1.
けっこう人が死にます。お気を付け下さい。
真っ白な部屋に、黒尽くめの青年が立っていた。
二メートル余りの長身を包むコートも、袖から覗く指先も、ゆとりのあるズボンも、全てが黒い。頭を防護するフードの陰から光る、グリーンの瞳が鮮やかに映える。
顔立ちは精悍と評していい。見る側に好みの差はあれど、ほとんど理想的に整えられている。どこか幼く見えるのは、年月が顔に刻まれるものであるならば仕方がないだろう。
部屋は広さにして十メートル四方ほど。高さは約六メートル。
北側の二階に相当する位置に窓があり、室内を見下ろせるようになっている。入口の扉は南側の壁にあった。
彼は腰に取り付けている白い棒を左手に握った。同じものがもう一本ついているが、そちらはそのままにしている。
棒はバイオリンの弓から毛を取り去ったような形状だった。
毛が張られているべき場所に青く燐光を放つ液体が伝い、固まっていく。
それは十秒ほどで青い刃となった。突き刺すことができない形状の、刃渡り1mの長い鉈だ。
『準備はいいかい、ツェット』
彼に内蔵された通信機が声を届ける。人間の感覚に例えるならば『頭に直接語りかける』とでも言うべきだろうか。
声の主は窓から手を振っている。白衣に眼鏡、枯れ木のような痩身。だれもが一度は教科書で見る、のんきなたれ目とゆるい口元。
ギーゼルベルト・ツァイツラー博士だ。
青年――ツェットは博士に準備完了のシグナルを送った。
『じゃ、行くよ!』
博士の合図で、壁中から駆動音が響き始める。
あちこちで壁面のパネルが開き、中から機関銃が現れた。
それが完全に開ききる前に、ツェットは自分の跳躍能力の限界を計算して、手が届かない位置にあるものへ右手を向けた。
『あっ、撃つ前に壊すのはずるい!』
非難は無視される。
関節も顕な金属の手。その掌につけられているシャッターが開き、剣と同じ青い光が漏れる。
機関銃に実弾が装填されるよりも速く、丸い特殊銃口から、光が撃ち出された。
ツェットが手にしている剣の刃と同じ素材を、一センチの球に固めた物だ。眩さから10倍の大きさがある光の玉に見える。
それは見事に銃を撃ち抜いた。ポンッ、とかんしゃく玉のように跳ねて銃身が千切れ飛ぶ。
すぐに機関銃の斉射が始まった。
彼は目元だけを剣で庇いながら、出入り口を撃てる北側の壁へ駆けた。体に当たる弾は構わない。全て、特殊繊維で織られたコートが弾いていく。襟が高く裾の長いコートは、首から膝までの関節を守る鎧だ。このプレイルームにある銃が何発当たろうと支障はない。
彼は壁際に立つと、剣を壁に沿わせるように構えて跳躍した。銃はあえなく切り裂かれ、機能を失っていく。ジャンプの頂点で剣を一閃させて、落下する間は手のひらの銃口から光球を放った。着実に機関銃は数を減らす。
北側を壊し尽くしたところで、出入り口が開いた。
飛び込んできたのは、のっぺらぼうのアンドロイドだ。量産型の木偶で、単純な自律システムしか積んでいない。銃を雑に避けながら、半分はツェットに向かっていく。残りの半分は、手に持った銃でツェットの眼と手を狙っていた。彼らが持つ攻撃手段は、武器を持って戦うか自爆するかの二択だ。
彼はその場を動かずに自爆班の木偶を迎え撃った。首を狙って剣を振るう。木偶たちのメインコンピュータは頭に積まれており、切り離された体は統率を無くして崩れ落ちていく。爆弾はちょうど心臓の位置に仕込まれていて、脳と心臓を斬り分ければ爆発しない。南の機関銃に背後から心臓を撃ち抜かれて爆発するものは、多少いたが。
狙撃班の木偶は、武器を狙い打たれて続々と自爆しに寄ってくる。
