3話 不意の遭遇
3
少し休んだあと、探索を再開した。
もともと、僕は斥候役としてパーティの先頭を行くことが多い。
さっきやり合ったのもあって、エステルはエドワードたちと一緒にいるのを嫌って、僕と一緒にいた。
「にしても、エドワードのやつ『未踏領域』の情報なんて、よく見付けてきたよね」
言いながら、エステルが緑色をしたスティックを囓った。
これは、『ドライミール』という名前の食べ物で、冒険者の乾燥携帯食だ。
味はともかく、栄養価は高くて安価。
おなかは膨れる。
「未踏領域の情報、エドワードは知り合いから買ったって話だったっけ?」
「そうそう。わたしたちに無断で、パーティの共有資産を持ち出して」
「うーん。割に合えばいいとは思うんだけどね」
「割に合えば、でしょ」
僕たちがいるサカンディア王国の王都には、三つの巨大なダンジョンが存在する。
そのなかでも、最近僕たちが挑戦しているダンジョンが『魔封の迷宮』だ。
ダンジョンは大雑把に上層・中層・下層と分けられており、それぞれ下級・中堅・上級冒険者の探索領域とされている。
そして、中堅冒険者には、上位の銀級冒険者と下位の鋼鉄級冒険者がいる。
僕たちは鋼鉄級冒険者のパーティだ。
まあ、石を投げれば当たる程度の、ごく一般的な冒険者と言っていい。
ちなみに、さらに上の冒険者である黄金級冒険者とまではいかずとも、銀級冒険者ともなればある程度の尊敬も勝ち得るので、エドワードたちのような上昇志向の高い人間にしてみれば、もうひとつ級位を上げたいと焦りもするのかもしれない。
ともあれ、そんな僕たちの挑戦する『魔封の迷宮』の中層は、長い歴史のうちにマッピングが終わっている。
しかし、ごくまれに新しい通路が見付かることがある。
それが未踏領域だ。
マッピングが終わっているダンジョンでも見付かるため、ダンジョンが新しく生み出しているのではないかとも言われている。
「早めに情報を手に入れられれば、大きな利益を得ることも夢じゃない……って、組合のミーシャさんも言ってたけど。よくわからないよね、わたしたち初めて行くし。一応、いろいろ調べてはきたけどさ」
冒険者組合の受付係のミーシャさんは、猫人族の雌分類だ。
エステルとはそこそこ仲が良く、僕もお世話になっている。
「ミーシャさんは、グレンが一緒なら問題はないだろうって言ってたけど。エドワードが持ってきた未踏領域のことも聞いたことはあるってさ。見付かってから1ヶ月も経ってないだろうって言ってたよ」
「となると、見付かるまでにラグがあるとして、生成されたのはせいぜい、ここ1年くらいか。若い領域だから、罠とか残ってるかもしれない。気を付けないと」
情報が十分ではないということは相応の危険もあるが、リターンもある。
たとえば、独自のモンスターから有用な資源が得られれば、市場に出回っていないために高く売れることになる。
そうして得た資金で武具を更新できれば、冒険者として上にのし上がっていくための足がかりになる。
というのが、情報を持ってきたエドワードの思惑だろう。
僕としては、さっきエステルと話をした通りパーティを解散するなら、そのあとの当面の生活費になることを期待したいところだ。
エステルには、なるべく苦労はかけたくない。
それでもあくまで、探索は慎重に。
石造りの広い通路を僕たちは進んでいった。
その先に待つものを知らないままに。
***
「これは……」
最初に気付いたのは、僕だった。
本職の斥候のいないこのパーティで、敵の奇襲を感知するのは僕の仕事だ。
なぜだかモンスターのターゲットにされることが異常に多いために、五感に加えて魔法的第六感を含めた感知能力を上げなければ、生き残れなかったからだ。
気付いた瞬間、背筋があわ立った。
なにか来る。
とても危険ななにかが。
「……まずいぞ、みんな。逃げろ!」
僕は警告をあげると、即座に来た方向に走り出した。
しかし、まともに反応したのはエステルだけだった。
少し離れてうしろを歩いていたマーヴィンとカークが、馬鹿でも見るような目を向けてくる。
「は? なに言ってんだ」
「おい、どこに行く!」
当然、ふたりが逃げ出すことはない。
それどころか進路をふさいできて、おかげで僕とエステルも逃げる足をとめる羽目になった。
「なにをしているんです。指示を出すのはわたしの仕事ですよ」
いらいらと眉を寄せて、エドワードが言った。
丁寧な物腰の割にプライドの高いところがあるので、僕が指示を出したのが気に入らなかったんだろう。
「さっきから、あなたたちふたりは……」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ!」
