10話 幼なじみの疑問
10
エステルが目を覚ました。
それ自体は喜ばしいことなのだけれど、状況は少し複雑だ。
タマモたちのことがあるからだ。
「……あ、ああ。エステル。良かった、目が覚めて」
思っていたより目覚めが早い。
まだ心がまえができていなかった。
タマモには僕より前に、彼女の頭の傷に回復魔法を掛けてもらったので、それがよく効いたのかもしれない。
「体におかしなところはない?」
「うん。全然平気。怪我治ってるし」
頭をさすりながらエステルが言う。
エドワードに殴られた怪我は完治しているようだ。
「タマモ……さんが、治してくれたからね。僕たちのことも、彼女たちが助けてくれたんだよ」
そう言って、タマモと逆鉾の君を示してみせた。
嘘は言っていない。
ただ、本当のことも言っていなかった。
彼女たちとの関係を話すなら転生についてもふれる必要があるけれど、それはちょっと荒唐無稽過ぎるからだ。
というか、そもそも、転生の概念はこの世界にはない。
聞かせたところで、混乱させてしまうだけだ。
下手すれば正気を疑われてしまいかねない。
だから、ここは誤魔化すことにする。
タマモも逆鉾の君も凄腕の冒険者で、襲いかかってきたオーガを倒して僕たちを助けてくれたという筋書きだ。
もちろん、身近にいる人――パーティメンバーであるエステルに対しては、いつまでも黙ってはいられないだろう。
だから、おいおい話をしていき、ゆっくり理解を求めたほうがいいと判断していた。
僕が視線を合わせると、意をくみ取ったタマモがにこやかに口を開いた。
「はいー。私たちが助けさせていただきました。タマモと申します。こちらの騎士はサカホコ。無口なのは勘弁してくださいましね」
話す口調に不自然さはない。
どうも器用な性質らしい。
僕なんかは顔が強張ってないか自信がないのに、彼女には余裕があった。
「ふうん。そうなんだ」
エステルが、こくりと首を傾げた。
紫水晶の瞳が、僕と、僕と距離の近いタマモを眺めやる。
「行きずりで助けられただけの割には、ずいぶん、仲が良さそうだね?」
「そ……そんなことないよ」
「そう?」
エステルはじっと僕を見詰めてくる。
な、なんだろう。
気のせいか、妙な緊張感があるような。
しばらくそうして見つめ合ったあとで、エステルは唇を尖らせた。
「嘘つき」
「……え?」
「万魔の王と滅びの獣は契約をしてるって言ってた」
……あれ?
冷や汗がほおを垂れた。
「なんでご存知なんですかエステルさん」
「なんで敬語なのかわからないけど。さっきから目が覚めてて聞いていたからじゃないかな」
「……ちなみに、どこから聞いてたの?」
「治療をしようって話になったときから。そのあたりで目が覚めたから」
「最初からじゃん」
僕は頭を抱えた。
全部聞かれてしまっていたということだ。
これでは、誤魔化すことなんてできるはずがない。
僕たちのやりとりを聞いて、くすくすとタマモが笑っている。
「ひょっとして、タマモは気付いてた?」
「ええ。起きてるなーとは思っておりました」
「言ってくれればよかったのに……」
「申し訳ありません。ですが、なんとでもなりますので」
そう言って、彼女は――エステルに向けて、手を伸ばした。
「え?」
思ってもみない行動に、僕は虚を突かれてしまう。
ゾクリとした。
タマモは明らかに、なにかをしようとしていた。
しかし、その直後に彼女は眉を寄せた。
「あら?」
なにかトラブルでもあったのかもしれない。
いや。なかったとしても、このまま見ているわけにはいかなかった。
「ちょっと待って。タマモ。ストップ」
「主様?」
「エステルになにかするのはやめてほしい」
きっぱりと言う。
彼女は大事な幼なじみで、家族だ。
それは、前世で自分が何者かであったことを思い出しても変わらない。
なにかされてはたまらなかった。
「主様がそうおっしゃるなら、もちろん、従いますけれど」
タマモが不思議そうな顔をした。
「あの、主様? そちらの方はなんなのですか。てっきり、通りすがりの有象無象かと思っていたのですが」
「すごいこと思ってたな」
有象無象って。
ああでも。そういえば、こう見えてタマモは人種じゃないのだ。
滅びの獣の第十柱。
真性の怪物。
人に対する捉え方が違うのは、仕方ないことなのかもしれない。
タマモは思案げな顔をした。
「その反応を見るに、どうやらそれは違うご様子ですね。とすると……ひょっとして、主様の下僕ですか? それはいけません。いけませんよ、主様」
「いや下僕って。いけませんって。あのね。違うから。別に、僕たちはいけない関係とかじゃないからね?」
「主様の下僕はわたしたちです。物事には順序というものがあります。たとえ下僕になるとしても、きちんと順番は守っていただかないといけません」
「いけませんの意味が思ってたのと違う」
どうやら違うのは、人に対する捉え方だけじゃないのかもしれない。
おかしいな。
価値観のほうは、前世のものが戻ってきているはずなのだけれど。
黙って聞いていたエステルが口を開いた。
「下僕じゃないよ。わたしは、グレンの家族」
「主様のご家族、ですか?」
タマモの視線がこちらに向いたので、僕は頷く。
確かに、エステルはこの世界での僕の唯一の家族と言っていい。
とても大事な存在だ。
タマモが怪訝そうな顔で僕たちを見た。
「主様のご家族? この世界での姉君か妹君でしょうか。しかし、あなたは長耳種のように見えますけれど……」
言いかけたところで、ぴたりと言葉がとまった。
その顔から、ものすごい勢いで血の気がひいていく。
「ま、ままままままさか、主様はご結婚されて……!?」
動揺し過ぎだった。
「よ、よく見れば、この方、背丈はちっちゃいのに、実に見事なお胸を……! わたしもスタイルには自信がありますが、分が悪いほどの!? しかし、主様の配偶者でいらっしゃるなら納得の立派さです!」
「待って。そこで納得されるのは抵抗ある」
混乱のあまりかよくわからないことを口走りながら、タマモはあわあわとしている。
あれだけの戦闘力を持っているのに、慌てふためく姿は可愛らしい。
なんて言ってる場合じゃないか。
「落ちついて。違うからね、タマモ。僕たちはそういうんじゃないから」
「えっと。結婚……って、なに?」
僕が急いで弁明をする一方で、エステルはきょとんとしていた。
そう。エステルは結婚を知らないのだ。
そんなもの、この世界には存在しないから。
タマモの心配は、空が落ちてくるのではないかと怯えるようなものだった。
「安心してよ、タマモ。そういうのはありえないから。家族っていうのは、僕とエステルが同じ施設の出身だからって理由だよ」
「施設ですか」
「うん。女神の祭壇から湧出して生まれたあとで、育つ施設のこと」
「……え? ええっと。湧出? して生まれた? どういうことです?」
わけがわからないという顔。
今度は、僕が説明をする番だった。