ツェットはわらわらと流入してくる木偶たちの陰に、質の違うものが二つ潜んだのを見落とさなかった。
扉が閉まる。もう新手は来ない。
ほとんどの木偶を容赦なく縦に両断するか首をへし折って、異端の一つに肉薄する。
軍服の女。防弾チョッキは身につけているが、生身の人間だ。ブロンドの髪を邪魔にならないよう一つにくくっている。先ほど挨拶をしたときには臙脂色の制服と同色の軍帽を被っていたが、帽子はどこかに置いてきたようだ。
まだ若いため、豊かな胸元に光る階級章は位の高いものではない。
『さあ、ここからがお楽しみだ!』
調子ハズレの口笛が部屋のスピーカーから流れ出した。
機関銃が向きを変え、女軍人に狙いを定める。
女は覚悟の上なのか、表情は硬いながらレーザーナイフでツェットに斬りかかった。
「正気か……!」
ツェットは顔を歪めた。彼女の方は、それを見て口元を笑わせた。
下手に避ければ人間に弾が当たる。片手で女の武器を掴み、握りつぶして破壊した。彼の手は小型のレーザー装置程度では傷つかない。
ナイフの残骸を背後で木偶の影に隠れている1体のアンドロイドに投げつける。横に三体並んだ木偶たちの後ろで、ツェットの頭に狙いをつけていたライフルが引っ込んだ。
ツェットはいかにも不快であるというように険しい顔で博士をにらみ上げた。
『ははっ、やっぱり怒った? でも僕だけが悪いわけじゃないもーん。誘ったら乗ったアウラだって悪いもーん』
博士は愉快そうに言う。わざとツェットの神経を逆なでしようとしているようだ。
その隙に女は二本目のナイフを取り出した。わざと銃の射線上に出て行こうとする。そうすればツェットの行動をコントロールできるとわかっているのだ。
女兵士はツェットの左手に抜けようとしていた。機関銃の射線を木偶の壁から外して、陰にいるアンドロイドを援護する。
彼は身を呈して女を守りながら、剣の刀身を幅広く伸ばしていった。青い液体が固まった姿は、さながら分厚い氷の盾のようだ。
女の武器の残りはナイフと鉛の実弾が入った拳銃1丁だった。ツェットはすべて難なく破壊した。もとより彼女は保護対象でしかない。南西の壁際に追い込むと、東側の銃をいくらか壊して、完全な死角を作った。あとは彼女が動かずにいてくれれば危険はない。
彼女のそばにいることはツェットにもメリットがあった。人間との距離が近ければ、木偶たちは手出しできない。離れた位置でふらふらと立ち止まっている。
左手の盾で女を守りながら、壁の銃を壊していく。機関銃を操作しているのは、安全な場所で高みの見物をしている博士だ。今この場で、人間である女兵士を殺せるのは、彼女自身と博士だけ。そして、博士ならば、本気で女兵士を殺しかねない。
「こっちも向いてよね!」
丸っきり無視される形になっているライフル装備のアンドロイドは、拗ねたように一発を放った。
青い光が銃口を飛び出す。ツェットの掌と同じだ。
ツェットは光の弾丸を盾で受けた。
被弾した場所が溶ける。穴は一瞬で塞がったが、またすぐに弾が穴を開ける。
実弾ではヒビも入らないアイテールの盾は、同じくアイテールを使用した銃弾を受けると、そのエネルギーを吸収して溶けてしまう。
「アウレーリエ……。お前は黙っていろ」
「ツェットのバカ。そーゆーとこ嫌い!」
撃たれる心配はないと踏んだのか、アウレーリエは木偶の壁から大胆に身を乗り出した。
少女の姿をしたアンドロイドだ。黒髪と猫目気味な目元はツェットに似ている。彼らを兄妹として紹介して疑問を抱く者はいまい。
