106_嗤う聖女2
『聖祈』は対象の精神を鼓舞し、戦いへの恐怖を取り払う魔法だ。
一瞬の恐怖心が生死を分ける剣戟において、この魔法は極めて有効と言える。
ただ、一時的とは言え精神干渉の一種となるため、あまり好まれない。
魔法を受ける側にしてみれば、迷惑に感じる事が多いのだ。
まして今回のシーラのように、協力している他の騎士団にこれを使うのは、礼を失する行為だと考える向きが強い。
だが彼女にしてみれば、四の五の言っていられる状況ではない。
使わざるを得なかったのだ。
それだけ追い詰められているという事だろう。
「いくぞ、大逆犯め!!」
騎士たちが距離を詰めてくる。
精神が鼓舞される状況においても、連携はしっかり保ったままだ。
だが十人中三人も減っていては、陣形も薄くならざるを得ない。
カバーし合える間合いにも限界があるのだ。
俺は一点を注視することなく全体を視界に捉え、最も薄い箇所を探す。
そこはすぐに見つかった。
左から二番目の騎士が、最も他からのカバーを受けにくい位置に居る。
俺はその騎士を標的と定め、踏み込んでいく。
騎士は中段突きでの迎撃を試みてきた。
「せいっ!!」
突きを躱すが、剣に纏われた魔力が俺の上腕をかすめた。
血が飛び散る。
だが、このダメージは想定内だ。
俺は身を低くして騎士の懐に飛び込み、ゼロ距離で密着した。
そして剣の柄を使い、顎を下からかちあげる。
「ぉごっ!?」
こんな荒い手も使えるようになった。誰かの影響だろう。
一階で戦った騎士たちもそうだったが、領主の傍に付くことを許された彼らは、教練書に従順な"優等生"だ。
こういうのが効く。
即座に俺は、バックステップで剣を振る空間を作り、首への横薙ぎを放つ。
気道ごと頸動脈を断ち斬られ、騎士は絶命した。
そこへ振り入れられて来る、別の騎士の剣。
俺は後方へ転がって回避し、すぐに立ち上がって上段の構えをとる。
そして剣に渾身の力を込めて振り下ろした。
轟と響く強い風切り音。
剣は、距離を詰めて来ていた騎士の眼前で空振りとなった。
だがこれで良い。牽制なのだ。
剣を知る者なら、今の振りに警戒を強めるはず。
果たして騎士たちは、風切り音に足を止めた。
『聖祈』の影響下にあっても、判断力が損なわれるわけではない。
彼らに焦燥は無くとも、警戒心はあるのだ。
この種の示威行動を戦術に組み込むのは苦手だが、やれることは全てやらなければならない。
表情に警戒の色が濃い一人を見定め、しっかりと目を合わせたまま中段の構えで、ずいと詰め寄る。
「む……!」
一歩二歩と退がって距離をとり直そうとする騎士。
剣を体の前で横に構え、ガードを固めた体勢をとっている。
だが、そのガードは意味が無い。
左胸が空いているのだ。
そこを覆う銀の胸当てを頼みとしているのだろうが、俺と俺の剣にとって、それはガードになっていない。
「せぇあぁっ!!」
全体重をかけて踏み込み、力を剣先に乗せて突き出した。
がつりと響く、穿つ音。
黒い刃が、胸当てを貫通して騎士の心臓へ至る。
騎士は声も無く崩れ落ちた。
「な……!?」
残る騎士たちが声をあげる。
だが、恐怖に委縮する者は居ない。
それを証明するように、いちばん近くに居た騎士が上段の構えで斬りかかって来た。
「はぁっ!!」
速さはあるが、僅かに構えが大きい。
恐らく、俺への対抗心ゆえだ。
先ほど俺が牽制で放った上段斬りと、胸当てを破った突きに引っ張られ、自らも強い剣閃を見せつけようとしているのだ。
自負ある強者というのも難儀なものだ。この間合いでとるその構えは、隙にしかならない。
彼が振り下ろす剣より、空いている腹へ俺が振り入れる剣の方が速かった。
「が……はっ……!」
結果、彼は腹を斬り裂かれ、仰向けに倒れていった。
次の瞬間、がきんがきんと金属音が二度響く。
左右から剣が振り下ろされて来たのだ。
俺はそれを、ほぼ同時に煤の剣で弾いた。
彼らの攻撃は、支援魔法の効果で力のあるものになっているが、やはり技が無い。
シグと戦った時は一撃一撃に苦慮したものだ。
彼はパワーに優れるうえ、怖い角度、怖いタイミングを本能で探り当てて攻撃してきた。
この騎士たちは違う。
剣でガードするにも、力を逃がすように受けてやれば対応は難しくない。
落ち着いて対処を選択しつつ、俺は一歩退がった。
そしてバックステップで距離をとる、と見せかけて一気に前方へ飛び込む。
「えっ!?」
シーラが声を上げた。
もはや騎士は六人が沈み、シーラの防壁を作れていない。
俺は一瞬で五歩を詰め、彼女に向けて剣を放つ。
「させるか!! ……ぐはっ!!」
残った騎士の一人が俺とシーラの間へ割り込んで来た。
かなり無謀なタイミングだが、恐怖心が無いから出来ることだろう。
結果、彼はシーラを守ることには成功したが、自らは煤の剣に斬られて斃れた。
そして俺は、他の騎士が殺到する前に今度こそバックステップで距離をとる。
「う……」
