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現代幻想譚

縁結びの神は工数が足りません!神柱補充を頼んだら、アフロディーテさんがやってきました。

作者: 夜宵氷雨

「困った……」

 清原頼業きよはらのよりなりは、頭を抱えた。次から次へと押し寄せる案件に、処理が追い付かない。

 今年はどうしてこうも、業務が膨大なのか。いや、原因は明確、新型コロナウイルスの蔓延である。

 その所為で、普段からパンク気味の業務が更に増大した。その上、一度取り掛かった案件の変更も多い。

 ただでさえ工数が足りないのに、その上頻繁に要求仕様が変更されると、どうにもならない。補充を頼めばいいのだが、どこも業務が逼迫しているから難しいだろう。

 しかし、法と契約を守ることにかけては随一と自負のある頼業にとっては、納期を遅らせることは出来ないし、当然、品質を落とすなど以ての外。

 これ以上業務が増えれば、どうにもならなくなることは明白である。猫の手でもいいから借りたいと、ダメ元で補充を申請することにした。

 幸い、窓口はすぐ隣だ。

 頼業は急いで現状を文書にまとめ、居室を出た。



「そうは言っても、どこも一杯一杯だからなぁ……」

 頼業の申請を受け取った猿田彦命さるたひこのみことは、頭を抱えた。頼業の要望はもっともだが、今はどこも、手が足りない。

「商売のことは、妾がお引き受けいたそう。豊川の荼枳尼天だきにてん殿にもご助力願えば、なんとかなろう」

 そう言ったのは、宇迦之御魂神うかのみたまのかみ。全国で『お稲荷さん』として親しまれている神で、その本拠地は伏見にある。

「縁結びはなぁ……大学入試の制度が変わり、天神てんじん様は大忙し。私の神力にも、限りがあるのです」

 申し訳なさそうに、恋命こいのみことが顔を伏せる。恋命は、天神である菅原道真すがわらのみちざね公が、流された太宰府で生涯を終える折、都の帝や家族を恋しく思った御心の霊魂である。そのため、神力の源は天神と同じで、天神が特に忙しい今年、余力が無い。

大国主命おおくにぬしのみこと殿は、元より抱えておられる案件が多い。菊理媛命くくりひめのみこと殿も、今は新型コロナウイルスの厄払いにご尽力されておられる故……」

 猿田彦命が縁結びの神の名を挙げるが、協力を仰げそうにもない。

「この際、神や仏に限らず、外つ国にもご助力願うのはいかがかな」

 ふと、宇迦之御魂神が呟く。同じ「稲荷」として荼枳尼天と誼を通じる彼女ならではの発想である。

「しかし、新型コロナウイルスの蔓延は我が国だけではない上、我らの存在を認めぬセム殿に頼むわけにも……」

 猿田彦命が、顔を曇らせた。外つ国、と言えばまず浮かぶのがセム的一神教の「神」だが、到底協力を頼める相手ではない。

 他に浮かぶのは仏だが、仏の一部は既に神々と一体化し、そうでなくとも荼枳尼天のように、協力関係にある。新たな戦力とはならない。

「では……あのお方ならいかがでしょうか」

 恋命が、ある提案をした。元より学問の神である天神の影響で知識が深い上、恋愛や縁結びに特化しているだけあって、他国の同様の神々には特に詳しい。

「確かに。ここ1600年近く、暇を持て余しておられるな」

 その名に、宇迦之御魂神が頷く。外つ国でも祈る者が少なく、時勢の影響を受けない。

「近年は、ごくまれに我が国にもお出ましのようじゃし、お引き受け下さるやもしれぬ」

 猿田彦命は、近年、彼女のこの国での知名度が上がっていることと、そのために暇を持て余した彼女が、秘かにこの国を訪れていることを思い出し、オファーすることを決めた。



「ハァイ!アナタがクルマザキのヨリナリサン?あら、結構カワイイ顔じゃない。オネーサンが、頑張って助けてアゲル」

 応援に現れた女神に、頼業は言葉を失った。確かに猫の手でも借りたい。この際、外つ国でも構わない。

 しかし……この、妖艶で豊満な、やたら明るい美女は、本当に神なのか。しかも1600年近く暇を持て余していたというなら、人々に信仰されていたのは、更にその前。自分よりも1000年近く先輩ということになる。

