7話 契約の力
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「オーガ!? まだ生きてたのか!」
「そのようですね。まったく、主様との会話を邪魔するなんて無粋なことです」
オーガは蹴られた腹をかばうようにしながらも、こちらに敵意を込めた視線を向けてきていた。
タマモを警戒しているのか、すぐに飛びかかってはこない。
だけど、それも時間の問題だろう。
もちろん、そのタマモはオーガと戦えるだけの――あるいは、圧倒できるだけの力を持っているのだけれど。
しかし、オーガを一瞥した彼女は、こちらに視線を向けると意外な言葉を口にした。
「では、主様。ここはお譲りいたしますね」
……なんだって?
あっさりとした口調で言った彼女を、僕はまじまじ見つめてしまった。
「それはつまり、僕に、あいつを倒せってこと?」
オーガは下層のモンスターだ。
黄金級冒険者以上でないと戦えない。
銀級冒険者どころか、鋼鉄級冒険者でしかない中堅冒険者の自分では、全身全霊をかけて刺し違えることができれば奇跡的。
倒すなんて夢物語でしかない。
そのはず、なのだけれど――。
「勝てます。主様なら」
当たり前のように告げるタマモの口調には、疑いの色なんてカケラもなかった。
「あなたは、あの主様なのですから」
「……」
こちらを見つめ続ける琥珀色の瞳に引き込まれる。
強く僕の奥底を見つめてくるような目だ。
それに、僕のなかにあるなにかが刺激されるのを感じた。
思わず魅入られたように固まった僕にタマモは微笑みかけると、手を取ってくる。
エステルを守ろうと戦って、ボロボロに壊れた手だった。
「相変わらず無茶をなさいますね。そこに倒れている方を守ろうとしたのですか。ふふ。主様は、生まれ変わっても変わらないのですね」
どこか仕方なさそうに笑って、同時に確信を得た様子で言う。
「ああ。それでこそ、我らの主。あなたは変わらない。生まれ変わったとしても、覚えていなくとも、あなたはあなたです。それは、ここにこうして示された。ならば、万魔殿の鍵はいまもあなたとともにある」
「――」
どくり、と。
心臓が大きく脈打った。
まるでタマモの言葉を肯定するように、自分のなかでなにかが動き出そうとしているのがわかった。
そして、今更ながら気付いた。
そういえば、最も根本的なところを、まだ認識していなかったのだと。
それはすなわち、かつての自分。
過去の己が、何者であったのかということ。
その答えが、少女の口から告げられる。
「どうかお命じください、万魔の王。我ら十柱の滅びの獣を調伏せし、偉大なる魔界の主よ」
万魔の王。
それは、世界を滅ぼす十柱の獣を調伏し、魔界を制覇した最強の王の異名だ。
そして、白昼夢で見た過去にいたわたしのことでもある。
……とはいえ、その自覚はあまりない。
転生の後遺症か、取り戻した記憶が中途半端なせいか。
なんにしても、それが自分のことだとわかっても実感は遠かった。
けれど。
「……エステル」
まだ意識を取り戻していない彼女に視線を向ける。
危うく失いそうになった大切なものがそこにある。
絶対に守ると告げた。
そのための力が手に入るのであれば――過去に手を伸ばすことに迷いはなかった。
「ご存分に」
うやうやしく頭を下げたタマモが、握っていた手を離した。
その手を前に伸ばした。
抗い、傷付き、それでもなにかを守ろうとした手だ。
そこに、魔力を込めた。
大丈夫。
やりかたは知っている。
僕じゃないわたしが知っている。
「万魔殿接続」
口ずさむ。
ここではないどこかと、魔力を介してつながりを得る。
しかし、そこでオーガが動いた。
雄叫びをあげると、こちらに突っ込んできたのだ。
まるで、僕の魔力に引き寄せられるみたいに……。
いや。まるで、ではないのか。
ようやく理解できた。
この手に込めた僕の魔力こそが、呼び水なのだ。
魔なるモノどもを引き寄せる力。
その副作用。
なぜかモンスターに狙われやすかった体質は、この魔力が原因だったんだろう。
……思えば、わけもわからないまま酷い目に遭ってきたものだった。
けれど、モンスターを誘引する力はあくまで副作用であり、本来の使いみちは別にある。
すなわち、つながりの先から魔なるモノを引き寄せること。
「契約をここに。其は万魔殿の第一柱。混沌に住まう原初の精」
かかげた指先から、血液がこぼれ落ちる。
魔力を帯びた血液が地面に触れると、そこから巨大な魔法陣が展開した。
これが万魔の王の契約の証。
万魔殿につながる扉だ。
あとはもう、呼びかけるだけでよかった。
「来てくれ。逆鉾の君」
魔法陣を門として、世界の境界を掻き分けて、それは世界に現れる。
***
極限の集中による変性意識が解けると、僕の目の前にはひとつの存在が現れていた。
「これが……」
闇色の全身鎧を身に纏った、ひとりの騎士だった。
あまり体は大きくない。
身長も僕とそう変わらないくらいだ。
ただ、尋常の存在ではないことは、兜の奥、面頬から零れる混沌の闇を見れば明らかだった。
あの鎧は身を守るものではない。
むしろ中にあるモノをヒトガタに固め、抑えつけるためのものだ。
滅びの獣――と、タマモは言っていた。
恐るべき、破壊の担い手。
だけど、いまは僕の力だ。
「――ッ!」
異変を察したオーガが迫る。
次の瞬間、地面を蹴り砕くほどの勢いで、混沌の騎士が飛び出した。
人には聞き取れない雄叫びをあげて、騎士はオーガとがっぷりと四つに組んだ。
身長差は倍近くある。
ダンジョン下層のモンスターの、まさに怪物としか言いようがない怪力が騎士を捻り潰さんとした。
「ガアァアアァアア!」
咆哮するオーガは、きっと勝利を確信しただろう。
だが、甘い。
騎士は潰れない。
拮抗してみせている。
いや。正確には、拮抗じゃない。
騎士のほうが強い。
「ガァアァア!?」
次の瞬間、オーガのほうが押し返されて、たたらを踏んだ。
下層の凶悪なモンスターのなかでも強靭な肉体に特化したオーガを、騎士は真っ向から押し返してみせたのだ。
この隙を見逃す手はなかった。
「そこだ逆鉾!」
僕の意思に従い、混沌の騎士がその身に膨大な魔力を巡らせる。
次の瞬間、騎士の開いた手に魔法陣が展開された。
そこから取り出されたのは、無骨な鋼の塊のような長柄武器だ。
長い柄の先に、重く幅広な両刃の穂先が付いた鉾と呼ばれる武器だった。
重々しい音とともに回転した鉾が、オーガに向けて薙ぎ払われる。
かろうじて、オーガは手にした棍棒でそれを防いだ。
防ごうとした。
「ガアァアッ!?」
次の瞬間、防御に回った太い棍棒を、鉾の一撃がへし折った。
それどころか、棍棒をへし折ってなお、攻撃の勢いは衰えなかった。
超重量の金属塊は唸りをあげて、そのまま下層の屈強なモンスターの肉体に叩き込まれる。
「ゴアァアア!?」
断末魔の悲鳴があがる。
騎士の振るった鉾が、オーガの体を真っ二つにして吹き飛ばした。