7.
「よう。今度はちゃんと学習したらしいな」
イクスは必ず一言皮肉を言わなくては気が済まないようだ。
フリーダは苦笑した。今日はイクスに連絡を入れてからツァイツラー研究所を訪れている。
地下に降りると、前のようにツェットが待ち受けていた。
「何をしに来た」
「遊びに来ました。えーっと、ほら、こうやって会って話をするだけでも行動パターンとか思考パターンとか分かるかもしれない」
理由なしに研究所を訪れると嫌がられるとチェルハに言ったら考えてくれた方便だ。フリーダが地下に行くことを彼はたいそう羨ましがっていた。
「俺が地下研究所に行けないのは仕方ないとして、もっとツェットくんたちの話が聞きたいんだ!」
ということで考えてくれたのだった。これという理由がなくても、フリーダは地底に赴かなくてはならない。
ツェットは渋い顔をしている。
「なんでそんな嫌そうなんですか」
「……別に、嫌というわけではないが」
「いや、早く帰ってくれないかなー、邪魔だなー、って顔ですよ」
「そうか? ……人間が言うならそうなのだろうな。すまない」
今度は眉を落とした。叱られた犬のようだ。プレイルームでの試験でまずフリーダの命を優先したのはロボット故だと思っていたが、それ以上に性格から優しいのかもしれない。
「対話が望みなら、そこにかけてくれ」
ツェットはエントランスのソファセットを指した。
それから、少し目を伏せる。以前、通信をしていたときと同じ仕草だ。誰かに何かを伝えているのだろう。
彼が目を上げるのを待って問いかける。
「お茶でも出してくれるんですか?」
「ああ。よくわかったな。アレルギーがあれば配慮する」
「特にないのでお気遣いなく」
「承知した」
程なくして、女性のアンドロイドがティーセットを運んできた。皿には数種類のクッキーが盛られている。
人間ではないと分かったのはその両眼が緑に輝いているからだ。
背中の中ほどまであるストレートの黒髪がエキゾチックな印象だ。歳の頃はイクスと同じくらいでフリーダよりも少し歳上に見えた。髪色のせいもあるだろうが、ツェットとアウレーリエに少し似ている。
彼女は無言でティーポットから紅茶を注ぎ入れてフリーダに供した。
優雅に一礼して、去るときも一声発しない。
「ありがとう、ユプシロン」
ツェットが礼を述べてもにこりと笑うだけだ。もしかしたら、ツェットには通信で聞こえているのかもしれないが。
これで、おそらくツァイツラー研究所にいる人間とアンドロイド全てと顔を合わせたことになる。
人間は博士と助手、アンドロイドはイクス、ユプシロン、ツェット、そしてアウレーリエ。
ふと気になったことがあり、フリーダは訊ねようと顔を上げた。
が、その前に。
「座らないんですか?」
ツェットはフリーダが座った場所の正面のソファの後ろに立っている。二メートル近い長身の青年と、こちらだけが座った状態で顔を見ながら話すのは首が痛い。
彼はしばし考えてから口を開いた。
「それは『座れ』という命令か」
「単に不思議だっただけですけど……。命令とまでは言いませんが私の首が疲れちゃうので座ってほしいです」
ツェットは神妙な顔でソファの前に周りこんだ。この時点で彼が座りたがらなかった理由に思い至ったがそのまま見守る。
テーブルに膝がつかえて大変窮屈そうにしながら座った青年の姿に、フリーダは笑いをなんとか堪えた。
「……脚が長いのも困り物ですね?」
「確かに体長は平均並みに収めるほうが生活の上では合理的だが、俺の本分は武器を用いた戦闘だ。内蔵できるアイテールの量は多いほうがいい。多少の不便は仕方ない」
彼の体格は、博士の人型に対するこだわりと美意識と必要な機能が折衷して今の形になったのだそうだ。アンドロイドたちは全員美しい。彼らの秀麗な顔を見る限りだとツァイツラー博士の美意識は芸術家並。同じアイテール容量を得るため手足を太く短くするよりもひたすら長くしたのは、より美しいからだろう。
「聞いてくださいよ。私ねぇ、最近アナログなフィルムカメラの練習してるんですよ。会社の備品で馬鹿でっかいの」
