5話 獣の報酬
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「……そういえば、前から気になってたんだけど」
「なに、エステル?」
「ふたりはそもそも、どうして――」
なにか言いかけて、エステルは口をつぐんだ。
「エステル?」
僕が疑問に思って名前を呼ぶ。
なぜかエステルが、少し焦ったような表情になっていたからだ。
「……ううん。なんでもない」
そういうと、エステルは立ち上がった。
「私、少し出てくるから」
そのままとめる間もなく、部屋を出ていってしまう。
残された僕は首を傾げた。
「なんだったんだろ」
エステルは物静かな容姿のわりに、言いたいことはすぐ口にする。
言いよどむなんて、そんな彼女にしては珍しい。
僕たちが、そもそも……?
そもそも、なんだろうか?
「うーん」
心当たりは、ない。
……ないのだけれど。
なぜだか妙に、気になった。
「……」
部屋を出ていく前の、彼女の顔。
あれは……。
まるでなにか訊いてはいけないことを訊いてしまいかけたような……。
「主様?」
ハッと我に返った。
ひょいっとタマモが顔を覗き込んできていた。
いけない。
ぼうっとしていたらしい。
答えの出ないことをいつまでも考えていても仕方ない。
打ち切って、僕は首を傾げてみせた。
「なに?」
「いえ。久しぶりに、ふたりきりだなと思いまして」
大きな尻尾が揺れていた。
いかにも嬉しそうな顔をしている。
「言われてみれば……そうだね」
基本的に僕たちは3人で行動している。
短い時間は別にして、ふたりきりというのは出会ったとき以来、これが初めてだ。
まあ、厳密には逆鉾の君はいるのだけれど、ほとんど抜け殻なのは前に聞いた通りだ。
タマモもカウントしていないんだろう。
「せっかくなので、少しお話をいたしませんか」
「いいけど」
断る理由はない。
「それじゃあ、お茶を用意しますね」
お茶は迷宮でタマモが準備してきたもので、煮沸殺菌して容器に入れてある。
温かいほうがおいしいけれど、冷めてもそれなりだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
コップを手渡してくると、タマモはベッドに座った僕のすぐ隣に腰を降ろしてきた。
ぴったりと、隙間もないくらいの距離感だ。
なんだかいい匂いがする。
慣れたエステルとは少し違う、タマモの匂いだ。
少しドキドキする。
「……なんだか近くない?」
問いかけると、タマモはニッコリ流して、逆に口を開いた。
「契約の話」
「うん?」
「契約の話を覚えていらっしゃいますか?」
もちろん、覚えていた。
滅びの獣は、僕と契約を交わしている。
もっとも、契約を交わしたのは万魔の王であって、その記憶は僕にはないけれど。
「主従関係にある私は、主様に忠誠を誓っております」
「うん。そうみたいだね」
「それは無償の忠誠であり、我らの誉れです。――が、それはそれとして、主様は報酬も設定されておりました」
「……そうなの?」
初めて聞く話だった。
ただ、考えてもみれば当たり前の話ではあった。
いまの僕は彼女を従者というより仲間として見ているけれど、いろいろとお世話になっていることには違いない。
それに報いるのはやぶさかではなかった。
「それで、報酬って? いまの僕にできることならいいんだけど」
「魔力です。主様の魔力は特別ですから」
魔力。
僕の魔力は、魔を引き寄せる特殊な性質を持っている。
引き寄せられる側からすれば、魅力的に感じてもおかしくない……のだろうか?
「どうすればいいの?」
「簡単なことです」
タマモが微笑みを広げた。
どことなく、艶めいた笑み。
「くちづけをいただければ」
「くちづけって……ええっ」
思わず視線を、彼女の唇に向けてしまった。
淡く色づいた少女の唇。
一度、出会ったときに交わしたくちづけの感触は、いまでも鮮明に思い出せた。
魔力の供給。
そういえば、あのとき突然キスしてきたのも、そのあたりが理由だったのなら頷ける。
……そう納得をしかけて、ふと気付いた。
「でも、タマモ。滅びの獣には兄様もいるって言ってなかったっけ?」
「おっと。気付かれてしまいましたか」
「タマモ?」
「てへぺろ」
舌を出して、茶目っけのある表情。
かわいい。
「いや誤魔化されないけどね」
「あは。冗談です。冗談。ただ、本当のことでもあるのですよ。魔力は我らにとって報酬になりますし、なかでもくちづけは最高の受け渡し手段のひとつですもの」
「それは嘘じゃない……ってことは、まだ言っていないことがある?」
「はい。こうしてふれているだけでも、魔力はいただけますので」
なるほど。
それで、さっきからくっついてきてるってことか。
「あとは、意識的に魔力を流していただくって手もありますね」
「そっちのほうが効率は良さそうだね」
「はい。手をつなぐだけでいいですから。ですが……」
「タマモ?」
「可能でしたら、いまはしばし、このように寄り添わせていただければと思います」
そういうと、タマモは少し体重を預けてきた。
「お嫌ですか?」
「……そんなことは」
彼女のことは仲間と思っているし、好感も持っている。
どうしてもドキドキしてしまうのはちょっと困るけれど、やわらかくて軽い体の感触は不快とは正反対のものだ。
むしろ僕が気になったのは別のことだった。
「……」
ふたり並んでお茶を飲みつつ、隣のタマモの様子をうかがう。
長いまつげの目を閉じて、口もとには柔らかな笑み。
とてもリラックスしている様子だった。
初めて見る彼女の姿だった。
逆に言えば――普段はそうじゃないということで。
それで気付いた。
「タマモ、ちょっと疲れてる?」