「よ、よろしくお願いします。あの……貴女は……」

「ワタクシは、アフロディーテ。ヨロシクね」

 そう言ってアフロディーテは、妖艶な流し目をウィンクし、キスを投げた。


 任せて大丈夫だろうかと不安に思った頼業だが、すぐに考えを改めることとなった。

 古代ギリシャの女神は、瞬く間に溜まりに溜まった縁結びの案件を片付けていった。

 わずかな手掛かりから祈願者の好みを見抜き、同じ様に出会いを求める祈願者の中に該当者がいれば、二人の出会いをセッティングし、そうでなれば、めぼしい相手を探し、さり気なく出会わせる。

 特定の相手を求める祈願者には、相手に脈があれば背中を押し、脈が無ければ別の相手へと誘導する。

 いにしえに信仰が失われたとはいえ、愛と美貌の女神の実力は、確かなものであった。


「ハア?何この男性ひと!?ヨリナリに頼むより、先にヤルベキコトがあるデショウ」

 突如、アフロディーテが素っ頓狂な叫び声を上げた。

「どうされましたか?」

「ヨリナリ、見てヨ。この、ケンジ・ハシモト。結婚したいっていうワリに、自分デハ何もドリョクしてないのヨ」

 それは、橋本賢治という男性の願いだった。

 大手企業に務める技術職のサラリーマンで、年齢は33歳。性格は真面目で消極的だが、結婚相手としては、申し分無い。しかし……ほとんど人前に出ない仕事だからか、服装には無頓着で、体型も少々どころかかなり太い。

 服装はともかく、そういった体型の男性を好む女性がいないわけではないが、少数派だ。

 ヒトの好意など、第一印象でほとんどが決まる。いくら見た目ではなく中身が重要と言っても、最低限の見た目をクリアしなければ、そもそも中身を見てもらえないのだ。

「ワタクシの時代、ふくよかさは富の象徴としてモテハヤサレマシタ。でも、今はそうではないデショ。それに、ふくよかさにも限度と美学がアリマス。ココは、ワタクシが根性を鍛え直してサシアゲマスわ」

 アフロディーテは憤ったまま、姿を消した。



 その頃、橋本賢治は暗い顔で帰途についていた。

 今日はたまたま、取引先の担当者と会った。それ自体は珍しいことではないが、相手が問題だった。

「誰かと思えば、橋本じゃん。オレ、覚えてる?同中おなちゅうだった扇田。お前、全然変わってねーな」

 同行した営業担当が席を外すと、相手は、途端に態度を変えた。中学時代に散々自分をいじめた扇田卓也せんだたくやだったのだ。

「お、お久しぶりです。扇田さん……」

「お前がエンジニアね~まぁいいや。しっかりやってくれよ。ろくでもないもん納品したら、タダじゃおかねえからな。それとさあ……今度、同窓会あるじゃん。お前も来いよ。いつも欠席で、つまんねえから」

 顔を近付けて凄まれ、賢治はただ首を縦に振るしか無かった。

「じゃあ、よろしくお願いします。御社には期待してますんで」

 営業担当が戻ってくると、扇田はにこやかな営業スマイルを見せた。別人でなければ、二重人格か乗り移りかと疑うレベルだ。


 賢治は、自分の仕事に誇りを持っている。だから、相手に恨みや因縁があろうとも、手を抜く気はないし、むしろクオリティの高い仕事を納めれば、見返すことが出来るのではないかと思う。

 しかし、仕事に取り掛かろうとすると、中学時代の嫌な記憶が呼び覚まされ、手が動かなかった。

「はぁ……まさかこんなところで再会するとは。地元を出たのに」

 溜め息と共に独り言が漏れる。


 中学でいじめに遭った賢治は、全寮制の私立高校に進学した。不登校児などを積極的に受け入れる高校で、生徒へのケアが手厚かった。幸い、教師や職員、友人に恵まれ、高校卒業後は技術系の専門学校に進学し、地元を離れたまま、京都の会社に就職したのだ。

