28話 認めて、進め
28
――見つけた。
誰かの声を聞いた気がして、僕は目を開けた。
そしてすぐに、自分が夢を見ているのだと悟った。
そこに、気を失う前にいた迷宮の『仮宿』の景色はなかったからだ。
というか、なにもなかった。
見渡す限りどこまでも、なにもない『白』が広がっている。
そんな薄ら寒くなるほどに白い世界に――墨でもこぼしたように、ぽつりと黒い点が見えた。
それは、暗色のローブをまとった青年のかたちをしていた。
「……」
無言のままこちらを見つめてくるおだやかで落ち着いた顔立ちに見覚えはない。
けれど、不思議と懐かしい感じがする。
その正体に気付いたのは、多分、魂のどこかが覚えているからなんだろう。
「……万魔の王」
転生をする前の、かつての自分。
よく見れば、ローブのすそからのぞいた腕が白骨化している。
前世の自分が半分骨だったとタマモからは聞いたのは、再会したその日のことだったか。
間違いない。
まだまともに思い出すこともできない、他人のようなわたしがそこにいた。
「ただの夢……ってわけじゃないのか」
いままでも夢で過去の情景を見たことはあったけれど、これは少し違うようだ。
そもそも、過去の記憶を夢で見る場合は、視点はわたしになってしまうので、自分自身の姿を見ることは、鏡でものぞきこんでいない限りありえない。
かといって、ただの夢だと考えるには、あまりに目の前の存在感は本物だった。
だから確信する。
あれこそが、本物の万魔の王。
自分のなかに埋もれたモノだ。
「初めて会えたな」
口にした言葉は、自分でも驚くくらいに苦かった。
「正直なところを言えば、胸ぐらをつかんでやりたいんだけどな」
言いたいことはいくらでもあった。
なんでお前が戻ってこないんだと。
おかげでこちらは大変なのだと。
けれど、それはできなかった。
――それすら、できなかった。
「……ぐ」
踏み出そうとした足が、異様なほど重い。
前に進もうとすれば関節は悲鳴をあげ、骨はきしんで肺がつぶれる。
不用意に無茶をすれば、意識を失うだろう。
「近付くことさえできないってことか」
見た目以上に、あの青年との間には距離があるみたいだ。
とはいえ、それも当然だ。
遠くでこちらに感情の見えない視線を向けているあの青年は――世界を滅ぼす十の獣を従えて、魔界を支配した万魔の王その人なのだから。
すなわち、青年のいる場所こそが至高の領域。
この手を届かせる術はない。
いまだ、過去と現在はへだたったまま。
グレンでは、万魔の王には至れない――。
「だけど」
その事実を呑み込み、僕は拳を握りしめた。
「だけど、それがどうした」
……認めよう。
いまの僕は、かつての万魔の王に遠くおよばない。
たとえば、ここにいる僕が僕でない誰かであれば、あっさりと万魔の王の記憶を取り戻して、その絶大な力を振るえたのかもしれない。
だけど、そんなたらればの仮定に意味はない。
ここにいるのは、他でもない僕なんだから。
その事実を、もう二度と忘れない。
思い出してほしいと、エステルは言ってくれたから。
僕は目の前の青年に――他人のようなわたしに告げることができたのだ。
「それでも、戦わなくちゃいけないんだ」
突然、襲いかかってきた白い怪物。
あれはあまりに規格外だった。
気を失う前、とっさにいろいろと手を打って全滅だけは避けたはずだけれど、タマモや逆鉾の君であっても厳しい戦いを強いられているだろう。
つまりは、ほとんど人類の手に負えない災害と言っていい。
それでもきっと、みんな戦っている。
傷付いている。
苦しんでいる。
そんなことは――許せない。
そう思えば、燃え上がるような想いが胸に宿った。
この想いこそが、いまここにいるグレンの証明だ。
前に進む原動力にほかならない。
だから。
「……ぐっ、がああ」
鉛を詰め込んだみたいに重い足を、地面から引きはがす。
砕けそうになる関節を、歯を食いしばって動かす。
そうして、遠くに見える青年に手を伸ばす。
「……僕は、一歩ずつしか進めない」
認めて、一歩。
至高の領域にある王のもとへ、一歩。
「だから、一歩ずつでも進んでいくんだ!」
大きく、踏み出して――。