1話 寄りそうふたり
新連載です。
よろしくお願いします!
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「あの期待外れのお荷物をどうにかしろ!」
宿屋の廊下を歩いていると、そんな怒鳴り声が聞こえてきて、思わず僕は足をとめた。
見てみれば、部屋の扉がひとつ、きちんとしまっていない。
冒険者としてパーティを組んでいる仲間たちが泊まっている部屋だった。
「あの声、マーヴィンの……?」
マーヴィンは、パーティメンバーのひとりで重戦士だ。
どうやら部屋に引っ込んで酒でも引っ掛けながら、不平不満をぶちまけているらしい。
とすれば、あの『期待外れのお荷物』というのが誰のことを言っているのかは、聞くまでもないことだ。
……うん。聞くまでもないのだけれど、少しでもパーティに貢献するために斥候なんかを買って出たことで鍛えられた聴覚は、もれ聞こえる話の続きを聞き取ってしまう。
「確かに。あいつがいる限り俺たちはな……」
これは、パーティメンバーの剣士カークの声。
「まあまあ。そう簡単には、我々もパーティメンバーを変えるのも難しいですから。特に、彼の場合は事情が事情ですし」
こちらは、神官のエドワードだ。
エドワードだけはとりなすようではあるけれど、それにしたところで『期待外れのお荷物』を否定してはいない。
不満を持っているのは同じなのだ。
他の誰でもない、僕に対して。
「まあ、もう慣れちゃったけどね」
ただ、部屋の扉くらいは閉めろよ、とは思うけれど。
こっそりと扉の前を通り過ぎる。
酔っぱらいと顔を合わせて、めんどうなことになるのはゴメンだった。
そのまま廊下を進んでいき、彼らとは別に取った自分の部屋にすべり込む。
ふうと息をついたところで、声をかけられた。
「……グレン? どうかしたの?」
部屋のなか、安物の小さな魔法灯に照らされて、少女がひとりベッドの上に座り込んでいた。
まるで人形のように美しい娘だ。
紫水晶にも似た瞳が、こちらをじっと眺めていた。
「ああ。うん、エステル。ただいま」
緊張気味だった気がゆるむのを自覚しながら、僕は笑顔を返した。
彼女もパーティメンバーのひとりだ。
冒険者としての役割は魔法使い。
表情の薄い彼女だけれど、いまは少し心配そうな顔をしていた。
「おかえり。それで、どうかしたの?」
エステルは質問を繰り返した。
人間種のものより細く長い長耳種特有の耳が、ひょこひょこと可愛らしく動いている。
あまり彼女のことは心配させたくない。
僕は部屋にひとつきりのベッドに腰掛けると、すぐそばから見つめてくる紫水晶の瞳を見返した。
「なんでもないよ」
「嘘。また、マーヴィンあたりになにか言われたんじゃないの?」
鋭いな。
とは思うけれど、顔には出さない。
「嘘じゃないよ」
なにか言われたのは事実だけれど、なんでもないというのだって嘘じゃない。
もう慣れてしまったからだ。
始まりは、もう5年も前のことだった。
この世界では、12歳になった子供はこの世界を創った女神から神託として職業を授かる。
どこにでもいる人間種の子供だった僕は、5年前に勇者という職業を授かった。
この勇者というのは非常にレアな職業で、モンスターと戦って生計を立てる冒険者としては最優と言われており、強力な身体能力と、卓越した魔法とを高いレベルで両立させることができる。
当時は周囲の期待が妙に高まって、居心地が悪かったことを覚えている。
なにしろ、職業を授かっただけで、自覚できるなにかが変わったわけでもなかったのだ。
不安にもなる。
結果、その不安は的中した。
生まれ育った施設を出て、幼馴染のエステルとともに冒険者になった僕に声をかけてきたのが、神官エドワードと重戦士マーヴィン、剣士カークだった。
しかし、より正確に言うならば、彼らは僕個人というよりは『勇者』に声をかけてきたのだ。
それでも、彼らが勇者に期待するような力を僕が持っていれば、なにも問題は起きなかったはずだ。
だけど、そうじゃなかった。
僕は勇者にふさわしい力を発揮することができなかったのだ。
もちろん、それこそ血のにじむような努力はした。
工夫だって重ねた。
それでも、せいぜい平均的な魔法戦士程度の力しか発揮することができなかった。
それどころか、どういうわけか僕はモンスターに狙われやすい体質だった。
冒険者の基本はパーティ戦術。
盾持ちの前衛がモンスターの注意を引いて、魔法職である後衛を守るのが基本だ。
けれど、モンスターに狙われやすい僕は、この基本戦術の柱である盾役を邪魔してしまう。
僕の存在は、冒険者のオーソドックスな戦術と噛み合わなかった。
気付けば、仲間たちの態度は変わっていた。
ここしばらくはそうした態度を隠すこともなくなりつつあって、さすがに慣れもするというものだった。
とはいえ、それはあくまでも僕だけの都合だ。
「エステルが怒るようなことじゃないよ」
なだめるように僕がそう言うと、エステルはむっと小さく眉の間にしわを寄せた。
整った顔立ちをしている彼女は、そんな顔をしていてもどこか愛らしい。
彼女がこちらに身を乗り出すと、ゆるく背中で束ねた長い黒髪が、魔法灯のあかりに美しく揺らめいた。
「怒るようなことでしょう。グレンはちゃんと努力してるし、パーティにだって十分に貢献してるんだから」
彼女の言うことも一理あった。