 職場では信頼を得て、今は係長になった。こんなことで今まで積み上げた信頼を失うわけにはいかない。

 明日こそは、扇田の会社に納品する製品に取り掛かろうと、決意を新たにする。



「オカエリナサイ、ケンジ」

 帰宅した賢治は、思わず家を間違えたのかと、一旦扉を閉めた。アパートの部屋番号と名前を確認し、再度、そうっと扉を開ける。

 そもそも、鍵を開けたのだから、間違えているはずはない。

 しかし……

「あの、どちら様ですか」

 玄関に、絶世の外国人美女が、かなりセクシーな姿で立っている。

「ワタクシはエレナ、エレナ・マルティネス。アナタのために、ギリシャからキマシタ」

 茫然と佇む賢治に、美女がウインクを投げる。

「いや、そういうのいらないんで、お帰りください」

 賢治は慌てて、美女を玄関の外に押し出そうとする。自分の家にこんな美女がいるなんて、夢で無ければ美人局、よくてせいぜい、訳あり女性の逃亡に違いない。

 変な厄介事に、関わりたくはない。

「アラ……アナタがヨリナリ、いえクルマザキにお願いしたんでショ。結婚したいッテ。ワタクシが、アナタが結婚できる男性にキタエてサシアゲマス」

 しかしエレナと名乗った美女は、頑として動かなかった。

「騙そうとしても無駄ですよ。借金があって、まともに貯金とかありませんから」

 借金と言っても奨学金だが、敢えて言葉を選ぶ。その方が、より深刻な事態に聞こえるからだ。

「ダイジョウブ、ダイジョウブ。お金とかイラナイわ。ヨリナリにしっかり払ったデショウ」

「よりなり?」

 そういえば先ほどから、人名らしき単語が出てくる。しかし賢治には、『よりなり』という名の知り合いはいない。

「知らずに頼んだんデスノ!?ヨリナリは、クルマザキの神デスワヨ」

「クルマザキって……神社の?」

 車折神社なら、会社近くにある。何となく心引かれて参拝して以来、会社の行き帰りに寄っている。客先からの帰りで社務所が開いていた時に、ふと思い立って、絵馬を奉納した。

 祭神を気にしたことはなかった。しかし普通の人名だから、菅原道真や徳川家康のように、人から神になった人物かもしれない。

「ええ。でもヨリナリは、とっても忙しいノデ、ワタクシが助っ人に呼ばれマシタ。よろしくお願いイタシマス」

 そう言うとエレナと名乗った美女は、賢治を家の中に引っ張り込むと、中から鍵とチェーンを掛けた。


「ドウゾ、召し上がれ」

 食卓には、見たことの無い料理が並んでいた。色とりどりの野菜が鮮やかで、オリーブオイルの香りが鼻をくすぐる。

「こ、これは……」

「オクチに合うかワカリマセンが、栄養マンテンですのヨ」

 にっこりと微笑む美女の迫力に、賢治は恐る恐る料理の口に運ぶ。見た目に反して意外と美味しく、あっという間に平らげた。

 食事が終わると、エレナは隣の部屋を借りたからと、「マタ、明日アイマショウ」と帰って行った。


「オハヨウゴザイマス」

「ど、どうして……鍵……」

 翌朝、賢治が目を覚ますと、エレナは台所にいた。

 昨夜、確かに鍵は掛けたはずだ。

 昨日帰宅した時も、彼女は鍵の掛かったこの部屋の中に、既にいた。だから、何らかの方法で合鍵を持っているのかもしれない。

 しかし、帰宅時とは異なり、寝る前に玄関のチェーンが掛かっていることも確認している。だから、例え合鍵があっても、侵入は不可能なはずだ。

 賢治は思わず、玄関を確認したが、チェーンに異変は無い。

「アラ、そんなコト。ワタクシにかかればアサメシマエでしてヨ。ヨリナリの助っ人ダト言ったデショウ」

 よりなりというのが、車折神社の祭神なら、この美女も神ということなのか……しかし、ギリシャから来たというのは、どういうことなのか。いくら日本の神が八百万とは言え、ギリシャの神はいないはずだ。

