5.
「私も一緒に行く!」
「外部の人間を一人にしたくないんだ。聞き分けてくれ」
アウレーリエは不満そうに出ていくツェットを見送った。不満なのはフリーダも同じだ。いきなり人をブス呼ばわりするような不躾者を監視役に残されるなんて。
「……座れば」
アウレーリエはぶっきらぼうにソファを指した。大人しく従う。
機械の少女は目の前に座って、長い脚を組んだ。汚れても構わない普段着でも、人形のように可愛らしい。
「ほんと、何しに来たんだよ。迷惑なんだけど」
刺々しい言い方にむっとする。
「仕事ですよ。さっきからやけに突っかかりますけど、何なんですか」
「……ツェットに無理に言うこと聞かせたでしょ」
「…………?」
フリーダは何を指して言われたのかわからずに首を傾げた。
「私達がいくら帰れって言っても、人間に嫌だって言われたら、私達にはどうしようもないんだ」
「三原則の第二条ですか? それは、当たり前じゃないですか」
アウレーリエは片脚を抱いて顎を乗せた。
彼女たちがいかに精巧に作られていても、所詮はプログラムによって動く機械に過ぎない。彼らという存在に対してのフリーダの認識は、どちらかと言えばツァイツラー博士に近かった。彼女たちは人間とは違う、よくできた『物』だ。
それから、応接室は沈黙が支配した。はるかな地上から大気を運んでくる空調の音だけが低く響く。
(なんでツァイツラー博士はロボットをここまで人間に近づけたんだろう)
機械の少女はライトの目を伏せて、中空を見つめている。機能としては不要だろうに、長いまつげがきれいにカールしていた。髪の間から覗く耳も、奥にマイクが仕込まれているのだろうが、見た目にはわからない。唇は柔らかそうな桃色で、歯も舌も作ってある。膝を抱える指先には、肌の部分とは質感が違う、つるりと磨かれた爪。
気に食わない女をブスと罵る知能があり、そもそも『気に食わない』と考えるような感情まで持ち合わせている。博士が聞けば「相手の言動から計算された行動ってだけ」と言うかもしれないが。
SF小説において、高度な人工知能が人間に反旗を翻す展開はよく見られる。
(リスクしかない気がするけど。ツェットなんて、戦闘機のくせに敵に説得されたら攻撃を止めそうな性格してるみたいだし)
それを出来るように作るから出来るようになる。プログラムとはそういうものだ。しかし、少し触れ合っただけでも、彼らがほとんど人間と変わらなく見えるレベルで自らの意思での判断をしているのがわかった。
でも、それも結局はプログラムであって……。
考えが絡まってきたころ、ツェットがユリアーナを伴って戻ってきた。
「お待たせしてごめんなさい」
そう言う彼女は、白衣にスニーカーという出で立ちだった。試験のときと違って化粧っ気がなく、頬に一筋、汚れた手で擦ったような黒い跡があった。
フリーダが本気で失礼を働いてしまったと後悔したのはこの瞬間だった。
職場の一施設に来たつもりでいたが、それは、フリーダにとってのことだ。ユリアーナにとっては生活の場、家に等しい。
慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「いえ、あの、こちらこそ急に伺って申し訳ありません。お仕事中でしたよね……?」
「ああ、いいんですよ。さっきまでプレイルームの後片付けをしてたんですけど、そろそろ休憩しようと思っていたところだったから」
ユリアーナは鷹揚に笑った。アウレーリエが頬を指してハンカチを手渡すと、恥ずかしそうに顔を拭う。
「研究所を見て回りたいんですよね? ご案内します」
「ありがとうございます。……あの、ツァイツラー博士にはご挨拶しなくて大丈夫ですかね?」
研究所の主は、先程から全く名前すら出ない。
助手は、顔の汚れを指摘されたときよりも恥ずかしそうに、あるいは情けなそうにした。
「彼はまだ寝ているから……。夕方を過ぎないと起き出してこないんです。地下暮らしで生活リズムが狂う、なんて、言い訳ですけど……。あの人に会いたいのなら、問い合わせは必須ですよ」
フリーダは思わず時計を確認した。午後二時半。まだ眠っているとは、昼夜逆転も甚だしい。
「防音はしっかりしてあるけれど、騒がないようにお願いしますね。起こすと面倒だから」
そう言って、ユリアーナは研究所を案内してくれた。ロボット二体も後を付いてくる。
研究所は、大きく2つの区画に分かれている。
研究施設と居住空間である。研究施設はエントランスがあるフロアで、その更に地下に居住空間が広がっていた。中央を一本の廊下が貫き、左右対称に部屋が作られている。片側四室の計八室。そのうち、奥の一室は地下と繋がる――プレイルームだ。
当然ながら、案内されたのは研究施設の部分だ。
エントランス側から見て手前二室は几帳面に整頓された書庫だった。背表紙の年代は新しいものもある。最新の論文誌も取り寄せているらしい。
外からの物資の調達はユプシロンという専任のアンドロイドが行っている。X、ZといるのだからYもいるのだろうと思っていたが、やはりいるようだ。
一つ奥の右手側は新旧様々なコンピュータが雑多に置かれている部屋。散らかり放題のデスクはツァイツラー博士のものだ。
「この部屋には入らないでくださいね。紙一枚でも動かすと、博士がうるさいんですよ」
「気付くものなんですか?」
「ええ。全部覚えているみたいで」
ユリアーナはそう言って早々に次の部屋へ向かう。
