9.
ギルが雑に支度をしてエントランスホールに行くと、研究所のロボットたちが揃っていた。
イクスは白いシャツを着せられて、ポーラー・タイまで付けられている。普段はラフな服装で五線譜と縁があるようには見えないが、今ならピアノ弾きに見えるだろう。
ユプシロンもドレープが優美に揺れる赤いワンピースで、機能性より見た目重視だ。カティの――亡妻の趣味でもない。新鮮な姿だった。
アウラはというと、花が刺繍されたミニスカートにブラウスと、品よくまとめられていた。普段から衣服への関心が高いから、自分で選んで着ているのかもしれない。
それぞれよそ行きの格好の中、いつもどおりの装備でゲートを整備しているツェットだけが黒く沈んで見える。
「ねぇツェット、似合う? 似合う?」
アウラは嬉しそうにくるりとターンした。スカートがふわりと広がる。
しゃがみこんで足元を見ていたツェットは肩越しに振り向いて、すぐに作業に戻った。
「俺にそういうものの美醜はわからない」
「ツェットっていっつもそればっかり」
「そういうときはとりあえず似合うって言っとけよ、馬鹿だな」
「分からないのに嘘になるだろう」
「そうねぇ、それでも女の子の見た目については褒めておいたほうがいいと思うわぁ」
「そうか」
真面目くさった返事に噴き出すのを堪える。
センサーやカメラの有効範囲からして、ギルがいることに気が付いているのはツェットだけだ。そして、ギルが見ていても一切気にしないのもツェットだけで、ほか三体はギルが出ていった途端に態度を変えるだろう。
ユリィとは先ほどすれ違い、今から自分の身支度だと言っていたからまだしばらく戻らないはずだ。それまでは、アンドロイドたちを心置きなく観察できるだろう。
彼女ならば、早くに戻ってきたとしても、一緒に息を潜めてロボット観察をしてくれるに違いないけれども。そういうところは研究者だ。
「アウレーリエの言うことは、俺には理解不能なことが多いな」
「えー? 私はギルに言われなくても機械いじりできるツェットのほうが凄いと思うけど」
「俺達はそれぞれ得意分野が作られてるだろ。アウラはファッションがらみが得意ってだけじゃねーの」
「それは違う」
イクスの主張をツェットはきっぱりと棄却した。
「俺達の特徴は外的なものだが、アウレーリエの場合はもっと内的なものだ。うすうす感じてはいたがギーゼルベルトは俺とアウレーリエの間でOSにかなり手を加えたな」
そりゃーそうさ、と心の中で返した。ツェットとアウレーリエでは作った目的が違うのだから、ソフトウェアだって別の物を用意した。
「ツェットの話よくわかんない」
アウラが首にしがみついた。手元が狂うからやめろ、と窘めるものの振り払わない。ツェットが妹だけにとことん甘いのは今に始まったことではなかった。
「ツェットも少しはお洒落したらいいんだよ。ずっと同じかっこしてるから分かんないんだ」
「平時ならともかく、今は無理だ。保安上の問題がある」
「ツェットなら強いから大丈夫だって」
確かに、アーマー一つ脱がしたところで、ツェットはギルとユリィの身ぐらい守れる。
ただし、方法は極端にならざるを得ない。
もし、あの軍人がギルの命を狙ったなら、軍人を傷付けざるを得ないくらいの状況にはなるだろう。
(そっか。さっきはあー言ったけど、わざと武装を解かせるってのも手だなぁ。マルクスの出方も分かるだろうし。僕が言っても黙って従っちゃってつまんないからユリィをけしかけておこうかな。アウラが駄々こねてくれるのが一番なんだけど流石に――)
「ギル? そんなところで何してるの?」
ユリィの声が響く。考えに没頭して足音に気づかなかった。しー、っと人差し指を立てたが、すでに遅い。ロボットたちは会話を止めてこちらを見ている。
