18話 甘味の衝撃
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「よろしければ、マリナさん、こちらはいかがですか」
タマモが取り出したビンのなかには、ドロドロした赤色のモノが詰まっていた。
「先程の木の実とは違う種類のものですが、似たような実を加工したものです」
「え? ……なんかすっごい変な色してるけど」
「ジャムと言います。まあ、お砂糖がないのでただ果物を煮詰めただけなんですけども」
ビン詰めにして煮沸殺菌してあるので日持ちもする。
現状、狩猟採集生活で大事な保存食のひとつだった。
「これは私の故郷に伝わっているモノでして」
もう全部故郷の品で押し通すことにしたらしい。
普通ならどこかでボロが出そうなものだけれど、タマモに限ってそれはないだろう。
「これしかないので、ひと口ずつですが。主様とエステルさんも食べますよね」
「食べる」
喰い気味にエステルが即答した。
彼女はもうジャムを食べたことがある。
ちなみに、ここ数日口にしてきたなかでは、数少ない好みの食べ物だった。
心なし、普段は無表情な目が輝いているように見える。
甘味にひかれるあたり、やっぱりエステルも女の子ということだろう。
僕はそこまで好きというわけじゃないけれど、自分が遠慮するとタマモが悲しそうな顔をするのは知っているので、もらうことにする。
「グ、グレンくんたちも食べるんだ……?」
さすがのマリナさんも、この世界基準での見た目の不気味さに少し躊躇したようだった。
けれど、好奇心が負けたのか、はたまた、ただの食いしん坊なのか、僕たちが食べる様子なのを見ると、タマモからスプーンを受け取った。
「マ、マリナ。やめたほうが……」
メリナさんはとめようとしつつも、もらいものということで僕たちに気をつかっているのか、少し歯切れが悪い。
まあ、他に食べてる人間がいる前で、そんな気色悪いもの捨てなさいとはさすがに言えないだろう。
「うー……えいっ!」
「あ!」
そうこうするうち、僕たちが食べるのを見たマリナさんは、思い切ったようにジャムもどきを口にしてしまう。
途端、その目が見開かれた。
「わっ! なにこれ!?」
「甘いでしょう。あの木の実に比べれば格段に」
驚く彼女に、タマモが笑いかけた。
まあ、驚くのも無理ない。
この世界、甘みといえば普通ドライミールをかじったときに感じるかすかなものくらいなのだ。
甘み控えめとはいえ、木の実の甘さが濃縮されたジャムは衝撃的だろう。
マリナさんの目はキラキラしていた。
「く、口のなかが幸せに……これは、なにかのお宝のたぐい!?」
「まあ、確かに女の子、もとい雌分類にとっては、幸せをもたらすモノではありますけれど」
「そんな貴重なものを……! ありがとう、タマモさん!」
「いえいえ。みなさんには、これからお世話になりますもの。これくらい、どうってことありません」
あ。なるほど。
そんなふたりのやりとりを見ていて、僕はようやくタマモの意図に気付いた。
さっきからなにを考えているのかと思っていたけれど。
どうやらタマモは、味方を作ろうとしているらしい。
多分、原因はバッカスさんあたりか。
僕を気に入らない様子だった彼を見て、手を打っておく必要を感じたんだろう。
まあ、そんなふうに考えてしまうと打算的な感じがあるけれど、一緒に仕事をする相手と仲良くなっておこうというのは普通のことだ。
むしろ褒められるべきことだろう。
実際、効果は抜群だった。
「メリナも食べてみなよ。見た目不気味だけど、これは食べないと損! 食べないとかありえない! メリナの今後を左右すると思う! さあさあさあさあ!」
「ちょ、ちょっと待ってください! 本当にこれ大丈夫なんですか!? 危ないおクスリとか入ってません!?」
抵抗していたメリナさんが、興奮したマリナさんの手でさじを口に突っ込まれて目を白黒させている。
どうやらお口にはあったようで「んー!」と悲鳴のような歓声のような声をあげていた。
おしとやかな彼女がビックリするくらいに、やっぱり甘味というのは強烈な体験だったようだ。
タマモはくすくすと笑い、エステルもほおをゆるめている。
良い雰囲気だ。
今回の探索は、僕たちが銀級冒険者に昇格し、アレクシスさんの依頼に同行できるようになって、まだ再会できていない滅びの獣たちにつながるかもしれない情報に手を届かせるためのものだったけれど……。
それ以外にも、思わぬ収穫があったかもしれない。
もっとも、マリナさんがこの世界の住人がまずやらない木の実を食べるようなことをしなければ、こんな展開にはならなかっただろう。
そこのところは幸運だった。
確か『パキパキの実』とかなんとか。
ネーミングセンス的にはどうかと思うけど。
「……ん?」
そこで、ふと気付いた。
「そういえば、マリナさん。ちょっと質問いいですか」
「なぁに?」
「さっき、あの実のことをパキパキの実って呼んでましたけど、名前があるんですか?」
少なくとも、この世界で木の実に名前が付いているのを聞いたことはない。
もっとも、王都では木の実自体が上級冒険者でないと来れないこの場所でしか取れないので、僕が知らないだけかもしれないけれど。
マリナさんは頷いた。
「えーっと。正式な名称とかじゃないんだけど。だからといって私のオリジナルってわけでもなくて。この名前は知り合いが付けたんだよ。学者さんをしててね、変わり者で有名だったんだけど」
「学者さん、ですか」
珍しい知り合いがいるものだ。
この世界、女神の神託に従って8割の人間は冒険者になるけれど、残りの2割は他の職についている。
僕がよく接する人たちでいえば、組合の職員なんかがそうだ。
なかでも学者というのはかなり珍しい職業だ。
「いろいろ研究してたんだけど、私が知ってるのは『迷宮内で魔石以外にも人間の食糧になるものがあるんじゃないか』ってやつ」
「へえ。面白いですね」
ちょっと興味を惹かれる。
うまくすれば、いまのところ異常者扱いを受けかねない料理を、この世界に普及させる手掛かりになったりするんじゃないだろうか。
もう少し聞いてみるのもいいかもしれない。
そう思ったところで――ふと、視界の端でタマモが笑みを消したのを見た。