博士の部屋の向かいは工作室と呼ばれる部屋だった。
その名の通り、パーツの加工を行う部屋らしく、作りかけの様々なパーツが散らかっている。これらの金属板やコードが組み合わさって、人間さながらのロボットが生まれるのだろう。想像もつかない。
機材について質問すると、答えは主にツェットから返ってきた。ハードウェア――つまり機械の部分は彼のほうが詳しいらしい。
「私も勉強はしているんですけど、もともと専門じゃなかったのもあって」
ユリアーナは悔しさを滲ませていた。
「ご専門は?」
「簡単に言うと……、ロボットと人間の心理学かしら」
フリーダは首を傾げた。ロボットに心理も何もないだろう。
そう思ったのが伝わったようで、ユリアーナはもう少し詳しく説明してくれた。
「彼らを動かすプログラム一つ一つは説明がついても、全体としてはよくわからないところがあるんです。人間の脳内物質が感情と関連していることが分かっても、なぜ悲しいと感じるのかはわからないでしょう?」
「ええ、まぁ……」
フリーダは曖昧に肯いた。本当はもっと手前のあたりから理解できていない気もしたが口にはしない。言葉を尽くされたところで理解できないものは理解できないと感じた。
助手として彼女に期待されたのは、対外折衝とロボットたちの教育係としての役割だ。言い換えれば、学者としての能力は不要だった。
研究の手伝いはロボットたちがすればいい、と博士は考えている。助手と言いつつ、それらしい仕事はこの五年間ほとんどしていないのだそうだ。
「勉強不足だから仕方ないんですけどね。ツェットと博士が話しているのを聞いてると、私も頭にエーデル回路を搭載したくなってきますよ」
意外な思いで機械の青年を見上げる。
「貴方って戦闘用じゃなかったですか?」
「そうだが、中身はさほど特別じゃないんだ。俺たちは忘れるということがないから、ギーゼルベルトと五年も過ごせばそれなりに詳しくなる」
彼の言う「それなり」の基準が天才博士の「それなり」であることはフリーダでも分かった。
「貴方もなにか作ったりするんですか?」
「……玩具程度のものなら」
ツェットは工作室に置かれたダンボールから茶色い塊を取り出した。
机に置かれると瞼が開いて、緑の瞳が瞬いた。
茶色い巻毛の犬で、トイプードルのようだった。こちらを見てぱたぱたと短いしっぽを振っている。
「かわいい……! 貴方が作ったんですか?」
「ああ。まだ作りかけだが」
フリーダが手を出すと、ちょこんとお手の要領で前足を乗せる。ふんわりとした足はぬいぐるみのようだ。笑うような顔で舌を出しているのも愛くるしい。
「これで作りかけなんですか? 充分に見えますけど」
ツェットは大きく頭を振った。
「ソフトウェアは俺と大差ないものを積んでいるが、ハード面は未完成だ。前足一つとっても、爪がないし肉球もないだろう。毛並みも俺ですら質が違うと分かる。巻毛のフェイクファー造り自体も苦戦したが、さらに住環境を考慮して静電気を抑えようとするとどうしても手触りが――」
平坦なトーンが熱を帯び始めたところでユリアーナが待てをかけた。
「ツェット。そういう話は、あとでギル相手にしなさい」
「……承知した、ユリアーナ」
ツェットはいささか残念そうに引きさがった。子犬の目の前で手を振って――おそらくその動作がスイッチのオフなのだろう。子犬が目を閉じると、再度ダンボールに仕舞い込んだ。
「全く。妙なところばっかりギルに似て」
ユリアーナは呆れたように呟いた。ツェットはいつも博士とロボットの話をしているのだろうか。ロボットがロボットを造るというのも不思議な話だ。
無用なほど細部にこだわり抜いているのは、ユリアーナが言うところの『変なところばかり似て』だろう。手触りだって、フリーダにはよくあるぬいぐるみのそれに感じられた。
先日の実験結果について興奮気味に語る博士を思い出す。慈悲のかけらも持ち合わせていない言動は、ツェットには似つかないが、日頃から共に生活しているユリアーナには類似点が見えているのだろう。
「ロボットも親に似たりするんですね」
「そうですね。この間博士も言っていたと思いますが、人工知能というのは入力されたデータから学習するものです。身近な人の言動から学ぶ、ということに関しては人間と何も変わりませんよ。だから、ツェットはイクスとユプシロンにも少しずつ似ています」
「へぇー、ロボット同士も似るんですか」
フリーダはツェットの片腕にしがみついてつまらなそうに黙っているアウレーリエを見やった。目が合うと、アウレーリエは敵意ありありの眼差しでフリーダを睨みながらツェットの陰に隠れる。
「彼女もどこか似てるんですか?」
フリーダはアウレーリエを指さして問いかけた。
ロボットたちの育ての母は、頬に手を当てて苦笑する。
「まだ発達のレベルが幼すぎて何とも言えませんが……、駄々のこね方は博士そっくりです。妙に理屈っぽくて」
ユリアーナは細く長くため息をついた。察するに、正論や屁理屈をこねくり回しているのだろう。
「えーっと……、なんだか疲れそうですね。お疲れ様です」
「ありがとう。こういう暮らしだと、人に労ってもらう機会が少ないから嬉しいです。博士よりも皆のほうが優しいんだもの!」
そう言ってツェットの肩をぽんぽんと叩いた。
「ギーゼルベルトは、決して全く優しくないわけでは……」
博士に忠実なゴーレムは困り顔でフォローしたが、アウレーリエは舌を出した。
「機嫌が良ければね」