「ちょっとみんなを観察してたんだ。4人とも揃ってることってそんなにないから」
「そうだったの? ごめんなさい、静かに声をかければよかったわ」
「いいよぉ。僕もぼーっとしてたし。それよりユリィ! 今日かわいいね! やっぱり僕みたいなジジィとこんなとこにいるなんて勿体無いよ」
オーバーに抱き寄せて左右へ順番に頬を押し付ける。
彼女はニットにタイトスカートと、その上から白衣を着ていた。いつもより顔色が明るく見えるのは薄くても化粧をしているからだろう。
ユリィはもうすぐ三十になる。ランクがいる会社にでも放り込めば、砂糖に群がるアリのごとく、男たちが寄ってくるだろう。あのツァイツラー博士に耐えられる女人なんて、ズボラな科学者たちからは引く手数多に違いない。
陽のあたる場所にいれば、子供の一人や二人でももうけていたかもしれない。あるいは今とは別の分野で、研究者として名を馳せることができたかもしれない。
可能性は無限にあっただろうに。
「あなたって本当に人を見る目がないわね。あなた以上の人間なんて、世界中探したってそういないわ」
ユリィは子供をあやすように背中を叩いた。それからギルの曲がったネクタイを整えて、中三つしか留まっていないシャツのボタンを留めていく。
「首元苦しいの嫌なんだ」
「じゃあ一番上は留めないわ。これで我慢なさい」
「はぁい……」
それから、ユリィはエントランスに入っていって、ロボットたちを並べて満足そうにしていた。
ギルもツェットの作業の出来栄えを見に行く。きっちり想定通りの位置にセンサーが付けられていた。この程度できて当然だ。いずれ、自分よりはるかに長く稼働していくであろうアンドロイドたちをメンテナンスできるだけの能力がないと困る。
「ギル、ツェット。お待ちかねのお客さんだ。どいて」
イクスがゲートをくぐると、ビービーとけたたましい音を立ててすぐ鳴り止む。
「不良品じゃねぇの」
「アイテールが反応しているんだ。入ってくるときは、先にヴェリースを通してくれ」
「はいよ」
しばらくして軍人がやってくると、物々しいゲートに目を剥いた。
「なんですかこれ」
「僕が作った手荷物検査ゲート! 空港とかにあるでしょ。あれのスーパー改良版!」
ギルが胸を張る。量産できる程度にコストを抑えてメンテナンス性を上げれば商品化して飛行機のハイジャックを殲滅できるくらいの自信作だ。機内持ち込み手荷物の検査がAIの仕事になって久しいが、人工知能は仕様の裏をかかれると完全に無力になる。ギルもその気になれば銃火器の密輸くらいできるだろう。その仕様の背面を守るのがこのゲートで、武器に類するものは一切持ち込ませない。
と、いうようなことを専門用語を交えて語るギルの声をBGMにして、フリーダはジャケットを脱いでイクスに手渡した。ウエストポーチも外す。
「階級章とか金属製なんで預かってもらえます? 金属なら問答無用で反応しちゃうんですよね?」
イクスはツェットに聞けとばかりにゲートの先で待ち構える弟機を指した。
「確かに金属製のものは反応するが、武器になりそうになければ問題ない。とりあえず一度潜ってくれたほうが早く済む」
「はーい。荷物持ったままでいいですか?」
「先に確認する。貸してくれ」
フリーダは肩にかけていたカメラケースをゲートに通した。警告音が鳴る。
「武器にならなきゃいいんじゃなかったんですか? 重いし鈍器になるとか?」
「……そうかもしれないな」
ツェットはしばしカメラケースを見つめていた。
「これが例の一眼レフだな」
「そうなんですよ。電子機器は駄目とか言って。フィルムカメラなんて実物見るのも初めてだったし、やっとなんとかまともな写真を撮れるようになったんです。苦労しましたよー」
「そうか。形状からそうだろうとは思ったが、念の為X線を切っておいて正解だった。そのまま通したらフィルムが感光したかもしれない」
