヨナ教の教えへの拘泥が無く、思想誘導の影響も低い。それは分かる。分かるが……」
アルバンは武官あがりだ。
戦って信を得ようとした俺に対しては、まだ理解を示せるものがあったのだろうが、商人が相手となると難しいのかもしれない。
それを知ってか、トーリはアルバンに正面から向き直った。
相対するアルバンとはまるで逆の、細身で柔和な印象の男だが、気圧される様子は無い。
会長は、ああ見えて凄い胆力なんですよ。一流の傭兵であるフリーダも舌を巻くほどです。
とは、アイナの言だ。
「私は、借りを返す機会を頂きたいのです。商人ですから、貸し借りには敏感なのですよ」
「……ふむ」
「この私には、無限に近い負債がある。お分かりでしょう」
負債とは何のことだろうか。
俺には分からないが、アルバンは何かに思い至ったようだ。
腕組みしたまま、トーリを見つめ、そして言った。
「商人としてではなく、父として道を選んだと言われるか。だが、部下である商会の者たちへの責をどうお考えなのか」
「なに。商会としても、貴方がたと結ぶのが最良と考えておりますので」
トーリがそう言うと、アルバンはしばし考え込んだ。
それからゆっくりと俺の方を向き、伝える。
「ロルフ。トーリ殿は、娘たちを救ってくれた恩に報いたいとお考えのようだ」
借りとはそういうことか?
だが、あれは……。
「トーリ殿。タリアン邸への攻撃は、俺たちにとっても必要なことでした。それにバラステア砦の危機に気づけたのも貴方がたのおかげで……」
「タリアン邸でのことだけではありません。その前の一件についても、感謝しているのです」
アールベック邸でのことか。
一応秘密なのだが、あの一件に俺が関わっていたことを、彼は知っているようだ。
「ああ、一応申し上げますが、アールベック子爵の事件を解決する際に貴方が関わったことは、娘たちからは聞いておりません」
「そうですか。それでも俺の関与を知るに至ったと。さすがに凄い調査力をお持ちですね」
「ん? ああ、いや。調査なんかしてませんよ」
「え?」
「お前が口止めをしたのなら、あのフリーダという傭兵とて誰にも話してはいまいよ。調査して分かることでもあるまい」
「そのとおりです。ですが娘たちが以前からロルフ様を知っていて、しかもそこに只ならぬ恩があることは、彼女らの顔を見れば分かりますから」
「そういうものですか」
俺がやや戸惑う横で、アルバンが得心したように頷いている。
人の親にとっては理解できる話であるようだ。
「ですので、私は貴方と貴方のご友人に、全面的に協力しようと決めたのです。娘たちをあんな目に遭わせた王国に、もはや忠誠はありませんしね」
俺にそう言ってから、アルバンへ手を差し出すトーリ。
「理だけではなく恩讐で動く私という男を、信じてみては頂けませんか?」
差し出された手を見つめるアルバン。
それからしばしの間を置いた。
そしてゆっくりと手を出し、決意したようにトーリの手を握る。
「分かった。今後ともよろしく、トーリ殿」
雪解けは、こうやって少しずつ進んでいく。
わだかまりは大きく、一朝一夕では無くならない。
だが、皆の不断の努力で、少しずつ、少しずつ両者の距離は縮まっていくのだ。
◆
「む? あれは何ですか?」
それからしばらく町を歩き、この地の文化を視察してもらう。
その最中、トーリは軒先へ干された敷物に興味を示した。
「何……とは? 絨毯だが」
「ちょ、ちょっと触らせてもらって良いですか? …………おお、この毛足と密度。これは……!」
この地の手織りの技術は優れており、絨毯などは特に美しいと俺も思っていた。
ただ商売になるかというと、俺に分かるはずも無い。
トーリはその絨毯を撫でながら目を輝かせている。
「良いですね! こういうものは人間社会でも大いに喜ばれますよ!」
「そうなのか? 我々にはよく分からないが」
興奮するトーリに、やや困惑しつつ答えるアルバン。
それに構わず、トーリは捲し立てる。
「どんどん物を流通させましょう。こういう優れた品を使って、両者の文化に理解を深めるのです!」
ローランド商会にとって、現王国領との取引続行はやはり難しく、商圏の縮小が見込まれた。
だが、本拠である旧タリアン領での活動は続行できるし、旧ストレーム領や旧アルテアン領でも商売が可能だ。
そこに加えトーリは、今までまったく未開であった魔族領に商機を見出している。
「アルバン殿。今でもヘンセンとアーベルの間には物流があるんですよね?」
「ああ。限定的だが、香辛料などは売買されている」
「それをもっと広げましょう! いやあ、ワクワクしてきましたなあ! 壁を壊しましょう!」
壁を壊す。彼はそう言った。
両者間で文化や産物を流通させ、壁を取り払おうというのだ。
「前向きなお考えだが、相手への嫌悪が先立つ中で、そう上手くいくだろうか? ロルフはどう思う?」
「俺には経済に類する話は分からないが、トーリ殿は逆と仰りたいんじゃないだろうか」
「そうです! 仲が悪いから交われないのではなく、交わることによって仲の悪さを解消すると考えるのです! 大丈夫! どんなに不仲でも、経済的結びつきはそれとは別です! まずは結びつくことですよ!」
それは俺にも分かる。
軍事よりも政治が、政治よりも経済が、より多くの人に作用するのだ。
まして敵は、軍事、政治、経済のいずれにも作用する、信仰というワイルドカードを使ってきている。
こちらとしては、戦い以外の打てる手も、すべて打たなければならない。
それに際し、やはりローランド商会という味方の存在は、きわめて重要だ。
「むっ!? あの木工細工、よく見せてください!」
少年のようにはしゃぐトーリ。
それを見て、俺は自然と相好を崩していた。
そして、俺が愛してやまぬ馬乳酒もいけるのではないかと密かに思うのだった。
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