4.
RW社の兵器開発部は、軍事演習を行う山林と隣接している。軍と開発会社がお互いに最新兵器を試すことができるようになっているのだ。
ツァイツラー研究所の入り口は、RW社と軍の間にある。多くは倉庫か何かだと思っていることだろう。フリーダはそもそも扉の存在自体知らなかった。
フリーダは恐る恐る、ロックに手をかざした。静脈を認証してカチリと解錠される。先日、帰り際に登録されたものだ。
「おお……」
思わず嘆息する。生体認証は別に珍しくないものの、一つ認められたような、ちょっとした感動があった。
扉が開くとまた扉がある。研究所唯一の出入口。地下へと続くエレベーターだ。
その前に男が立っていた。フリーダよりいくらか年上、二十代半ばほどの見かけだ。ツァイツラー博士に似ているが、博士よりも背は高く、垂れ目は皮肉っぽく見える。
彼の目が鮮やかなグリーンに光っていなければ、博士の息子だと勘違いしたかもしれない。いや、だからこそある意味では息子だ。
フリーダが思わず立ち尽くしていると、さっさと中に入れとばかりに手招きした。慌てて数歩踏み出すと、背後で扉が閉まる。
「来るならアポ取ってからにしろよな」
「……すみません」
「もし、俺がアポ無しの訪問客は通さねえって言ったらどうすんの? ま、無駄だし言わねぇけど」
男――イクスが扉に向き直ると、エレベーターはひとりでに開いた。
イクスは、内外の橋渡しをするアンドロイドだ。唯一外部ネットワークに接続されていて、外から連絡が取れるのも彼一人のみ。連絡方法は意外にも普通の電話だった。
エレベーターの操作ができるのも、所内では彼だけだ。彼の迎えがないとフリーダは研究所に入れない。忘れていたわけではなかった。
「無駄なんですか?」
「無駄だろ。ギルから何も言われてねぇ以上は、人間の言うことをお利口に聞くのがロボットってもんだ」
イクスはニヒルな笑みを浮かべた。
エレベーターに乗り込むと、イクスはコントロールパネルにパスワードを打ち込む。日替わりどころか分替わりらしいが、ロボットには関係ないことだ。
そして、地下深くへと降りていく。研究所まで、1分ほどかかる。外のロックを外した時点で迎えが来るだろうとまでは予想していたけれど、イクスが待ち受けていたのは想定外だった。
「なんで私が来るって分かったんですか」
「ツェットが、しばらくは外で張ってろって言ったんだ」
「どうして?」
「人が来ても追い返して欲しかったんだろ。あいつ、この時期忙しいし。俺が通したら、あとはあいつが自分で止めなくちゃなんねぇからな」
イクスは壁によりかかり腕を組んだ。
「私、追い返されるんですかね」
なんと言っても、「来る前に連絡しろ」と言われたのを早速破ったのだ。
イクスはそのまま肩をすくめる。
「さあね。あいつ、見かけによらず押しに弱いし、ゴネてみれば? 何しに来たか知らねぇけど」
イクスはつっけんどんに答えた。フリーダに対して敵意がある、というけではなく、そういう質らしかった。
ロボットにも性格というものがある。博士に言わせれば「単に今まで入力されてきたデータとか乱数に差があるってだけ」だが、彼らの挙動には大きな差があった。
(何しに来た、か)
上官であるマルクス・デュッケ師団長からの命令は、非常に曖昧だった。
「ギーゼルベルトと仲良くなってこい」
師団長は一兵卒にすぎないフリーダからすれば雲の上のお方だ。まさか正気を疑うわけにもいかず、はいはいと頷いて今ここにいる。他にも「ギーゼルベルトが嫌になったら殺してもいい」とか「死ぬならあそこのロボットに殺されて来い」とか、穏やかでないことも言われたが、そちらは気にしても仕方がないことだった。
師団長はツァイツラー博士とファーストネームで呼び合う仲らしいので、師団長自身すでに仲が良さそうなものだ。フリーダまで博士と仲良くなってどうさせたいのかはわからないが、軽く十個は階級が上の相手の深謀など考えてもわかるまいと諦めて、せっかくだから自分の好奇心を満たそうと思っていた。
つまり、フリーダの目的を端的に言うと。
(秘密の地下研究所とかロマンの塊だよねー。せっかく仕事で来れるんだし探検させてもーらおっ)
となる。
エレベーターが地底に着くと、イクスはフリーダだけを降ろした。
「帰るときはまた呼んでくれ」
「え、一緒に入らないんですか?」
「入んねぇよ。俺の仕事場はエレベーターで、まだ仕事中だ」