僕は声を抑えて叫び返した。
「なんかヤバいのが来る! すぐに逃げ出さないと!」
「ヤバいの……?」
反応がにぶい。
危機感がなさ過ぎだ。
普段ならいいけれど、非常事態の対応としてはまずい。
もしかすると、すべてのミスを僕のせいにしてきた彼らは、ダンジョン探索の緊張感を失っていたのかもしれない。
どうにかわからせようと、僕は口を開いた。
遅かった。
「あ……」
通路の角を曲がって、それが姿を現したのだ。
「あれは、まさか……オーガ?」
震える声でマーヴィンが言った。
あれだけいつも偉そうにしているくせに、声が恐怖で引きつっていた。
だけど、それを指摘するような余裕はなかった。
目の前に現れたのは、体高3メートル以上あるだろう鬼だった。
人ではありえない大きな体は鎧のような筋肉に覆われていて、なにより感じる魔力はオークなどとは比べものにならない。
こちらを見下ろしてくるその姿に怖気が走る。
「ありえない……」
オーガは本来なら、下層に生息するモンスターだ。
上級冒険者である黄金級冒険者が相手にするようなモンスターであり、中堅冒険者クラスだと、徒党を組んだ銀級冒険者でさえ勝つのは難しい。
鋼鉄級冒険者の僕たちが敵うような相手ではなかった。
「グォオオオオオオオオ――ッ!」
「……!?」
殺意のこもった咆哮が肌を震えさせ、その場の全員の血の気を引かせる。
「お、おい。待てよ。いくら未踏領域って言っても、こんなの聞いたことねえぞ」
マーヴィンが慌てふためいた声を出した。
「に、逃げねえと」
「……今更、逃げられない。この距離だと、背中から襲いかかられて終わりだよ」
そう返して、僕は状況の悪さに歯噛みした。
どうせ逃げるなら、僕が警告をしてすぐでなければいけなかったのだ。
少なくとも、冒険者として身体能力に優れているわけではない魔法使いのエステルと神官エドワード、防具が重く動きがにぶい重戦士のマーヴィンあたりは逃げられない。
彼らがやられているうちに、僕とカークあたりは逃げられるかもしれないけれど、それでは意味がなかった。
みんなで生き残るためには――
「――陣形を整えるんだッ!」
黙り込んだままのエドワードの代わりに、とっさに僕は指示を出した。
そして、恐怖を噛み殺して前に出た。
逃げられない以上は、戦って生きる道を探るしかない。
陣形さえ整えれば、勝つことはできなくても、多少の抵抗はできるはずだ。
その間に、うまく足を傷付けることができれば、逃げられる目も出てくるかもしれない。
「早く! 僕がおとり役をやっているうちに!」
死んでしまう可能性が一番高いのは自分だという自覚はあった。
けれど、みんなが生き残れる可能性があるのはこれしかない。
僕は覚悟を決めて地面を蹴り、戦いの準備ができたかどうか仲間たちへと視線を巡らせた。
「……え?」
そして、凍り付いた。
視界に入ってきたのは、頭を殴られて昏倒するエステルの姿だったのだ。
***
一瞬、完全に思考が停止した。
気を失ってしまったのか、エステルはぐったりと倒れ伏していた。
ありえないことだった。
盾役であるマーヴィンのうしろにいるのだから、彼女が最初にやられるわけがないのだ。
だから僕もおとりとして前に出たのだから。
なのに、彼女がやられた理由。
「……」
彼女を殴り倒した杖を振り下ろしたまま、神官のエドワードが冷たい目で彼女を見下ろしていた。
「な、なにをして……!?」
さすがのマーヴィンも、これには驚いたようだ。
だが、視線を向けられたエドワードは平然と言った。
「いまのうちに逃げますよ」
……なんだって?
「これでわたしたちは逃げられます。必要な犠牲です」
「……あ」
それで、理解した。
自分だって、さっき思ったことだった。
全員で逃げ出した場合、足の遅いメンバーがやられているうちに、僕とカークあたりは逃げられるかもしれない、と。
それでは意味がないと僕は思った。
エドワードは、そう思わなかった。
むしろ逆の発想をしたのだ。
だからエステルを殴り倒した。
そうすれば、彼女を庇って自動的に僕もおとりになることも見越してのことだろう。
ふたりが生贄になれば、他の3人は逃げ延びられる可能性が相当に高くなる。
いいや。それだけじゃない。
「それに、これはちょうどいい機会です。昨夜、話をしていたじゃないですか」
なにを言っているのか、普通ならわからないところだ。
けれど、僕には理解ができた。
昨日、僕もその話の一部を聞いていたからだ。
――あの期待外れのお荷物をどうにかしろ!