ユリィも珍しがってカメラケースをのぞき込む。
「中を見てみても構いません?」
「どうぞー。ゲート潜っていいですか?」
「ああ。――ユリアーナ、開けるなら一番大きなポケットだけにしろ。万一フィルムを感光させたら困るだろう」
シャツ姿になったフリーダがゲートをくぐると、けたたましく警報が鳴り響いた。
フリーダがゲートの天辺で赤く光るランプを見上げて顔をしかめる。
「うぇっ、まだ何かあるんですか?」
「靴だな」
「ええー……。脱ぎます?」
「俺の手が届く範囲にいてくれれば構わない」
「はーい。了解です」
フリーダは敬礼した。
その後ろでイクスがユプシロンにコートハンガーを要求している。ユプシロンがエントランスの隅に立ててあったものを転がしてゲートをくぐらせた。一瞬警報が鳴って、フリーダがゲートを振り向いた。
「今日は皆さん、ちょっとお洒落ですか?」
「ええ。せっかくなので」
「可愛いでしょ!」
アウラが得意げにスカートの裾を摘み上げた。フリーダは「あーはいそーですねー」と適当に返事をしている。以前、アウラにブス呼ばわりもされていたようだし、アウラは初めて見るユリィ以外の人間女性でしかも若くてツェットにも馴れ馴れしいと、かなり敵愾心を抱いている。すっかり仲悪しになったようだ。
「貴方は手袋以外いつも通りですね」
「……ああ、さっきまでゲートの取り付けをしていたから」
ツェットは手袋を外してコートのポケットにしまった。
ギルは身を乗り出した。
「それはね! 手の触覚を補うセンサーグローブ! 他のみんなは皮膚に備え付けの機能なんだけどツェットにはないからね! いやぁ、革手袋の質感再現には苦労したんだよ!」
センサー付きのグローブは手首でツェット本体に接続されている。ツェットは「余分な情報が増える」と言って必要なとき――工作をするときとピアノを弾かされるとき以外は付けたがらない。
「へぇー。ツァイツラー博士でも苦労とかするんですね」
言われなれた無神経なセリフに、ギルは口をへの字にした。
「そりゃーそうさ。僕だってただの人間だもの。そりゃ、妥協点にたどり着くまでの時間は人より早いかもしれないけど、三日三晩悩み通したりすることもあるさ」
そして、三日三晩悩み通して導いた最適解を、翌日あっさり上回れてしまったりということもある。今日一番効率的だと思った方法に、いつ改良点を見いだせるかは誰にも分からない。
「博士のファンだって言う人が、ツァイツラー博士に分からないことはないってぐらいに言ってたから……。悪魔に魂を売ったとかなんとか」
「ああ。僕が収監されたあとに、変な本が出たって聞いたなぁ。『ラプラスの悪魔に魂を売った男』みたいな? 物理的に存在しない悪魔だからね、それ。残念ながら僕はただの人間だし、いもしない悪魔にも神にも縁がないんだよ」
「はぁ、そうですか」
フリーダは絶滅危惧種のフィルムカメラをいじくりながら空返事をした。
大きくて無骨なボディのカメラをツェットに向けて、一枚撮る。ツェットはフラッシュに目を細めて、しばらくしかめっ面で目を閉じていた。
「うーん、多分撮れてると思うんで、皆さん並んで貰えますか? リクエストされてるの家族写真なんです」
ギルたちはエントランスの壁を背に並んだ。
(家族写真か)
カティと結婚することになったとき、自分とカティとヨルクの三人で記念写真を撮った。あのとき以来だろうか。
二人の似姿であるイクスとユプシロンに加えて、ツェットアウラユリィと、あの頃よりずいぶんと賑やかだ。人間の家族より機械の家族のほうが多くなった。
「はい、チーズ!」
軍人の明るい掛け声で撮られた写真は、ギーゼルベルト・ツァイツラー手製のロボット全員が写った唯一の写真になった。