11話 大事な確認
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「そのままの意味だよ。この世界ではね、人間は湧出して生まれるんだ」
「え……ええええ。なんですか、それ」
僕が冗談を言っているとでも思ったのか、タマモはまじまじとこちらを見つめてきた。
「主様のお言葉とはいえ、そんな奇妙なことがありえるとは思えないのですけれど」
「と言われても、本当なんだから仕方ない。この世界では、それは奇妙なことじゃないんだよ」
タマモが確認を取るようにエステルに目を向けると、彼女は戸惑いつつ頷きを返した。
「ごめん。なにを疑問に思ってるのかわからない。そんなの当たり前のこと、じゃないの?」
「当たり前の……? で、ですが、疑問は抱かないのですか。人種だけが、湧出して生まれるなんて」
確かに、タマモの言い分には頷けるところもあった。
人だけが湧出して生まれるのだとすれば、疑問に思うのが自然ではある。
だが、そうではないなら、話は別だ。
誰も湧出するのが人種だけとは言っていない。
「違うんだよ、タマモ。この世界では、湧出以外で生まれる生命はないんだ」
「……は?」
「人種は神の祭壇から。他のすべての生命は迷宮から湧出するんだよ」
――迷宮はこの世界が人類に与えた、ほとんど唯一の資源。
――食料も、燃料も、木材も。
――人種以外のありとあらゆるすべてが、迷宮で湧出する。
これはつまり、迷宮以外では、食料も、燃料も、木材も手に入らないということだ。
食料になりうるような生物はいない。
燃料や木材になるような植物も存在しない。
僕たちが活動の拠点にしている帝都の外にあるのは、ただただ不毛の荒野だけだ。
だから、迷宮のある場所の周辺にだけ、巨大な都市群と無数の集落が存在している。
それが、この世界。
人種だけが例外じゃない。
だから、疑問なんてものは生まれない。
「……」
考えてみれば、本当に奇妙な世界だ。
まあ、そのへんはお互い様とも言えるのだけれど。
この世界の人々からしてみれば、男女から子供が生まれるという在り方のほうがおかしいんだから。
そう考えてみると、生まれ変わりというかたちで紛れ込んだ自分やタマモは、とんでもない異物なのかもしれない。
ともあれ。
「というわけだから、タマモ。僕は結婚なんてしてないよ。そもそも、この世界には男女の交際って概念自体ないんだからね」
「そう、なのですか」
「まあ、もう少し言えば……それに近い概念がないわけではないけど。少なくとも、それは男女間のものじゃない」
「……男女間のものじゃない?」
怪訝そうな顔をする彼女に、僕はうなずきを返した。
「雄分類と雌分類が、それぞれ、自分たち同士でパートナーを見つけることはあるから。女神の定め人っていうんだけどね」
この世界の人たちは、湧出によって生まれるため、雄分類と雌分類に分かれている。
けれど、ひとりでは生きてはいられないという点では前世と変わらない。
人々は仲間を作り、社会を作り、国を作って生きている。
だから、たとえ男女の営みがないとしても、誰より親しいひとりを得たいと思う本能が生まれることは、不思議じゃないのかもしれない
「ただ、それは男女のものじゃない。そもそも、雄分類と雌分類が一緒に行動すること自体まれだからね」
だから安心してほしい、と――。
そういうつもりで向けた視線の先で、タマモが固まっていた。
「タマモ?」
「……主様」
こちらを向いた目の瞳孔が開いていた。
あれ?
なんだか少し雰囲気が怖い気が。
不自然に平坦な声で、タマモが尋ねてくる。
「それでは、人は生殖行為をしないということですか?」
「せっ……ああ、うん。そういうことになるね」
可愛い女の子が平然というには、ちょっと刺激的な台詞にうろたえる。
しかし、そんなこちらの動揺に気付かないくらいに、タマモは真剣な顔をしていた。
さっきオーガと対峙していたときにも見せなかったような表情だ。
つられて緊張してしまった僕に、彼女が言う。
「主様。ひとつ確認したいことがあるのですがよろしいでしょうか」
「え? うん。いいけど」
なんだろうか。
と、思った僕の手首を彼女は握ってきた。
「それでは、失礼いたします」
そうして、握った手をそのまま自分の胸に押し付けて――。
「は?」
――むぎゅっと。
僕の掌の下で布一枚だけをはさんで、タマモの胸のふくらみがやわらかく潰れていた。
ええっと?
状況が把握できない。
タマモが、自分の胸に、僕の手を押し付けて……?
え?
