4話 現れた少女
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「ここは……」
気付くと、そこは必死でオーガから逃げ回っていた通路ではなかった。
広い部屋だ。
壁面なんかの周囲の様子から察するに、どうやらまだ自分たちは未踏領域内にいるらしい。
「……転移の罠で飛ばされた?」
抱き締めたままのエステルを除いては、近くに何者の気配もなかった。
モンスターはいない。
あのオーガもだ。
どうやら別の場所に飛ばされたらしかった。
「生きのびた……?」
口にしたことで、ようやく事実を認識できた。
気が抜ける。
途端に、死に物狂いの戦いで忘れていた激痛が左腕を昇ってきた。
「……ぐっ、あぁあ」
痛みの原因に一瞬だけ目を落とす。
……見なければよかった。
魔法を暴発させた左腕は壊れていた。
特に起点にした手がまずい。
もっとも、あのレベルの魔法の暴走を起こしたときには、大抵は人間爆弾になるから、それを考えればまだマシというべきなのだろうけれど……。
魔法の暴走寸前の魔法を必死で練習し、傷だらけになりながら実戦で使い続けてきた甲斐があった――とでもいうべきだろうか?
「おかげで、生きのびられたわけだしね……」
自分もそうだが、彼女のことだった。
「エステル」
ほっと息をついて、腕のなかの少女の体を抱き締めた。
「良かった……」
自分自身のことよりむしろ、エステルが殺されてしまわなかったことに胸を撫で下ろした。
「本当に……本当に、良かった」
しばらくそうしていてから、僕は改めて動き出した。
といっても、エステルが目を覚まさないことには、下手に動けない。
抱えていた彼女を床に寝かせて、様子を見ることにする。
「目は覚まさないか」
頬に触れてみるが、気付いた彼女が意識を取り戻す様子はない。
頭からの出血が顔のほうに垂れていた。
ずいぶんと容赦なく殴られたらしい。
「あの野郎」
エドワードの顔が脳裏に思い浮かんだ。
当然のことだけれど、あれは明確な犯罪行為だ。
迷宮での他の冒険者への攻撃、それも相手が死ぬことがわかっていた場合、非常に重い罪に問われる。
それくらい絶対に許されない行為だということだ。
一瞬、怒りが頭を埋め尽くした。
だけど、その怒りをとめたのもまた、傷付いたエステルの存在だった。
「……落ち着け。いまはそんなことを考えてる場合じゃない」
なにせふたりだけでダンジョン中層から抜け出さなければいけないのだ。
冷静にならないといけなかった。
「絶対に守るから」
オーガに追い詰められたときに湧き上がった強い想いは、いまも胸で燃えていた。
エステルの頬に触れていた手を離すと、次の行動を起こすために立ち上がる。
そのときだった。
「――ッ!?」
僕は息を呑んだ。
自分たち以外に誰もいないはずの広間に、何者かの気配を感じたからだ。
「誰だ!」
振り返った。
そして、僕は唖然とすることになったのだ。
「なんだこれ」
そこにあったのは、僕の背丈を超えるような大岩だった。
石造りの構造物が続く『封魔の迷宮』の中層では、明らかに異質なシロモノだった。
それも、ただの大岩ではない。
ぐるりと一周、捻じれた太い縄が回されていて、おまけに縄からは白い紙のようなものが折りたたまれて吊り下がっている。
どこか厳かで神々しい。
なんらかの儀式に使うための斎場のたぐいだろうか。
いや。だとしても、なぜ迷宮の奥にこんなものが?
自分たちはどこに飛ばされてしまったんだ?
不思議なのは、それだけじゃなかった。
「あれ? なんだかこれ……」
大岩に視線を奪われる。
「……懐かしい?」
それは奇妙な感覚だった。
胸が温かくなり、ぎゅっと締め付けられるような。
まるで古い友人にでも出会ったかのように。
「いやでも。そんな馬鹿な」
もちろん、こんな奇妙な岩を見たのは初めてのことだ。
懐かしさなんて感じる道理がない。
けれど、胸に生まれた気持ちは否定しようがなかった。
「……」
気付くと、手を伸ばしていた。
言葉にできない予感があった。
引き寄せられるように。
白っぽい石の表面に、指先が触れようとして……。
その寸前のことだった。
「――ッ!? これって!?」
不可思議な感覚が遠ざかった。
代わりに、背筋が凍るような悪寒を覚えた。
ハッと我に返った僕は、慌てて振り返った。
広間に通じるいくつかの通路のひとつ。
いままさに広間に入ってきたオーガの巨体が目に映った。
「そんな……っ!?」
悪夢のような光景に血の気がひいた。
間違いない、先程のオーガだ。
手にした棍棒の一部、僕が魔法をぶつけたところが、少し削れているからわかる。
最悪だ。
こちらの存在に気付き、オーガの目に凶悪な殺意が宿った。
「ガァアァアアアアア――ッ!」
「……ッ」
上位存在による強烈なプレッシャーが背筋を凍らせた。
目の前が真っ暗になりそうになる。
もともと、勝てるわけのない相手だ。
先程の交戦でこちらは傷付いている。
意識を失ってしまったエステルは、まだ目を覚まさない。
覚ましたところで、僕とふたりだけではオーガは倒せない。
このままでは、まとめて殺されてしまう。
……そんなこと、受け入れられるわけがなかった。
がり、と強く奥歯を噛んだ。
意識がはっきりとピントを結ぶ。
「やらせるか!」
胸に生まれた強い感情のままに、僕は叫んだ。
そうすることでプレッシャーを呑み込んで、杖を握り直した。
怯えちゃいけない。
エステルを戦いに巻き込まないように、むしろこちらから前に出た。
「殺させない。殺させるもんか。こうなったら、刺し違えてでも……!」
最大威力の過剰魔法を、顔面に撃ち込んでやる。
制御をすべて手放す一撃で、今度こそ僕は粉々になるだろう。
けれど、オーガも大きなダメージを受けるはずだ。
それでせめて視界を奪うことができれば、事実上オーガを無力化できる。
エステルだけでも生き残れるかもしれない。
「来い!」
覚悟を決めて、魔力を高めた。
目の前のオーガに比べれば、ちっぽけな魔力だ。
けれど、そこに決死の想いを込めて、目の前の敵を見据えた。
――あとから考えてみれば。
それこそが、呼び水だったのかもしれない。
彼女たちは、その契約を忘れていなかったから。
決死の覚悟を呼び水にして、激流は呼び寄せられる。
「……え?」
ピシリ、と。
なにかにひびが入る音がした。
すぐそばだ。
突然のことに、警戒を最大限に高めていた僕は、反射的に視線を音のするほうに向けた。
そこにあったのは、例の巨大な謎の大岩だ。
次の瞬間、ひびが入ったその岩が、音を立てて砕け散った。
「な……っ!?」
言葉もない。
まるで内側から弾け飛ぶみたいな光景だった。
そして、多分、その印象は間違ってない。
なぜなら、砕けた岩の内側にいた彼女と目が合ったからだ。
「――」
それは、ひとりの少女――に、見えた。
華やかな印象の美しい顔立ち。
色素の薄い肩ほどまでの髪と、ぴんと立った三角形の獣耳。
雌分類として出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、抜群のプロポーション。
単衣を帯でとめた独特の装束の裾からは、大きな尻尾が3本伸びている。
琥珀色の瞳が、こちらを見詰めていた。
そのひたむきな眼差しに、まるで吸い込まれるように感じて僕は息を呑んだ。
◆もうひとりのヒロインの登場です!