16話 幼なじみは思い出させる
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「思い出してほしいのは……僕のこと?」
「そう」
まっすぐに僕を見つめて、エステルはうなずいた。
「あなたは、誰?」
そう問いかける彼女の美しい紫水晶の瞳が、僕の姿を映し出していた。
「『万魔の王』? 偉大な魔界の主? ……いいえ、違う。少なくとも、私はそんなモノ知らない」
エステルは否定する。
「あなたはグレン。私の家族。頑張り屋で、私と一緒にいてくれる弟で、私を守ってくれる兄で……『万魔の王』の力があろうとなかろうと、なにも変わらない。大事な私の家族」
それは、ずっと一緒にいてくれた彼女にしか言えない言葉だった。
もちろん、とても当たり前のことではある。
自分が自分であるなんて、ごく当然の事実だ。
だけど、自分は忘れていなかっただろうか。
自分は『万魔の王』の生まれ変わりなのだと。
その事実が強烈すぎて、それだけが自分のすべてなのだと無意識のうちに思ってしまってはいなかっただろうか。
だからこそ『万魔の王』という、まだ思い出せもしないわたしが当然できるはずのことができていないと落ち込んだ。
だけど、そうではない。
そうではないのだ。
「アレクシスさんみたいな、ご大層な望みがない? 当然でしょう。あなたは最高位冒険者じゃないんだから」
あっさりとエステルは言う。
そんなもの、僕にはなくて当然なのだと。
だけど、それは決して僕を馬鹿にしているわけじゃなかった。
「だいたい、アレクシス様とは歳が10近く離れているんだし。望みなんて、これから探していけばいいんだよ」
紫水晶を思わせるエステルの瞳。
その目に映っているのは、等身大の僕だった。
いつの間にか、僕が忘れてしまっていた僕自身。
「……そっか。僕は、僕か」
「そうそう。グレンは別に、『万魔の王』の力があるから努力をしていたわけじゃないでしょう。グレンはなにも変わらないよ。それは、私が保証してあげる」
ストンと胸に落ちるものがあった。
自分は勘違いをしていたのかもしれない。
前世がなんであったとしても、僕は僕だ。
良くも悪くも、そこのところは変わらない。
一歩ずつしか進めないことを恥じるなんて、むしろ自分を何様だと思っているんだって話だ。
一歩ずつでも進んでいることを、見守っていてくれる彼女がいるのに。
そのことを、確かに自分は忘れていた。
「思い上がっていたってことかな」
僕が苦笑すると、エステルは首を横に振った。
「ううん。それも少し違うと思う。グレンは忘れていただけだよ。あるいは、見失っていたって言ってもいいかもしれないけど。これまでがこれまでだったからね」
「これまで……?」
よくわからないと首を傾げれば、エステルは静かな口調で指摘した。
「だって、グレンはエドワードたちに認めてもらいたかったでしょう?」
「……」
「仲間なら、認めてもらいたいって思うのが当たり前だもの。だけど、結局、それは叶わなかった。だから、いつの間にか強くなる理由がすり替わってしまった」
思い当たるふしは――あった。
最後はあんなことになったけれど、最初から向こうには打算しかなかったのかもしれないけれど、少なくとも、出会ったときの僕にとって彼らは仲間だった。
だから当然、認めてもらいたいと思っていた。
だけど、それはかなわなかった。
だから、僕の冒険者人生は、ずっと認められない努力だけだった。
頑張った。
何度となく死にかけながら、頑張ったのだ。
だからなのだ。
「いつの間にか、認められるために力を求めるようになってしまっていた……?」
自分がただそれだけだったのは、そのせいか。
実際、そう考えてみれば、タマモに負担をかけてしまったと知ったときに、あれほど焦ったのも納得がいくのだった。
「エドワードたちのときみたいに、タマモに失望されるのを無意識に恐れていたってことか」
口に出してしまえば、その事実はしっくりと納得できた。
エステルがうなずきを返してくる。
「仲間に失望されるのは誰でも嫌なものだけど、グレンの場合は特殊だから。それが『万魔の王』に対するコンプレックスにつながったのは、ごくごく自然な成り行きだとは思うよ。だけど、だからといって、グレンが自分のことを卑下することはないんだよ」
歴史上の偉人や天才よりも劣っているからといって、自分を駄目なやつだと思うことはない。
むしろ、そんなふうに思うほうが変なのだ。
そんな自分を、いまの僕は冷静に見つめなおせた。
そうできるくらいに、自分を取り戻せていた。
思っていた以上に、エドワードたちの影響は大きかったらしい。
まあでも、当然といえば当然か。
12歳から、この歳になるまでの5年間。
10代の大半だ。
思い返しても長い時間だった。
その影響が小さいはずがない。
エステルが不機嫌そうにコップを指で弾いた。
「まあ、つまりはエドワードたちが全部悪いってことなんだけど。ああ。グレンがぶっ飛ばしてくれたけど、私も一発殴っとけばよかった。そもそも、殴られたの私だし。いまからでも間に合わないかな」
「いまはもうあいつらは留置場だよ。殴るまでもなく、もう終わってる……」
言いかけて、ふと気付いた。
「そうだ。もう終わったことなんだよな」
確かに、彼らの影響は大きい。
ただ、気付いたからには、抜け出すこともできる。
いまから思えば、僕はちゃんと自分に向き合って、これまでの過去を乗り越えなくちゃいけなかったんだろう。
なんだかひどくスッキリした気分だった。
このとき、本当の意味で僕は、前のパーティでのことを吹っ切れたのかもしれない。
とはいえ、もちろん、わかっている。
なにもかもがこれからだ。
結局のところ、まだ僕はアレクシスさんに言われた『なにを望むのか』という答えさえ持ち合わせていない。
ただ、それもきっと大丈夫だろうと思えた。
「なに?」
視線に気付いたのか、エステルが首を傾げる。
ずっと一緒にいてくれる幼なじみ。
意外と早く、大事なものは見つかる気がした。
「ありがとう、エステル」