イクスは壁をコンと叩いた。閉まりゆく扉の隙間から、床からせり上がるスツールが見えた。博士似の青年は、優雅に腰を掛けて脚を組む。
一人になると、フリーダは、何かとんでもないところに置き去りにされたような心地がした。
まず、自力では脱出不可能な窖の中だ。もし、何らかの理由でイクスが呼びかけに答えなくなったり、あるいはエレベーターが故障したりしたら、二度と日の目は拝めない。
ここには非常口が本当に存在しない。設計図を確認したから間違いなかった。
(さすがに住みたいところじゃあないな)
虜囚の博士はともかく、助手は自ら望んで地底生活をしているらしい。狂っているのは博士だけではない。
目の前には、ツァイツラー研究所と書かれたそっけないガラスの扉がある。先日はランクとともにくぐった扉だ。
緊張しながら扉を押し開くと、すぐエントランスに繋がる。
「遅かったな」
黒ずくめの青年が、ソファの背もたれに浅く腰を掛けていた。他には誰もいない。
「なんで私が来るって分かったんですか」
イクスにしたのとそっくり同じ質問をする。
ツェットは瞳を青くした。
「担当者の変更等でロックの登録者が増えたときは必ずそうしているだけだ」
ツェットはフリーダの前に立ち塞がった。昔見た映画がアニメかに出てきた、城を守るゴーレムを彷彿とさせる。城主はもちろんツァイツラー博士だ。
フリーダは思わず一歩後退った。たとえ人間を攻撃しないように作ってあったとしても、相手は戦闘兵器だ。三十センチの距離を置いたところで、ツェットにとっては誤差の範囲だろうが、動かずにはいれない。
「訪問理由を伺おう」
「貴方についての情報を得るためです」
これは最初から用意していた答えだった。嘘でもない。
「承知した。何か軍支給の情報端末かメモリは持っているか?」
「あ、はい」
あまりにあっさりと承諾されたため、フリーダは慌てて鞄からタブレット端末を取り出した。網膜認証と静脈認証を潜って初めて使えるものだ。研究所に関わるのだから勉強に使いなさい、とランクから受け取ったばかりだった。
手のひらを翳して起動すると、ツェットはその上に重ねるように手を差し出した。
ピ、と軽い音がして、画面上にデータ転送のステータスバーが表示された。
「俺が明かせるデータの全てだ。これで目的は達しただろう。帰れ」
「データ全部って」
フリーダは即座にファイルを開いた。何やら小難しげな専門用語や精緻な設計図が並んでいる。ほとんど空っぽだった端末のデータ容量が半分以上埋まった。
「勝手に情報を漏らしていいんですか?」
「俺が明かせる範囲と言ったはずだ。重要事項は含まれない」
ですよねぇ、と呟きながら、さっぱりわからない資料を閉じる。これらは後で、ランクなり会社の研究者に渡せば喜ばれるかもしれない。
「それらは全て外側……俺の、兵器としての武装に関わる部分の内容だ。俺を壊したいのなら参考書程度にはなる。もういいだろう。帰れ」
「そんなに帰らせたいんですか?」
フリーダは声に不満の色を混ぜた。ツァイツラー博士に許可を得ているのだから、好きなようにしてもいいはずだ。ロボットに帰れ帰れと言われるのは不愉快だった。無意識に、「ロボットは人間に隷属すべし」という頭があるからだろう。
「約束もなしに突然来た来訪者を早急に追い出したい。さほどおかしなことではないと思うが」
「う……」
ツェットに睨まれてたじろぐ。確かに、連絡を入れてから来るようにと言われていたのを守らなかったのはこちらだ。
「でも、せっかくツァイツラー研究所に来たのに……。地下に隠された秘密の研究所とか、ロマンが……」
「遊園地じゃないんだぞ。とにかく、今日は早く帰ってくれ。俺も暇じゃないんだ」
強制的に回れ右をさせられて、肩を押される。力がほとんど入っていないのは、柔らかく傷付きやすい人体に対する配慮だろう。担ぎ上げて追い出すこともできるのにそれをしないのは、明確に「約束のない相手は追い出せ」という命令がされていないからだ。
あいつは押しに弱いからゴネてみろよ、というイクスの言葉を思い出す。
ひんやりとした金属の手に手を重ねる。振り向くと、ツェットは困ったように眉を下げた。表情の再現度の高さに内心驚く。顔の筋肉がすべて再現されているのではなかろうか。
「暇じゃないって、何してるんですか?」
問うと、彼は眉間を寄せた。目は質問に答えるため青く染まっているが、仕方なく答えているのがありありとわかる。
