8話 この世界での食事事情
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「それよりも、主様とエステルさんは、あったかいうちに食べてしまってください」
「まあ、それもそうだね」
あとで話をするというなら、待っていればいいだろう。
そうこうするうち、肉が焼けてきた。
鍋で焼いたせいか、すごいくっつく。
苦労して剥がしたら、ボロボロになってしまった。
「しまった……」
これはひどい。
料理のある世界出身といっても、誰もが料理スキルを持っているとは限らないってことだ。
思い出していないだけかもしれないけれども。
まあ、やってしまったものは仕方ない。
「……ねえ、グレン」
と、焼けたぶんを苦労してはがしつつふたつの皿に分けていると、エステルが声をかけてきた。
なにかと思って見てみれば、彼女は口元を押さえていた。
「これ、食べるの?」
声が震えている。
整った顔が青ざめていた。
「え? エステル、どうかした?」
「なにかありましたか?」
タマモとふたりで首を傾げる。
皿の上を見てみるが、そこにあるのはただの焼いた肉だ。
香草がアクセントになっていて、食欲をそそるにおいがしている。
僕にとっては。
「あ。そっか」
そこで気付いた。
「エステルは、肉なんて食べたことないから」
「どういうことですか、主様?」
きょとんとするタマモに、僕は気付いたことを説明する。
「ええっと。聞いたことないかな。海産物の一部を食べ慣れない人たちが拒絶反応を示したりとかって。そのへんを思い浮かべてもらえればわかりやすいと思うんだけど」
「ああ、8本脚のアレとかですか。それは、聞いたことがありますけれど。でも、お肉ですよ?」
「基本、僕たちはこの世界で『ミール』と『ドライミール』しか口にしてきてないからね。緑色したビスケットみたいなのと、緑色をしたどろどろのコーンスープみたいなやつしか食べたことがないんだよ」
「私はそっちのほうが口にしたくないのですけれど……ああ、でも、そこはお互い様ということですか」
納得がいったらしく、調理を進める手はとめることなくタマモが言った。
「思い返してみれば、さっき私が肉を切っているときから、なんだかエステルさんは表情が硬いなと思っておりました。料理の概念がないこの世界では、単に死体を損壊させて弄んでいるようにしか見えないということですか」
僕たちの目には、エステルの反応はとても奇妙なものに見える。
けれど、僕たちだって――たとえば、なんの目的もなく生き物の死体の皮を剥ぎ、肉を切り裂いて、バラバラにしていくシーンを見れば、ひどい嫌悪感を覚えるんじゃないだろうか。
料理っていう目的があるから、見慣れているから、その光景は受け入れられる。
だけど、食材として見ることができなければ?
昨日のタマモの言葉じゃないけれど、この世界では『命をいただく』ことはない。
エステルの反応はいたって普通だ。
「つくづく、常識が違うのですねえ。とすると、ミンチなんて異常者の所業なのでしょうか」
「ミンチ……」
想像したのか、うっぷとエステルがえずいた。
とてもではないけれど、食欲があるようには見えなかった。
「エステル。無理はしなくてもいいんだよ。『ドライミール』ならあるんだし。なんなら、街に戻って『ミール』を食べてもいい」
前世の価値観を取り戻している僕としては、味気ないうえに食べ飽きている『ミール』よりは、タマモの用意してくれた料理のほうに食欲をそそられる。
だけど、それにエステルが付き合わなきゃいけないことはない。
そう思ったのだけれど、意外なことにエステルは首を横に振った。
「ううん。食べる」
「え。だけど……」
皿に手を伸ばしてくる彼女に、とまどう。
紫水晶の瞳が、訴えかけるように僕の目を見つめていた。
「これからグレンは、こういうの食べるんでしょ。タマモさんと」
エステルは皿を受け取ると、かたくなな顔で言った。
「だったら、私も同じがいい」
「エステル……」
どうやら意志は固いようだ。
無理をしているようにしか見えないけれど……。
だけど、確かにそうか。
ひとりだけ別というのは、さみしいものかもしれない。
いつも一緒だと、彼女は言ってくれるんだから。
僕のほうも、そのあたりはくみ取ってあげるべきだった。
「タマモ。相談があるんだけど……」
「わかっております」
なりゆきを見守っていたタマモは、僕が水を向けるとすぐに応じてくれた。
「お肉だけでは栄養がかたよりますから、食べられる野草や根菜、芋のたぐいも少量ですが集めてまいりました。スープに入れるつもりです。肉よりは食べやすいのではないでしょうか」
「それじゃあ、エステルにはそっちを多めにしてもらえるかな」
「かしこまりました」
「わがまま言ってごめんね、グレン。タマモさんも」
申し訳なさそうな顔をするエステルに、首を振る。
「謝ることないよ。みんなで食べよう」
「……うん」
嬉しそうに、エステルが口もとをゆるめる。
「ありがとう」
***
結局、エステルは半分ほどを残したので、僕が処理することになった。
といっても、別に文句なんてない。
久しぶりの『まともな食事』は、体も心も満たしてくれた。
「さて。それでは、そろそろお話をいたしましょうか」
食事が終わったタイミングで、タマモが口火を切った。
朝の話の続きだ。
おなかがふくれて抜けていた気を引き締め直すと、僕はいずまいを正した。
「主様は他の滅びの獣について、詳しいことをお聞きになりたいということでしたね」
「うん」
タマモが真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。
「可能な限りお答えしようとは思います。しかし、難しいかもしれません」
「どういうこと?」
「私の記憶も万全ではないからです」