15話 幼なじみの距離はゼロになる
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「僕はさ、もっと強くならなくちゃって思ってたんだ。確かに、僕は少しばかり強くなった。だけど、そんなのじゃまるで足りてない。『万魔の王』の力があるはずなのに、僕はその力の大半を使えずにいる。おかげで、タマモに負担をかけてしまっていた。それに気付いてもやれなかった。だから、せめてもっと頑張らなくちゃって思ってた」
「グレンは頑張ってたよ」
エステルが言う。
僕も、そこを否定するつもりはなかった。
……だからこそ、こうも打ちひしがれもしたのだから。
「うん。だけど、僕はそれだけだったんだよ」
ただ、力を求めているだけ。
自分はそれだけだと気付いてしまった。
いうなれば、目的の不在。
なんのために、なにを求めて、その努力を重ねるのか。
あるいは、それこそが本物と偽物との違いなのかもしれないけれど。
「それじゃ、ダメだ。芯のところを欠いたままじゃ、いくら頑張ったって足りないままだ」
自分がどうしてダメなのかわかってしまったのだ。
愕然ともするってものだった。
「アレクシスさんは、そんな僕の姿勢を貪欲だって評価してくれたんだけどさ。それは違う。僕は知っているだけだ。弱体化してなおあれだけの力を持つ、滅びの獣の一柱タマモ――その彼女を従えていた『万魔の王』は、とんでもない存在だったはずだ。僕はそこにまったく届いてない。足りてない。そう知っているだけなんだよ」
アレクシスさんは、そこのところを知らないから見誤った。
以前の僕のことを評価してくれていたっていうのは……多分、なにかの間違いだろう。
だからどうしても、思ってしまうのだ。
「早く『万魔の王』の記憶を思い出せればいいのに……」
そもそも、どうして僕はなかなか記憶を思い出せないのか。
……思い出すことさえ、できないのか。
落ち込んでいるときというのは悪いもので、どんどん思考がネガティブになるのがわかる。
わかっていてもとめられない。
そんな僕の言葉を最後まで聞き届けてくれたエステルは、静かな声で言った。
「確かに。私も、グレンは思い出したほうがいいと思う」
エステルもそう思うらしい。
僕はため息をついた。
「だけど、その方法がわからないんだよ」
「ううん。大丈夫だよ」
「……え?」
思いもよらない、否定の言葉。
虚を突かれたところに、ポンと肩を叩かれる。
なにかと思って顔を向けた。
その瞬間、僕はまるで無防備だっただろう。
エステルの端整な顔が目の前にあった。
「――」
気付いたときには、彼女にキスされていた。
***
思考がとまった。
時間さえもとめられてしまったかのようだった。
羽のように軽い、けれど、確かな柔らかさ。
それだけが世界のすべてになる。
もっとも、実際に唇が重なっていた時間は、ほんの一瞬だっただろう。
エステルが離れていっても、数秒、僕は呆然としていた。
いま、なにが……?
我に返った。
「エ、エステル!? なにをして……というか、こんなところで!」
赤くなるよりむしろ、血の気がひいた。
この世界で男女の関係はありえない。
恋人もだ。
あるとすれば、女神の定め人だけれど、あれは雄分類同士、雌分類同士の関係だ。
雄分類と雌分類が口付けをしていたなんて異常な光景、見られてしまえば非常にまずいことになる。
そんなこと、純粋なこの世界の住人であるエステルは重々承知のはずで。
だというのに、彼女は平静な顔をしていた。
「大丈夫。誰も見てないから」
「それは……そうだけど」
テントには人はまばらだし、残っている者は自分たちのテーブルで盛り上がっている。
見ている人なんて誰もいないし、そもそも、この暗がりでほんの一瞬のことだ。
そのへんは、ちゃんと確認したうえでのことだったらしい。
「いや。だけど、問題はそこじゃないだろ。なんで、キ……こんなことを」
思わず唇を手の甲でこすった。
押し付けられた甘い感触は消えてくれなかった。
恋人同士の行為が見られていないから大丈夫とか、そういう話以前に、僕たちは恋人同士じゃない。
そもそも、エステルは恋人なんて概念を知らないはずなのに……。
混乱する僕に、エステルが答えた。
「前にタマモさんがしてるのを見たから」
「あ」
そういえば……見られていたんだったか。
エステルは異性間のキスという行為を知っているのだ。
いやでも、どうしてこのタイミングで?
「あのとき、グレンは『万魔の王』のことを少し思い出したんでしょ。だから、私も同じことをしたの」
「そんな理由で……?」
呆然としてから、ハッとした。
エステルはキスの行為は知っていても、その意味までは知らない。
だから、キス自体が記憶を取り戻すための行動だと思ったとしてもおかしくないのだ。
「あのさ。エステル。別に、誰彼かまわずキスすれば『万魔の王』の記憶を思い出すってわけじゃなくってね……」
エステルは勘違いをしている。
僕はそう思ったし、実際、勘違いをしているところもあった。
ただし――それは、僕が思っていたのとは、少し違っていたのだけれど。
「なに言ってるの、グレン。私が思い出してほしかったのは『万魔の王』のことじゃないよ」
「……え?」
思わぬ言葉に動きをとめた僕に、きょとんとした声でエステルは言う。
「当たり前でしょ。私はタマモさんじゃないし。『万魔の王』なんて知らないんだから」
「それは……」
……確かに、そうだ。
たとえどんな勘違いをしていたとしても、エステルのキスで『万魔の王』の記憶が戻るという結論にはならない。
だけど、じゃあ、なんで?
疑問の視線を受けとめて――エステルは、答えたのだ。
「私が思い出してほしかったのはグレンのことだよ」