「なにしてんの!?」
掌から伝わってくる心地良い感触に呆然としていた僕は、ハッと我に返った。
反射的に手を引っ込めようとする。
「って、動かない!?」
考えてもみれば、オーガを蹴り飛ばしたあの馬鹿力だ。
動くはずがない。
どころか、そのまま押し付けたまま手を動かすようにしてくる。
エステルほどではないにしても、女性として十分に豊満なふくらみがぐにぐにと形を変えた。
「う、わ」
信じられないくらいにやわらかい。
頭に血が昇る。
「ちょっ、待っ……さすがにこれは! タマモ!」
抗議の悲鳴をあげた――ところで、タマモが突然、手を引っ込めて身を引いた。
「――」
直後、なにかがすごい勢いで目の前を通り過ぎる。
迷宮の石床が砕ける音が響いた。
「……」
タマモとふたり無言で見上げる先、割り込んできた逆鉾の君が、鉾を振り下ろしていた。
石床に突き刺さった鉾が、ゆっくりと引き抜かれる。
意思の感じられない無機質な動きだった。
ただ、荒々しい一撃だったけれど、僕にはかすってもいない。
どうやらこれは、僕のことを助けてくれたらしい。
一方のタマモは尻尾の毛を逆立てていた。
「さ、逆鉾様? いま、私のお胸が削り取られるところでしたけれど……?」
さすがの彼女も、ちょっぴり表情が強張っていた。
というか、よく避けたないまの。
下手をしたら、唐突な桃色空間から突然のスプラッターになるところだ。
やめてほしい。
僕は溜め息をついた。
「それでタマモ。いまの悪戯はなんだったの?」
少しの非難を声に込めつつ尋ねる。
がっつり揉んでしまったので、掌から指先まで、生々しく感触が残っていた。
これはしばらく、忘れられそうにない。
「いえ。別段、悪戯のつもりはなかったのですが」
意外なことに、タマモは真面目な表情をしていた。
「むしろ医療行為に近いといいますか」
「医療行為?」
「ええ。主様に性欲があるかどうかの確認を」
「せっ……ええっと、どういうこと?」
「この世界では男女によって子供が生まれない。つまり、そうした機能が肉体に存在しない可能性がありましたので。主様がどうなのか確認いたしました」
淡々とタマモは言った。
「ある種の去勢状態といいますか。場合によっては対処の必要もありますでしょう?」
「……」
割と、深刻な話だった。
気付いたら去勢状態にありました――というのは、確かに男として、ゾッとしない。
「意図はわかったよ。それに関しては、うん、大丈夫だ。心配しなくていい」
「それはようございました。わたしも体を張った甲斐があったというものです」
「わざわざ体を張ってもらってごめんね」
僕のことを考えてのことだったというなら、そこはとがめることはできない。
けれど、僕は少しだけ厳しい目をタマモに向けた。
「ただ、もう少しタマモには、自分の体を大事にしてほしい」
女の子の体なのだ。
滅びの獣とかなんとかは、この際、関係なかった。
「お気遣いありがとうございます」
タマモは嬉しそうに笑った。
「ですが、大丈夫ですよ? 私も、誰にでもこんなことを許すわけではありません。というか、お慕いしている方以外には許しませんので」
「それは……ええっと、うん。ありがとう」
……困ったな。
こんなふうに、真っ直ぐに気持ちをぶつけられると、どうにも弱い。
異性との経験値が足りない。
いやまあ、こんな世界では経験値なんて積みようもなかったわけだけれども。
もちろん、ずっと会えなかった幼なじみのような彼女に想いを寄せられるのは、弱りはしてもいやな気持ちではない。
くすくすと満足げに笑ったあとで、タマモが頷いた。
「ともあれ、状況はわかりました。奇妙な世界に来てしまったものですが、主様のいるところなら文句はありません」
その視線がエステルへと向けられた。
「ええと、あなた……なんでしたっけ。おっぱい幼なじみさん?」
「エステル」
「そうそう。エステルさん」
舌になじませるように、名前を呼ぶ。
そこで初めて、タマモはエステルを認識したのかもしれない。
「エステルさんは、主様とは血は繋がってはいないし、夫婦というわけではない。ですが、同じ施設で育った家族のような存在ということで、間違いないでしょうか」
「うん。そうだよ。わたしもグレンと同じように思ってる。わたしはグレンのお姉さんだもの」
「いや。エステルが僕の妹だけどね」
「同じように思っているはずが、いきなり食い違っていらっしゃいますが。いえ。仲が良いのは伝わってくるので十分ですけれど」
くすくすと笑い、タマモは頷いた。
「わかりました。それではわたしも、そのように扱わせていただきます。これから主様と一緒に行動する以上、あなたともご一緒することになるでしょうから」
「うん。そういうことになるよね、当然。グレンはわたしと一緒なんだから」
ふたりが視線を交わした。
なんだろうか。
互いにどこか試すような目をしていた。
「私からタマモさんに言いたいのはひとつだけ。グレンを裏切ったら許さない」
「ふふふ。それは、私が言いたいことなのですけれども?」
「ちょ、ちょっと、ふたりとも。なんでいきなりそんな喧嘩腰に……」
微妙に剣呑な雰囲気に、僕は慌てて仲裁に入ろうとする。
と、ふたりがふっと笑った。
「あなたとは仲良くできそう」
「そのようですね」
コワイ雰囲気は、嘘のように消えていた。
「え、ええええ……」
どうやら、お互いにわかり合えたらしい。
なぜそうなったのか、よくわからないけれど……。
「……いまのなに?」
「グレンはわからなくてもいいよ」
「ええ。ええ。こちらの話ですので」
仲良いな。
……まあ、いいけれど。
ずっと一緒にいた幼なじみの彼女と、ずっと会えなかった幼なじみのような彼女だ。
仲良くしてくれるなら言うことはない。
エステルが視線を向けてきた。
「それで、グレン。一通り自己紹介は終わったわけだけど、これからどうするつもり?」
「……そうだね」
少し考えてから、答えた。
「一度、冒険者組合に戻ろう。きちんと決着は付けないとね」
◆「男の人は男の人同士で、女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うの(画像略2回目)」
ただ、この世界に住む全員がそうではなく、女神の定め人を持つ人間自体が少数派ではあります。主人公は前世の価値観からタマモを女性と認識していますが(今回、タマモ自身が調べた通り)、この世界では異端ということになります。
◆当面の情報収集とヒロインズ+αの顔合わせはこれでひとまず終わり。
次回から組合に戻って対決回です。