 そんな考えを巡らせていると、賢治の目の前に、いい香りと共に朝食が用意された。

「ドウゾ、朝からチャント食べて、健康的にヤセマショウ」

 出されたのは、チーズの入ったパイに、蜂蜜がたっぷりかかった濃厚なヨーグルト、それにコーヒーだった。

 賢治には初めて見る朝食だったが、匂いに釣られ、気付けば皿の上には何も残っていなかった。


「この距離でバスを使うナンテ、もったいナイ。走ればいい運動にナルワヨ」

 賢治が最寄りのバス停でバスを待とうとすると、ついてきたエレナが不服そうに声を掛けた。

「いや、でも駅まで結構遠いんですが……」

 徒歩30分の距離。バスなら途中の停車を考えても、10分もかからないが、その距離を歩く……いや、走れとは、運動が苦手が賢治には、拷問に近い。

「ナニ言ってるノ。結婚したいのデショウ。女性にモテるには、まずダイエット。さあ、ワタクシとはしりマショウ」

 そういうとエレナは、賢治の財布と定期入れを持って走りだした。財布と定期入れを取られては、バスに乗ることができない。賢治は諦めて、エレナの後を追った。


 賢治が、息も絶え絶えに駅に着くと、エレナは涼しい顔で待っていた。

「ハイ、お疲れサマ。お仕事、ガンバってクダサイ」

 財布と定期入れの他に、手提げ袋を渡される。

「あの、これは……」

「オベントウよ。オヤツも入ってるカラ、今日ハ、コレ以外食べナイコト。飲みモノは、水じゃなければ、ノンシュガーのおチャかコーヒーにシテね」

「は、はい」

 もはや逆らう気力もなく、言われるがままに、財布と定期入れ、それに手提げ袋を受け取り、会社へ向かうため、いつもより少し遅い時刻の電車に乗った。


 弁当だと渡されたものの中身は、具を挟んだパンであった。

 別の器に、「オヤツ」と辛うじて読める字で書いてある。中を見てみると、濃厚なヨーグルトの中にナッツ類が混ざっている。

 賢治は、これでは足りないと思いつつ、律儀にランチタイムにパンを食べ、15時を回った頃に、ナッツ入りのヨーグルトを食べた。


 仕事が終わって帰宅しようと、最寄り駅で降りると、エレナが待っていた。

「帰りも、走りマスワヨ」

 そう言ってエレナは、再び賢治の財布と定期を持って走り出し、やむなく賢治も後を追う。

 帰宅すれば、昨夜のようなたっぷりの野菜にオリーブオイルを効かせた料理が並び、それを賢治が食べ終えると、エレナは隣の部屋と帰った。


 そんな日が、一ヶ月二ヶ月と続き、賢治は次第に、鍛えられていった。太かった体型すらりと標準的な太さになり、僅かだが筋肉もつき始めている。

「素敵ネ、ケンジ」

「スバラシイ。毎日、ツヅケルだけでもタイヘンなことヨ」

 賢治が手応えを感じ始めると、エレナは強引に振り回すだけでなく、何かと褒め称えてくれるようになった。そうすると賢治は、一層意欲が湧き、いつの間にか、駅までのジョギングも、ヘルシーな食事も、苦ではなくなった。エレナに料理を教わり、自分でも栄養を考えたメニューを作るようになった。

 しかも、毎日の強制トレーニングで、他事を考える余裕が無くなり、目の前の仕事に集中した。おかげて、扇田の会社からの仕事は順調に進んだ。


「はぁ……」

 しかし、賢治の気は重い。

 扇田の会社から受注した製品の納期は近いが、その前に同窓会がある。下手に欠席して仕事に影響が出てはと出席を決意したものの、扇田だけでなく、その取り巻き達も来るのかと思うと、逃げ出したくなる。

「ドウシマシタ?最近のケンジには珍しく、タメイキなんて」

 台所で大きなため息を吐いた賢治の顔を、エレナが覗く。最近では、交代で食事を作るようになったのだ。

「同窓会が近くて、その……仕事のために出席にしたものの、あまりいい思い出が無いもので」

 賢治が零すように呟くと、エレナはカラリと笑った。

「アラ、今のケンジでしたら、大丈夫デスワヨ。でも、ソウ、同窓会……では、そろそろワタクシはお別れシナクテハ」

「え、それはどういう……」

 エレナは、賢治が説明を求める前に姿を消した。


 賢治は、今までそこに誰かがいたような気がしたが、何も思い出せない。

 目の前の鍋には、アヴゴレモノ《卵とレモンのスープ》が煮えている。レモンの酸味が爽やかな、ギリシャの代表的なスープだ。今日は定番の鶏肉の出汁に、米を入れてリゾット風に仕上げている。