僕は平均的な魔法戦士程度の力しか発揮できなかったけれど、逆にいえば、平均的な魔法戦士程度の貢献はしてきた。
負い目があるぶん、それ以外の雑用だってこなしてきた。
けれど、やっぱりそれは『勇者』に期待されるものとは違っていて……。
血のにじむような努力とその成果を、仲間たちが認めてくれることはなかった。
目の前の彼女を除いては。
「私は怒るよ。だって、グレンのお姉さんなんだから」
エステルは冒険者としてのパーティメンバーだけれど、それ以前に、物心ついた頃からの幼なじみだ。
同じ施設出身という意味では家族でもある。
ずっと一緒にやってきた。
だからこうして、怒ってくれる。
「うー……」
どうやら怒りが収まらないらしいエステルは、小さなうなり声をあげた。
こういうときの彼女の行動は決まっていた。
「もう寝る」
言うが早いか、こちらに手が伸びてくる。
グッと引っ張られた。
「えっと。僕はまだ眠くないんだけど」
「私は眠いの」
「……いいけどさ」
抵抗はできたけれど、するとへそをまげるのは知っている。
なにしろ長い付き合いなのだ。
力を抜いた僕をベッドに引きずり込むと、ごろんとエステルは無防備に横になった。
それで、多少は気が収まったのかもしれない。
「んー……」
甘えるように鼻を鳴らしながら、エステルは僕の頭を抱え込むようにしてきた。
子供の頃からの彼女のくせのようなものだ。
多分、安心するのだと思う。
気に入らないことがあったりすると、よくする。
僕はその背中をなでてやる。
子供の頃から、そうしていたようにだ。
「ありがとう、エステル。怒ってくれて」
期待外れと馬鹿にされても僕が落ち着いていられるのは、彼女が怒ってくれるからだ。
それを考えれば、ベッドに引き込まれるくらいはお安いものだった。
「兄としてはちょっと情けないけど、気持ちは嬉しいよ」
「なに言ってるの。私がお姉さん。グレンが弟でしょ」
「いや、エステルが妹だから」
まあ、こうして意見が合わないところもたまにあるけれど。
それも、仲が悪いからでは決してない。
僕たちはこれまでずっと、こうして日々を過ごしてきたのだった。
はたから見れば、きっと――『奇跡的』なくらいに。
「ふふー」
機嫌よさげに、エステルが笑い声をもらす。
甘い匂い。
やわらかく押し付けられる、彼女の胸の大きなふくらみ。
かすかな『違和感』。
「……」
エステルの体は僕より小さくてほっそりしていて。
そのくせ、胸のところだけは大きくふくらんでいて。
これは――僕のような雄分類にはない、彼女のような雌分類の特徴だった。
雄分類と雌分類。
この世界では、僕たち人種は創生の女神の祭壇で湧出することで生まれる。
そのときに生まれる二種類のヒトは、雄分類と雌分類と呼ばれる。
同じ人でありながら、身体的な特徴が大きく違う二種類のヒトがいる理由は、誰も知らない。
女神に創り出されたこの世界は『そういうもの』だから。
そういうものとして、みんなが生きている。
「……」
けれど、なぜだか僕は、たまに違和感を覚える。
人間が祭壇から湧出するっていう当たり前の事実に対して、首を傾げずにはいられないような気持ちになってしまって……。
――あとから考えてみれば。
この時の違和感は、僕のなかにある『眠っている記憶』のせいだったんだろうと思う。
この世界で雄分類と雌分類と呼ばれている『男』と『女』が普通にいて。
当たり前のように恋をして、愛を育み、子供が生まれる。
そんな世界で生まれ育った、前世の僕の。
だけど、まだこのときの自分はそれを思い出すことはできなくて。
自分がかつて何者であったのかを知らなくて。
ひょっとすると、自分はどこかおかしいのかもしれないと思っていた。
当たり前のことが、当たり前に感じられないなんて。
だから、勇者としての力を使えないのかもしれない、と――。
「グレン?」
気付けば、エステルが胸に抱えた僕の顔をのぞき込んできていた。
どうやら少し暗い気分になってしまったのを気付かれてしまったらしい。
彼女は僕の顔を見てなにか察したような顔をすると、頭を抱え込んできている腕の力をそっと優しいものに変えた。
「大丈夫だよ。私が一緒にいるからさ」
「エステル……」
思わず気がゆるんで、ふっと笑みが浮かんでしまう。
基本的に雄分類と雌分類とがあまり深く交わらずに暮らすこの世界ではめずらしく、家族として一緒に過ごしてきた幼なじみ。
彼女がいてくれれば、自分は大丈夫だろうと思える。
ただ、そんなふうに思う自分が気恥ずかしくて、僕はごまかすように笑った。
「はは。なんだよそれ」
「あ。笑ったな。このバカグレン」
「ちょっ、ギブギブ! エステル、この体勢でそんな締められたら息がむぐ……っ」
目を三角にしたエステルが力任せに頭を締めつけてきて、柔らかい胸の感触が一転、ちょっとした殺人兵器と化して顔面に押し付けられる。
くぐもった悲鳴が、ふたりきりでも温かな部屋に響いた。
◆まずは物語の開始と、ヒロインのひとりの登場です。
祭壇からヒトが生まれるために男女の関係が存在しない世界ですが、主人公は違和感を覚えているようです。
今後の彼らの活躍と、いまは恋なき世界での恋模様を見守っていただけましたらさいわいです。
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