フリーダは手でひと抱えの大きさを示した。やや誇張されているものの、プロでも手のひらサイズのカメラを使うのが主流の昨今では珍しい大きさだ。
ツェットが目を瞬かせた。
「機械式の一眼レフか」
やはり、食いついてくる。この話題なら喜ぶだろうと踏んでいたが、予想が的中すると嬉しいものだ。
「えーと、確かそんなのです。レンズが付け替えできるやつ」
「いつの物だ? メーカーは? 需要の極端な縮小で、古くからのフィルムカメラを今でも作っているのは二社しかないはずだが」
しかし、深く突っ込まれてしまうと対応ができない。
フリーダは記憶の底をさらった。
「えっ、確か、結構な年代物だったはずですけど……。たぶん十年はくだらないかと思いますよ」
「そうか。しかしフィルムカメラで年代物だと言うのならもっと古い可能性もあるだろう。百年以上前のものも実用に耐えると聞く。丁重に扱うといい」
「へぇ……。詳しいんですね」
「ギーゼルベルトが詳しい。俺は、ギーゼルベルトが知っていることを大方知ることができるというだけだ」
フリーダはジャムクッキーをかじった。口の中で甘く崩れる口当たりの良さから、そこらのスーパーで売っているボソボソした量産品とは違うらしいことは分かる。形は狂いなく揃っていて、ロボットによる手作りなのか高級品なのか判別がつかなかった。
「それは詳しいって言うのでは?」
ツェットは間髪入れずに頭を振った。
「違う。調べればすぐに分かることをすぐ調べられるからと言って詳しいとは言わないだろう」
「はぁ……、まぁ、そうですか?」
フリーダには理解の及ばないこだわりがあるらしい。
(やっぱり、中身は科学者のお兄さんだな)
などと、頭脳派とは程遠い兵卒は思う。ロボットだとかとは別問題として人種が違う。少なくない時間を割いてロボット講座を開いてくれるチェルハに対して感じる心の距離と同じだ。
カメラのことを除けば、話題は博士と助手のことが多かった。ロボット相手に歓談といっても感覚としては人間と話すのと大差なく、共通の知人についての話のほうが続きやすかったからだ。
「博士は寝てるとして、ユリアーナさんは今どうしてるんですか? この時間まで挨拶もないのはらしくない感じがしますけど」
お茶請けに出されたクッキーは三分の一ほどまで減っている。気づけばもう三十分ほど経つだろうか。彼女ならばなにか手が離せないとしても一言くらいありそうなものだ。
ツェットは眉間に縦皺を刻んだ。
「訪問は知らせているが、貴女の目的を聞いた時点でアウレーリエの相手を頼んだ。また騒ぎたてて貴女に不快な思いをさせては申し訳ない」
フリーダは苦笑した。確かにありがたい気遣いだった。子供相手だと思えば我慢できないほどではないが、ブス呼ばわりされたことを許してもいない。
しかし、エーデル回路を積んだアンドロイドが人間と同じように考え感じる存在であるならば、フリーダはアウレーリエの気持ちが少しだけ理解できた。
「お兄ちゃんのこと大好きなんですね」
肉親であるというだけで無条件に与えられていたからこそ、失われるなんて考えてもいない。唯一無二にして絶対の親愛。しかし、肉親だからこそ、いずれ失うと分かっている情愛。
フリーダは孤児院育ちで親の愛情を知らない。だからこそ、兄との絆は強固だった。もっとも、その最後の肉親も子供のうちに亡くして、強い愛着以外の記憶はあやふやだ。
青年型ロボットは首を傾げた。
「ロボットに血縁関係があるはずないだろう。兄、というのは同じ親から生まれて血がつながっている男性の年長者を指す言葉だ」
ロボットに血の繋がりが無い以上、アウレーリエにとって、ツェットは兄ではない、とうわけだ。
辞書から引用したかのような四角四面な受け取り方は、ある意味でロボットらしかったが、彼らしくはなかった。先程、「詳しい」かどうかに拘ったときとは少し違う。かけらも考えたことがなかったのだろう。
加えて、この研究所で“兄”という言葉はただ一人の特別な人間を指していた。故にツェットの中で人間ではない物を兄弟と例える発想が生まれなかったのだが、フリーダは知る由もない。