 皿に盛り、テーブルに運んで口に入れる。

「美味い、今日もよく出来た方だな」

 自分で満足げに呟き、もう一口、口に運ぶ。変わらないその味に満足し、あっという間に完食した。

「あー美味かった。って……あれ、なんでこんな料理知ってるんだ」

 自分の記憶では、家で料理することはなく、インスタントラーメンでなければ、コンビニ弁当か、牛丼やカツ丼等のテイクアウトで済ませていたはずだ。

 台所の周囲を見渡すと、オイル類や香辛料など、買った覚えの無い調味料が、一角を占めている。しかも開封済みで、それなりに使った形跡がある。

 何故か賢治は、それらの使い道が自然と頭に浮かんだ。


「え、誰……」

「うそ、橋本なの」

 同窓会当日。賢治が会場となったレストランに入ると、既に集まっていたメンバー達が遠巻きに視線を寄越す。ひそひそと囁き合う声が、嫌でも耳に入る。

「あっれー、橋本。ちゃんと逃げずに来たんだな」

 扇田が現れた。

 中学の頃と変わらず、取り巻きを引き連れている。扇田と取り巻き達は、にやにやと気味の悪い笑いを浮かべながら、賢治を取り巻く。

「な、なんですか、扇田さん。ちゃんと来たんだからいいでしょう」

「あ?何か言ったか?それより橋本、仕事は大丈夫なんだろうな」

 賢治が言い返すと、扇田は悪態を吐いた。


「それを言うなら、扇田課長こそ大丈夫なのかしら。先日提出して頂いた書類、訂正箇所がたくさんあったと思うけど……」

 背後から、凜とした美しい声がした。

 振り向けば、一目で外国の血が入っているとわかる美女が立っていた。

「ま、マルティネス部長。どうしてここに……」

 扇田が目を見開く。

「扇田さん、知り合いっすか」

「今度、上司になるギリシャ人だ」

 取り巻きの一人に尋ねられ、扇田は小声で耳打ちした。


 彫りが深く、はっきりとした目鼻立ちに、透き通るような白い肌、真っ黒で艶やかな長い髪が印象的な美女は、にっこりと微笑んだ。

「扇田君、気付いてなかったの? 私の日本名は、武田依玲那。といっても、伯父の養子になっているから、今はエレナ・マルティネスが本名よ」

 武田依玲那は、日本人の父とギリシャ人の母を持つハーフで、その目立つ容姿から孤立していた。女子達からは目の敵にされ、男子達にはちょっかいを出される。それは彼女が、家庭の事情で転校するまで続いた。

 元々内向的であった賢治は、特にエレナと関わることはなかったが、一度だけ、係が一緒になった。その時は普通に接し、二人で分担して役割を果たしたが、いじめられていた賢治にとって、唯一のいい思い出だ。

 しかし今のエレナに、当時の大人しい面影など一切無く、どこからどう見ても、仕事のできるキャリアウーマンだ。

 賢治は、どう声を掛けようか迷った。するとエレナが賢治に話しかけた。

「橋本君、会いたかったわ」

「え? 僕に?」

 エレナの言葉に、賢治は耳を疑った。

「そうよ。あの頃、普通に話してくれたのは、橋本君だけだったもの」

「僕だって、同じような立場で……」

「そんなこと関係ないわ。それに、とっても素敵な男性になっててびっくりした。せっかくだし、二人でお話したいわ」

 そう言ってエレナは、賢治の手を握った。



「エレナ、ガンバレ。せっかくケンジをエレナ好みにしたカラ、二人が上手くいくとイイワネ」

 二人の様子を眺めながら、アフロディーテは満足そうに呟いた。

 エレナは両親を亡くしたため、母の兄である伯父の養子になり、ギリシャに移住した。もちろん、正教会の洗礼を受けている。

 しかし、アフロディーテ神殿を観光で訪れた際、日本の中学校の教科書に載っていたことを思い出し、同時に賢治のことを思った。

 そうして、『会いたいな』と呟いたのだ。

 その願いはアフロディーテに届いた。

 アフロディーテは、善意で頼業を手伝いに来たのではなく、エレナと賢治の仲をお膳立てするために、元から日本に来ていた。

「ソレジャ、ワタクシの仕事は終わったカラ、帰るワネ」

 そう言って、日々積み上げられる人々の願いを残し、頼業の前から姿を消した。

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