2.
この国の法律上においてロボットとは「ロボット工学三原則に則った振る舞いをする自律機械」と定義されている。
第一に、人間を傷つけず、人間の危機を看過しないこと。
第二に、人間の命令に従うこと。
第三に、自らの身を守ること。
そしてこれらを上から順に優先した行動を取ること。
まだ機械による自然言語対話さえ夢物語だった時代に考えられたこの規則が、真剣な意義を持って法の中に姿を現したのは、今から十五年ほど前のことだ。
きっかけはこの世で――十五年経った今でも――最も優れた人工知能、エーデル回路人工知能の発明である。
エーデル回路人工知能とは、その名のまま、エーデル回路というハードウェアに専用のオペレーティングシステムを載せることで、人間と同様に思考して学習する人工知能だ。脳神経と発達心理のシミュレーションに特化している。
それは、ロボットに魂を与えた。
最初に作られたのは小さな犬だった。ペットとして可愛がるための、いわばおもちゃだ。
原動力となるのは、その頃には全世界に普及していた「アイテール」という再生可能エネルギーだった。1時間も太陽に当てれば、犬が一日を過ごすのに充分なエネルギーを得られた。熱を加えても電気を流してもいいが、結局日に当てるのが一番手頃な方法として知られている。本物の小型犬よりよほど手間がかからない。
しかも、教育すれば人間の言葉を理解して、犬のボディで可能な限りの手伝いさえしてくれる。愛情表現も豊かで、飼い主を決して裏切らない。
持ち主の家の前を通る隣人は「お利口さんなワンちゃんね」などと言いながら犬小屋の前を通ったかもしれない。事が起こるまでの半年間、彼は本物の犬だと思い込まれていたのだ。
ある日、持ち主の家に強盗が入った。いや、強盗ではなくただ家に押し入って持ち主を殺そうとしただけだったかもしれない。なにせ、持ち主――つまり犬の開発者だが、彼は非常に敵の多い人間だった。
強盗が拳銃と己の身体能力によって厳重なセキュリティを破り、持ち主の家に踏み込んだとき、小犬は強盗に立ち向かった。
鋼鉄のボディと人間並みの知能を持った犬型の玩具は、犬並みの身のこなしと的の小ささを活かして、強盗を打ち負かした。
それだけなら、ロボット犬の大活躍がニュースに取り上げられる程度のことだったかもしれない。開発者は自分が作り出した人工知能を世に出す気がなかったのだから、機能を過小に発表するくらいはしただろう。
しかし、小犬は、強盗を噛み殺してしまった。確実に息の根を止めるために、喉元を食い破ったのだ。
開発者は捕まったが、司法は彼を持て余した。
果たして人工知能による過剰防衛はどう罪に問うべきなのか?
強盗の死と開発者を直接的に結びつける因果関係が見出だせなかったのだ。彼は強盗が入ってきた当時家にはおらず、財布だけを持って近所のスーパーにでかけていた。小犬を遠隔操作する術もなかったことが明らかになっている。
罪状を保留にしたまま、彼を罪に問うためだけの罪が作られた。
通称「三原則違反」。
人工知能によって制御される機械で人を殺した、人を殺せる自律機械を作ってしまった人間に課せられる罪だ。あくまで個人を対象にしているのは、彼が社会的組織に属していなかったからだった。
そうして彼は永遠の罪人となった。
しかし罪人の技術は世界を魅了した。その性能はあらゆる既存の人工知能を凌駕していたのだ。
小犬の頭脳であるエーデル回路は解析された。
技術だけが抽出され、世界に最高の人工知能たちが溢れるかと思われたが、解析は難航を極めた。肝心の部分が分からないのだ。
――なぜ小犬は人間を襲うことができたのか?
開発者の書いたプログラムは解読者をおちょくるように難解だった。
そして完璧だった。
犬は人間を襲わないように作られていたし、バグらしいものも見つからない。
十年の月日を経て、エーデル回路人工知能はその危険性を包み隠されたまま、用途を制限して市場に出回るようになった。
牢獄の中とはいえ、全てを知る開発者が生きている。危険は少ないと判断されたのだ。
罪人の名はギーゼルベルト・ツァイツラー。
万能エネルギーアイテールの発明により、富と名声を得て、
魂を持つ人工知能エーデル回路の発明により、それを失った科学者である。
衍字を修正しました。