「あなた達を作ったのはツァイツラー博士ですよね? なら、血が繋がっていなくても“同じ親から生まれた”って考えられるでしょ」
ツェットは少し考えてうなずいた。
「なるほど。つまり俺たちは四人兄弟で長兄がイクス、末妹がアウレーリエということか」
次兄の青年は平常通りの無表情だったが、合成音声でしかないはずの声に嬉しそうな響きがあった。
フリーダもつられて微笑んだ。
彼がまだ作られて五年なのだと思い出す。五歳児、ではないかもしれないが、まだまだ子供だ。
「それで、お父さんが博士、お母さんがユリアーナさん。ほら、家族みたい」
「家族……。ああ、そうなのか」
「どうかしました?」
彼は答えなかった。ただ、乏しい表情に淡墨のような哀れみが滲んだ。
その異常さをフリーダは見落とした。
気付く前に、最初に聞こうと思っていた問いが戻ってきて、次の質問をしてしまった。
「そうそう。気になってたんですけど、どうしてアウレーリエだけ人間味のある名前なんですか? 他はみんなアルファベットなのに」
ツェットは、わずかに首を傾げて瞳を青くした。
「アウレーリエの名前はユリアーナが付けた。ギーゼルベルトは『ウムラウトでいいじゃん』と主張したがユリアーナが却下した」
「あー、やっぱり博士はそういう感じか」
フリーダは残り少ないカップを傾けた。全て飲み干して、軽くなっているティーポットを小さく振る。チロチロと高い音がした。
「まだ話すことがあるのなら次を持って越させるが」
「いえ、大丈夫です」
フリーダは狭そうに腰を浮かせたツェットを留めた。
研究所に入ることができた時点で、彼女自身の目的は達している。警備員と談笑できたのも、上々だ。
「帰る前にユリアーナさんにご挨拶させてください」
「それはできない」
ツェットは瞳のステータスランプを赤くした。
「なんでですか?」
「ユリアーナは手が離せない。最初に言ったはずだ」
「それは覚えてますけど。私に不快な思いをさせないためにアウレーリエのお世話を頼んでるんですよね? だったら、私が大丈夫なら大丈夫なものなんじゃないんですか?」
ツェットは眉を寄せて、赤い瞳をちらちらと紫に瞬かせた。答えるべき言葉を探しているのか、それとも実は通信中なのか。
こうして色とりどりに変わるステータスランプを見ていると、彼が機械であることの実感が湧いてくる。
(ロボットなのは分かってるけど、だんだん人間と話してるような気分になるんだよなぁ)
フリーダは内心で呟いた。
しばらくして――と言っても十秒ほどだが――ツェットは頭を振った。
「許可できない」
言い回しが少し変わっている。
ならば、理由も変わっているだろう。
「どうしてですか?」
「俺の仕事にはユリアーナの身の安全を守ることも含まれる」
(ああ、なるほど。やっぱり気付いていたわけだ)
フリーダは引きつりそうになる笑みをそのまま固めた。
この問答は先程までの世間話とは違う、掘り下げる価値のある情報源だ。
「挨拶するだけですよ。危害なんて加えませんって」
「どうしてもと言うなら身につけている武器をすべて預からせてもらう」
ツェットが手を差し出した。
「最初からそう言えばいいのに」
フリーダはジャケットの内ポケットからハンドガンを取り出し、ウエストポーチごとナイフ類を外した。
「言っておきますけど、護身用ですよ? さすがに丸腰でこんなところに来れるほど神経太くないんで」
それらを手渡すと、
「先日は武器類を携行していなかったんじゃないのか? センサーの不良ならば改善することとしよう」
ツェットは答えながら、物々しい装備品をソファに置き、上からクッションを乗せて隠した。
前回は丸腰でしたよ、と言おうか迷ってやめる。更に墓穴を掘りそうだ。
「お守り程度の銃とナイフなんて、取り上げなくたってあなたにとっては変わらないでしょうに」
腰の軽さが落ち着かず、フリーダは何度もベルトの上を撫でた。
「人間は何をしでかすか予測不可能だ。万全を期す必要がある」
(あなたも似たようなものでしょう)
これも口には出さなかった。
『違う』と言われるだけなのは分かりきっていた。