ノースリーブの白いワンピースから伸びた腕は、指先までなめらかな人工皮膚に包まれている。手のひらだけは、ツェットのものより小さなシャッターがついていた。瞳が緑に発光していなければ外見は人間と大差ない。服で隠れている腰回りや股関節は機械らしい見た目なのだが、それは裸に剥かなければ分からないことだ。
彼女はライフルにはあり得ない速度で光弾を連射した。
盾状になるまで引き伸ばした刀身に無数の穴が開き、蜂蜜のように粘りながら自重によってもげ落ちる。
『ま、アウラにしては上出来だね』
機関銃の弾丸がツェットの頭に集中砲火される。フードや頭蓋を撃ち抜くには至らないが、その振動は回路に僅かなノイズを発生させた。人間が衝撃で目を回すようなものだ。
ノイズは隙に直結する。
だが、動作に支障をきたすには足りない。
彼は頭を撃ってきた機関銃を一つ一つ光弾で撃ち抜いた。
女兵士は懲りずに自らの死を求めて、青年の庇護下から逃れようとする。
彼女の進行方向を塞ぐため、ツェットは即座に腕を伸ばした。コートの袖に銃弾が弾かれる。手のひらは女兵士の飛び出しを狙った機関銃に向けられていて、銃は発射された光に撃ち抜かれて沈黙した。
壁の銃を全て壊してしまうと、二階を仰ぎ見た。
「もういいだろう、ギーゼルベルト。貴女も」
彼は半ば腕の中に抱え込む形になっている女兵士へ、哀願するような眼差しを向けた。
もっとも、最高品質とはいえ、ツェットを動かしているのは人工知能だ。哀しいなどと感じる心は持ち合わせていないだろう。
人間が、彼の言葉や表情の裏に、魂を見るというだけで。
フリーダ・ヴェリースは観念したように両手を挙げる。
「完敗です。私にはかすり傷一つ付きませんでした」
「何よりだ」
握手を求めて差し出された手をツェットが慎重に握り返す。
アウレーリエはそれを横目に見ながら、未だ壁代わりに立ち続けている木偶の裏に座り込み唇を尖らせていた。
ツァイツラー博士はつまらなそうに頬杖をついて、三人――二体と一人を見下ろしている。
「ちぇー。今年も僕は僕を越えられなかったかなぁ」
わずかに破壊されず残った機関銃が再び壁の中へと引っ込んでいく。
「アウラ!」
「え」
アウレーリエは唐突なツェットの叫びに気の抜けた声をあげた。
回転しながらツェットの剣が飛んでくる。
それは並んだ三体の木偶のうち二体分の首を跳ね飛ばした。
残った一体が自爆する。
「うわっ」
首無しのボディがアウレーリエに衝突した。幸い倒れ込んだだけで済んだが、至近距離で爆発していたら、ツェットのように装甲がないアウレーリエは吹き飛んでいただろう。
ツェットが窓を睨みあげる。彼らの創造者である博士はメガネを袖口で拭いていた。
「ギーゼルベルト! 悪趣味だぞ!」
「だってツェットってば余裕綽々で可愛げないから! 第一、僕はまだテスト終わりだなんて言ってないもんね!」
博士は眼鏡をかけ直し、子供のように舌を出した。
警戒を保っているツェットが腰に残っているもう一本の剣に手をかけたとき。
博士の後ろから、助手の女が身を乗り出し、コントロールパネルを操作した。
「あっ」
「もう大丈夫。アウラ、怪我はない?」
「うん。ツェットが助けてくれたから大丈夫」
アウレーリエは助手――ユリアーナ・エッカートに手を振った。
「良かった」
ユリアーナは手を振り返して微笑んだ。
彼女はまだ三十路手前。五十代も半ばを過ぎた博士とは親子ほどに歳が離れている。が、後ろで「ひどいよユリィ!」と地団駄を踏んでいる博士の振る舞いを見ると、どちらが親だかわからない。
出入り口が開いたのを確認すると、ツェットはアウレーリエを助け起こしに行った。