6.
会社に戻ると、ランクの大目玉が待っていた。
「ツァイツラー研究所は君が思っているよりずっと危険なんだぞ!」
「すみません……」
フリーダはランクの席の横に立って小さくなった。
勝手をしたことについては謝って、それから、ツェットから受け取ったデータを渡した。
成果さえあれば多少のことは見逃してもらえるのでは、という下心もあったのだが、効果は覿面だった。
「ハード面か。まぁ、ソフトについてあいつが口を割るはずもないが。総重量……意外と軽いんだな。耐荷重も小さいし、素体部分は人間に近い形状だからか」
目を輝かせながら資料をめくっていく。
「フェーベルさん、それ、脇から覗き込んでも大丈夫なやつですか?」
興味津々で男が近付いてきた。気付けば、他の社員たちもそわそわとこちらを伺っている。
「構わないよ。本当に表面的なことしか書いていないから、誰かに資料化してもらおうと思っていたんだ。君がやるかい? チェルハ」
「お、いいんですか? やったね」
チェルハと呼ばれた男は、どこからか椅子を転がしてきてランクの隣に座る。
「どうも、テオバルト・チェルハでーす」
チェルハは笑顔でウインクした。
三十代半ば、中堅どころだろう。全体的に色素が薄く、北方の血を感じさせた。社内に服飾規定がないため各員好きな格好をしているが、周りの男たちと比べて派手で軽薄そうな印象を受ける。
歳の割にランクに対してくだけた態度なのはランクの人柄にある。ランクは気の優しいサンタクロースのような見た目の通り、柔和な人物だ。しかも開発部には、ランクがかつて大学教授をしていた頃の教え子も多いという。当時から研究に関して厳格な割に人間関係は気安かったらしい。
「これ、なんの資料ですか? ツァイツラー博士関係ですよね」
「ああ。彼が作った戦闘用アンドロイドだ」
「ツェット君ね。君、フリーダちゃんだっけ? ツェット君の実物見た?」
「はい」
「いいなぁ!!」
チェルハは年端のいかない少年のように顔を輝かせた。
「図面上で見るだけでもわかるこの無駄のない設計……。俺も本物に会いたいなぁ。あ、人型って時点で無駄とか野暮なこと言うなよ」
「言いません……。ていうか、人型ってそんな悪いんですか」
フリーダが問うと、チェルハが頭を振る。
「悪いっていうか、兵器としては必要性がないね。安定も悪いし」
「二足歩行だと重心は高くなるからな。掌と指先にアイテール銃砲を持っているんだ。この細さで衝撃を逃がすのはさすがの博士も苦心したんじゃないか」
「ですね。流石のアイテール武器でも、無反動ってわけには行かないでしょ。実弾よりはマシだったんでしょうけどね」
またフリーダには分からない単語が出てきた。二人の会話はフリーダの持ち帰った資料を種にどんどん花を咲かせてあっという間についていけなくなる。
(えっと、アイテールっていうのは、あのぴかぴか光る燃料のアイテールだよね。それを武器にしてる? そう言えば、プレイルームで使ってた剣は青かったな)
アイテールは青い液体で、エネルギー源として普及している。ツァイツラー系アンドロイドは全てアイテールを動力としているため、ときには『ロボットの血液』とも言われる物質だ。
ツェットの剣は青い液体を凝固させていた。アウレーリエのライフルも撃ち出されていたのは青い光。
アイテールを武器として使う、あれがアイテール武器なのだろう。ツェットは剣を盾のようにしていたが、相当量のアイテールが必要だったはずだ。
「あの、ツェットってアイテールは何リットルくらい積んでるんですか?」
ランクとチェルハが同時に顔を上げた。
気おされながらも続ける。
「この間、剣を盾状にして使っていたので……。やりすぎたらエネルギー不足にならないのかなと」
「ああ……。確かにそういう使い方をしていたな。十リットルくらいは使っていただろうが、彼の場合、アイテールは全体で四十リットルある。動力として不可欠なのが全体の半量程だろうから、倍は武器として使えただろうね」
「それに、エネルギー源としてのアイテールってのは、ガソリンと違って使えばなくなるものじゃない。武器として使うにはエネルギーを奪って固体化させる必要があるでしょ。余剰なエネルギーは、ほとんどロスなく体内のアイテールが吸収できるようにしてある。
アイテール武器の使い過ぎでエネルギー不足になるってことは物理的にアイテールが不足するってことだけど、タンクが大破して失血多量にでもならない限り滅多にないはずだよ。この感じだと、エネルギー補給なしでも一昼夜くらいは動き続けられるかな。
しかも!」
チェルハは、ちょっといいですか、と言いながらランクからタブレットを奪った。
資料の一部を拡大して何かを書き込むとフリーダに突きつける。
そこには、全身図らしきものが描かれていた。人間ならば腕と脚の筋肉があるあたりとみぞおちあたりが塗られている。
「アイテールタンクは全身に分散されてるんだ! 腹が一番大きいけど、土手っ腹に風穴が空いたって動き続けるよ!」
「なるほど……、弱点とか無いんですかね」
「オーソドックスに関節とかはどうだ。彼の服装を見ただろ? 袖は取り外せるようになっていた。あの継ぎ目を狙うか、もしくは関節を極めれば」
「いいですねぇ。効きそうです。細いから肉弾戦も弱そう。武器を扱うこと前提のボディですし素手の格闘戦とか見てみたいな」
戦いを長引かせればガス欠が狙えるのでは、という目論見は外れてしまったが、無敵というわけでもなさそうだ。
何とかして、ツェットを無力化したい。そうでなくては、たとえ博士に嫌気がさしても殺すのは無茶だろう。
ランクは資料が入った端末を指した。