シーラが青ざめている。
遂に笑顔は剥がれ落ち、彼女の顔に初めて焦燥が浮かんだ。
シーラはようやく、自分にも剣が向き得ることを知ったのだ。
後方にあって回復と支援を施すのが彼女の役目だった。
自分に剣が振り下ろされる日のことを、まともに想像したことは無かっただろう。
だが今日がその日だ。
「シーラ。聖歌隊はあと三人しか居ないぞ」
「黙りなさい……! 従卒風情が……私を見下すな……!!」
「自分は害されることの無い存在だと思っていたんだろう? 戦う者たちに慈悲と施しを与えて感謝される自分を、特別だと思っていたんだろう? 知らないようだから教えてやる。これが戦いだ」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇ!!」
響く絶叫。
静かに微笑む聖女の姿は見る影もない。
俺は怒声を無視し、ゆっくりと、見せつけるように一歩を踏み出した。
騎士たちを牽制するためだ。
それから一歩ずつ、シーラに近づいていく。
騎士たちは斬りかかって来ない。
剣を構えたまま、その場から動こうとしなかった。
「ど、どうしたのです貴方たち! 敵が近づいて来てるのですよ!?」
「ぬ……くぅ……!」
焦り、なりふり構わず呼びかけるシーラ。
だが騎士たちは動かない。
「知っているだろうシーラ。『聖祈』は恐怖心を奪い去るのみ。判断力の無い狂戦士を作るものではない」
「だ、だから何だというのです!!」
「彼らは、俺に勝てないことを悟った。残った三人でどう斬りかかっても、無為に死ぬことにしかならないと理解しているんだ。動けるわけが無い」
「な…………!!」
シーラの顔が絶望に歪む。
旧知を斬る。
今度こそ、その時が来たようだ。
俺は剣を振り上げ、一息に踏み込んでいく。
「終わりだ、シーラ・ラルセン!!」
その時。
「う……うあぁぁぁぁーーー!!」
「!!」
ざしゅり、斬撃音。同時に血しぶきが飛んだ。
想定外の事態だった。
氷像が動き出すかのように、騎士の一人が斬り込んで来たのだ。
騎士の攻撃を躱し、もつれながら振り抜いた煤の剣は、シーラを捉えはしたものの、致命とは行かなかった。
「いぎゃああぁぁぁぁぁぁーーーー!!」
絶叫して膝をつくシーラ。
右腕が肩口から失くなっている。
「シーラ様!! シーラ様ぁーーー!!」
騎士のあの表情……!
なるほど、恋情か。
シーラに想いを寄せる者は、他の騎士団にも少なくなかったからな。
そういう事なら、理屈の範疇外から斬り込んできたのも頷ける。
俺はそこには疎い。気づけなかった。
「ぐ……あがぁーーー!! お前! お前ぇ! 私の腕を! この私の腕ををーーー!! あ……ぐ! 痛い! 痛いぃーーー!! 許せない! 許せない! こんな……!! ああぁああぁぁーーー!!」
頭にぐわんと血が上るのを感じた。
何を泣き喚いているのか。
ミアたちは、腕なんかより遥かに多くのものを喪っている。
弱き人たちが、どれほど奪われているか。蹂躙されているか。
それでも耐えているのだ。
なのに、戦いを生業にする者が、奪うことを肯定してきた者が、その様はなんだ。
何が痛いだ。痛みに泣くべき人たちは、もっと他に居る。
……いかん。
戦場で心を怒りに囚われてはいけない。
俺は胸の奥に湧き上がったそれを振り払う。
「貴様ぁぁーーー!! あがっ!?」
逆に、騎士の方は瞳を怒りで満たし、斬りかかって来た。
しかし構えは乱れに乱れており、その剣が俺に届くはずも無く、彼はただ返り討ちに遭うのみだった。
「あ……ぐぅぅ……ぐ……」
ただ、俺の剣にも、やや無駄な力がこもった。
結果、即座に命を刈り取ることは叶わず、数秒痛みに呻いてから、彼は死んだ。
「悪いな……まあ、八つ当たりだ」
シーラへの怒りを彼にぶつけてしまった形だ。
それも彼にとっては本望だったかもしれないが。
「は……はぁっ……!」
見ると、シーラは窓にとり縋っていた。
そして落ちるように外へ出る。
どさり。
彼女が地面に落ちる音がした。
俺は窓に近づき、下を覗き込む。
今夜は新月だ。
闇夜の中には何も見えない。
ここは二階だが、天井の高い貴族邸なのだ。
飛び降りるには、かなり高い。
まして片腕が無くてはまともに受け身もとれない筈だ。
果たして彼女は生き延びているだろうか。
いずれにせよ、まだ衛兵が居るなか、外へ出て確かめる選択肢は無い。
子爵の打倒と、アイナ達の救出が先だ。
俺は振り返り、いま斬った男の遺体を見やる。
もしシーラが生き延びたなら、この男、一応彼女を救ったことになる。
彼女のような者への恋情に同調できる点は無いが、ただ、騎士ではあったな。
それから、残った二人の敵に目を向けた。
二人とも構えを解いて、ただ立ち尽くしている。
無意味に死ぬことも、任務を放棄してこの館から逃げ去ることも、彼らには出来ない。
ゆえに立ち尽くすのみだ。
俺は彼らに背を向け、広間を後にした。