あれから、どんな話になったのかはもちろんわからない。
普通に考えれば、こんなのはただの愚痴だろうし、昨日は僕もそう思った。
だけど、ひょっとしたら……。
僕たちをパーティから追い出す良い機会として、こんなシチュエーションを思い描いていたとしたら……。
真っ先にマーヴィンが走り出した。
エドワードと脚を揃えるようにして、カークも駆け出した。
3人揃って逃げていく。
倒れたエステルをそのままにして。
「エドワード! お前ぇええええええええ!」
ありえない。
これだけはあってはならないことだった。
確かに自分たちの関係は、破綻寸前にあった。
けれど、迷宮に潜っている以上、そこでは最低限のルールというものがある。
たとえ嫌い合っている長耳種と短躯種であっても、迷宮では背中を預け合う。
それが冒険者として、最低限の倫理観だ。
それが、助け合うどころか、仲間を殴り付けてまで逃げるなんて。
「くそっ、エステル!」
即座に足をとめて、来た道を戻った。
けれど、飛び出してしまっていたぶんのロスが大きい。
うしろからオーガの足音が追い掛けてくる。
「……ぐっ」
エステルの小柄な体を抱き上げて、すぐに駆け出した。
「くそぉ……!」
さすがに、彼女を抱えていては速度が出ない。
このままではすぐに追いつかれる。
だったら……。
「――我が手に宿り、狂え、火のかけら!」
振り返りざまに、オーガに魔法を叩き込んだ。
さっき治療したばかりの手が過剰魔法によって血を噴いたが、かまってなんていられない。
飛んできた魔法に、オーガが怯んだ。
ほとんどダメージはないが、魔法が使えるという事実を警戒したんだろう。
その隙に、僕は目に付いた通路の分岐に飛び込んだ。
これで、真っ直ぐ逃げたエドワードたちのほうに行ってくれれば……。
「ゴオォオオオオオ――ッ!」
「畜生!」
駄目だ。
咆哮が追ってきてる。
どうやら近いほうを選んだらしい。
それとも、モンスターを引き寄せる僕の特異体質のせいか。
とにかく、いまは足を動かすしかない。
「う、ぐ……っ」
走る。走る。走る。
走り続ける。
体力はあるつもりだったけれど、人ひとり抱えての全力疾走に、さすがに息が切れてくる。
心臓の音がうるさい。
「ぐ……っ」
咆哮が近い。
追い付かれる。
殺される。
僕も。
エステルも。
「……ッ」
その瞬間、さっき彼女と交わした言葉が脳裏によぎった。
――変なことを気にしないで。いいんだよ。グレンが一緒なら。
口にされた言葉。
その笑顔。
失わせるわけにはいかないもの。
――わたしはいつも、きみと一緒にいるからさ。
守るのだ。
そのためには。
「……ッ、この!」
それは、他のなにより激しい感情。
振り返る。
そこに、棍棒を振りかぶったオーガの姿が。
「我が手に宿り、猛り狂え!」
殺させてたまるものか!
覚悟を決めて、絶叫した。
「火のかけらぁああああ!」
魔力の暴走。
ぎりぎりの制御も投げ捨てた、完全な暴走。
ただし、わざとそうした。
突き出した左手が、オーガの振り下ろした棍棒とぶつかる寸前に爆発する。
「おおぉおおお!」
自分自身さえも巻き込んだ魔法が、下層のモンスターの一撃と正面から衝突する。
そして、その一撃を弾き飛ばした。
「うぐ……っ」
相殺した衝撃で吹き飛ばされる。
オーガも一歩下がり、よろめき膝を突いた。
どうにか、切り抜けたのだ。
だけど、安心している余裕なんてない。
ここからどうする?
どうすれば、生き残れる?
「――」
目まぐるしく思考が巡った。
だが、結論が出る前に事態が動いた。
次の瞬間、体が浮遊感に包まれたのだ。
「これ、は……?」
気付けば、足元に魔法陣が展開していた。
「まさか……!?」
ここは未踏領域。
エステルと交わした会話を思い出した。
――若い領域だから、罠とか残ってるかもしれない。気を付けないと。
気付いたときには遅かった。
「うわ……っ」
迷宮の罠のひとつである、転移の魔法が発動する。
退避なんてできるはずもない。
僕にできることは、腕のなかにあるエステルの体を抱き締めることしかなかった。
「うわぁあああ!?」
重力が消える。
どことも知れない場所に、運ばれていく。
そのとき、僕はなにかを聞いた気がした。
――やっと、見付けた。
それは、鈴を鳴らすような少女の囁きだった。
◆再会は次回です。