「ここの警備とプレイルームの整備と、ギーゼルベルトの――」
彼の背後で、研究所の奥に続く扉が開いた。
「ツェット! いつまでサボってるの!」
凛とした少女の声が鼓膜を打った。聞き覚えがある。模擬戦闘場で共闘することになったアンドロイドの声だ。
ツェットの肩が、ため息でもつくように上下する。
「ギーゼルベルトとアウレーリエの相手だ」
青年の陰からひょいと顔を出すと、向こうも同じようにしてこちらを覗いていた。フード付きのパーカーにジーンズ生地のオーバーオールという服装で、ところどころ油汚れで黒くなっている。
アウレーリエは目が合うと、小走りに兄の腰にしがみついた。子リスのような瞳で、じっとこちらを警戒している。ツェットとの体格差で、人見知りな幼子が親の陰に隠れているように見えた。
「なんでいるの」
「アウレーリエ。早くユリアーナのところに戻れ。俺もすぐに行くから」
彼女の問いかけは無視して、ツェットが腰に回されている腕を軽く叩く。当然のことながら、水気のあるぺちぺちという音ではなく、コンコンと硬そうな音がしていた。
「やだ」
短い拒否に、ツェットは片手で顔を覆う。
どうやら、本当に暇ではないらしい。何か作業中のところを、フリーダのために抜け出してきたようだ。
「あのー……、何かやってる最中なら、私もお手伝いしましょうか? ユリアーナさんもいるってことは、人間でもできることですね?」
「いらない。さっさと帰れブス」
「ぶっ……!」
アウレーリエが舌を出した。ロボットが物を食べることもないだろうに、わざわざ歯列も舌も作られている。こだわりという名の無駄の極みだ。
「アウレーリエ。人の悪口を言うな」
ツェットは叱責したが、アウレーリエはそっぽを向いた。
「本当のことを言って何が悪いの」
人の手で作られたある種の芸術品である彼女と比べれは、人類は概ねブスかもしれないが、フリーダは人間の女性としては中の上くらいではあるつもりだ。
どう言い返してやろうかと考えている間にツェットが頭を下げた。
「申し訳ない。手伝いについては気持ちだけ受け取っておこう。どうしても帰らないと言うなら応対するが、本当なら帰ってもらいたい」
ツェットの言葉はもはや懇願じみている。アウレーリエの眼差しは心なしか、針を逆立てたヤマアラシのようだ。
(これはあと一押しだな)
罪悪感はなくもないが、フリーダはニッコリと笑った。
「帰りませんよ?」
「……わかった。自由に探検させるわけには行かないが、案内くらいはしよう。ユリアーナに報告するから少し待て」
彼は目を伏せた。そのまま微動だにしない。
「あの……?」
「ツェットはユリィと話してる」
ツェットに代わってアウレーリエが答えた。声に出さずとも通信できるような機能が内蔵されているということだろう。
「ちょっとくらい待てないの?」
アウレーリエが鼻で笑った。嫌がらせに人を馬鹿にする機能を実装したとしか思えない表情、声音である。そうでないにしても、博士がわざわざ「人を小馬鹿にするときは片頬を上げて笑い、声の調子は態とらしく大げさな抑揚をつけて話すこと」と教え込んだに違いない。ツァイツラー博士であれば面白半分にやりそうだ。
フリーダは元来、気が長い方ではない。
「さっきから何なんですか!?」
「べーつにー? 私が言いたいことはさっき言ったもん」
「さっき?」
「早く帰れブス」
「このっ……! さっき悪口言うなって言われたばっかりじゃないですか! 学習能力ないんですかね!?」
「うるさいばーかばーか!」
アウレーリエが子供のような罵声をあげる。あまりの幼稚さに何と言い返したものか言葉に詰まった。
「いい加減にしろ」
ツェットの手がアウレーリエの頭を押さえつけた。そのままぐりぐりと撫で回されて、髪がぐしゃぐしゃに跳ねる。
「なんで人間なんかに味方するんだよ!」
「そういうことじゃないだろう。今のはお前に非がある」
「だって」
何か言いかけたアウレーリエが突如口をつぐんだ。目をチラチラ青くして、口を尖らせる。青、つまり命令受理のカラーになっているということは、ユリアーナが何か言っているのかもしれない。
少ししてツェットが虚空に向けて小さく頷いた。
「ユリアーナのところに行ってくる。二人にするのは少しばかり心配たが……アウレーリエと待っていてくれ」
腰に絡んだアウレーリエの腕を解く。先程のように自ら放すようには促さなかった。