「チェルハ。これを彼女が理解できるレベルに落とし込んでくれ」
「うぇっ、資料化ってそういう意味ですか」
「さっき快諾してくれただろ。やってくれるよな?」
「なんでわざわざ」
「知らないほうが気持ちよく生きていけるよ」
「はーい……」
チェルハは最初とは打って変わって肩を落としたが、端末を突き返さなかった。ツェットの資料は、彼にとってそれだけ魅力的なのだろう。
ズブの素人に対して説明するための“教科書”と玄人揃いの開発部で使う“資料”では勝手が全く違う。
「お手数をおかけします」
「いいよ、大丈夫。フリーダちゃん、あっちでツェット君の話聞かせてくれる? 俺、昔からツァイツラー博士のファンなんだ」
チェルハは会議スペースを指した。部屋の片隅をパーティションで区切っただけの空間だ。下っ端は密談ができるような部屋とは無縁である。
チェルハは方眼の紙に資料の内容を書き写し始めた。
彼は手元をまじまじと見つめているフリーダに気づいて、苦笑いを浮かべた。
「ずいぶんアナログなことをしてると思うだろ。ツァイツラー博士に関することについては、どこもデジタルアレルギーでね。一度、スタンドアロンのデータバンクから機密を抜かれて以来、データは全て紙なんだよ」
言われてみれば、ツェットの定期試験を前にフリーダが渡されたのも紙の資料だった。周りを見回せば、棚にはびっちりと紙資料をファイリングしたものが詰まっている。
「ほんとはこういう端末も、あまり持ち込んじゃいけないんだ。データを書き写したらこのタブレットは物理的に壊して溶かしてリサイクルに回される。資料のデータにどんなウイルスが入ってるか分からないし」
「えっ、そこまでします?」
フリーダは目を見張った。まだ、データをまるごとクリアするだけならわかるが、物理的に破壊するとは。
「言ったろ。アレルギーなんだよ。過剰反応。まあ、俺達はお上がそう言うなら従うしかないし、博士の技術力に太刀打ちできないんじゃ、文句も言えない」
チェルハは小さく肩をすくめた。
「そんなことより、君、ツェット君が武器を使ってるところ見たことあるんだよね。それってどういうシチュエーション?」
「えっ……と」
プレイルームでの実験について、話しても良いものだろうか。ランクが喋らなかった以上は、フリーダも口を噤むべきなのでは。
逡巡していると、チェルハは留めるように手のひらを向けた。
「ごめん、後でフェーベルさんに聞くことにする。それより、楽しい話にしよ。ツェット君って、人型でエーデル回路人工知能積んでるんでしょ? どういう子?」
「うーん……。兵器らしからぬ性格だと思います。たぶん、ツァイツラー博士と、助手のユリアーナさんを足して二で割った感じかと」
「両方とも面識無いからもう少し一般的な例えでお願い」
「あ、ごめんなさい。つまり……、兵士というより科学者っぽくて、優しいお兄さんって感じです。彼が作ったらしいロボットを見せてもらったんですけど」
「ツェット君が作った?」
チェルハが手を止めた。
「らしいです。トイプードル型で可愛かったんですよ」
「ふぅん……。意外に器用なんだな。センサーとかのスペックを見る限りだと、繊細な作業はできないように見えるけど」
「そうなんですか?」
「うん。指先なんて基本武器だからね。ものに触ってるかどうかなんて感じられるようにはできてないよ。カメラである程度補えるだろうけど、精密機械の組み立てができるほどとは思えないな」
チェルハは手の図面を見せてあれこれ説明してくれた。センサーの感度や可動域についても話していたが、フリーダが頭に刻んだのは武器としての性能についてだけだった。
両手は全く左右対称で、仕様の差は無い。いずれも、指先と手のひらが銃口になっている。指先は中空で砲身の役割を担っているため、僅かながら指の方が射程は長いようだ。いずれも有効射程は50mほど。護身用のハンドガン程度の威力で、撃たれても致死性は低い。
「ただし、アイテール弾は、どれだけ固体化させて撃つかによっては着弾したときに爆ぜるからね。アイテール銃ってアイテールに火薬みたいなものを混ぜて撃ちだすんだけど、破壊力はアイテールのエネルギー量に比例するんだ。氷状にして撃ち出せば貫通力はあっても威力は低い。逆にグミくらい軟らかいと、着弾時に爆発して、腕くらいなら軽く吹っ飛ぶはずだよ」
次々と撃ち抜かれ破壊されていった機関銃を思い出す。爆発の印象が無いのは『抑えていた』からか。爆破してまとめて壊せばいくらか簡単だったろうが、後片付けをするのが自分の仕事だと分かっていたなら、極力破壊しないように力を抑えたほうが合理的、かもしれない。
(本当に余裕綽々だったんだな)
身を呈してフリーダを守りながらアウレーリエとツァイツラー博士の相手をして、さらに始末にまで気を回していた。
フリーダは、話を聞きながらチェルハにも感心していた。
図面は本当にただの図でしかない。パーツごとに分解されていて、フリーダの目にはそれがどこのなんのための物かもわからない部分も多い。それでもチェルハの脳内ではしっかりと一体のロボットに組み上がっているようだ。
頭の出来が根本から違う。分からない部分を都度質問できるからともかく、書面だけではちんぷんかんぷんだったかもしれない。
彼も話しながら知能の差を感じたようだ。
「君に合わせた教科書作るのそうっとう大変だから、これからも直接講義するけどいい?」
暗に馬鹿だと言われているようなものだが、事実なので仕方ない。基礎教育の時点から座学は苦手だった。
「はい、よろしくお願いします」
素直に頭を下げたフリーダにチェルハが笑いかける。
「お礼は博士の家族写真でいいよ」