17話 幼なじみは少年を想う
17 ~エステル視点~
立ち並ぶテントが作る『仮宿』内の道を、私はゆっくりと歩いていた。
人通りはほとんどない。
巡回している警備の冒険者とたまにすれ違うくらいだった。
隣には、グレンがいる。
いつもの距離感、いつもの歩調が心地よい。
自分にとって、なくてはならないものと感じられる。
頑張り屋で、面倒見が良くて、いつも私のことを守ろうとしてくれる彼のことを、雄分類と雌分類という垣根を越えて、私は誰より好ましく思っている。
さすがに気恥ずかしいから言わないけれど、尊敬もしている。
確かに、グレンは今回のことのように、焦って落ち込んでしまうようなこともある。
だけど、そんなのは当たり前だ。
グレンは、英雄然としたアレクシス様とは違う。
年相応の少年だ。
それでも、私のことを命懸けでオーガから守ってくれた。
英雄ではなくとも、英雄みたいに。
そのことに感謝はあっても、驚きはない。
彼がそういう人だと知っているから。
グレンは頑張っている。
というか、頑張りすぎてしまったからの、今回の落ち込みだ。
だから――私も、そろそろ頑張らないとダメだと思うのだ。
「エステル?」
私が足をとめると、グレンは不思議そうな顔で振り返った。
「ちょっと先に戻っててくれる? 私、忘れ物してきちゃったから」
「そう? なんなら一緒に戻るけど」
「いいよ。先に行ってて。すぐ追いかけるから」
手を振って、グレンと別れる。
そして、私は来た道を戻り始めた。
なんだかんだ、グレンは最近はずっと張りつめていたようだから、今夜はよく休んでほしいなと思う。
「まったく。手が焼けるんだから」
言葉とは裏腹に、くすりと上機嫌な笑みが出た。
彼の力になれることは嬉しい。
もちろん、逆の立場になれば、彼だって同じことをしてくれるだろう。
持ちつ持たれつ。
そうして、私たちはずっと助け合って生きてきた。
たったひとりの、私の家族だ。
「ふふ」
思わず出る笑みをとめるように唇を押さえて、ふとそこに熱を感じる。
幼なじみの少年と重ねた唇。
キス、というやつだ。
これまで私には縁のない行為だった。
なにせ私は女神の定め人だとかには興味がない。
実は、交友のある雌分類から誘い自体はあったのだけれど、全部断っていた。
そもそも、私にはそうした感情がいまひとつわからない。
教会の教えによれば、それは社会性を持つヒトという唯一の生き物が、誰かを求める衝動の表れなのだというけれど……。
まあ、そう考えてみると、グレンと一緒にいられるだけで満たされている私がそれを必要としていないのは、当然のことかもしれない。
とはいえ、雄分類のグレンはあくまで幼なじみであり、女神の定め人ではない。
なので、キスという行為も経験がなかった。
初めてした。
してしまった。
知ってしまった。
あれはとても良いものだ。
いまでも気持ちがふわふわしている。
気を抜くと唇が際限なくゆるんでしまいそうだ。
理由はよくわからないけれど。
だけど、そんなのどうでもいい。
だって、こんなにドキドキしてる。
もちろん、わかってる。
あれは目的があってしたことだ。
そうでなければ、雄分類と雌分類であんなことしない。
けれど。
私と同じ雌分類のタマモさんもグレンにしていたってことは……多分、グレンの前世? の世界とやらでは普通のことだったんじゃないだろうか。
だったら、またしてもいいんじゃないだろうか。
今度、聞いてみよう。
そう思い、笑みをこぼし――そのあたりで、私は意識を切り替えた。
そろそろいいかな、と思ったから。
周囲に人の気配はない。
とっくに、さっきグレンと入った店は通り過ぎていた。
誰もいない通路に、ささやくような声で、私は確信をもって呼びかけた。
「わかってるよ。いるんでしょ」